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第2章

第五五話 前兆

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 北地区北部と同南部の境界、北部管理地域側に種を蒔いた菜の花は、五月になってようやく花を咲かせた。四月上旬になっても一日の最低気温が摂氏五度を下回る日があり、五月になってようやく春を感じるようになった。
 この土地で代を重ねた人々や蛮族は、年々寒さが厳しくなっていると語る。
 精霊族の気象学者は、「温暖期が終わり、新たな寒冷期に入った」と断言している。一方、鬼神族の商人たちは、「もうすぐ暖かくなる」と。
 鬼神族は総じて陽気で、楽天家。どんなに寒くても、「明日は暖かくなる」「来年は暖かい冬のはずだ」と宣う。科学的根拠なんて欠片もないのに言い切ってしまう。だが一方で、燃料の備蓄を始めている。鬼神族も寒冷期の到来を察知しているのだ。
 科学的根拠が必要な情報については、鬼神族やヒトよりも精霊族のほうが圧倒的に信頼性があることは事実だが、鬼神族もそれなりの記録があることは、俺たちも知っていた。

 精霊族の観測によると、七年周期で寒冷化と温暖化を繰り返しているそうだ。
 これが、短周期の気候変動。
 また、七〇年周期で特に暖かい温暖期と特に寒い寒冷期がやって来る。
 これが、中周期の気候変動。
 特に暖かい温暖期(極温暖期)は、ドラキュロの活動が活発となり、全二足歩行動物が生存の危機に陥る。
 特に寒い寒冷期(極寒冷期)となれば、作物の実りが悪く、飢饉となる。そして、多くの動物が死ぬ。ヒトも例外ではない。
 そして、精霊族によれば、今年は極寒冷期の二年目だそうだ。
 精霊族は飢饉に備えているが、ヒトの危機感は総じて低い。この世界とこの土地における、ヒトの歴史は浅くて、断続的。気象データの蓄積がないからだ。
 鬼神族に危機感は、外見上ほとんどない。彼らの住地は総じて暖かいことが理由だが、隠している危機感が垣間見える。
 飢饉に対して、ヒトが最も危険な状況にあるのだが、対策はほとんどしていない。
 それでも、この世界で代を重ねた異教徒、そして蛮族は、寒冷化を本能的に悟っていて、対策の必要性を感じている。
 だが、日々の生活で手一杯なのだ。
 トロイとカルタゴは、街の歴史が数百年に及び、それだけに気象に関する記録が多い。
 彼らがクフラックへの移住を決意した理由は、新たな物資がもたらされないという現実もあるが、そういった状況下で極寒冷期に突入するという非常事態であることから、早期の移転を決めたようだ。
 スパルタカスは、「ここ数百年間、一カ月の間に誰もやってこないなんてことは一度もなかった」と言った。
 ハンニバルは、「もう誰もやってこないのだと思う」と判断していた。
 元世界からの物資補給が途絶えたのだ。
 前回の極寒冷期では、トロイとカルタゴがどれだけ金塊を積もうが、穀物は買えなかったと伝えられている。

 なお、長周期の気候変動は、温暖化に向かっている。いずれ内陸に封じられた氷床が溶け、固体の水が液体となり、海水が増えることで海水準が高まり、海進が起こる。
 温暖化は、ドラキュロの増加を促す。それは、ヒトの存在を脅かす。
 この世界でヒトが生き続けることは簡単ではない。

 トロイやカルタゴ以外でも同じようなことが起こった。金貨を握りしめて飢えて死ぬ人々は、少なくなかった。黄金では腹はふくれない。黄金では喉の渇きを癒やせない。
 だから、この世界では貨幣経済が発展しないのだ。異種間交易では物々交換が原則だ。
 それでも、ヒトの性〈さが〉なのか、それとも本能か、ヒトの世界では貨幣経済が広がっている。金貨も銀貨もあるし、銅銭だってある。
 七〇年あれば、前回の極寒冷期や極温暖期を実体験として記憶している人々がほぼいなくなる。記録としては残っていても、現実としては受け止められない。
 大多数の人々の解釈は「少し寒いだけでしょ」となる。実体験のある世代は、老いてすでに発言力を失っており、彼らが語る生々しい体験は「昔のことでしょ」と軽くあしらわれる。

