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第4章 内乱

第36話 マルマの危機

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 アレナスに最初の知らせが入ったのは、七月の終わりだった。
 しかも、その知らせはルカーンの南にある国交のないセムナという都市国家からであった。
 セムナの王アルガンデア一世と豪商カリブムの同盟申し入れは、私からの手紙によって、ヴェルンドとシビルスが知り、チルルをはじめごく少数の行政府幹部に伝えられていた。
 また、イファの工場とアレナス造船所は、セムナとの鉄の取り引きを名目に、頻繁に商談を重ねている。
 もちろん、良質の鉄材が欲しかったこともあるが、同時にアークティカとセムナとの国交樹立に向けた秘密交渉でもあった。
 商談では、必ず両国の官吏が秘密裏に接触していた。
 最初は、シビルスの元にセムナからの至急便が届いた。
「セムナ南方の無領地を神聖マムルーク帝国の大軍が東進中」
 次は、民間の伝令士を装ったセムナ軍将校が、赤い海を渡って、直接アレナスの行政府に届けてきた。
「神聖マムルーク帝国の総兵力一万」
 翌日は「エームルード方面に進軍中」の知らせが入り、以後、毎日情勢が伝えられた。
 アレナスの行政府は、帝国軍の意図を図りかねていた。
 ルカーンを攻める可能性が高いが、さらに北東に進んで、アークティカ南部国境を脅かす可能性もある。
 六日目の知らせは、「神聖マムルーク帝国軍所在不明」で、これによってアークティカは一気に緊張する。

 このことは、マルマの行政府にも知らされた。マルマは一応の警戒態勢は整えたが、キジルの街の再建に取りかかっており、真の意味で危機感を持っていたとは言い難い状況であった。

 次の知らせは、ルカーンからだった。
「神聖マムルーク帝国軍、約一万、車輌一〇〇〇、野砲一〇〇、我が領土の東部辺境を北上中」
 ルカーン軍は、帝国軍の威容に為す術がなかった。アークティカに知らせることが、彼らの唯一の抵抗であった。
 帝国軍は明らかにマルマを目指している。しかも進撃が早い。
 明日の朝には、国境を越える。

 軍事に疎いチルルは、急遽アリアンを国防長官に任命し、軍事行動の全権を委任した。
 アリアンは、アレナス行政長官チルル発マルマ行政長官スピノラ宛の親書をフェイトに託し、WACO複葉機を発進させた。
 航続距離ギリギリの片道四〇〇キロ、そして帰還は日没直後となる危険な飛行だ。
 フェイトはキッカの同乗を強く反対したが、キッカは航法士がいなくては戻れないと主張。
 キッカの道理に、フェイトの無謀が負けた。
 しかし、WACO複葉機にも新兵器があった。操縦席の下に新設した増加燃料タンクだ。最大五〇リットル入る。WACO複葉機の燃料タンクは一七五リットルで、時速二〇〇キロの巡航速度で最大五時間の飛行が可能だ。計算上は一〇〇〇キロ飛べるが、安全上八〇〇キロを航続距離としている。
 増加タンクに五〇リットルの燃料を増載すると、燃料は二二五リットルとなり、計算上は一二八〇キロの飛行ができる。
 もちろん、風向きなどの気象条件によって、航続可能距離は大きく異なる。

 フェイトは最大荷重で離陸し、時速二五〇キロでマルマを目指す。
 マルマまでの往路一時間半、上空に三〇分滞空し、巡航速度二〇〇キロで二時間かけて帰投する。
 そうすれば、ギリギリ日没前にイファに帰り着く。

 フェイトは一四時三〇分にマルマの上空に達し、行政庁舎を探した。上空から見るマルマの街は美しく、特に住宅街は家と家との間隔が広く、随所に木立や池がある。
 マルマの人々は、突如現れた飛行機に驚き、空を見上げている。
 行政府庁舎と思われる三階建ての瀟洒な宮殿風建物の上空で、高度をできる限り下げて旋回した。木立の樹上すれすれを飛ぶ、曲技だ。
 庁舎から多くの人たちが出てきて見上げている。
 キッカは、その人々から少し離れた場所に手に持った通信筒を投下した。
 そして、一生懸命手を振った。
 マルマの街を去り際、フェイトは翼を振った。

