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第4章

第102話 黒羊騎士団

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 イサイアスは、200万年後の世界において、“世代を重ねた人々”であり、同時に“異教徒”に属する。
 この世界には、ヒトのルーツを忘れた“蛮族”がいるし、移住第1世代の苦難を記憶する“新参者”もいる。
 確かに差別的な要素はある。しかし、肌の色、顔立ち、頭髪や瞳の色など、身体的特徴で差別されることはない。
 食物連鎖の頂点にドラキュロがいるこの世界では、ヒト同士が瑣末な差異で差別しあう余裕はないのだ。
 生活がある程度安定している“世代を重ねた人々”に対して“新参者”は妬みを感じるし、ヒトのルーツを忘れてしまった“蛮族”に対して、それを記録している“異教徒”は「肝心なことを忘れた哀れな人々」と見下したりする。
 しかし、そんなことは、ドラキュロの前では無意味だ。
 だから、根源的には差別はない。対立はあっても……。
 イサイアスにもない。彼は本能的に、自分よりも強いか弱いかを嗅ぎ分けるが、弱いからといって差別はしない。
 この世界の“世代を重ねた人々”には、“蛮族”“異教徒”にかかわらず、差別の概念がない。差別を知らない。
 この世界にやってくる“新参者”には、いろいろなタイプがいる。菜食主義者、弱肉強食礼讃者、カルト宗教信者、自然崇拝者、軍事オタク、終末思想者、差別主義者、文明否定論者、科学万能主義者、無政府主義者、民族主義者、共産主義者、新自由主義者、など。
 だが、大多数は、生き残りたいだけで何も考えていない人々だ。
 俺たちもこの“何も考えていない人々”に属する。
 何であれ、ドラキュロと遭遇した時点で、主義主張の一切が雲散霧消する。
 あの生き物は、それほどまでに強烈な存在なのだ。

 稀にあることだがドラキュロの洗礼を受けずに、人界に達することができた“新参者”がいる。
 幸運なことなのだが、この幸運が差別主義者やカルト宗教信者にもたらされると、その傾向をこじらせる。
 神や他の何かに自分は選ばれている、と感じてしまうらしい。
 単に幸運なだけなのに……。
 そして、差別的発言を繰り返し、短期間で孤立。しばらくして、ドラキュロに襲われ全滅する。
 これを繰り返している。
 だから、根拠のない差別は、この世界では自然淘汰の対象になる。差別意識の強弱は、そのまま生存可能性の確率にあてはまってしまうのだ。

 イサイアスに限らず“世代を重ねた人々”には、集団間の対立は理解できても、別の集団を差別したり、個を差別するという感性がない。
 ない、というよりも理解できないのだ。
 ドラキュロを前にした瞬間、ヒトは例外なく凍りつく。
 1頭いれば、近くに10頭いる。だから、この世界のライフルは、10連発以上なのだ。標準的なウインチェスター型レバーアクションは14連発。4発外しても生き残れるが、5発外したら食われる。
 ドラキュロは群で行動する。1群は10頭前後だが、2群から3群がまとまったクラスターは珍しくない。
 ドラキュロと出くわして、本性を表さないヒトなどいない。
 ドラキュロを前にした瞬間、ヒトの勇気は意味を失う。
 だから、西ユーラシアには、勇敢な民族、優秀な民族なんて存在しない。生き残る集団と、死に絶える集団だけがいる。
 生き残る理由とは……。
 単に幸運なだけ。
 それを西ユーラシアの人々は、多くの犠牲を重ねて学んだ。
 だから、特定集団に対する差別や、根拠のない優越を主張する集団は存在しない。

 偶然だが、今回の部隊編制にあたって、幸運なことは移住第1世代が幅広い年齢層に複数いたことだ。納田優菜も第1世代だ。
 第1世代は、差別の概念を理解している。

 クマンの道は、未舗装だがよく整備されてる。セロは広範囲にヒトの街や村を爆撃したが、陸上での進出は緩慢としている。
 セロが進出していない地域では、王都陥落から半年を経ている現在でも、路面の状態は悪くない。
 だが、ヒトが消えた地域では、そう遠くない時期に道はなくなるだろう。
 イサイアスが指揮する“西アフリカ深部調査隊”は、夜明け前に出発し、日没2時間前には黒用騎士団の拠点“城”を遠望する草原と森の境界に達した。

 森から出ず、外縁に立ち、何人もが双眼鏡で“城”を観察している。
 だが、この距離からでは、ヒトの存在まではわからない。南側の塔上に黒羊騎士団の団旗とされる旗が翻っている。
 イサイアスが納田優菜にいう。
「美しい城だな」
 納田優菜が同意する。
「本当に。白い石を積み上げて造ったのね。これほど美しいお城を見るのは初めて」
 イサイアスは双眼鏡を覗いたままだ。
「ところどころ、茶色の石が積んである。ありあわせの石材で、城壁を修理したのだろう」 納田優菜が疑問を呈する。
「あのお城を占拠している黒羊騎士団が修理したのかしら?」
 イサイアスが答える。
「違うだろう。
 修理の痕跡はかなり大規模だ。
 1カ月や2カ月では無理だ。
 クレーンやドーザーがあっても……」
 納田優菜がさらなる疑問を口にする。
「とするならば、黒羊騎士団が城にとどまる理由は?」
 イサイアスは、双眼鏡を眼から離す。
「それを探り、対処を決める。
 場合によっては、戦闘があり得る。
 黒羊騎士団が敵か味方か我々が見極める。
 明日の朝、仕掛ける」

 グスタフのディラリは、奇妙な不安を感じていた。長くグスタフをやっていると、自身の危険を察知する能力に長けてくる。
 悪徳地主から生命を狙われることは多い。地主の私兵が差し向けられることもあるし、地主が刺客を雇うこともある。
 その刺客にもいくつかある。地元の金目当てな粗暴者のこともあるし、高額で雇われたプロフェッショナルな殺し屋である場合もある。
 カン働きが悪いグスタフは、長生きできない。

 夕食は、携行口糧とガソリンストーブで温められる食品と飲料に限った。
 イサイアスは、城側から発見されないよう細心の注意を払っている。ヴルマンやフルギアに限らず、歩くたびにガチャガチャと音が出る刀剣の佩用を禁じた。