 俺たちは、この世界において金銀宝石が決定的価値を持たない理由をようやく身体で理解し始めていた。

 斉木は精力的にジャガイモの栽培を奨励している。しかし、精霊族を除けば、あまり真剣に話を聞いてもらえない。
 だが、鬼神族はジャガイモから酒が造れることが気に入り、栽培を始めた。ヒトはパンにならないから、ほとんど栽培していない。
 俺たちは、バイオエタノールの生産用として、また救荒食物として、サツマイモを三角棚生産法によって栽培している。収量は地面に植えるよりも圧倒的に多い。
 俺たちの農場は、半分がコムギ、残りの半分がジャガイモを初めとした寒冷に強い作物だ。麦作に傾注しすぎれば、気象変動の影響に脆弱となる。
 精霊族によれば、寒冷化開始から四年目と五年目はムギを含む穀類の栽培は不可能になるという。どうにか穀類の栽培ができるのは、今年を含めて、あと二年しかないのだ。
 コムギを作っていては、凶作の二年を乗り切ることは、とてもできない。
 俺は精霊族の気象研究を評価しているし、斉木も寒冷による不作を予測している。
 来年からはコムギではなく、収穫量の多い不作に備えた作物に転化したほうがいいのかもしれない。
 斉木の考えを聞きたい。

 北地区南部、地区総面積の四分の三に移住者がやって来た。東からだと聞いたが、東は西と違って広い。旧ヨーロッパ平原のどこかからなのだろうが、判然としない。
 それと、ノイリンは今回が初めてだが、ライン川以東からの移住者が他の街では急激に増えていて、争い事が頻発している。
 平和裡に移住してくれればいいのだが、農地や住居を奪ったり、街ごと強奪しようとする連中までいるようだ。
 クフラックは〝難民〟と呼んでいるが、多くは武装難民だ。武器を携えて、移住してくるのだ。
 その移住の理由が判然としないのだが、ノイリンの近郊では黒魔族の東方移動と関係があると考えられている。

 ノイリンにやってきた移住者の指導者は、アガタ。
 スパルタカスとハンニバルから聞いた人物のようだ。
 スパルタカスの警告のように、厄介なヒトたちなのかもしれないし、違うのかもしれない。
 中央評議会がどういう判断で、彼らの受け入れを認めたのか、それもわからない。我々が強制転居させられるほどの、ノイリンにとって意義のある人々であって欲しい。

 だが、移住者は、すぐにトラブルを起こした。

 美しく咲いていた菜の花畑を徹底的に荒らした。
 それを止めようとしたチュールと彼と同年齢の子供たち数人が、アガタのグループの年長の子供たちに殴られた。

 マーニが静かに泣いている。
 チュールが熱を出し、由加が看病している。
 ちーちゃんとケンちゃんは、「お兄ちゃんの仇を討つんだ」と泣きじゃくっている。ケンちゃんが仇の意味を知っているとは思えない。ちーちゃんは理解している。

 ベルタとルサリィが抗議に行ったが、アガタは「男の争いに女が出るのか」と笑い、ベルタが「食用油生産の畑を荒らしたんだ。これは犯罪だ」と主張すると、何人もが声を立てて笑ったそうだ。
 どうも、ベルタとルサリィが女性であることから、まともに取り合わなかったらしい。
 アガタ一派では、女は男に傅くもの、とされているようだ。
 ベルタとルサリィの言い様に最も強く反応したのは、アガタ一派の女性たちで、「女の立場をわきまえよ」と怒気を含んだヤジを激しく投げかけた。
 ベルタとルサリィは、鼻先であしらわれたのだが、相手を十分に観察していた。彼らの銃は、すべてこの世界で製造されたものだった。
 彼らの武装は、ライフルと拳銃しかない。俺たちと戦うには、あまりにも貧弱だ。戦えば、殺戮になる。
 俺はそれだけは避けたかった。ヒトはヒトと争うべきではない。