 帝国軍の侵攻を伝える、フェイトの危険な飛行は成功したが、マルマ側の対応は緩慢だった。
 マルマの行政長官スピノラは、軍の大半の幹部が主張する帝国軍の侵攻は誤認という意見に押し切られそうだった。
 ただ、マルテルは「用心に超したことはない」という意見を述べて、どうにか正規軍二〇〇の臨戦態勢の許可を得た。
 予備役招集や民兵の徴集は、経済が停止することを理由に許可されなかった。
 マルテルは正規兵二〇〇で、帝国軍一万を迎え撃つ覚悟を固める。それは彼の死を意味し、彼の娘の死を意味し、彼の孫娘の死をも意味した。

 アリアンは、チルル発の第二報をリシュリンに託した。
 リシュリンは、フェイトとキッカが離陸した直後、DT125の後部ラックに予備燃料二〇リットルを縛り付け、彼女がデザインしたピストルグリップ付き特製銃床のM2カービンを背負って、マルマを目指した。
 リシュリンが家を出るとき、リリィが泣きながら「レイアちゃん、死んじゃうぅ?」と尋ねた。
 リシュリンは「私の任務が終わったら、レイアを私が守ろう。約束する」
 ケータイを懐から取り出し、リリィのメッセージを録画した。その様子を見て、ミーナ、ルキナ、サーニャもメッセージに加わった。

 マルマまで、いかにDT125といえども最短でも一〇時間を要する。リシュリンは、一二時間から一五時間を想定している。

 リシュリンがマルマ軍の西側前哨線に達したのは、日付が変わった未明二時のことであった。
 マルマ軍前哨線の兵士たちは驚いた。昼間は機械の鳥が飛んできて、夜には機械の馬がやって来たのだ。
 リシュリンは、アレナス行政府軍の軍装をしていた。ドイツ国防軍式のヘルメット、草色のサファリジャケット、黒いズボンに皮の編み上げ靴だ。それに、口元を覆うマフラーとゴーグルを着けていた。
 マルマ軍将兵には、この軍装が奇妙に見えた。そして、アレナスからの使者だという女に疑念も感じた。
 だが、この使者を放置せず、すぐに軍の司令部に連れて行った。
 司令部に泊まり込んでいたマルテルは、間を置かずにリシュリンと面会した。
 リシュリンは、チルルからの親書を差し出し、「まもなく帝国軍が攻めてきます」と端的に伝えた。
 司令部にいた幕僚たちにとって、帝国軍の再来襲は寝耳に水で、一気に緊張が走る。そして、ざわつき始める。
「ご苦労様です。貴女は?」
「イファの住人でリシュリンと言います。国防長官アリアンの命により、伝令となりました。
 至急防衛体制を整えてください。
 時間がありません」
「承知した。ありがとう。
 拝見するに、貴女は一軍の将のようだ。
 惜しい命、すぐに立ち去られよ」
「ありがたいお言葉ですが、私には私的な任務が残っています」
「それは?」
「イファの住人リリィより、レイアを守るよう頼まれています」
 マルテルは、レイアからリリィのことを何度も聞かされていた。
「それは、お願いできません」
「貴方の願いではない。わが、同胞〈はらから〉の願いです。どうかお気になさらずに。
 レイア殿の家を教えていただけますか」

 リシュリンがもたらした第二報は、極めて詳細で、状況が切迫していることを伝えていた。
 また、アレナスとイファから援軍が出撃することが伝えられ、ルカーンとの国境沿岸付近の防衛体制についての説明もあった。
 スピノラは凍り付いていた。また、軍幹部の多くは、狼狽するグループと誤報だと主張する一派に分かれて、小田原評定〈ひょうじょう〉に陥ってしまう。
 マルテルは行政長官官邸を後にし、全正規将兵を集めた。事務兵や技術兵など、非戦闘兵員も集めた。さらには、司令部要員全員に武器と弾薬を持たせ、再建が始まったばかりのキジルを目指した。
 マルテルは、軍幹部の多くが主張する戦列歩兵戦術など無意味であることを知っていた。彼は、キジルの街を防御拠点として、可能な限りの時間稼ぎ以外に戦う術がないことを理解していた。