 イロナは歩哨をしていた。ヘルメットを被り、ボディアーマーを着け、AK-47自動小銃を抱えて、昼間であれば城を望見できる森と草原の境界に立っている。ヘルメットとボディアーマーには、枯れ草を挟み込んで偽装を施している。顔には墨を塗った。
 周囲には草が茂り、彼女の身体を隠す。
 背後から近付く気配にビクリとして、振り返る。
「脅かしてすまぬ」
「ディラリさん、でしたか?」
「ディラリだ。
 あなたのお名前は?」
「イロナです。
 ティッシュモックのイロナ」
 ディラリは装備を解いており、銃を持っていない。
「お仕事中すまぬが、少しだけ話をさせていただいてもいいか?」
 イロナは戸惑ったが、闇の中で頷いた。
「クマンの言葉は少ししかわかりませんが……」
 ディラリがイロナの横に立つ。
「お子を亡くされたと聞いたが……」
「男の子、3人……。
 ディラリさん、お子さんは?」
「若い頃、娘がいた。
 でも、死んでしまった。
 病になり、貧しくて、治療師に診てもらうことさえできなかった」
「悲しいね……」
「互いに……。
 ティッシュモックとはいかなる街か?」
「小麦がよく実る街。
 あのお城みたいに、城壁に囲まれているの。
 ヒトの街よりも、精霊族の街のほうが近くて、互いに交易している……」
「なぜこの地に?」
「最初は子の敵討ちだったけど……。
 いまは違う」
「何が違う?」
「非難している子供たちの顔……。
 不安そうな顔……。
 それを何とかしたい……」
「私もそうだ。
 だから、グスタフになった。
 私の娘のような子を、1人でも減らしたいと思ったんだ」

 すぐ近くの草むらが動いた。
 イロナとディラリに緊張が走る。

「誰だ!
 姿を見せろ!」
 イロナはライトの光を草むらに向ける。

 男が立ち上がった。
 20代後半の小柄な男。
 無反りの長剣を佩いている。
 手には弩。

 イロナが叫ぶ。
「誰か!
 不審者だ!」
 何人かが集まる。
 小柄な男は、弩をゆっくりと地面に置き、ベルトを外して、腰の剣を手を離して落とす。

 そしてクマンの言葉でいった。
「あんた、グスタフか?
 俺も、グスタフだ」
 ディラリが答える。
「グスタフだ。
 メダルもある」
 ディラリはグスタフの証とされる、首にかけた直径8センチもあるメダルを示す。
 小柄な男も、首から下がるメダルを示す。イロナがメダルに光を向ける。
「奪ったものではない証は?」
 ディラリの問いに、小柄な男が微笑む。
「グスタフを名乗って何の得になる。
 普通は隠す。
 あんたもそうだろう?」
「それは、そうだ。
 お前1人か?」
 小柄な男は、少し振り向き、「皆、立て」といった。
 5人が立ち上がる。

 6人に10以上の銃口が向けられている。
 イサイアスは拳銃をホルスターに戻した。
「この人たちを、こちらに……」
 6人を森の中に連れて行く。

 ヴルマンのウーゴが通訳になる。
 イサイアスが問う。
「グスタフ殿は、ここで何をしている?」
 森の中に明かりはなく、焚き火もない。
 光量を絞ったランタンがひとつあるだけ。
 若い男のグスタフが答える。
「あなたたちこそ……。
 失礼ながら、何者か?」
 イサイアスは、どう答えるべきか一瞬考え込んだ。混成部隊であることから、何者かと問われると、答えに窮する。
 イサイアスの一瞬の沈黙を無用な誤解を招くと感じた王女パウラが、凛とした声音で答える。
「私は、クマン王国第4王女パウラ。
 私たちは、クマンと北の国の同盟軍だ。
 あの城に武装した一団が逗留していると聞き、ヒトか、それとも手長族か、それを確かめに来た」
 若い男のグスタフは、王女と聞き一瞬たじろいだ。
「本当に王女殿下か?
 偽りではないのか。王女という証は?」
 王女パウラは怯まない。
「証など、ない。
 そなたがグスタフであるという証もなかろう?
 そのメダル、どこぞで拾ったものかもしれない。
 私が王女であろうとなかろうと、あの城の一団とは無関係。
 あの城の一団が、敵か味方かを確かめたいだけなのだ」
 若い男のグスタフは、数秒間考えた。
 その間隙を突いて、少年が発言する。
 イサイアスは、その少年が城島健太と大差ない年齢だと見た。
「あいつらは敵だ。
 母さんを殺し、妹を連れ去った。
 俺は、必ず妹を取り返す!」
 イサイアスが問う。
「連れ去った?
 きみたちは、城の連中に襲われたのか?」
 ウーゴの通訳がいつになく早口だ。
 若い男のグスタフが答える。
「あなたたちのその格好、見慣れないものだ。
 城の連中とは、明らかに違う。
 違うからといって、味方とは判断できない。 あなたたちにとって、城の連中が敵なのか、味方なのか、それは我々にはわからない。
 だが、我々にとっては、明確に敵だ。
 我々は、手長族から逃れて、北東に移動した。内陸のほうが安全だと判断したんだ。内陸の森は、恵みの宝庫。海岸部を拠点にする手長族は内陸には進出していない。
 ならば、火を焚いてもすぐには襲われないだろうし、街や村がないので、雨風の防ぎようはないが、少なくとも手長族からは離れられると判断した。
 我々はクマンの東端、未開の地へ逃れた。
 同じように考えたクマンの民は、意外と多かった。民だけでなく、貴族の一部もいた。家長を失ったり、男手のすべてを失った貴族の女子供だ。
 最初は10数人だったが、すぐに数十人となり、気付けば数百人に膨れ上がってしまった。
 30人から50人のグループにわけ、森を移動しながら、北東を目指した。
 最終目的地は、マルクスの拠点だ。
 我々は分散して、もっと西でキャンプしていた。
 誰もが疲れていた。とてもマルクスの拠点までたどり着ける状態じゃない。それで、数日間休むことにしたんだ。
 北西に進路を変えて出発しようとしていたとき、城の連中に見つかった。
 4つのグループが襲われ、12人の子供が連れ去られた。
 若い娘ではなく、子供ばかり。
 子供を守ろうとした大人は殴られ、陵辱された女は殺された。
 重傷者が多く足止めされていると、別のグループが襲われた。
 結局、3日間で44人の子供が連れ去られた。
 我々6人は連中を追い、そして、あの城を突き止めたんだ」
 イサイアスが問う。
「あの城を監視していたのか?」
 若い男のグスタフが答える。
「そうだ。
 子供を取り戻すつもりだった。
 だが……。
 連中は200から300はいる。
 6人ではどうにも……」
 何人かが、椀にスープをよそい、木のスプーンとともに6人に渡す。
 年長の男がいった。
「ありがたい。
 何日も木の実ばかりで……」
 若い男のグスタフも受け取り、口にする。
「手長族に襲われて以来、ヒト同士の助け合いで何とかしてきたが、これはありがたい。
 あなたたちが西の森を抜けて、草原を進む様子を見ていた。鉄の箱車に乗り、その箱車はウマが引かなくても走る。
 最初のグスタフも、そういった乗り物に乗っていたと聞いた。
 もしやと思い追ってきたのだ。
 夜回り番を捕らえて、正体を探ろうとしたのだが、“グスタフ”と聞いて、うかつにも動いてしまった」
 イサイアスが説明する。
「俺たちは、クマンと北にある国との合同調査隊だ。西アフリカ深部調査隊という。
 俺は隊長のイサイアス。
 彼女は副隊長のユウナ。
 そっちは医師のマルユッカ。
 クマン王女のパウラ殿下。
 あんたたちが捕まえようとしたのは、イロナ。そして、グスタフのディラリ」
 ウーゴの通訳は的確だ。
 若い男のグスタフが問う。
「ざっと、50人はいないが……。
 これだけか?」
「そうだ」
「とても無理だな。この人数じゃ。
 子供たちを助けられない」
 若い男のグスタフの嘆きを、イサイアスは受け止めた。
「明日の朝、城に向かう。
 そして、どういう連中か確認する。
 まずは、そこからだ」

