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第2章

第五八話 東岸橋頭堡

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 ドラキュロの西進において、ノイリンの最終防衛線は、内郭の濠だ。
 これよりも内側は、実質無防備。
 ノイリン北地区はアガタ一派が去った後、新たな移住者はなかった。旧滑走路脇の格納庫は我々の使用が認められていた。
 格納庫は三棟あり、うち一棟は木骨レンガ造りで、我々に認められた南側管理区域外にあった。
 二棟は、北地区北部の管理域内にある。この二棟は鉄骨の梁とコンクリートで造っていて、大型で頑丈。
 この二棟をつなぐ密閉通路と、換気用ハッチ、銃座などを設けて、恒久的な避難所とした。
 ここが、我々の最終防衛拠点になる。
 しかし、ここに押し込まれたら、対処の方法は限りなく少ない。
 二棟のうち、一棟には食料を詰め込む。もう一棟が避難所になる。
 入手したFV4333ストーマー四輌をトラクターとして、密閉型トレーラーを牽引して、新たな土地を目指す。
 だが、それをできる可能性は低い。

 再建が可能な最終防衛線は、川幅二〇〇から三〇〇メートルのライン川となる。
 ここを固守しなければならない。
 もし、ライン川を突破されたら、ドラキュロの西進に対して遅滞戦術をとりながら、後退を続け、その間にノイリンからの撤収を図る。
 そして、造山運動によって標高を増したピレネー山脈を越えて、かつてイベリア半島と呼ばれた地域に入る。
 それが、俺の内心の作戦だった。
 誰にも告げていないが……。

 二〇〇万年後のライン川は、大地を深くえぐっていた。氷河の影響ではなく、河川の流れによる浸食だ。
 だが、前進基地周辺は大小の湖沼、ライン川の支流や分流が多く、小規模だが湿地もある。
 そして、川面と陸地の段差が小さい。西岸と東岸は広範囲に平地。
 対ドラキュロ戦において、防御に不向きな場所だ。
 同時に、ここ以外にドラキュロの渡渉点はない。
 ここが、最終決戦地だ。

 この地に防御陣地を構築する。
 だが、ヒトとの戦いではない。戦争の防御陣地とは異なる。
 東岸橋頭堡には、有刺鉄線だけの簡単な防護はしていたが、土嚢を積んだり、塹壕を掘ったりはしていない。なぜならば、ドラキュロは銃や弓を使わないからだ。槍や剣さえ持っていない。棍棒のような自然由来の無加工な道具を使うタイプと、一切使わないタイプがいる。道具は作らない。
 また、恐ろしいことだが、通常の動物とは異なり、恐怖を感じない。ヒトの姿を見たら、脅威の身体能力で襲いかかってくる。
 それを防ぐ手立てはほとんどない。
 小河川と弾幕以外は!
 厄介なのは、食料を得ると、一時的に後退する習性を持つこと。
 その食料だが、ドラキュロはカニバリをするので、我々の攻撃によって負傷した仲間でもいい。