 その夜、俺たちはベルタにこき使われた。
 菜の花畑のあった一〇メートルの帯に、有刺鉄線を配置させられたのだ。
 ヒトとヒトが争わないためだ。
 ほぼ徹夜だった。
 南部の若者が妨害に出てきたが、ベルタはすべての戦車と装甲車を動員していた。
 戦力差は圧倒的で、南部の若者たちは大声で悪態をつく以外、何もできなかった。一部は「虚仮威しだ」と叫んで、銃を持って北部に入り込もうとしたが、何人もが「止まれ!」と警告し、双方の不用意な発射を恐れたデュランダルが威嚇発砲なのか狙って外れたのか微妙な射撃をし、侵入をやめさせた。
 我々が撃つことを躊躇わないと知って、南部は衝撃を受けたらしい。
 ヒトはヒトと争うべきではない。
 だが、必要であれば躊躇わずに撃つ。

 アガタ一派は、「ノイリンは誰も拒否せず、誰にも優しく親切」という噂を真に受けていたようだ。
 確かにノイリンの住人は、誰でも受け入れるし、優しくて、親切だと思う。
 だが、軟弱ではないし、残酷な面を合わせ持つ。

 斉木が気の毒なほど疲れている。アンティは、異常にハイテンションだ。脳内麻薬でも分泌したのか?
 珠月が水を配っている。金吾は大の字に倒れている。
 相馬は、足がつって呻いている。

 菜の花畑は、一夜にして有刺鉄線を張り巡らせた緩衝帯になった。
 そして、銃を持ったパトロールが警備するようになる。戦車も配備した。
 警備に人員を割かなければならず、すべての生産力が落ちる。これからが、食料生産に大事な季節だというのに……。

 しかし、アガタたちには強烈な威嚇になったようだ。
 以後、北地区北部への表立っての嫌がらせは起きなかった。だが、若者の間ではたびたび衝突が起きる。挑発に乗らないよう指導しているが、誰にでも我慢の限界がある。特に若者の閾値は低い。

 俺は北地区北部の代表として、アガタに面会を求めた。
 だが、気持ちは完全にチュールのためだった。
 チュールは俺と二人になると、ベッドの端に座った俺にしがみつき、「悔しいよう」と泣いた。
 突然殴られ、一方的にやられたようだ。相手は、複数だとも聞いた。
 俺の頭は冷えていた。自分でも怖ろしいほど……。
 そして、彼らのテントに出向いて、アガタに会った。テントはモンゴルの遊牧民が使うゲルのような円筒形で、内装はかなり豪華だ。
 アガタは、毛皮を掛けた椅子に座り、王のようにふんぞり返っていた。
 俺と同じくらいの年齢の男で、大柄で筋肉質だ。
 俺一人で出向くつもりだったが、心配してカロロとイサイアスが同行した。
 
「何の用だ。小男」
 アガタの言に何人かが声を出す。明らかな嘲笑だ。
 確かに、俺は大柄じゃない。元世界混乱期直前の中学三年生の平均身長を下回る。
「花畑を荒らし、住民に暴力を振るった犯人を引き渡してもらいたい」
「女のあとは小男か!
 お前たちには、まともな男はいないのか?」
「もう一度言う。犯人を引き渡せ」
 アガタは右の肘を椅子の肘掛けに立て、掌を上にして広げた。
 アガタの右に立つ、銃と剣を腰に下げた男が、アガタの掌に小袋を置く。
 アガタが、彼の正面に立つ、俺の足下に小袋を投げる。
「それを持って帰れ。十分だろう」
 カロロが一歩前に出ようとして、イサイアスが慌てて彼の肩をつかむ。
 イサイアスが言った。
「ハンダは、お前たちのガキが殴った子供の養父〈ちちおや〉だ。
 養母〈ははおや〉がやってくる前に、犯人を引き渡せ」
「母親に何ができる?
 父親が何もできないのに!」
 何人もが笑った。
 カロロが哀れみをはらんだ声音で言う。
「ジェネラル・ジョージマが来たら、お前たちは皆殺しになるぞ。
 悪いことは言わない。
 犯人を引き渡せ」
 カロロの意外な言葉に、アガタが沈黙する。彼らの認知範囲外の言葉で、反応ができないのだ。
 俺がイサイアスに確認する。
「犯人はわかっているのか?」
「あぁ、四人の顔を撮ってある。うち二人の名前もわかっている」
「四人を手配しよう。
 生きて捕まえたものに、フルギア一オンス金貨一〇枚の懸賞金をつける」
 カロロが慌てる。
「まて、ハンダ!
 四人捕まえたら、一財産だぞ」
「そうだな。
 お前が捕らえてもいいんだぞ」
 カロロがにやりと笑った。
「ここにいる誰が捕まえてもかまわない。
 連れてきたら、一人につきフルギア一オンス金貨一〇枚を払う。
 ただし、殺すな。生きたままだ。殺したら金は払わない」
 アガタが俺をにらむ。
 俺がたたみかける。
「今後、境界線を越えようとすれば、容赦なく撃つ」
 踵を返し、テントの入り口に向かうと、大男が立ちふさがった。
 イサイアスが大男の頭上に向けて、AK‐47を連射する。テントの天井が蜂の巣だ。
 大男は反射的に首をすくめ、膝を折り、入り口を開けてしまった。