 マルマは、終わりだ。
 マルテルは、そう考えていた。

 レイアの母ウルリカは、娘に会うことなく兵営から戦場に赴いた。
 彼女は、ダイムラー装甲車一〇輌を指揮する百人隊長であった。彼女はダイムラー装甲車の機動力を活かした新しい戦い方の研究を幾度となく意見具申していたが、彼女の上官は、装甲車は戦列歩兵に直協するもの、という考え方を変えるつもりはなかった。
 そして、軍服に着替える時間さえなく、かき集められた予備役兵や民兵とともに、街の西側に布陣していた。

 朝になれば、帝国軍がやってくる。
 今日は、マルマ最後の長い一日になる。

 帝国軍は、予測よりも早く深夜にアークティカとの国境を越え、夜明け前にはキジルの西方五キロの穀倉地帯に進出し、大地がうねる広大な麦畑に陣を張った。
 キジル旧市街は、大海原に浮かぶ岩礁のように見える。
 不十分ながらかき集められた予備役兵たちは、キジルとマルマの中間の遮蔽物のない平原に布陣した。

 帝国が派兵した戦闘部隊三〇〇〇は、奴隷商人部隊を再編した精鋭だ。
 帝国の成立以来、一度も戦に敗れていない。兵は若く、軍律は厳しく、装備がいい。
 マルマが集められる兵は、最大でも一〇〇〇。アレナスからは四〇〇キロの距離があり、蒸気牽引車では無停止でも三〇時間から三五時間を要する。
 開戦後、最短でも二日間は援軍はない。仮にあったとしても、内乱中のアレナス行政府軍は一〇〇も送れない、と帝国側は推測している。
 その分析は正しかった。

 前日の夕方、アレナスの南に一〇の車輌が集結した。
 フォードV3000Sマウルティアをモデルにした半装軌輸送車三輌、そして同じ車体にホワイトM3ハーフトラックによく似た車体を架装した半装軌装甲車七輌だ。M3と異なる点は、車体の天井が装甲されていることと、車体上部に円筒形の上部開放式の機関銃塔があることだ。
 すべて、ガソリンエンジン車だ。一〇輌全車が手造りに近い。
 アレナス行政府が集められるすべての半装軌式ガソリン車である。
 輸送車には燃料と弾薬を満載し、装甲車には乗員四名と歩兵四名が乗車した。
 戦力はわずか六八人だが、機甲部隊である。
 そして、この虎の子の機甲部隊を指揮するのが、医師エミールであった。
 チルルとアリアンは、機甲部隊とは何か、がわからない。それをエミール医師に説明して貰っているときに閃いた!
 そうだ、医師が軍の指揮をとって悪いわけはない。
「先生がお手本を示してください」
 チルルの一言で、エミールが指揮官になった。彼の本来の任務である野戦病院部隊は、蒸気車で追従してくる。

 イファでは、六輌の半装軌戦車のうち四輌の派遣を決めた。また、六輪の大型装甲兵員輸送車と小型の汎用貨物車各一輌の投入も決まった。六輪の装甲兵員輸送車は天井のないオープンキャビンで、旧ソ連のBRT152によく似ている。軽装甲の小型汎用貨物車はホワイトM3スカウトカーにそっくりだ。なぜなら、M3ハーフトラックの車体デザインを踏襲したから。
 また、車輌不足からM3ハーフトラックも投入される。