 ちーちゃんとマーニが、ノイリンに残る数少ないオークの巨木に祈りを捧げている。
 その姿をシャーマン・マリが少し離れて見ている。
 そして、二人に近付いた。
「何をしているのだ?」
 マーニが答える。
「こんな大きな木には、きっと精霊が宿っていると思ったの。
 だから、オジチャンが無事でいますように、みんなが帰ってきますように、ってお祈りしていたの」
「マーニ、そなたは精霊を信仰しているのか?」
 シャーマン・マリは、異教徒だと信じていたマーニに精霊信仰があることを知り、驚いていた。
「困ったときはお願いするよ」
「チーチャン、そなたも木の精霊を……」
 ちーちゃんが答える。
「あのね、昔、おじちゃんと住んでいたマンションの近くに神社があったの。
 その神社の御神木に明日は食べ物が見つかりますように、ってお願いしていたの。
 おじちゃんが教えてくれたんだよ」
「ゴシン……」
「ごしんぼく」
「ゴ・シ・ン・ボ・ク、とは何か?」
「神様が宿る木のことだよ」
「それは、精霊信仰ではないのか?」
「わかんない」
 蛮族の宗教は、自然界のいろいろなものに精霊が宿り、それらの精霊がヒトを守る、という原始的な宗教だ。
 一方、異教徒の宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教、ゾロアスター教、その他諸々の影響を受けている。
 しかも、これといった教義や聖典はない。
 異教徒が異教徒と呼ばれる所以は、精霊信仰とは関係がない。
 ヒトのルーツ、つまり自分たち、もしくは自分たちの祖先が二〇〇万年前からやって来た、という事実を覚えている、あるいは記録しているか否かだ。
 ヒトはこの世界で生まれたと信じる蛮族。
 ヒトは二〇〇万年前に自分の意思でこの世界にやって来たとする異教徒。
 この違いだ。
 シャーマン・マリがちーちゃんに尋ねる。
「チーチャンの守護精霊は木の精霊か?」
「わかんない」
 俺とちーちゃんは一時期、千葉市のあるマンションの一室に隠れていたことがある。珠月と出会う以前のことだ。
 当時の日本は、すでに政府はなく、自治体、警察、自衛隊、そして市民有志がどうにか〝統治〟している状態だった。
 だが、治安は最悪。特に物資の強奪は、日々の何気ない出来事と化していた。
 危険の多い東京を徒歩で離れ、京葉高速の武石インター付近を物色していて、焼けたマンションを見つけた。
 一階の一室は無傷で、俺とちーちゃんはそこに隠れた。
 マンションの近くに三代王神社があり、この小さな神社でちーちゃんはささやかなお願い事をしていた。
 超自然なものにでもすがらなければ、生きてはいけないと感じる状況でもあった。
 三代王神社の近くにイチョウの木があり、俺はこの木をちーちゃんに御神木だと教えた。
 真実ではない。ただの大きなイチョウの木だ。
 シャーマン・マリは、少し考えてから、ちーちゃんに俺のことを尋ねた。
「ハンダには、守護精霊はいるのか?」
「わかんない。
 けど、おじちゃんの刀知ってる?」
「あぁ知っている。反りのある立派な刀だ」
「あの刀はね、守り刀なんだって」
「マモ……」
「まもりがたな」
「マ・モ・リ、ガ・タ・ナ」
「そう。
 あの刀がおじちゃんを守ってくれるんだって。
 おじちゃんのおじいちゃんは、あの刀を持って戦争に行ったんだよ。
 あの刀には、神様が宿っているんだって!」
「なんと、鋼の精霊か!」
 斉木は早起きで、ノイリンの防壁の上から御来光を眺め、柏手を打つ。
 その光景を見たシャーマン・マリは、斉木に行為の意味を尋ねた。
 斉木は「太陽に『今日も一日、よい日でありますように』と願っている」と答えたそうだ。
 シャーマン・マリは、斉木の守護精霊は太陽だと確信した。
 そして、斉木に守護精霊がいるならば、俺にもいるのでは、と考えていた。彼らの考えでは、守護精霊のいないヒトは存在しないのだ。
 太陽は最も強大な守護精霊の一つだそうで、彼女は俺の守護精霊も尋常なものではないと考えていた。
 蛮族にとって、守護精霊は重要で、守護精霊によってヒトの能力が決まると考えられている。もちろん、努力によって克服はできるのだが、守護精霊が強大であれば、成し得る事柄は偉業となる、とされている。
 斉木の寒冷化に対応するための農作物の転換努力は、特に蛮族で効果がなかった。
 彼らは頑固で、また自分たちの情報収集能力に自信がある。寒冷化を心配はしているが、飢饉を実感として感じてはいなかった。
 だから当初、蛮族は斉木の言葉に耳を傾けはしなかった。
 しかし、シャーマン・マリが「サイキの守護精霊は太陽だ!」と宣すると、彼らの反応はガラリと変わる。
 蛮族の間でも、ジャガイモの生産が始まっている。生命の源となる太陽を守護精霊とする斉木の言葉は、一気に重みを増したのだ。
 蛮族は、俺の守護精霊がなんなのかを問題にしていたらしい。守護精霊が低位だと心配だからだ。
 シャーマン・マリも気になっていたようだ。
 で、俺の守護精霊は、ちーちゃんの無駄話によって鋼の精霊となった。
 その効果だが、俺たちが始めたライン川での西進阻止作戦に全面的な協力が得られることになる。
 鋼の精霊もまた、強大なのだそうだ。