 森と草原の境界から、3輌の装甲車が出る。1輌は半田千早が運転する通称“バギー”だ。バンジェル島到着時には2シーターだったが、後部荷室右側にもう1シート増やした。
 助手席には王女パウラが乗り、後部荷室上面の銃塔はヴルマン商人の娘ミエリキが操作する。
 森の東端と城までは、直線で約2キロ。
 4人が乗るウルツ装甲車2号車は、1000メートル前進して草原のただ中に停止。
 半田千早のバギーはさらに500メートル進んで、城からよく見える位置で停止する。
 そして、イサイアス、通訳のウーゴ、グスタフのディラリ、医師のマルユッカを代表とする城への訪問チームを4人の装甲車クルーが送る。
 4人の声は、無線で各車に伝えられる。もし、危害を加えようとする動きがあれば、バギーが突入して、7.62ミリNATO弾を発射する電動ガトリング砲“ミニガン”を撃つ。
 ウルツ1号車の後退を支援する。

 ミエリキは、ミニガンを撃ちたくて仕方がなかった。だが、ヒトに向けて撃ちたいとは欠片も思わない。この銃は、生身のヒトが被弾すれば痛みを感じる前に死んでしまうという。何とも恐ろしい武器だ。
 セロに向けてなら、躊躇わずに撃つ。
 この武器の威力を見せ付ければ、セロは怯えるに違いない。
 しかし、ここにセロはいない。
 だから、撃ちたいが、撃つことになる状況は歓迎していない。

 半田千早はイサイアスに求められて、ワルサーPPを貸した。
 イサイアスはこの拳銃と小型ナイフだけを持ち、城に乗り込む。他の3人も同じだ。納田優菜は、ワルサーPPをウーゴに貸した。
 ウーゴは、納田優菜から借りたワルサーPPを返すつもりはさらさらない。ヴルマンには、一度手に入れた武器を敵味方関係なく返却するという風習はない。
 銃を使ったことがないディラリは、刃渡り20センチの大型ナイフを脇の下に吊るす。
 ウルツ1号車のクルー4人は、完全装備だ。いざというときは、4人を見捨てても後退せよと命じられている。

 城が建つ丘の斜面は傾斜がゆるく、城門に続いている。廃道同然で、急なカーブが2カ所ある。速度は出せない。
 バギーは500メートルまで接近し、停止する。偽装は施していない。偽装を施せば、城側に一層の警戒心を抱かせると考えたからだ。
 隣にウルツ6輪装甲車1号車が、並んで停止する。
 イサイアスが開いている兵員室上部ハッチから頭を出し、半田千早を呼ぶ。
 半田千早は運転席上部の丸いハッチを開けて、頭だけを出した。
 イサイアスが半田千早に再度命じる。
「何があるかわからない。
 城の連中がヒトかどうかもはっきりしない。
 ヒトによく似た別の種ということもある。
 銃声がしても、無理な行動はするな。
 いいな!」
 半田千早が答える。
「命令には従う。
 けど……。
 危ないって、思ったら逃げて!」
 イサイアスが微笑む。
「わかっている。
 ここで、死ぬつもりはない」

 丘を登る道は、泥濘んでいて、車輪が滑る。高速での走行は無理だ。また、道幅が狭く、ウルツでは動きにくい。
 それでも、どうにか城門まで上がる。

 城門は開いていた。
 ではなく、城門扉がない。朽ちてしまったようだ。
 防衛上の配慮なのだろうか、城門の幅が狭く、車幅2.65メートルあるウルツでは通れない。
 城門上には弓兵が20。城門前には剣を抜いた軽装歩兵が30ほど集まっている。
 ウルツは城門の前、20メートルで停止。
 後部乗降ドアから、イサイアス、マルユッカ、ウーゴ、ディラリの4人が降りる。
 4人は、傍目には丸腰に見える。
 4人がゆっくりと歩く。

 城門の兵は、若者に混じって齢を重ねた男が数人いる。口髭が半分白くなっている。
 若者は兜を被っているが、齢を重ねた何人かの男は兜は被らず、剣も抜いていない。

 イサイアスが一歩前に出て、城門の集団に近付き、歩みを止める。
 40を超えた厳つい男が問う。
「何者だ!」
 驚いたことに異教徒の言葉で、しかも訛りは中央平原に似ている。4人とも慌てた。ディラリだけは言葉を解さない。
 イサイアスが答える。
「クマンの地で、クマンとともに手長族と戦っている」
 厳つい男が重ねて問う。
「何しに来た!」
 イサイアスは落ち着いている。
「この城にヒトが集まっているという報告があり、調べに来た」
 厳つい男は、イサイアスよりも明らかに体格が上回る。
 威圧的な態度とともにいった。
「ここは、我々だけだ!
 帰れ!」
 イサイアスに臆する様子はない。
「あなたたちは何者なのか?
 クマンの人々ではないようだが……」
 厳つい男に代わって、頭髪と口髭が純白の男がいった。
「我らは黒羊騎士団。
 クマンのような劣等民族とは違う、神に選ばれし民だ。
 ところで、おまえは、なぜ、我らの言葉を話すのだ?」
 イサイアスは、劣等民族などという言葉は、軽く聞き流した。それよりも、食いついてきたことに神経を集中した。
「俺は、中央平原の出身。この言葉は、俺が生まれたときから聞き話している言葉だ」
 白髪白髭の男は、いぶかしむ眼でイサイアスを見る。
「それは奇妙。
 我らの言葉は、神に選ばれし民だけのもの。
 中央平原とは、どこだかは知らぬが、神に近い言葉を話す以上、神のことを何か知っておろう」
 兜を手に持った若い兵が、厳つい男に走り寄る。そして、耳元でささやく。
 厳つい男が、白髪白髭の男に何かを告げる。
 そして、イサイアスにいった。
「姫巫女様がお会いになられる。
 姫巫女様に神について申し上げろ。
 城門を通るのは2人」
 イサイアスがマルユッカを見る。マルユッカも異教徒だ。通訳のはずのウーゴと、クマンの言葉の微妙なニュアンスを解してくれる役のディラリは、門外で待機となる。
 ウーゴがディラリにささやく。ディラリは連れ去られた子供のことが気になったが、騒ぎを起こすことは得策ではないと判断した。

