妹の看病と言って消えた夫、3年ぶりに帰国したら……

乃野夢子

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「昨日の今日で、注文の処理が追いつかないわ! ミルネ、この伝票の山を見て!」


展示会から一夜明けた『アトリエ・メルア』。
私は朝から、届けられた大量の注文書と格闘していた。
王都の社交界は一度火がつくと凄まじい。
「虹の魔術師」という二分の一くらい気恥ずかしい二つ名と共に、私の名前は今やトレンドの最先端に躍り出ていた。


「嬉しい悲鳴ね。でも、あんたの体力が持つか心配だわ。はい、栄養たっぷりの特製スムージー。一気に飲みなさい」


ミルネが差し出してくれた緑色の飲み物を一気に煽る。
苦いけれど、体に力がみなぎるのを感じる。
やっぱり私、世界一ツイてる。
素敵な友人と、最高のお客さんに囲まれて、夢だったアトリエを経営できているんだもの。


「……ねえ、メルア。ゼルドのことは、もう大丈夫?」


ミルネが少しだけ声を潜めて尋ねてきた。
昨夜、警備員に連れ出されたあの情けない男の姿。
私はペンの手を止め、窓の外に広がる王都の澄んだ空を見上げた。


「ええ。驚くほどスッキリしているの。あの日、実家の扉を閉めた時に私の心も決まっていたんだと思う。……あんな風に執着されるのは困るけど、私の人生にはもう、一滴も彼の入る余地はないわ」


「ならいいわ。……さあ、今日もお客さんが来るわよ。気合入れなさい!」


ミルネの激励に応えようとした、その時だった。


カランコロン、と入り口のベルが激しく鳴り響いた。
予約制にしているはずなのに、ずいぶんと乱暴な入り方だ。


「いらっしゃいませ。……あいにく本日はご予約のお客様のみとなって……」


ミルネが対応に出ようとした瞬間、店内に甲高い、そして聞き慣れた忌々しい声が響き渡った。


「お姉ちゃぁぁぁん! よくも、よくもあんなひどいことをしてくれたわね!」


現れたのは、ボロボロの旅行鞄を抱え、ひどく煤けたドレスを着た女性だった。
かつては「病弱な美少女」として私に看病させていた妹、リシュカだ。
彼女は昨夜のゼルドと同じように、あるいはそれ以上に、凄まじい形相で私を睨みつけていた。


「……リシュカ。あなたまで王都に来たの?」


私は冷静に、けれど心の中では「またバカタレが来たわ」と深く溜息をついた。
リシュカは店内に飾られた豪華なドレスの数々を、血走った瞳で見渡すと、狂ったように笑い出した。


「何よ、このキラキラした場所は! 私がお家でアレンの面倒を見ながら、古臭いパンをかじっている間に、お姉ちゃんはこんなお城みたいなところで贅沢していたのね!」


「贅沢じゃないわ。これは私が三年間、死に物狂いで働いて築いた場所よ」


「嘘よ! お姉ちゃんは運が良いだけ! たまたまお金持ちのパトロンを捕まえて、私を捨てて逃げ出しただけじゃない! ずるいわ、ずるすぎるわよ!」


リシュカの怒鳴り声に、アトリエの奥で作業をしていた見習いの子たちが怯えて顔を出した。
店内には数人の上客もいたが、あまりの異常事態に言葉を失っている。


「……リシュカ、落ち着きなさい。ここは神聖な仕事場よ。騒ぐなら警察を呼ぶわ」


「呼べばいいじゃない! 冷酷な姉が、不治の病から立ち直ったばかりの妹を王都の路上へ放り出したって、みんなに言いふらしてやるんだから!」


リシュカはわざとらしく自分の胸を押さえ、その場に崩れ落ちた。
三年前、私を騙し、ゼルドを奪ったあの「仮病」のポーズだ。


「ああ、苦しい……。お姉ちゃんに酷いことを言われて、また発作が……。誰か、誰か助けて……!」


彼女の熱演に、事情を知らない客たちが「まあ、なんてこと」「お可哀想に」と、ひそひそと囁き始める。
リシュカは床に伏せたまま、髪の隙間から私に向かって勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ほら、お姉ちゃんの評判を落としてやるわ」……彼女の瞳はそう語っていた。


けれど、今の私は三年前の騙されやすい私じゃない。


「リシュカ。その『病気』、まだ続けてるつもり?」


私は彼女の元へ歩み寄り、冷ややかに言い放った。


「……え?」


「三年前、あなたが『死にそう』だって言うから、私は泣きながら海外へ行ったわ。でも、あなたはその間に健康な赤ちゃんを産んで、私の夫と仲睦まじく暮らしていた。……医者が『奇跡の回復』だって驚いていたけれど、本当は最初から病気なんてしていなかったんでしょ?」