 子供たちの任務志願は、いっこうに無くならない。八歳の子が、一八と偽るなどよくあることとなっている。
 大人たちも困っている。人手が足りないのだ。
 一三歳以上一六歳未満に対して、ヴィレでの物資整理作業の要員を募集した。
 当然のように一三歳に達しない、チュールとマトーシュも志願した。

 チュールの衣服を由加が整えている。寒くないように。
 そして、デイバッグには保存性のいい非常用食料を。
 銃は、五・五六ミリ弾仕様のAK‐47を。伸縮式の銃床だ。
 由加は「必ず帰ってくるのよ」と何度も言い聞かせた。

 ライン川西岸に有刺鉄線を何重にも設置した阻止線を構築している。この中に物資を集積し、東岸に送り込む。
 東岸と西岸の交通には、艀を使っている。小型のボートが数隻あるが、貧弱な輸送能力しかない。
 徒歩で渡れる浮橋の設置は、計画で終わっている。

 ヴィレは、中継基地として最大の協力を行っている。
 城門を開き、その内部の畑を一部潰して物資の集積場を提供した。戦車の数だけでも、一〇〇輌に達する。
 この状況で、襲ってくる盗賊などいない。

 前進基地に一〇日間で一〇〇トンの物資を輸送する計画は、数日で破綻した。ソーヌ・ローヌ川の線までは道があるのだが、その東には獣道程度しかない。
 ただ、古くから往来はあり、交易ルートは存在する。このルートを利用して輸送しようとしたのだが、半装軌車は荷台に一トンしか積めず、トレーラーを牽引させると、頻繁にスタックしてしまう。
 結局、戦車にトレーラーを牽かせて輸送しているのだが、せっかくの戦力がこれでは使えなくなる。
 ヘリコプターでの輸送は、燃料の補給問題があり、頻繁には使えない。
 ロジスティクスを軽視したつもりはないが、俺の計画には甘さがあった。
 通常爆弾と焼夷弾による航空攻撃は一定の成果を上げているが、地上からの群の先頭に対する攻撃は停滞しがちだ。
 燃料と銃弾は湯水のごとく使うのだが、その補給が追いつかない。そのため、群の西進を止められない。
 俺の作戦は破綻しかけていた。

 トルクは、北方低層平原において見つけた、75ミリ軽榴弾砲を牽引していた重トラクターを検分している。
 この農機なのか、軍用車なのか、それとも輸送機械なのか、あいまいな車輌はノイリンではもてあまされている。
 使い道がないのだ。
 滑走路で飛行機を牽引したり、道路工事でローラーを牽引したり、故障した重量のある装軌車輌の牽引に使ったり、利用方法はあるのだが、決定的な役割はない。
 通常は、車輌工場の車庫で眠っている。
 トルクが金沢に話しかける。
「カナザワさん、このトラクターなら蛮族の一番大きい荷車を何輌牽引できますかね?」
 金沢は答えを少し躊躇った。
「まぁ、凄い馬力ですからね、満載状態でも五輌は牽けますよ。牽くだけなら」
「ならば、三五トンは輸送できますね」
「理論上は……」
「このトラクターは湿地にも強いですし、水にも浮きますから、ヴィレより東の湿地でも進めるんじゃないかと……」
「でも荷車は沈んじゃいますよ」
「浮くんです。蛮族の荷車は。車体の内側にタールを塗っていて、防水してあるんです。車体は船と同じ構造なんです。
 川の真ん中で立ち往生しても、積荷を失わないように、車輪の付いた船になっているんです」
「いや、でも。川で沈んだ荷車は……」
「浮かない荷車は異教徒が作ったもの。東方蛮族の荷車は浮くんです」
 金沢はトルクをともない、蛮族の誰かを探した。
 ケレネスの娘ファタと仲間がリヤカーを牽いている。
 金沢がファタを止める。
「聞きたいんだが、きみたちの荷車、荷馬車は水に浮くのか?」
「あたりまえだ。浮かなければ、川で荷を失うことになる。
 荷馬車は船と同じだ」
 トルクが問う。
「父上はどこにおられる。すぐに会いたいのだ」
「さぁな。ノイリンにいるが、いまどこにいるかは知らない」
「心当たりはないかね?」
「どうしたのだ?」
「物資が輸送できなくて困っていることは知っているね?」
「えぇ、我が親父殿は昨夜一族に『籠城の心構えをせよ』と言ったよ」
 金沢はじれったかった。
「その問題が、きみたちの荷車で解決するんだ。あの一二頭で牽くでっかい荷馬車なら、一気に三〇トン近く運べるんだ」
「バカを言うな。
 荷馬車では東には行けない。ウマは泥にはまるか、おぼれて死ぬ。
 仮に行き着けたとしても、戻ってはこれない。
 私たちが担えるのは、ヴィレまでの輸送だけだ」
「ウマで牽くんじゃない。
 重トラクターで牽くんだ。
 重トラクターなら四輌、最大六輌でも牽ける」
「……本当なのか……」
「あぁ、トルクさんが気付いたんだ。
 この組み合わせを!」