 城門を入ると、弓ではなく、銃を持つ兵が多い。無反りで両刃の長剣を佩き、レバーアクションの連発銃を持つ。
 全員が胸甲を着けている。一部は鎖帷子も……。
 どう見ても中央平原の装束ではない。
 それと、顔の造作が西ユーラシアの世代を重ねた人々とは違う。肌の色がやや褐色で、彫が深く、鼻と耳が大きい。
 クマンには赤毛や金髪はいないが、それを除けば西ユーラシアの人々と風貌が明確に違うということはない。
 西ユーラシアでは、人口の少なさから移住者の混血が進み、移住第3世代以降は同化してしまう。稀に、先祖帰りするヒトはいるが……。
 イサイアスには人種という概念は希薄だったが、この状況はそれを意識させる圧力となっていた。

 城内は意外と広い。だが、広大というわけではない。場内の建物は、城壁を壁の一面として使っており、建物の屋根はことごとく失われていた。
 と、いうよりも建物の木部は、その痕跡を残していない。扉や窓は、完全に失われている。白い石壁が美しいが、廃墟だ。
 城門正面の基壇には、4段の石製階段がある。基壇は、城壁と同じ白い石が使われている。階段も同じ素材らしい。基壇の高さは80センチほど。
 その基壇の上に白地に赤縁を施した天幕が張られ、天幕の下には玉座を思わせる豪華な木製の椅子があった。
 天幕は薄汚れている。イサイアスは、玉座に座る中年の女性から不潔感を感じた。性的に不潔なのではなく、衛生的に不潔な感じなのだが、着衣自体がひどく汚れているわけではない。イサイアスは、能美真希医師から学んだサイキン(細菌)やウィルスという言葉を思い出していた。

 イサイアスとマルユッカは、引き立てられるように歩かされ、その不潔感漂う中年女性の足元に連れて行かれる。
 厳つい男が2人に怒鳴る。
「姫巫女様の御前である。
 跪け!」
 中年女性は物憂げな態度、左手の肘を椅子の大振りな肘掛にのせ、頬杖をついていった。
「よい。
 劣等民族の挨拶などどうでもよいわ。
 所詮、我らよりも劣る民じゃ。
 無知でもあろう。
 神の加護もなかろう」
 イサイアスは一瞬、セロの陣地に乗り込んでしまったか、と錯覚した。いっていることがセロによく似ている。
 厳つい男がいった。
「お前たちが何をしにきたかもうし上げろ」
 イサイアスは、特段緊張してはいなかった。生命の危険はひしひしと感じていたが、武器の所持検査をしなかった時点で、戦い慣れしている相手だとは判断していない。
 戦争ごっこの訓練はしているだろうが……。
 隠し立てをするつもりはなかった。
「我々の航空隊が、内陸を偵察していて、この城を見つけた。
 城内にヒトがいるようなので、手長族ではないことを確認するためにやってきた。
 それと、クマンの子供たちが何者かに連れ去られた。その行方も追っている」
 厳つい男が問う。
「コウクウタイとは何だ」
 イサイアスが答える。
「空を鳥のように飛ぶ機械のことだ。
 我々は、航空機を作り、運用している」
 周囲がざわつく。
 西地区のボナンザを目撃しているのだ。
 姫巫女の背後から3人の若い女が現れる。2人は10代中頃、1人は20歳前か。
 20歳前の女が問う。
「母上に代わって、我が問う。
 劣等民族の男、なぜ子供を追う」
 イサイアスは、少し笑った。
「子がいなくなれば、親が心配する。
 親に代わって、我々が遠方を探している」
 20歳前の女が答える。
「子供は我らが攫〈さら〉った。
 北におわす神への供物じゃ」
 イサイアスは、やや拍子抜けした。
「では、その子供を返してもらおう」
 厳つい男が声を出して笑う。
 20歳前の女も笑った。
「物を知らぬ男だ。
 劣等民族らしい。無知は罪ぞ。
 神はヒトの子供を供物として所望される。
 我らは神の元に帰還の途中じゃ。
 その手土産におまえたち劣等民族の子を集めたのじゃ。
 神の元に召し出されることを幸せと思え」 イサイアスは、賭けに出た。
「その神とは、白魔族、連中は自分たちをオークと呼ぶが、あの動物のことか?」
 ざわつきが大きい。
 10代中頃の1人が激怒する。10代中頃の2人の顔立ちは似ていて、双子のようだ。
「神に無礼であろう!
 物知らずな劣等民族であっても、許さぬぞ!
 偉大なるオーク神を敬え!」
 イサイアスは、笑えなかった。中央平原でも、白魔族を拝んでいる連中がいたのだから……。
 イサイアスは冷静だったが、彼の本能は強烈な怒気を含んでいた。それは、彼の言葉からではなく、体内の振動が皮膚から伝播し、空気を介して周囲に波及する。
 イサイアスの風貌は、頭髪を整え、髭をきれいに剃った、青白い商家の雇い人風だ。ヘルメットとボディアーマーを脱ぎ、迷彩のシャツとズボン、そしてジャケットを着ただけの軽装。弾帯も着けていない。
 イサイアスは小柄ではないが、ことさら筋肉を強調した体形ではない。
 城の騎士たちは、その風貌と着衣からイサイアスを見下していた。
 イサイアスがいう。
「白魔族、オークは、ただの食人動物だ。ヒトの子供を買い、攫い、食う。
 そんな動物を神と崇めるおまえたちは、我が子を食らう魔物だ。
 ヒトとはいえない。
 ヒトに仇なす魔物は殺さねばならない」
 静かな物いいだったが、彼の怒気は空気に触れると強烈な殺気に変換された。
 それに恐れをなした厳つい男は、咄嗟に剣を抜いてしまった。
 剣を右手に提げたまま、イサイアスに質す。その声は震えていた。
「オーク神を人食いの獣と……いうか!
 我らが神を人食い獣と嘲るか!」
 イサイアスの怒気は減じていなかったが、そのほとんどは体内に留め置かれた。
「オーク、白魔族を知らないようだな」
 厳つい男が問う。
「おまえは、オーク神を見たことがあるというのか?」
 イサイアスが微笑む。冷酷な笑みだ。
「たくさん、殺した。
 白魔族の戦車は、俺たちヒトの戦車と比べたら、おもちゃみたいな代物だ。踏み潰せるほど。
 白魔族はヒトを誑〈たぶら〉かす術には長けている。
 中央平原の人々は神とは考えていないが、機械・物資を生み出す創造主だと信じている。
 フルギアの皇帝は、神の使徒だと信じていたようだ。
 きみたちが、あの動物を神と崇めたとしても不思議じゃない。
 それは理解できるが、容認はできない。
 きみたちが無知なのか、あるいは愚かなのか、さもなくば野蛮なのか、そのどれかとは思うが……」
 10代中頃の1人がいきり立つ。
「劣等民族が!」
 イサイアスはおかしくて仕方なかった。
「俺が劣等民族なら、おまえは暗愚民族だな。
 まぁ、そういう表現はヒトがすべきじゃない。親から、そう教わらなかったか?
 それと、そういう表現をし続けると、おまえの知的レベルがわかってしまうぞ。
 この世界には、いろいろなヒトがいる。ヒトではない文明を持つ種もいる。
 ヒトとは敵対関係にあるがドラゴンを操る黒魔族、同様にドラゴンを操るがヒトとは友好関係にある半龍族、森の中で農耕を営む巨体の森の人、理屈っぽい精霊族、大雑把な鬼神族、精霊族とヒトとの混血もいる。
 白魔族、連中は自分たちをオークと呼ぶが、西から手長族に攻められ、東からは精霊族と鬼神族が攻めている。精霊族と鬼神族には、ヒトが支援している。
 白魔族、つまりオークは……、おまえたちが神と崇める動物だが、西から手長族に迫れら、東は精霊族と鬼神族に抑えられて、後退できない。
 こんなところでヒトの子供を集めていては、加勢できないぞ。
 白魔族は、もうすぐ死に絶える」
 10代中頃の1人がわめく。
「嘘だ!
 オーク神は、いまでも我らに神の武器をお与えになっている!
 3日前にも弾を受け取った!」
 イサイアスは、この少女が訓練されていないと感じたが、大人たちが少女の発言に慌てていないことが気になった。
 生かして帰すつもりがないのだろう。

