公爵家は義兄が継げばいい。

ざっく

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義兄

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パシンッ……!

その音は、ほとんど人がいない廊下によく響いた。
息をのんだのは、この事態を引き起こした女か、後ろに控えている侍女か。
アデールは叩かれた頬を押さえるでもなく、傲然と相手を見据えた。
「何か、間違ったことを申しましたか?」
この国の王太子である男は、眉間にしわを寄せて、下品にも舌打ちをして見せた。

アデール――アデール・トリティティ公爵令嬢は、王太子妃となってもおかしくないほどの令嬢だ。
ただ、公爵家は現王妃の実家であり、現公爵は宰相も務めている。この上に王太子妃など排出すれば、トリティティ公爵家はどの家よりも権力を持つことになる。
そのために、他の貴族から猛反対を受け、王太子妃候補から外された。
ふわりと光が舞うような金髪と、初夏に輝く新緑よりも美しいとされる瞳。まだデビュー間もないというのに、その体は、男性の目を強制的に奪うほどに魅力的だ。

しかし、本人――アデールは、全く美しさなど欲していなかった。どちらかというと目立つこの容貌は、あまり好きではなかった。
アデールは、トリティティ公爵家一人娘として育った。
母は、あまり体の丈夫な方ではなく、アデールの幼いころに亡くなった。
しかし、貴族は乳母に育ててもらうのが普通であったし、広い屋敷に育ててくれる人、家庭教師、食事、衣服……どれをとっても不自由なく育った。
父は忙しい人だったが、アデールの日常を気にかけてくれ、出来る限り食事を一緒にした。
そこに、五年前、義兄がきた。
父が再婚し、義母の連れ子だ。
誰もかれもが、結婚は公爵家の後継者のためだと言った。
アデールも、その考えを自然と受け入れた。
父は、アデールに『貴族の義務』をしっかりと叩き込んでくれていた。
道路を作る人。畑を耕す人。土地を所有する人。作る人と持つ人。彼らはお互いがいなくては立ち行かない。
また、貧しい人。病気で苦しむ人。孤児院で暮らす子供たち。彼らを救う制度があること。助ける手があること。それらを運営していくこと。
あらゆることを考え、優先順位をつけ、時には冷酷にならなければならないこともある。
……アデールには荷が重かった。
アデールは当時13歳。政治や歴史を学ぶようになり、自分が女公爵になろうとは思えなかった。
だから、父は、義兄を連れてきたのだと思った。
五つ年上の義兄、エドワードは、公爵家に来た当時は、まだ18歳だ。エドワードは、彼の父を亡くした後、義母を助けるため、アデールと同じ年には仕事をしていたのだという。
侍女から聞いたとき、アデールは漠然と『すごい人』なんだなとだけ思った。
エドワードは、公爵家に来た時から、すでに体が大きく、とても逞しい人だった。意志の強そうな太い眉と、切れ長の瞳。黒髪黒目の色と相まって、黙っていれば怖くも見える。しかし、アデールと目を合わせて微笑む顔は、優しい。彼が優しいことを知れば、考え事をしている姿も凛々しくてとても素敵に見えてくる。
だからこそ、まことしやかに流れる噂話は、違うのではないかと思うのだ。
「アデールさまとご結婚されて、共に公爵家を盛り上げていくのでしょうね」
去年、アデールがデビュタントを迎えてから言われるようになった言葉。
公爵家を継ぐ条件が、アデールとの結婚。
父から直接聞いてはいない。しかし、それが当然とばかりに使用人たちは口にしていた。

父は結婚後、家族の時間をたくさんとるようになった。
仲睦まじい父と義母。
父は、アデールに向ける厳しくも優しい表情を、エドワードにも向けていた。
たくさんの家族としての時間は、アデールにとって何より幸せな時間となったのだ。
もちろん、義母も義兄も、二人ともアデールにも優しい。
きちんと、家族だ。
それなのに、エドワードが責務として公爵家を支えてくれようとしているのに、それに条件が必要なことがおかしい。
重責と一緒に、厄介者まで任されるなど、エドワードが可哀想だ。
エドワードが、無理にアデールと結婚しないといけない。そうしないと、『義務』を果たせないなんて。この人たちの足かせになるなんて。
――それは、違う。

領主には血筋が必要で、彼の方の血筋ならばと無条件で助けてくれる人が多いことを、アデールは理解できていなかった。


エドワードは、きちんと愛する女性を妻にすべきだ。重い責務を背負うのならば、それは心の安らぎのために必要なことだ。
父も、エドワードを信じ、彼を後継として育てている。
ならば、アデールはこの公爵家から、出て行った方がいい。
父と義母が結婚を強要することはないかもしれない。
だけど、周りの空気がそうなってしまったら。
使用人たちが、アデール以外の女主人を認めないような雰囲気になってしまったら。
アデールは邪魔者以外の何物でもない。


――よし、出て行こう。


こうして、アデールは誰にも相談せずに、一人勝手に決めた。
貴族社会の常識とか評判とか考慮に入れずに、大好きな家族が幸せになれると勝手に信じたのだった。
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