 ファタは父親の許しなく、独断で積載量七トンクラスの木製荷馬車を五輌集めた。
 ケレネスのグループは、荷馬車を一二輌保有しているが、中・小型はヴィレへの輸送で使っている。
 この大きな荷馬車を動かすには、ウマが足りないのだ。
 超大型荷馬車にはリーフスプリングのサスペンションが付いているが、車輪は木製で外周に鉄輪が巻いてある。
 空荷だが五輌を連結し、重トラクターで牽引する。十分に使えそうだ。

 トルクと金沢は、深く考えないことにした。ドラム缶に入れた燃料を積み、食料や弾薬を載せていく。
 満載にして牽引する。
 重トラクターは楽々と引っ張る。
 ファタが「私が一緒に行く」と言い、その場にいた何人かが同調する。
 即席の輸送隊が編制され、ノイリンを発った。

 トルクたちの輸送隊は、平均時速二〇キロで一日一二時間走行し、中継基地を経由せずに三日目の午前中に前進基地に到着した。
 泥濘は強力な牽引力で、深い湿地は浮航で進み、一度もスタックせずに到着した。

 前進基地は、突然の大量物資の到着に驚喜し、歓声が沸き起こった。
 その歓声は、東岸橋頭堡にいた俺にも聞こえた。
 対岸の歓声に驚いた俺は、急遽小船で西岸に渡り、緑色の重トラクターを見て呆然としていた。
 トルクが言った。
「ハンダ様、ノイリンから直接運んできました」
「トルクさん、感謝します」
 俺は彼の右手を両手で握りしめ、頭を垂れた。

 ノイリンに残った金沢は、蛮族の各指導者を回り、超大型荷馬車の提供を要請して回る。重トラクターほどではないが、OT‐64SKOTやBTR‐80でも、二輌程度ならば牽引できるはずだ。
 その金沢の要請を、どの指導者も快く引き受けてくれる。
 だが、同時に要求を突きつけた。
 農業トラクターの無償協力だ。
 金沢はどんな約束でも、平然と応じた。あとのことは、あとで考えればいい。

 輸送第二隊は、第一隊の出発の翌日、ノイリンを発った。物資の総重量二五トンだ。

 ヴィレから輸送任務でやって来た戦車は、留め置かれ、東岸に渡して、ドラキュロの群の先頭に対しての攻撃に差し向けられる。
 物資の補給を得た俺たちは、四日間、完全に南北両群の西進を止めた。
 ささやかな勝利だった。