 城門の外で待っているウーゴは、ディラリを促して、ウルツの方向にゆっくりと後退する。
 ウーゴは異教徒の言葉も解す。状況から、戦闘は不可避と判断した。
 無線を持たないディラリは状況がまったくわからず、ウーゴに従うべきか判断できなかったが、逆らおうとは思わなかった。
 ウーゴがゆっくりと後退すると、城門の見張りは剣の柄に手をかけ、同一歩調で追ってくる。
 ウーゴは言葉がわからない振りをし続けることにした。両手を股間にあて小便をする真似をする。
 女性であるディラリがついてくるが、彼女の少し慌てた様子が、疑念を抱かせなかった。

 ウーゴは後部乗降ドアをノックする。
 乗降ドアが開く。
 ウーゴはディラリを押し込んだ。
 そして、城門に向かって、わけのわからない微笑みをして、がに股で斜面を駆けていく。
 ウーゴは小便をする格好はしたが、恐ろしくて何も出なかった。
 イサイアスは腕が立つが、丸腰同然ではどこまで戦えるか疑問だ。それに、マルユッカがいる。医師が銃や剣を扱えるはずはない。
 ウーゴは不安だった。

 マルユッカは、イサイアスの話の進め方を黙って見ていた。言葉を差し挟む必要がないからだ。
 そして、イサイアスに代わって、周囲を観察する。銃は白魔族のもの。白魔族はレバーアクションのライフルを使うが、外見はヒトのそれとはかなり違う。サイドプレートやバッドプレートが真鍮製だ。金色に光っているので、一目でわかる。この外見から、ヒトからはイエローボーイと呼ばれている。
 ヴルマンのようにヒトが鹵獲した白魔族の銃を使うこともあるが、強度が低く強装弾が使えないことから、人気は高くない。
 マルユッカは値踏みしていた。厳つい男と、その他数人は自分よりも強いだろうが、短時間なら複数を相手にしても圧倒する自信がある。
 問題は、どうやって剣を奪うかだが、拳銃は左右どちらの手でも扱える。右手で抜き、まず厳つい男を撃つ。右に立つ若い男を撃ち、剣を奪う。
 マルユッカは、久々に戦闘となる喜びに冷静さを失いそうだった。

 姫巫女がいった。
「子供は返さない。
 我らのものだ。
 神への土産だ」
 イサイアスがいった。
「返してもらう」
 姫巫女が薄く笑う。
「神の武器を持つ、我々に勝てると思っているのか?
 劣等民族の思い上がりだ」
 イサイアスが頷く。
「今日は……、おとなしく引き上げる」
 姫巫女が手を振った。出て行けという合図だ。

 2人が戻ろうとすると、城の奥から馬車が出てきた。
 その馬車の荷台は檻になっていて、数人の子供が乗せられている。
 2人に見せつけたのだ。イサイアスは、檻の中に翔太と同じほどの幼児を見つけた。泣いていたが、涙が出ていない。枯れ果てたのだ。
 マルユッカの怒気が伝わってくる。イサイアスはマルユッカが、生涯を終えるまでに生命を助ける人数と、生命を奪う人数はどちらが多いのだろうか、と考えた。
 彼女の怒気はすでに剣を抜くレベルを超えている。剣を佩いていないことが幸いだ。

 ウルツは車体前面を城門に向けていたが、イサイアスとマルユッカが城内に入って以降、10メートルほど後退し、車体を城壁と並行にしていた。
 こうしておけば、銃塔は城門を狙い続けられるし、運転席からも城門がよく見える。
 ウーゴは左側面のドアを開け、いつでもM60機関銃を受け取れるよう、準備していた。
 イサイアスとマルユッカが城門から出てきた。
 2人がゆっくりと歩き、ウルツに近付く。2人を追い立てるように、20人ほどの騎士が徒歩で続く。半分が剣を抜いており、半分がレバーアクションのライフルを持っている。

 厳つい男が声をかける。
「おい」
 イサイアスとマルユッカが振り返る。
 10人の銃手がレバーを降ろして装弾し、2人に銃口を向けた。
 瞬間、M60機関銃を受け取ったウーゴがウルツの前に出る。
 ウーゴは、空に向けて機関銃を派手に発射する。両手を左右に振りながら、空を引き裂くように撃つ。
 銃声が城壁に反響し、強烈な威嚇となった。
 イサイアスとマルユッカまで、首をすくめた。

 騎士たちは呆然としていた。神の武器を劣等民族が持っていたからだ。しかも、連続発射ができる。
 イサイアスがいった。
「神の武器とヒトの武器、どちらが強力か試してみるか?」
 厳つい男は、黙っていた。
 マルユッカは、右手の指で鉄砲を作り、厳つい男に小声で「パン」といった。殺気を帯びた目をしていた。
 ウーゴは銃口を厳つい男たちに向けた。ウルツの銃塔が旋回する。銃塔が3発発射する。それは、腹に重く響く銃声だ。
 開いているドアから、マルユッカ、イサイアス、ウーゴの順で車内に入る。