 俺は、ゆっくりとテントを出た。

「あ~ん」
 由加が促し、チュールが口を開ける。
 片倉が口内を切って、食事が辛いチュールのために、手に入る材料を使って特性茶碗蒸しを作ってくれた。
 チュールがかまずに飲み込む。
「兄様ずるい!」
 その様子を見ているマーニが叫ぶ。
 ちーちゃんは、ちょっと涙目。
「温かいプリンなんて、ずるい」
「プリンじゃないよ!
 茶碗蒸しだよ!
 前に一度だけ食べたことあるの!」
 ちーちゃんの説明に、マーニが「何でもいいけど、全部ずるい!」と。

 数日後、ハイティーンのひげ面が東南地区の農民に捕まり、俺の手に引き渡された。
 捕らえた男は、「金はいらないから、開墾を手伝ってくれ」と。
 俺は快諾した。

 俺は、境界に太い杭を打ち、その杭と犯人の足を鎖でつなぐ。
 あとは放置するだけだ。
 三日すれば、命乞いを始めるだろう。

 二日目の夕方、母親がやって来た。命乞いと食べ物の差し入れだ。どちらも拒否。
 三日目の朝、父親が来た。
「息子を助けたい。
 解放の条件を言ってくれ。
 あんたが使った金貨は返すよ」
「一人、捕まえてこい。
 それと交換だ」
「待ってくれ。
 裏切ったら、村八分になる」
「お前の息子は、あと数日は生きているだろう。
 ゆっくり、考える時間はある。
 金貨を返す必要はない。
 連れてくれば、他の地区で暮らせるように取りはからってやろう。フルギアの一オンス金貨一〇枚あれば、アガタと手切れできる」

 この世界に法はない。
 俺はチュールの負傷を黙って受け入れるつもりはない。

 翌日、北地区南部で銃撃戦があったらしい。俺が拘束している子供の父親と二人の兄が、ある家族を襲って父親と母親を負傷させ、少年一人を拘束したそうだ。
 チュールを暴行した少年の一人を捕らえたようだ。
 もちろん、自分の息子と交換するためだ。

 父親と二人の兄は、アガタの支配地域から捕虜を伴って出ることができなかった。
 アガタも困っていた。
 三人を罰したら、三人の一族が黙っていない。今度はアガタが争いの当事者になる。
 それと、奪われたほうの一族と奪ったほうの一族が、全面抗争寸前の状態にある。
 さらに犯人は他に二人いて、この二人の一族はそれぞれ臨戦態勢に入ったようだ。
 しかも、四つの一族は、「アガタの事案処理が悪かったから、こうなったのだ」と責めている。