 戦力の増強とともに、東岸橋頭堡の面積は拡大していった。同時に、防御が弱くなる。だが、ここは戦線を拡大するための橋頭堡ではなく、ヒトとは異なる生物の接近を止めるための陣地。
 ドラキュロは至近まで接近しなければ、攻撃はしてこない。西進は本能か、何らかのプログラムによるものだろう。
 ヒトが姿をさらさない限り攻撃はしてこない。戦車からの銃撃は、一方的な攻撃になる。比較的安全なのだ。
 七・六二ミリ機関銃は、サビーナたちがもたらしたブローニングM1919の設計図に頼らず、リバースエンジニアリングによって開発された、クラウスたちが持っていたラインメタルMG3のコピーが主力になっている。
 一二・七ミリ機関銃もブローニングM2ではなく、ソ連が開発したNSV重機関銃をやはりリバースエンジニアリングで開発、製造している。
 二〇ミリ機関砲は、結局、ラインメタルMG151/20の二〇×一三九ミリ弾仕様が主力になったが、フィンランド製VKT機関砲のコピーも地上戦用として継続製造している。
 だが、この世界に持ってきたり、過去に入手した武器も使っている。
 どちらにしても、製造数は多くはない。
 そして、機関銃を搭載している戦車は少ない。機関銃未装備の戦車は、相変わらず輸送に使っている。
 カンスクの火炎放射戦車のドラキュロに対する威力は絶大で、完全に足止めできる。
 だが、火炎放射用燃料の消費が多く、すぐに燃料切れになってしまうことが欠点。それと、射程が短い。最大で一五〇メートルだ。火炎放射と機関銃の組み合わせで、南側の群は抑え込みに成功している。
 北側は機関銃での攻撃で、何とか西進の速度を遅らせている。

 東岸橋頭堡は、日を追って戦車の数を増やし、面積を拡大しているが、群が分裂を始めており、群の全体像の把握が難しくなっている。
 その状況を調べるため、ノイリンからMi‐8が飛来した。
 パイロットはベルタではなかった。見知らぬアジア系の若い新参者だ。
 彼女はフィー・ニュンと名乗った。三五歳くらいだろうか?
 自分の家族と友人家族一二人で、二〇〇万年後にやって来た。
 そして、鍋の壁を乗り越えて、数日後には一人だったそうだ。
 よくある身の上話だ。
 六年間、生き別れた夫と子供を探して、いろいろな街や村を訪ね歩いたようだ。
 そして、ノイリンにも立ち寄り、飛行場の存在を知り、一夜の宿と食べ物を求めて、ヘリコプターのパイロットとして雇用を申し込んだ。
 パイロット不足に悩んでいた、サビーナたちは喜んだ。
 見かけは陽気だが、内面には複雑なものがありそうだ。夫と子供の生存はほぼ可能性がないことは理解しているのだが、捜し続ける以外に生きる目的がないのだろう。
 この世界では、そういうヒトはたくさんいる。

 同行してきたセルゲイが、晴天下の前進基地で映像を見せながら状況を報告している。
「群は、いくつにも分かれた。
 たどっていけば、群の幹は一つだが、大きな枝だけでも一〇に迫る」
 ヴィレの輸送隊指揮官が尋ねる。
「幹の先は、根はどこにあるんだ」
 俺が答える。
「東にあることは確実なんだが、これほどまでの数がなんで西にこれるんだ。
 南北に流れる川が幾筋もあるのに。
 なぜだ?」
 ライン川の東にはエルベ川がある。その東にはオーデル川とヴィスワ川がある。
 ヴィスワ川を越え、オーデル川を越え、エルベ川も越えて、ライン川に迫ることは、どう考えてもドラキュロにとって簡単なことじゃない。
 群の中心部を叩いて数を減らし、先頭を攻撃して西進を止める。ドラキュロの数を減らしていけば、先頭の供給が止まって、ヒトの勝利となる。
 これが、今回の作戦だ。
 だが、ドラキュロの供給が止まらないとすれば、作戦の論拠が消滅する。
 そして、ドラキュロの供給は止まっていない。
 カンガブルの指揮官が呟く。
「人食いの数が減らない……」
「どこかに供給源があるんだ」
「いや、通路だ。どこかに抜け道があるんだ」