 厳つい男は「撃て!」と叫んだ。劣等民族に脅されて、黙って帰すわけにはいかない。
 だが、銃弾は鉄の箱車がことごとく跳ね返す。
 そして、何事もなかったかのように、丘を下っていく。どれだけ射かけても、一切のダメージを与えることができなかった。

 姫巫女の娘3人は、イサイアスとマルユッカを討ち取り損ねたと知って、騎馬30を率いて城門を出た。
 まだ、鉄の箱車は草原に達しておらず、ヨタヨタと斜面の小道を下っている。
 ウマで追えば、簡単に追いつける。

 銃声が聞こえたことから、半田千早は4点シートベルトを締め直す。王女パウラも助手席に座り直す。
 バギーの銃塔は旋回・俯仰とも手動だ。身体はハーネスで固定する。
 ミエリキは、ハーネスに肩を通し、ミニガンの銃身を回転させ、異常がないことを確認する。
 低速で丘の斜面を降りてくるウルツが、間怠っこしい。もっと機敏に走れないものか、と感じてしまう。
 丘を半分ほど降りたところで、城門から30騎もが飛び出してきた。
 半田千早はエンジンを始動した。だが、イサイアスから「各車、その場を動くな」と命じられる。

 ウルツが草原に降りきる前に、追いつかれてしまった。
 その後もウルツは故障しているかのように低速で西に向かう。
 銃弾が車体にあたっている。1メートルの至近から発射されている。防弾ガラスの窓を狙っているようだ。

 イサイアスは、ゆっくりとウルツを走らせ、しかも進路をやや北西に向け、あえて城からの追撃を許していた。
 イサイアスの無線は、全員が聞いていた。
「城には子供が捕らえられている。
 確認した。人数は不明。
 これより奪還に向けた作戦を決行する。
 城側は小銃を所持。200から300の兵力。
 厳しい戦いになる。
 負傷者が出る可能性もある。
 しかし、クマンの子供を白魔族の餌にはできない。
 全力を持って奪還する。
 ユウナは司令部に連絡。支援を乞え。
 チハヤは俺たちを追っている芦毛の騎馬を狙え。捕虜にするんだ。できるか?
 リーダーの娘だ。
 その娘と交換で、子供を解放させる。
 作戦発起は2分30秒後」
 納田優菜の声が無線から流れる。
「総員戦闘配置!
 敵を城に帰すな!
 捕虜はできるだけ多く捕るぞ!」

 イサイアスが乗るウルツ1号車は、城から1キロ西に進むと、時速15キロほどの速度から一気に50キロに上げ、逃走を図る。
 それにつられて、城の騎馬も追撃の速度を引き上げる。

 王女パウラは、半田千早の制止を振り切り、車外に出て、車体側面に装備している斧を外し、それを車内に持ち込んだ。
 もちろん戦斧ではない。作業用の斧だ。彼女にはかなり重いが、その重さが武器になる。
 半田千早がいった。
「いくよ」
 助手席の王女パウラが頷き、銃塔にいるミエリキから「了解」と応答があった。
 半田千早は、バギーを全力加速させる。

 城の騎馬は、西から新たに2輌の鉄の箱車が現れたことに驚いた。
 さらに南にも1輌潜んでいた。そして、東からはウマでは考えられない速度で、小型の鉄の箱車が迫ってくる。
 何騎かは囲まれたことを察し、離脱を図ろうとする。
 だが、眼前の敵に集中しすぎて、周囲が見えない仲間が西に向かって疾駆している。
 それでも賢明な4騎が囲みから離脱する。
 4騎の離脱に気付いた2騎があとを追う。

 栗毛のウマに乗る騎士が、大きく弧を描いて旋回し、バギーに向かってくる。
 馬上から4発発射し、うち2発が車体にあたる。銃の腕は確かだ。
 ミエリキは電源のON/OFFを再度確認し、銃尾左のボタンを押す。モーターが円形に並べられた6銃身を高速で回転させる。
 ガトリング砲の欠点は、銃身の回転が安定するまでは発射速度が遅い。そのため、発射の数秒前には銃身を回転させなければならない。
 ミエリキは彼我の距離200メートルで発射した。相対速度は時速70キロに達している。1.5秒ほどですれ違う。

 ミニガンの威力はミエリキの想像を超えていた。数秒前、騎馬であったものは、ウマと人とを見分けることができなくなっていた。
 ミエリキは、騎馬の一部が赤い霧となる様子に戦慄した。
 ミニガンの威力は、バギーに銃口を向けていた数騎も目撃。その威力に恐れをなし、城に向かって逃走を始める。
 そのなかに芦毛のウマもいた。
 半田千早はラリードライバーのようにバギーを操り、大地の亀裂を飛び越え、わずかな起伏で大げさにジャンプし、芦毛の騎馬を追う。
 芦毛を逃がそうと、バギーの背後に騎馬が接近する。
 半田千早はそれをバックミラーで視認している。
 いきなりの急ブレーキで、車体は草の上を30メートル近く滑る。
 バギーの車体に飛び移ろうとしていた騎兵は、接近しすぎていたことから、ウマごと追突。同時にバギーはドラッグレースの競技車のように加速。ウマは悲鳴のように嘶〈いなな〉き、頭から倒れ込む。
 騎兵は、バギーの短い車体を飛び越え、ボンネットに激突して、車体前方に落ちる。
 半田千早はアクセルを床まで踏み込んでおり、4輪には全動力が伝播していた。
 そして、ゴトン、という振動が車体に伝わる。
 半田千早がいった。
「轢いちゃったよ!」
 王女パウラが叫ぶ。
「チハヤ、芦毛が逃げるよ!
 捕まえなきゃ!」
 軽装とはいえ甲冑をまとった兵を乗せた芦毛は疲れていて、限界に近付いていた。
 芦毛の騎兵は、何度も振り返り、バギーの接近を確認する。
 ミエリキは、兜の中の少女の顔を見た。自分と大差ない年齢の女の子。ヒト同士なのにわかり合えず、食人動物を神だと思い込んでいるかわいそうな女の子。
 半田千早が車体をウマに軽くぶつけると、少女の顔は恐怖に歪んだ。
 王女パウラが叫ぶ。
「ミエリキ、絶対に撃たないで!
 チハヤ、もっと接近して!」
 王女パウラはシートベルトを外し、助手席上面のハッチを開ける。
 そして上半身を車外に出す。手には斧。

 芦毛は疲れ果てており、いつ倒れるかわからない状態だった。
 速度もだいぶ落ちている。動きも緩慢。
 騎馬の少女は、王女パウラを見て貴重な銃を捨て、剣を抜く。
 だが、一瞬、王女パウラのほうが早かった。彼女は斧で騎馬の少女の兜をついた。
「エイ!」
 少女が落馬する。

