【完結】檻の中、微睡む番を愛でる竜

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6.ルシアの過去と伯爵家

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 王都の中心にある貴族たちが暮らす閑静な住宅街。伯爵家はルシアが追い出された11年前から良くも悪くも何も変わっていなかった。

 妙にギラギラとした屋敷。上辺だけを見て打算的に行動する父親に贅沢三昧の母親。甘やかされて育った我が儘な8歳年下の妹。隙あらば父や母、妹に取り入って優遇してもらうことしか考えない狡賢い使用人。

 全てが全て最低としか言いようがない場所で、今日まで彼らが何事もなく過ごしてこれたことが信じられないくらいだった。どうしてこんな悪意に塗れた劣悪な環境で過ごしていられるのだろうと疑問に思うほどで、帰ってきて早々、ここに来たのは間違いだったとルシアは悟った。

 ただ馬車の準備も宿の準備もしていないため、来て数分で帰るというわけにもいかずルシアは仕方なく屋敷に一泊だけすることにした。朝から馬車を走らせれば夕方にはディランの待っている森の別荘にたどり着く。二泊する予定を変更し、今日だけ我慢して一泊し明日の朝すぐに伯爵家を出ることにした。

 伯爵家に着いたのは夕方で部屋で少し休むとすぐに夕食になった。11年ぶりに再会したのに会話は弾まず、11年前と同じように父と母は妹のナタリアとばかりが話をしていてルシアは置いてけぼりだった。

 伯爵家の血が強く現れた美しい金髪に緑色の瞳を持つナタリア。銀髪に青い瞳を持つルシアとは全く似ていない。それは当たり前で、ルシアは前妻の子供でナタリアは後妻の子供だった。

 ルシアの母親は父親と政略結婚をした。愛のない結婚で、ルシアが生まれると2人はすぐに一日に一度も顔を合わさないような生活を送るようになった。

 ルシアの母親はもともと体の弱い人で、ルシアを産んだら程なくして亡くなってしまったと聞く。優しい人だったらしいが、そんな母の記憶も幼かったルシアにはほとんど残らず、顔も声も温もりも何もルシアは知らない。

 父親はどうしようもない人で、とくに女性関係にだらしなく、結婚する前から複数人の女性と付き合っていたのだが、その中で一番仲の良かった女性を後妻に迎え入れ、程なくしてナタリアが生まれた。
 
 
 金色の髪を持つ父親に緑の目を持つ母親。その両方の特徴を受け継いだナタリア。3人は誰がどう見ても完璧な親子で、母親の特徴ばかりを受け継いだルシアだけがどこに行っても異質な存在として注目を集めた。

 どうしてルシアだけ全く違うのだろう。そんな目で見られることはしょっちゅうで、それが悲しくてルシアは塞ぎ込むようになった。

 そんなある日ルシアは髪の色や目の色を変える方法があると言うことを知った。魔草薬というもので変えられると知るとルシアは有頂天で、自分も家族の一員になれると喜んで魔草薬について調べた。

 たくさん本を読んで、勉強をして、色を変える原理を学んで。市販の魔草薬を変えるようなお金を渡されていなかったルシアは素材を買って自分で調合して色を変える魔草薬を作った。

 渾身の出来栄えだった。染め上げた髪の毛は綺麗な金色に変わり、薬で変えた瞳の色は美しい緑だった。これで自分も家族になれる。父や母、妹の元に見せに行った時、初めに聞いたのはナタリアの甲高い悲鳴と泣き叫ぶ声だった。

「気持ち悪い…!」

 口に手を当てて後ずさるとひどく驚いた顔をして大きな声で叫びながらナタリアは両親の元へ泣きついた。
 すぐに駆けつけた父と母はルシアを見るなり化け物を見るような目をして怒鳴った。

「何をやってるんだ。その奇妙な色を早く戻しなさい」

 母親は泣き出した幼いナタリを抱えてルシアを軽蔑の眼差しで見ていた。
 一瞬何が起きたかわからなかった。

「私…お父様とお母様とナタリアと同じ色が良くて」
「お前と同じ色なんて虫唾が走るわ」

 母親が追い打ちをかけるようにルシアに向かって悲鳴を上げた。幼いナタリアはただひたすら気持ち悪いと唱えて母親に擦り寄る。

 少しでも家族の一員として認められたくて頑張ったのに。
 どうして罵られているのだろう。ルシアの目頭が熱くなって瞳から涙がこぼれ落ちた。

 否定されたことも悲しかったし、自分の努力が全て無駄だったとわかったのも悲しかった。

 もともといないものとして扱われてはいた。
 両親は暴力でルシアを虐めたことはなかったが、ご飯を食べるときはルシアだけ別室で、誕生日もルシアだけ祝われなくて、風邪をひいて寝込んだ時部屋にきてくれたこともなければ、肖像画もルシアだけがいないことにされていた。
 ナタリアが生まれてからは特に酷くて、おそらく名前を呼ばれたことさえなかった。

 でも決定的な言葉はなかったから。まだ望みはあるのではないかと、見た目が同じになれば自分も家族の輪に入れるのではないかと、幼いルシアはどこかで思っていて、その日はとても期待して妹と両親に見せに行ったのだ。