 アリアンはリシュリンの身を案じていた。リシュリンを救出するため、六輪の大型装甲兵員輸送車に、メハナト穀物商会の護衛三番隊を乗車させ、先行させることにした。
 この部隊は、六挺のM1ガーランド半自動小銃、一挺のM1918BAR自動小銃、M1903A4ボルトアクション狙撃銃を装備する、極めて攻撃力の強い部隊だ。
 これに、シュクスナと彼女のM1Dガーランド半自動狙撃銃、ルイス軽機関銃を加える。これで、計一〇挺の七・六二ミリスプリングフィールド弾を発射する火器だけを装備する部隊を編成した。
 運転手二人を加えて、一二人がリシュリンの救出に向かう。
 これとは別に、マルマ街内に突入して、リシュリンを捜索する部隊も投入する。
 小型の軽装甲汎用輸送車には、メグ、ミクリン、マーリンの姉フェリシア、フリート、メルトが乗った。
 メグは四四口径レミントン弾を発射するレバーアクションライフル、ミクリンはM1カービン、フェリシアは六・五ミリ弾を発射する自動小銃、他の二人はアリサカ小銃を装備している。
 メグの部隊は一四時にはイファを発ち、リシュリン救出部隊本隊は一八時に出発する。
 イリアが指揮するM2一二・七ミリ重機関銃を装備する半装軌戦車四輌とマーリンが乗るM3ハーフトラックは、二〇時に出発した。

 アレナス造船所は、エルプスが操縦するテンダーボートに造船所の志願者で編成した防衛隊を乗せ、ルカーンとの国境付近沿岸に運んだ。
 タルフォン交易商会の警護部隊は、ルドゥ川北方に進出。ローリアの再度の侵攻に備えた。

 アレナス行政府は、一丸となって国難に立ち向かう態勢を固めつつあった。

 八時、戦場が不気味な静けさにあるとき、再び黄色の機械鳥がマルマの上空に現れた。そして、キジルとマルマとの中間に布陣するマルマ軍本隊に通信筒を落とした。
 通信筒には二つの手紙が入っていた。一つは行政長官スピノラ宛、この内容を前線の兵が知ることはできない。
 もう一通は、「マルマ軍総司令官マルテル殿孫娘レイア様宛」となっており、二つ折りの紙には「レイアちゃん、アレナスとイファから援軍が向かったよ。頑張って!」と書かれていた。
 その内容は、兵士の口から耳に伝わり、ごく短い時間に全軍将兵が知ることとなった。
 兵士たちも時間の計算はできる。昨日昼に発していれば、明日の昼には到着する。
 それまで耐えれば、援軍が来る。

 第三報を読んだスピノラは絶望していた。
 アレナスからの援軍は、ごくわずかな兵力だ。帝国軍に抗せるはずがない。

 戦闘は一〇時に始まった。一〇〇門の前装式青銅製ライフル野砲が、キジルの街を砲撃している。すでに半壊の建物が多いキジルの街は、完全に倒壊して瓦礫の山になろうとしていた。

 その砲声を聞きながら、メグはマルマ軍の前哨線に接近していく。
 アークティカの旗は、白地に青のギンガムチェックだ。アークティカの大きな旗をなびかせて接近してくる車輌に、マルマ軍の兵士は緊張した。旗は、車体の最後部に付けている。
 前哨線の兵士は、銃を突き付けてメグたちの乗るクルマを止めた。
「何者だ!」
 若い兵士は怯え、緊張している。
「イファから来た」
「本当?」
 若い兵士は、子供の口調になっていた。
「本当だ。イファから来た。指揮官に会わせろ」
 十人隊長が走ってくる。
「あんたたち、本当にイファから来たのか。援軍なのか」
「いや、我々はアレナスが送った伝令を連れ戻しに来た別動隊だ」
 その間に、イファから援軍が来たという正確とは言えない情報が広まっていく。

 帝国軍は合理的な戦い方をする。前線の将兵を一〇〇人殺すより、後方の民間人一人を殺すほうが、敵国民に大きな精神的ダメージを与えられる。老人や幼子ならさらに効果的だ。
 帝国軍は別動隊をマルマの街を囲む山地を徒歩で越えさせ、街内に突入させた。
 街内で激しい銃撃戦が始まる。街内に残っていたわずかな兵と、突入してきた帝国軍二〇〇の間で、死闘が始まった。そして、急速にリー・エンフィールド銃の銃声が弱まっていく。