「な、何を……! 私は本当に……っ!」


「王都の最高級の医師を今すぐ呼びましょうか? もし本当に病気なら、私の全財産を投げ打ってでも入院させてあげる。でも、もし嘘だったら……虚偽の申告で王都から永久追放してもらうわ」


私の毅然とした態度に、リシュカの顔が引き攣った。
彼女は慌てて立ち上がり、震える指で私を指した。


「お、お姉ちゃんだって、あのヴェルツとかいう男を寝取ったじゃない! ゼルド様があんなに泣いて帰ってきたのよ! 『メルアに冷たくあしらわれた』って!」


「寝取った? 人聞きの悪いことを言わないで。私は彼をビジネスパートナーとして、そして一人の友人として信頼しているだけよ。……ゼルドが泣いて帰った? 当然よ。私への不敬を働いたんだもの。……リシュカ、あなたたちには分からないでしょうね。誠実に生きることで得られる信頼というものが」


「綺麗事よ! 全部、全部綺麗事だわ!」


リシュカは理性を失い、近くにあった展示用のトルソーに掴みかかろうとした。
私の最新作、七色のシルクを使った一点物のドレスを。


「壊してやるわ! こんなドレス、お姉ちゃんの幸運と一緒に引き裂いて……!」


「やめなさい!」


私が叫んだ瞬間、リシュカの腕が強引に背後に捻り上げられた。


「……我が主の、そしてメルア様の聖域を汚す不届き者め」


現れたのは、クレンさんだった。
彼は無表情のまま、凄まじい力でリシュカを制圧した。
背後には、数人の屈強な警備員が控えている。


「離して! 離しなさいよ! 私はこの人の妹なのよ!」


「妹、か。……三年前、姉を異国へ追いやり、その夫と財産を貪った寄生虫の間違いではないか?」


クレンさんの言葉に、リシュカは絶句した。
彼は床に転がっていたリシュカの鞄を蹴り飛ばすと、中から溢れ出た豪華な装飾品や、ゼルドが持っていたはずの財布を指し示した。


「……実家の生活費を盗み出し、子供を置き去りにしてまで王都へ遊びに来た女に、妹を名乗る資格はない。……メルア様、この者も昨日同様、処分してよろしいですね?」


クレンさんが私に問いかける。
リシュカは恐怖で顔を青ざめさせ、私に向かって「お姉ちゃん、助けて! 嘘よ、今の話は全部嘘!」と縋ってきた。


私は、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。


「リシュカ。……さようなら。もう、二度と会うことはないわ」


私の短い告別。
リシュカは叫び声を上げながら、警備員たちによって店外へと連行されていった。
彼女が去った後、店内には再び静寂が戻ったが、客たちの視線は冷ややかなものから、私への深い同情と感嘆へと変わっていた。


「……お見苦しいところをお見せして、申し訳ございません。……でも、これでようやく、私の過去はすべて清算されました」


私は皆に向かって深く頭を下げた。
拍手が湧き起こった。
それは展示会の時よりも、ずっと温かく、私の心を震わせるものだった。


「やったわね、メルア。……あんた、本当にかっこよかったわよ」


ミルネが涙ぐみながら私の肩を抱いてくれた。
私は彼女の温もりに包まれながら、ようやく本当の意味で、自分が「自由」になれたことを実感していた。


夕暮れ時。
アトリエに、ヴェルツさんがやってきた。
彼は何も言わず、ただ私を強く、けれど壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。


「……メルア。よく、頑張ったね」


「ヴェルツさん……。……私、やっぱりツイてるわ。……あんなに酷いことをされても、今、こんなに幸せなんだもの」


私は彼の胸の中で、初めて声を上げて泣いた。
それは悲しみの涙ではなく、新しい人生への喜びに満ちた、温かな涙だった。


過去の呪縛を振り切ったメルア。
彼女の「幸運」は、これからさらに強く、美しく、王都の空に輝き続けることになる。


「……さあ、明日からはもっともっと、みんなを笑顔にするドレスを作るわよ!」


涙を拭いたメルアの瞳には、かつてないほどの希望が宿っていた。
バカタレたちの物語は、ここで完全に幕を閉じた。
そして、メルアとヴェルツ、そしてミルネたちの、本当の輝きの物語が、ここからさらに加速していく。
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