 結局、アガタから再度の会見を申し入れてきた。
 俺とアガタは、中央評議会議場の一室で会った。
 西南地区の評議委員二人が立会人になってくれた。
 アガタの発言から始まる。
「子供は無事か?」
「糞尿にまみれているが、まだ生きている」
 アガタが絶句する。
「生きたまま、戻してくれないか。
 賠償金を払う」
「金〈かね〉の問題じゃない。
 残りの三人を引き渡せ」
「それはできない」
「それならば、あの少年が一人で四人分の罪をあがなうだけだ」
「……。
 何とかならないか。
 このままだと……」
「戦争を仕掛けるか?
 俺たちと戦う気か?」
「あんたたちのことは、噂で聞いた……。
 残りの三人は捕らえてある。
 境界の近くで、鞭打ちにする。
 ウシの革鞭で一〇打。
 それ以上は死んでしまう」
「いいだろう。
 刑の執行を確認し、その後解放する」

 境界直近で鎖につながれた少年は、三日間は反抗的で、威勢もよかった。
 しかし、四日目には命乞いを始め、五日目には母親を呼ぶだけになっていた。
「お母さん、助けて……」
 チュールを暴行した共犯三人の名前から住まい、親兄弟や一族の長の名まで、すべて白状している。それも、南地区に聞こえるような大声で。
 その他の悪事もだ。
 知っていることのすべてを話させ、被害者に通知している。
 これ以上追い詰めると、北地区南部の一部が暴発する可能性がある。
 ここが引き時だろう。

 三人の少年の処刑は、公開で行われた。処刑人は、二人は父親、一人は叔父だそうだ。身内への鞭打ちなど、耐えられるものじゃない。
 少年たちは怯えきっていた。
 三打か四打で、三人の少年たちは気を失う。
 父親二人が地面に膝をついて、一人が「北の衆、これ以上は堪忍してくれ」と泣いた。
 俺は金沢に「鎖を外してくれ」と頼んだが、「首をはねましょう」と金沢が刀の柄に手を置く。こういうときの金沢は、精神が正常とは思えない。
 鎖につながれた異臭を放つ少年が、俺の足にしがみついた。
 金吾が金沢からカギを受け取り、鎖を外す。
 有刺鉄線の螺旋が開かれ、通路ができる。
 金吾に抱えられた少年が、南の男に渡された。

 俺たちの問題はほぼ片付いたが、アガタ一派は頻繁に東地区へ侵入して、あれこれと騒ぎを起こすようになる。
 北地区北部と東地区の関係は、あまりよくない。だから、東地区から我々に何かを相談してくることはなかった。
 我々も東地区にはことさら関心を向けなかった。

 アガタ一派は、頻繁に東地区に侵入し、盗みを働いた。若年者が盗み、年長者がさばく。これが、どうも彼らの生業〈なりわい〉の一部のようだ。
 一二〇〇人全員が盗人〈ぬすっと〉なのではなく、役割はシステムとして細分化されている。
 大きく分けると、盗む担当、盗んだものに清掃や加工などの処理を施す担当、盗んだものを換金する担当の三階層だ。
 この階層の中にさらに細分化したレイヤーがあり、高度にシステム化されていた。
 かなり、厄介な連中だ。

 そのことに最初に気付いたのは、当然のことながら東地区の人々で、中央評議会で議題としたが、彼らが盗人集団である明確な証拠がなく、希に盗人を捕らえても「若者がやったことで……」と言い訳と謝罪があり、賠償金も支払われる。
 俺たちで懲りたのか、大人が絡む暴力沙汰は避けている。基本、低姿勢だ。
 そして、盗みが繰り返され、東地区が疲弊していく。収穫のすべてを奪われ、途方に暮れる家族もいる。

 東地区から北地区北部への移住を申し出る住人が増え始める。
 俺たちは歓迎だし、農地は広大だ。ただ、俺たちの原始共産制まがいな共同生産方式を嫌う人々も多い。
 農民は基本、自分の土地を欲しがる。
 だから、移住希望者はごくわずか。