 十人隊長は、街からの銃声に振り向き、一瞬思案した。
「行ってくれ。イファから来たって、信じるよ」
 メグは街内に突入した。

 帝国軍は騎兵を使って、マルマ軍を翻弄し、各所で防衛線を破り始めた。
 一一時には前哨線は消滅し、街に向かう道を守ることがやっとの状況であった。

 一二時、リシュリン救出の本隊が、乱戦の中に突入し、街の中に入った。このときまでに、マルマの街を守る防衛線は完全に破断していた。
 救出本隊は、誰にも誰何〈すいか〉されず戦場を突破して住宅街に入った。

 メグは動けずにいた。街の中に入るとすぐ、逃げ遅れた民間人数人を助けたのだが、正午を過ぎる頃には一〇〇人に達していた。
 マルマの街は塀や生け垣がなく、遮蔽物に乏しい。
 車輌を遮蔽物にして、子供や怪我人を装甲車に乗せて兵は徒歩で進んでいく。
 次第に民間人だけでなく孤立していたマルマ兵も集まってきた。
 単独行動を好むメグにとっては、一番嫌いな状況だ。だが、見捨てるわけにはいかない。

 街人は多くが逃げ遅れ、街の最も東にある避難施設に向かえずにいた。また、帝国兵は東側から侵入したため、必然的に避難民は西を目指していた。
 マルマの市街は防衛に適していおらず、街人もマルマ兵もただ逃げ惑うだけだった。
 それでもマルマ兵は、街人を集め、それを守るために銃弾の貫通しない石造りの家を見つけて、そこに立て籠もっている。

 マルテルの私邸もそんな石造りの家だった。 リシュリンがマルテルの私邸に着いたとき、その家にはレイアと彼女の祖母、マルテルの妻の二人しかいなかった。
 リシュリンがマルテルの妻に彼女の夫の手紙を見せると、彼女はレイアをリシュリンに託した。
 しかし、リシュリンはレイアを連れて逃げなかった。レイアの祖母は車椅子の生活であった。
 リシュリンが逡巡しているわずかな間に、周辺の家々から街人が集まってくる。その人数は、二〇人、三〇人と増えていき、負傷したマルマ兵や部隊とはぐれた兵もやって来た。
 わずかな時間で、怯えた街人七〇人、負傷したマルマ兵二〇人、途方に暮れているマルマ兵一〇人ほどが逃げ込んできた。
 大邸宅ではないマルテルの私邸は、血と汗と硝煙の匂いがする戦場になった。
 リシュリンは、完全に脱出の機会を失った。

 マルマ兵は指揮官がいなくても、兵士個々が持ち場を定めて、配置についている。
 負傷兵は三人を除いて軽傷で、戦闘ができない状態ではない。
 武器はボルトアクション小銃のみだが、よく訓練された兵たちだ。
 リシュリンは、DT125を一階のキッチンに引き込んだ。
 二人の兵が手伝ってくれ、「あんたがイファからの援軍か?」と尋ねられ、戸惑いながら「そうだ」と答えた。

 リシュリンは、レイアと彼女の祖母に他の避難者と一緒にいるように言いつけた。
 避難者には多数の子供が含まれていたが、おそらく誰も朝から何も食べていない。
 リシュリンは背負っていたミュゼットバッグから木箱に入ったビスケットを取り出すと、レイアに手渡して、他の子供たちと食べるように言った。
 レイアは怯えていた。
 リシュリンはレイアの前で跪き抱き寄せ、懐からケータイを取り出して、リリィのメッセージを再生した。
「レイアちゃん、リリィだよ。みんなが助けに行くよ。頑張ってね」
 その後、ミーナ、ルキナ、サーニャが顔を出して、「今度遊ぼうね!」と言った。
 レイアは映像に驚き、「リリィちゃん、この中にいるのぉ」と尋ねた。
 リシュリンは「リリィはいつも一緒だ」と、レイアの頭を撫でた。