「も、申し訳ありません。すぐに戻します」

 ルシアは慌てて走り出した。
 色が違っていてもやはり格式高い伯爵家のご令嬢だと言ってもらえるよう一生懸命に覚えた優雅な歩き方も、どんな時も感情を表に出さないと言う淑女の鉄則も全て投げ出して、ルシアは泣きながら走って、走って、その階の一番端の日当たりが悪く狭いルシアの部屋に飛び込んでドアを勢いよく閉めた。

 遠くでナタリアの泣き叫ぶ声が聞こえる。

 ルシアはヘナヘナとその場に座り込んで声を殺して泣いた。止めようと思っても涙は止まらなくて、今まで疑っていた全てのことが事実だったのだと思うと絶望の谷に突き落とされたように目の前が真っ暗になって大粒の涙を流した。

 お父様も、お母様も、ナタリアも、みんなルシアのことが嫌いなのだ。家族だなんて1ミリも思ってない。今まで何も言わなかったのは本当に興味がないただの他人だったから。

 泣き叫ぶナタリアの声が止まる。遠くで父と母が優しく慰めるようなボソボソとした声が聞こえる。

 それを聞きながらルシアは顔がぐちゃぐちゃになるまで泣き続けた。

 今思えばあれだけ無視されたり酷い扱いを受けていたのにまだ家族かもしれないと淡い希望を抱いていたルシアは本当に昔から図太くて能天気だった。

 そんなルシアが26にもなってまだ図太くて能天気なように、彼らの性格や態度も変わることがないと、なぜルシアは思わなかったのだろう。

 相変わらずルシアは図太くて能天気で幸せボケしたルシアだ。
 変わらないところはとても良く似た家族だとルシアは思った。




「食事が終わったら私の部屋に来なさい」
 
 ようやく声をかけられたのはみんながほとんど食べ終わった頃だった。会話をするわけでもなく、ただその一言を告げられただけ。
 少なくとも父親とは血がつながっているはずなのに本当にルシアに興味がないのだなと悲しくなった。

 
 ルシアは無頓着だ。無頓着というより間抜けと言ったほうがいいのかもしれないが、大雑把でお人好しで上手くいくだろうと楽観視するきらいがあって、ディランにもよく失敗するから魔草薬を作る時くらいに慎重に物事を考えたほうがいいと口を酸っぱくして注意をされていた。

 そんなルシアでも、明らかに理不尽でとんでもない話だとすぐに思うくらい、父親の執務室で提示された話はひどいものだった。

 話の内容はルシアの今後についてだった。
 別荘に11年住んできたが、仕送りもなく、街中からも離れた場所にあるため生活するのが大変だろうから本邸に戻ってきてはどうだという、初めはまだ理解できる内容だったのだが、本邸に戻るための条件について話し始めたあたりでルシアはついていけなくなった。

 本邸に戻るのであれば今ルシアが持っている全ての魔草薬の特許を伯爵家に渡さなければならない。

 そう言われた時、ルシアは目が点になった。驚きのあまり、何度もパチパチと瞬きを繰り返して言葉の意味を考えた。なぜルシアが今まで発明した魔草薬の特許を渡さないといけないのだ。

 不思議そうな顔をしているとその理由に父親はそもそも魔草薬についての知識は伯爵家にある書物から得たものである点と魔草薬の開発は伯爵家所有の別荘で行われた点を挙げた。

 魔草薬を開発する環境を整えたのは全て伯爵家であると、だから権利は全て譲るようにと。その見返りに伯爵家に戻ってくることを許可しようと。

 そもそもルシアが別荘に追いやられたのは魔草薬の本を読み漁っていたからだった。
 ルシアと家族の間に決定的な亀裂が走ったあの日、泣きつかれたルシアは魔草薬の本を再び読み始めた。
 それはルシアなりの現実逃避で、嫌なこと辛いことに目を向けたくなくて 何か別のことを考えようと始めた、心を守るための一つの手段だった。

 自分を守るために始めたことだったが、その行動は家族には異様な行動に見えたようで、難癖をつけられ、狂人扱いされて別荘に追いやられた。
 それなのに魔草薬師として大成したら屋敷に引き戻してルシアの権利を全て剥奪しようなんて虫が良すぎるではないか。
 
「わかりました出て行きます」
「そうか。いつ戻ってくるんだ」

 別荘を出るのだと勘違いした父親は面倒をかけさせるなと言わんばかりの態度でそう尋ねた。そのどこまでも傲慢な態度に呆れながらルシアは伝えた。

「は、伯爵家を…出ます」

 はっきりと宣言したルシアに父親は心底驚いた顔をしていた。ルシアのことは全て思い通りになると思っていたようで言葉を失い目を丸くしていた。

 ルシアは心底呆れていた。それは伯爵家の人たちに対してもだが、それ以上に淡い希望を抱いてこの伯爵家にやってきた自分に呆れていた。

 ただ、魔草薬の権利を譲れと言われただけだったが、あまりにも軽々しく、そこにあるペンをとってくれとでも言うように譲れと言われて、これまでのルシアの苦労や魔草薬に費やした膨大な時間、ディランと共同で開発したいくつかの特別な魔草薬を軽んじられた気がして非常に腹が立った。

 そんなことを言われるためにこんなところまで来たのかと思うと、家に一人ぼっちにしてしまったディランのもとに今すぐに帰りたくなった。



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