 事件解決以降、北地区南部の盗人集団は北部には手出ししてこない。
 理由は簡単だ。警備が厳しく、すぐに発砲するから。
 車輌工場に盗みに入り、逃げていく背後から対空用の二〇ミリ機関砲をぶっ放した、工場で働く若い連中がいる。
 死体は原形をとどめていなかった。チュールたちの「どうしてお花畑を荒らしたの?」との問いに対して、暴力で返答ことを、お兄さんたちは忘れていなかった。
 原形をとどめていない死体を、どうこうできるわけじゃない。侵入したのはヒトかドラキュロかわからないとしたが、服を着たドラキュロなんているわけない。
「暗くて人食いと誤認した」と言われれば、誰もとがめ立てできない。それに、夜間、工場の敷地に入り、発見され逃げるとは、どう考えても善良な人物の行動じゃない。
 北地区南部には何も質さず、死体は埋設処分した。
 これに、アガタたちは相当驚いたようだ。二〇人近くを殺したのに、北地区南部に何も問い合わせしなかったからだ。
 だが、我々への報復として深夜の〝空港〟を火炎瓶を持って襲い、その夜の警備担当は一〇人を射殺した。
 我々の夜間警備は、全員ではないが暗視ゴーグルを装備している。懐中電灯どころか、暗夜に松明を持って襲撃するという愚かとしか思えない稚拙な接近方法は必ず撃退できる。
 以後、若者を含めて、一切手出ししなくなった。

 これらの行為は、すべて南部の若年者だ。
 北部の同年齢とは、本質的な思考が違うように感じる。
 過酷な状況を生き抜いてきた北部の若者と、親の庇護を受けて育つことができた幸せな南部の若者とは、人格形成の面で本質的な違いがあるのかもしれない。
 北部の若者が人格高潔とは思っていない。
 だが、南部の若者は粗暴で幼稚だ。

 真夏の直前には、アガタ一派の評判は最悪となっていた。
 彼らの移住を認めた中央評議会は、各地区住民から袋だたきの状態で、選出されたばかりの新議長は責任を認めて辞任の意思を示している。
 アガタ一派の移住は、新議長の強い推挙で実現したようだ。悪い噂を知る評議委員も数人いて、反対意見もあったようだが、リーダーであるアガタの〝人柄〟に新議長が強く共感していたらしい。

 ノイリンは政治的な混乱に陥る。

 ノイリンの中央評議会委員は、人口二〇〇人に一人の割合で選出される。
 現在の評議委員の総数は二五だ。村議会程度の規模なのだが、定数二五のうち、六をアガタ一派が占めていた。
 これも、頭の痛いことだった。

 夏の初め、警備が厳しく、対処が暴力的になった東地区を避け、盗人は西地区に侵入。
 三〇人が捕らえられる。
 そして、過酷な尋問が始まる。尋問なんて生やさしいものじゃない。
 拷問だ。
 こういったことに、アガタ一派は慣れていなかった。
 彼らは詭弁を弄することで、物事をどうにかする術には長けていたが、拷問や私的処刑といった強硬手段には明らかに慣れていない。
 若年者、つまり子供たちには親がいる。
 耳をそがれた、指を切り落とされた、と拷問の内容を聞いて、親が助け出そうと西地区に侵入する。
 そして、西地区が北地区南部に侵攻。呼応するように東地区も侵攻。
 北地区北部は防備を固め、緩衝地帯に侵入しようとするものに威嚇発砲を繰り返した。
 西地区はすぐに撤収したが、東地区の捜索は壮絶を極めた。
 即決裁判を開き、次々と絞首刑にしていく。その数は一日五〇人に達する。二〇日ほどで皆殺しのペースだ。
 アガタは初日に処刑された。
 混乱に乗じて、アガタ一派の多くが身一つでノイリンを脱出した。

 東南地区と西南地区の仲介で、殺戮は三日で終わったが、戦闘と処刑で二〇〇人以上が死んでいた。

 北地区南部の住人は、ノイリンが自分たちがどうにかできる街ではないことを思い知らされた。
 彼らの社会は家父長制なのだが、東地区の連中は大家族の最高権力者=犯罪の首謀者として積極的に処刑してしまった。
 彼らの社会制度自体が崩壊寸前だった。

 四〇〇人以上がノイリンを退去。六〇〇人ほどが残り、もう一つの生業〈なりわい〉である木工や金属加工で生計を立てることになる。
 ノイリンに残ったのは、盗みの実行や換金担当ではなく、盗品をいろいろと加工する人々だった。
 しかし、彼らも善良でない。

 以後、ノイリンは移住者を厳選するようになる。
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