 少女は全身の痛みで立ち上がれない。小さな鉄の箱車が近付いてくるが、逃げたくても身体が動かない。
 箱車が眼前で止まる。
 左と後ろのドアから2人が降りてきて、細いロープで後ろ手に縛られ、箱車の後部に運び込まれた。
 箱車はすぐに発車する。

 ウルツ3号車が黒鹿毛のウマに乗っていた姫巫女の年長の娘を捕らえていた。
 落馬して剣を抜き、激しく抵抗したため、フルギアとブルマンの戦士が剣で手合わせしたので、ひどく殴られていた。
 ウルツ1号車を追ってきた30騎のうち半分は城に逃げ帰り、4分の1が死亡、7人が捕虜になった。捕虜のうち4人が重傷。
 双子の片割れは、逃走に成功した模様だ。

 全員が森から出ていた。森の縁から200メートルほど離れた、草原にいる。
 歩哨を除き、全員が集まる。
 イサイアスがいう。
「本番はこれからだ。
 子供は全員、確実に取り戻す。
 連中は、俺とマルユッカに子供を見せた。
 痩せていた。
 手荒に扱われているようだ。
 俺は我慢ならない。
 ここからは、俺の勝手な感情であり、行動だ。
 賛成できない隊員は、去ってくれてかまわない」
 マルユッカが応える。
「私は、イサイアスと行動を共にする。
 捕虜は残らず殺したいが、殺せば交渉の道具がなくなる。
 交渉のために私の医学知識をつくして、生かしておく。
 その後、殺せばいい」
 ウーゴがいう。
「マルユッカ先生は敵にしたくない。
 生かされたり、殺されたり……。
 恐ろしい。
 悪い精霊よりも恐ろしい」
 ヴルマンとフルギアのほとんどがウーゴに賛成する。
 ブルマンの男がいった。
「マルユッカ先生は、剣の腕もすごい。
 あれだけの剣技は、フルギアでも希だ。
 腕を裂き、肩を貫いて、それを治療するんだぞ。先生に胸を突かれて瀕死の大男が生きている。フルギアなら死んでいる。
 医術というが、魔術かもしれない」
 ヴルマンの男がいう。
「マルユッカ先生が恐いから、我らはイサイアス隊長に賛成する」
 それにフルギアとクマンも賛成する。
 クマンの隊員がいう。
「マルユッカ先生が魔術師なら、いい魔術師だ。だが、敵に回したら恐ろしい魔術師……。
 北の国には、死者を蘇らせる魔術師もいるそうだ。
 マルユッカ先生の師匠の1人と聞いた。信じられなかったが、いまは信じている。
 先生の魔術で、子供たちを助けて欲しい」
 捕虜7人のうち、重傷は4人。この重傷者は、ヴルマン、フルギア、クマンならば、すでに死んでいる。
 マルユッカの外科治療は的確で、4人には屋外で手術を決行している。意識のある2人は、マルユッカを恐れている。

 捕虜のうち、軽傷は3人。姫巫女の長子と次子の双子のうちの1人。それと、30代前半の騎士。
 30代前半の騎士は完全に戦意を喪失していた。
 尋問は納田優菜が行った。
「城内には何人いる?」
 30代前半の騎士が答える。
「312人」
「うち、女性と子供は?」
「いない。
 捕らえた子供以外はいない……」
「家族はどうした?」
「領地を去るときに、我が手で殺した……」
 納田優菜は絶句した。
「なぜ……だ?」
 30代前半の騎士が動揺する。
「姫巫女様のご命令だ。
 神の元に向かう我らの旅に女子供は足手まといになる。
 だから殺せと……」
「唯々諾々とそんな命令に従ったのか?」
「俺は嫌だった。
 妻子を連れて逃げようと思った。
 俺はクマンの言葉がわかるから、どうにか生きていけるとも思った。
 だが、妻は姫巫女様を固く信じていた。
 俺が躊躇って、日を費やしていたら、妻が子を、2人の子を殺したんだ。
 俺は怒りに駆られて、妻を刺してしまった」
 30代前半の騎士が泣いていた。
 納田優菜はプリミティブな疑問を尋ねる。
「騎士全員が妻子を殺してしまったら、その先がないだろう。
 なぜ、そんな愚かなことを……」
「姫巫女様と、3人の巫女様がいる。
 神の元にたどり着いたら、姫巫女様と巫女様が我らの子を産む」
 納田優菜は吐き気を感じていた。
「正気か?」
「我ら黒羊騎士団にとって、最も重要なことは血統だ。
 よき血は、よき子孫となる。
 汚れた血、邪悪な血が混ざれば、我らの未来はない。
 劣等民族と同じになってしまう。
 神によって授けられた血を尊び、神によって授けられた血を継承する……。
 それが、黒羊騎士団の使命なのだ」
 納田優菜は呆れていたが、このメンタルは重要だと確信した。黒羊騎士団が残した女性4人のうち、2人を捕虜にしているのだ。
 納田優菜は、城内の戦力を探ろうとしていたが、尋問の方針を転換した。
「女性を拉致しなかった理由は?」
「汚れた血を残さぬためだ。
 村を襲い女を犯しても必ず殺すよう命じられていた。黒羊騎士団の血を受け継ぐ、汚れた子孫を残さないためだ。
 でも、俺はやっていない。
 騎士は2つに割れている。
 姫巫女様を絶対的に信奉する原理派と、神の元へはたどり着けないのではないかと考える世俗派に……。
 俺は世俗派だ。
 世俗派は、村を襲っても、残虐なことはしていない……」
「襲うだけで、十分に残虐だ」
「そうだが……」
「姫巫女の子を2人捕虜にしている……」
「本当か?」
「あぁ」
「……。
 黒羊騎士団はお仕舞いだ。
 1000年の歴史が終わる」
「姫巫女の子と子供との交換はどうだ?」
「巫女様は……。
 子を産む……。
 応じると思う」

 納田優菜は尋問の結果をイサイアスに報告する。
 日没が近い。
 交渉は明日になる。

 王女パウラは納得しなかった。
「ユウナ様のご命令でも、イヤです。
 私も行きます。
 クマンの子を取り返す交渉なのですよ。
 私はクマンの最後の王族です。
 責任があります」
 バギーはもともと2人乗りだ。それを、後席に1シート増やし、3座にした。
 納田優菜がバギーで捕虜交換の交渉に向かうことになったが、半田千早、ミエリキ、王女パウラのうち、1人が降りないと、納田優菜の席がない。
 ドライバーの半田千早、ガンナーのミエリキは必須。となると、王子パウラが降りることになる。
 ミエリキが対案を出す。
「白旗持ちがいるよ。
 副隊長だけじゃ……。
 私がガンナーをする。後部補助席にパウラが乗る。
 チハヤが運転、私が銃手、パウラが旗持ち、ユウナ副隊長が交渉役。
 いいと思うけど……」
 イサイアスが判断する。
「いいだろう」