 マルマの市街戦は九時少し過ぎに始まった。一〇時にはマルテル邸の周囲に帝国兵の姿が現れるようになった。
 おそらく、帝国兵は民家を一軒ずつ潰していくはずだ。
 いずれ、戦闘が始まる。

 リシュリンは扉が開け放たれた玄関で、立て膝を付いて外を観察していた。
 庭には遮蔽物になりそうなものが一切ない。美しい芝生と植栽は、身を守る壁にはならない。
 全マルマ兵は室内にいた。
 一人のマルマ兵が、扉の反対側に身を隠しながら立ち、リシュリンに話しかけてきた。
「あんた、イファの兵なんだって。
 本当に援軍は来るのかい?」
「間違いなく来るが、ここが落ちる前に来るとは限らない。
 来た」

 八〇メートルほど先に帝国兵が現れた。グレーの軍服に、鍔のある帽子を被っている。木立に身を隠しながら、ゆっくりと近付いてくる。
 赤子がぐずり、何人かの兵士がそれに動揺している。
 マルマ兵は、上官の発砲命令を待っているようで、敵が五〇メートルまで近付いても撃たない。
 リシュリンは、ピストルグリップ付き直銃床に改良した特製M2カービンを構えた。
 発射の間合いは、自分で決めた。
 彼女が撃つと、マルマ兵も発射した。M2カービンは引き金を引いている限り、弾丸が発射し続ける。
 多くを倒したが、新たな敵を呼び寄せた。

 マルテルの私邸の中では、誰もがリシュリンを見ていた。マルマ兵も、避難者も。
 リシュリンに話しかけてきた兵が、言った。
その言葉は、誰もが聞いていた。
「俺たちには指揮官が必要だ。
 実戦経験の豊富な、本物の指揮官が。
 あんたは剣をぶら下げていないが、口ぶりは明らかに将校だ。
 あんたからは、場数を踏んだ兵士特有の匂いがする。
 ここに将校はいない。
 あんたが、指揮をとってくれないか」
 別の額に傷を負った古参兵らしき男が怒鳴った。
「反対の奴はいるか!」
 この瞬間、リシュリンは七〇人の避難者を守る兵三〇の指揮官となった。

 リシュリンは、各兵が持つ弾薬を確認した。彼らは標準で五〇発、クリップ一〇個を支給され、すでに半分を消費していた。
 あと一、二回交戦すれば射耗してしまう。
 リシュリンは古参兵三人を集め、「弾の補給はできないか」と尋ねてみた。
「軍の施設には豊富に弾薬があるだろうが、帝国軍に包囲されているだろうから、近付けない。
 考えられることは、死んだ友軍から回収することだが、意外なほど死体は見なかった。それに、古参兵はもうやったよ。撃たれた友軍の弾薬盒に弾はないだろう。銃も回収している」
 彼の言うとおりで、兵士の数より銃のほうが多く、数人の避難者が装備している。
「あと、二、三回の攻撃に耐えられるだけしかないか」
「あんたも弾のばら撒きはやめてくれ」