 それからは、論戦となった。

 俺はその場を外れ、追ってきたセルゲイに言った。
「東に何かある。
 エルベ川の上流を偵察できないか?」
「無理です。
 直線で九〇〇キロもありますから」
「クフラックの飛行機なら?」
「ブロンコでギリギリでしょう」
「エルベ川が干上がっているか、流れが変わったか。
 この状況は、そのどちらかしかないと思うんだ」
「クフラックを頼らないほうが……」
「なぜ?」
「うまくは言えませんが、しっくりこないんです。
 それから、小型機、軽飛行機の設計者が現れました。
 彼がエアトラクターの航続距離はもっと伸びると言っています。それと、ドロップタンクも作れると……」
「アルミの板なんてないぞ」
「合板で作れると言っています。
 合板ならば、カタクラさんから少しあると聞きました」
 建設用の合板は、北方低層平原で回収した物資の一つだ。
 どうやって合板で燃料タンクを作るんだ?
 俺は俺が考えも、答えが見つからないことを頭の中で転がしていた。現実逃避だ。

 早朝、フロートを取り付けたエアトラクターAT‐802が、突然、飛来した。
 エアトラクターは、前進基地の背後の防壁となっているライン川の分流が分断されてできた沼に着水する。
 セルゲイとトクタルが乗っていた。
 東岸橋頭堡にいた俺は、慌てて前進基地に戻る。手漕ぎのボートは、移動に無駄な時間がかかる。

「ハンダ、アイロスが重要なことに気付いたんだ」
「アイロス?」
「軽飛行機の設計者だよ」
「……」
「AT‐802Uには胴体内に燃料増加タンクがあるんだ。それも通常搭載量に匹敵するほどの量が積める。
 胴体のタンクのことは知ってはいたのだが、農薬か消火剤を積むためだと考えていた。そのタンクとは別に、燃料タンクがあったんだ。
 燃料を満載すれば、エルベ川の山間部を偵察できる。
 オンダリ爆撃ももっと簡単にできたんだよ。
 俺たちは間抜けさ」
「山間部?」
「ソウマが山間部で土砂崩れがあった可能性があるって……。
 自然のダムができていて、上流部の水量が極端に減っている可能性がある……」
「その可能性はあると思うけど……」
「それを確かめに行く」
「わかった。
 くれぐれも無理はしないでくれ」

 なるべく長時間飛行できるよう、前進基地で燃料を補給することにした。補給作業には時間を要した。備蓄の燃料は少なく、かき集めてようやくタンクを満たせた。
 翌日、トルクが三〇トンの物資を輸送してくれなければ、一切の活動が停止してしまう危機的状況であった。

 セルゲイとトクタルは、三日連続で東方の偵察を行った。
 初日には、エルベ川上流部の水量が極端に少ないことがわかり、二日目には完全に川底が見えている地点を発見する。
 そこは、ドラキュロで埋まっていた。
 映像と画像には、黒い帯となってドラキュロが西に向かっている様子が記録されている。
 さらにその上流部で、大規模な土砂崩れによって、川がせき止められ、自然のダムができている地点を発見する。
 三日目は、さらにその上流を偵察。幸運にも川をせき止めるほどの土砂崩れは一か所であることが確認できた。
 セルゲイが言う。
「ダムは満水状態です。
 少し崩せば、水は下流に流れていきます。
 あと、二~三日でダムの上部を水が越えます」
「一気に崩壊すると思う?」
「どうでしょうね?
 こういったことは素人なんで……」
「それは俺も同じだよ。
 だけど、決壊してくれれば下流の人食いを始末できる。
 下流に人家は?」
「空からでは何とも……。
 大きな街はないようですけど……。
 ですが、あったとしても人食いの数を考えれば、ヒトは生き残っていないでしょう。
 山奥の洞窟に隠れるとか、でなければ……」
「爆撃はできる?」
「できます。
 二五〇キロ爆弾二発をダムにたたき込めます」
「それで崩れる?」
「わかりませんが、ソウマの話では、ダムにはとてつもない圧力がかかっているとか。圧力とダムの強度のバランスを崩せば、決壊するそうです」
「やってみよう」