 イサイアスは、草原の灌木の太い枝にロープを垂らし、両手を縛った姫巫女の長子を吊した。
 その後方にウルツ2輌を配置する。
 長子は元気で、悪態をわめき散らしている。

 バギーは助手席側の上部ハッチを開け、白旗を掲げた。
 そしてゆっくりと城に近付く。
 丘までの距離、500メートルで停止する。

 城から騎馬5が出てくる。
 左側の助手席から王女パウラが降り、後部ドアから納田優菜が降りる。

 完全装備の納田優菜が草原に立つ。王女パウラも完全装備だ。
 王女パウラはボルトアクションではなく、半自動小銃を渡された。同じ銃は、半田千早やマーニも使っている。引き金を引くだけで、弾が出る。納田優菜も同じ銃だ。

 厳つい男と白髪白髭の男がウマから降りる。
 厳つい男の目が恐ろしい。
 白髪白髭の男が問う。
「あれは、巫女様か?」
 納田優菜は落ち着いていた。
「そのようだ。
 1人は逃げたが、1人は捕らえた」
「もう1人の巫女様は?」
「知らない。
 死んだのでは?」
 納田優菜は振り返り、バギーの銃塔を指差す。そしていった。
「あれが火を噴けば、ヒトなのかウマなのかわからなくなる」
 それを無線で聞いたミエリキが、砲身を回転させる。やや甲高いモーター音が不気味だ。ヒトの恐怖がウマに伝わり、ウマが怯える。
 白髪白髭の男が脅す。
「我らには神の武器がある」
 納田優菜が答える。
「オークのレバーアクションだ。
 フレームが真鍮製で強度が足りないから、強装弾の発射ができない。
 できそこないだ」
 白髪白髭の男は怯まない。
「神の加護を受けた武器だ。
 おまえたちのものとは違う」
 納田優菜は自分の3倍近い年齢の男に、哀れを感じていた。
「我々の武器は、ヒトの武器だ。
 ヒトが作り、ヒトが使い、日々改良している。
 ヒト様の武器に神ごときの武器が対抗できると本当に思っているのか?
 思っているとしたら哀れだ。
 我々は、おまえたちを皆殺しにできるんだぞ」
 白髪白髭の男は少し笑った。自分の年齢の3分の1ほどの小娘に脅されている。それがおかしかった。
「どうやってだ?
 娘。
 戦いが終わったら、おまえをゆっくりと犯してやる」

 迫撃砲分隊長は、この瞬間を待っていた。砲隊鏡2基を使って交会法による精密照準を実施した。
 砲弾は、城の中には落ちない。城の城壁も破壊しない。
 しかし、城壁の直前には落ちる。
 迫撃砲分隊長が命じる。
「半装填用意」
 操砲員が迫撃砲弾を半分ほど砲身に入れ、両手でしっかりと押さえている。
「テッ!」
 ポン、という音がして迫撃砲弾が曲射弾道を描いて飛んでいく。

 納田優菜と王女パウラは、ヒュー、という迫撃砲弾が飛んでいく音を聞いていた。王女パウラが始めて迫撃砲の発射訓練を見たとき、その威力に驚いた。
 特に120ミリ迫撃砲は、何もかも破壊するほどの威力だった。この遠征では、81ミリ迫撃砲1門のみ。それでも十分すぎるほどの破壊力だ。
 それが、立て続けに3発。
 それが大砲であることは理解したようで、白髪白髭の男は驚きと恐怖を隠さなかった。

 納田優菜が告げる。
「もし、子供を1人でも傷つけたら、おまえを捕らえて下の毛をきれいに剃ってやる。
 おまえたちの大事な巫女と子供たち全員を交換だ。
 すぐに城に戻り、頭の足りない姫巫女と相談しろ。
 太陽が頭の上に来るまでは待たない。
 もし、遅れたら巫女の鼻を削ぐ。
 鼻を削がれた女が相手では、勃たないだろう?」
 白髪白髭の男は、怯えていたが、それを表には出していないつもりだった。だが、81ミリ迫撃砲弾の着弾音を聞き、2発目と3発目の着弾で城壁よりも高く土が舞い上がったとき、無意識に首をすくめていた。
 納田優菜は、それを見逃さなかった。

 城から馬車が4輌出てくる。2輌は檻、2輌はワゴン風だ。
 巫女を吊す灌木の50メートル手前で、4輌の馬車と20の騎兵が止まる。
 その後方500メートルには、200の騎兵が1列の横隊を作る。
 完全装備の戦支度だ。半分は銃を持ち、半分は長槍を持つ。銃がなければ、絵に描いたような中世ヨーロッパの騎士だ。

 馬車を4輌のウルツで取り囲む。
 檻を開け、子供を1人ずつ降ろす。そして、装甲トラックに乗せる。装甲トラックに乗せられる人数は12人ほどで、装甲トラックはキャンプとの間を2往復した。
 解放された子供の数は、36人だった。
 最後の1人と交換に、巫女を引き渡す。
 巫女には猿ぐつわをしてある。

 巫女を引き渡すと、白髪白髭の男がイサイアスにいった。
「巫女様の受けた屈辱、必ず晴らす。
 死を持って購え」
 巫女が叫ぶ。
「姉様が捕まっている!」
 白髪白髭の男が気色ばむ。
「どういうことだ!」
 イサイアスは慌てない。
「そういうことだ。
 残りの子供を渡せ。
 そうすればもう1人も渡す」
 白髪白髭の男は明確な怒気を見せる。
「欺したな」
 イサイアスが笑う。
「悪党にしては無邪気だな。
 悪党の考えることなど、最初から見通しているということだ。
 これは悪党同士の取引だ。欺されるほうが、間抜けなんだ。
 子供を渡せ。
 全部だ。1人も残すな」

 イサイアスは強気で迫っていたが、想定外の問題が起きていた。
 バンジェル島はひどい雨で、航空機の離発着ができない。雨はよく降るがスコールのように短時間で、終日激しく降ることなど初めてだった。
 だが、精霊族によれば、希にある気象現象なのだという。
 航空機は飛べず、装軌装甲車のストーマーは西地区輸送船の船倉にある。簡単には出せない。
 軽四駆が向かうと志願したが、城島由加は装甲のない車輌では危険として許可しなかった。

 イサイアスは、孤立していることを理解していた。雨が止むまで、航空支援はない。
 雨はいつ止むのか、それはわからない。精霊族は、最長でも48時間だとしている。
 イサイアスは、厳しい戦いになることを覚悟した。 
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