 マルテル邸は平屋だが、屋根裏部屋があった。窓もあり、そこに兵二人を配し、全周に対する防御体勢をとった。

 一二時、再度の攻撃があったが、威力偵察程度で、敵は簡単に撤退した。
 リシュリンは、すべての射点が敵に知られたことを悟った。

 その三〇分後、敵の強力な攻撃を受けたが、辛うじて退けた。
 この戦いで、弾薬は欠乏寸前になった。交戦はあと一回だ。

 フェイトはシビルスの反対を押し切って、フォッカー戦闘機を飛ばしていた。
 射爆照準器をWACO複葉機から戻し、両翼に七・九二ミリ機関銃を各二挺装備し、一挺あたり二五〇発の銃弾を搭載して飛んでいる。
 リシュリンを助けなければ。その思いが、テスト不十分な機体で出撃する唯一の理由だった。
 フォッカー戦闘機は、WACO複葉機とは次元の異なる飛翔をする。エンジンの出力は倍の八三〇馬力、巡航時速四〇〇キロ、最大時速四六〇キロ、航続距離九五〇キロだ。
 イファを離陸すると、一時間ほどで戦場の上空に達した。
 キジルの街は頑強に抵抗し、マルマの西方では一〇輌の装輪装甲車が敵の進撃を食い止めている。
 その戦場に、フェイトは降下を始めた。敵の大軍に向けて、両翼の四挺の機関銃を撃った。地上を銃弾が走り、敵兵が倒れていく。大きく旋回し、太陽を背にして西側から再度機銃掃射を行った。
 敵兵が全員、地に伏している。

 新たな機械鳥の登場は、マルマ将兵の士気を大いに鼓舞した。
 銃を掲げて、声援を送ってくれる。

 フェイトは無線で、リシュリンを呼んだ。
「リシュリン、リシュリン、応答しろ」
 リシュリンは懐のトランシーバーからのかすかな声に気付いた。
「リシュリンだ!」
「フェイトだ。どこにいる。正確な位置を教えろ!」
「誰か! 発煙弾を持っているか!」
 少年兵が「持ってます!」といって、雑嚢から取り出した。
「空に向かって撃て」とリシュリンが言うと、少年兵は一瞬躊躇した。
 そして、赤い発煙弾から青い発煙弾に変えて、窓から打ち上げた。
「リシュリン見えたぞ!
 頭下げてろ!」
 フェイトはそう怒鳴ると大きく旋回し、マルテル邸を取り囲む敵兵の配置を確認した。
 そうして、マルテル邸の正面に向かって降下し、機銃掃射を加えた。
 その瞬間、リシュリンは「伏せろ!」と怒鳴った。
 機銃掃射のあまりの凄まじい威力に、帝国兵だけでなくマルマ兵も怖じ気付いた。
「リシュリン、飛ばしすぎた。燃料切れだ。すまない」
「また来てくれ」
「そうするよ」
 フェイトはイファに帰投したが、すぐに通信を再開した。
「リシュリン、すぐ近くに三番隊がいる。それに、メグの隊もだ。
 メグの隊はお客さんを連れている」
 その通信は三番隊が傍受していた。彼らもトランシーバーを持っていた。
「フェイト、青い発煙弾はリシュリンか」
 その問いはシュクスナだった。
「そうだ、リシュリンはそこにいる。それより、お前たちの一ブロック南にメグがいる。お客さん付きで身動きできないらしい。
 助けてやってくれ」
 シュクスナはリシュリンを呼んだ。
「リシュリン、聞こえたか」
「あぁ、」
「メグを助けてから、そっちに向かう」
「了解した」
 その様子をマルマ兵が凝視している。
 マスケット銃で武装した初老の民間人の男が尋ねた。
「誰と話していたんだね」
「援軍が来た!」
 リシュリンの近くにいた兵が歓声をあげる。

 三番隊は、南に向かった。派手な銃撃戦を繰り広げるメグの隊はすぐに見つかった。
 暗い緑色に染められた皮のコートを羽織り、右手にレバーアクションライフル、左手にリボルバーを持ち、撃ちまくるメグの姿は、無法者のようであった。
 メグは三番隊と合流すると、「助かった」と本音を言った。
 彼女たちが守る避難者は一五〇人に膨れあがっていた。
 大型兵員輸送車からイファ兵が降り、負傷者や子供が乗せられた。
 その他の避難者は、二輌の装甲車の間に入り、小走りでマルテル邸に向かった。
 外周をイファ兵が取り囲み、マルマ兵も同調した。
 マルテル邸の周囲は、帝国兵で満ちていたが、二輌の装甲車はそのただ中を進んだ。

 マルテル邸では、凄まじい銃声と爆発音が近付いてくることに、避難者たちの恐怖は頂点に達していた。
 だが、現れたのは、避難者を守る二輌の装甲車で、マルテル邸の兵士も飛び出し、新たな避難者の進路を啓開した。

 リシュリンは友軍と合流し、直近の危機から逃れた。
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