 ダムを爆撃をするには、大量の燃料が必要になる。補給が止まり、危機的状況に陥りかねない。
 俺は、全車輌と全員を一時的に前進基地に後退させることを考えた。
 それに、デュランダルが強く反対している。東岸橋頭堡から退けば、二度と東岸には渡れないと。

 そんな状況の我々に、想定外の援軍が現れた。
 一切の前触れなく大型のヘリコプターが飛来した。
 西地中海沿岸の街、カラバッシュからだった。
 まったく交流のない街で、かなり驚いた。それに、彼らが住む一帯は精霊族の土地で、ヒトの街があることさえ知らなかった。
 指揮官は、ブラス・レルマと名乗った。ヨーロッパ人のような顔立ちだが、新参者ではなく、精霊族との混血だ。
 ヘリコプターは、燃料タンクを機内に増設したシュペルピューマだ。ヘリコプターは他にもあるらしい。
 俺は、ヘリコプターの機影を見ると同時に前進基地に戻った。
 手漕ぎのボートで。

 ブラス・レルマが自己紹介する。
「私は、南の海の海岸近くにある街、カラバッシュの住人ブラス・レルマです」
「半田です」
「あなたが、鋼の精霊に守護されているお方ですか?」
「鋼の精霊?」
「カラバッシュの住人の大半が精霊信仰なのです」
「……」
「心配は無用です。
 ヒトのルーツは知っています。
 学校でも習いますからね。
 ですが、この世界の宗教を受け入れて、同化したのです。
 それと、精霊族の文化や婚姻も受け入れました。
 住民の半数は、混血です
 私もね」
「……」
「本気で人食いを食い止めるつもりですか?」
「もちろん」
「協力できることは?」
「ヘリの燃料はどうしているのです?」
「小規模ですが、油田があります。
 シェールオイルを産出します」
「我々は燃料の生産が追いつかない状態で……」
「その噂は聞いていますよ」
「……」
「ハンダ様、どうでしょう、カラバッシュが燃料や武器を提供すれば、止められますか?
 人食いの大群を」
「わかりませんが、やらないと」
「私たちの街は籠城と決しています。
 ですが、我が街の代表と議会の一部は、ノイリンに協力すべきだと考えています」
「この作戦は、ノイリンの総意ではありません。
 ノイリン北地区と西地区が中心となって……」
 ブラス・レルマが俺の言葉を遮った。
「それも承知しています。
 指導者の一人、サイキ様の守護精霊が太陽の精霊であることも、ハンダ様は鋼の精霊の守護を得ていることも」
「……」
「真の冬が迫っています。
 真の冬の前には、人食いが大地にあふれます。
 そして、ヒトが食いつくされる……。
 それを止めたい。
 と、我が街の指導者は願っているのです」
「それは、私たちも同じです」
「真の冬の訪れの前に、大地に人食いがあふれる意味をご存じですか?」
「いいえ」
「ヒトの数を減らすためです。
 人口を減らして、少ない食料をやりくりできるようにするためです。
 自然の摂理なんです」
 俺はそんなことを考えたことは一度もなかった。
 何も言えない。
 ブラス・レルマが続ける。
「ヒトは、精霊族や鬼神族よりも脆弱な生き物。
 七〇年に一度訪れる真の冬は、ヒトの文化や技術を途絶えさせます。
 それを止めたい」
「そのために協力してくださると?」
「はい。
 タンカーで北から南に流れる大河を遡ります。
 我が街から大量の燃料を輸送できます」
「代金は?」
「不要です。
 あなたたちが成功すれば、ヒト、精霊族、鬼神族のすべてが恩恵を受け、あなたたちが失敗しても、それは想定の範囲内であり、失うのはタンカー一隻分の燃料だけです」
「ありがたいお申し出ですが……」
「すでにタンカーは出発しています」
「ヴィレの街まで運びます。
 明日の朝には着くでしょう。
 それ以後は、あなたたちで……」
 ブラス・レルマの説明によれば、運ばれてくる燃料は六〇万リットルに達する。
 それだけあれば、どうにでもなる。

 その日の夕方、デュランダルが戻り、俺が出撃する。
 もう少し時間を稼がなくては……。
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