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★コミンテルンとの闘い★
【思わぬ来客③】
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1月7日14時00分。
南満州にある瀋陽飛行場から偵察に出ていた97式爆撃機から、山東省臨汾りんふん市の汾河沿いに野営する張学良の大軍を発見したとの報告が入る。
地図上での直線距離は、実に西安から既に300Km近く進んでいることになる。
「やはり太原ルートですな」
「しかも、予想よりも随分と早い」
地図を睨んで話しはじめた永野と阿南に、私は「早くなったのではないか」と自らの意見を述べた。
「たしかに柏原少佐の言うとおり。最初の2日間で渭南の北東まで100km進んだ大軍が、同じ2日間で2倍の200kmも進んでいる」
「同じ部隊とは思えんな……機械化部隊を先行させているのではないのか?」
「なるどど、10万規模の兵力のうち1割が機械化されても1万の大軍。空からしか偵察しないのが分かっていれば十分に数を多く見せる偽装工作も可能でしょう」
一部の精鋭部隊を先行させる手は戦場でよく使われるが、それは後についてくる味方が居てからこその活躍であり、ただ単に前線に突出してしまうのは孤立するだけ。
軍がそのような作戦を取るとは考えられない。
部隊を先行させて街道沿いの安全の確保を行っているのか、それとも偵察機を欺くための囮、或いは部隊を派遣する我々を慌てさせる意図があるのか……。
“略奪!?”
攻め込まれている方が退路沿いの村や町の物資を略奪しながら撤退する作戦を「焦土作戦」と言う。
これは攻めて来る敵に、食料となる物資や家屋を利用させないために行われるものだが、攻める側も似たような戦術を使う事も有る。
紀元前のカルタゴのハンニバルによるローマ侵攻や、13世紀から15世紀にかけてのモンゴル帝国のアジアから東ヨーロッパへの侵攻を支えたのも、この略奪によって支えられていた。
張学良軍の移動速度が上がったのは、もしかすると食料や軍馬などを移動する先々で略奪することにより補われているのかも知れない。
実際に敵上偵察に出てみたいが距離が遠すぎるし、全体を把握でき各部隊に指示を出す使命を放り出すことはできない。
かと言って、誰か他の者に任せるには危険が大き過ぎるし、戻って来ることができる確率は皆無と言っていい。
夜間に偵察部隊を落下傘で降下させたとしても彼らを回収できる手立てはなく、蒋介石の国民党軍からの情報も期待できそうにない。
いままで通り97式重爆撃機を使って高い空の上から偵察してもらう方法では略奪の有無を確認することは限界があるし低空での偵察は撃墜される恐れが高まりあまりにも危険すぎる。
“いったいどうすればいい?”
「遅くなりましたぁ!」と、ドアを開ける音と共に薫さんの声がした。
考え事をしている間に、いつの間にか外に出ていたらしい。
「おお、連れて来たか。待っていたぞ」
薫さんの声に続きて永野局長の声。
地図から目を離すと、薫さんは誰か知らない民間人らしき人を連れて来ていた。
「誰?」
私の言葉に、永野は写真屋だと答えた。
「写真屋?」
「折角新しい軍服が出来たのだから、汚れる前に記念写真でも撮ってもらおうと思ってな。さあ、みんな外に出よう」
「外に出て写真を?」
「折角門松が飾ってあるんだから、写真を撮るなら今のうちが好いと思ってな。関西なら15日まで飾られるが関東は7日までだから」
「それはつまり、明日になると正月の飾りは街から消える……」
「当たり前じゃないか」
「柏原少佐、なにか気になる事でも?」
今日は門松と一緒に記念写真を撮れるが、明日になれば記念写真の背景に門松はない……。
今日と明日で、取れる写真は違う……。
「永野さん!ありがとうございます‼ それですよ!それ‼」
「んっ? なに??」
「極力危険を冒さずに、正確な敵状を把握する方法は、それです!」
「それとは?」
「航空写真ですよ! 偵察機に敵の現在位置だけでなく、彼らが通過した村や町、そして予想される進路上にある村や町を綿密に写真に収めそれを比較することで張学良軍が何を行っているのかが分かるんです。直ぐに関東軍に連絡しましょう!」
「チョ、チョッと待ってくれ、写真は今までも撮影されているとは思うが、それを君の言うように多く撮ったところで、我々はそれを見ることはできないぞ。いいアイディアだとは思うが、見れない事には比較も出来ない」
「直ぐに送らせるんです!」
「直ぐに送ると言っても、無線で写真は……そ、そうか飛行機か!」
「その通り! 撮影した97式重爆撃機が瀋陽飛行場に戻り、現像された写真を今度は海軍の「臘月ろうげつ」で内地に送る!」(臘月=前史で陸軍の100式司令部偵察機に似た機体となる)
「なるほど! しかし郵便代が高くつくぞ」
「人の命に比べれば、安いものですよ」
「たしかに‼」
南満州にある瀋陽飛行場から偵察に出ていた97式爆撃機から、山東省臨汾りんふん市の汾河沿いに野営する張学良の大軍を発見したとの報告が入る。
地図上での直線距離は、実に西安から既に300Km近く進んでいることになる。
「やはり太原ルートですな」
「しかも、予想よりも随分と早い」
地図を睨んで話しはじめた永野と阿南に、私は「早くなったのではないか」と自らの意見を述べた。
「たしかに柏原少佐の言うとおり。最初の2日間で渭南の北東まで100km進んだ大軍が、同じ2日間で2倍の200kmも進んでいる」
「同じ部隊とは思えんな……機械化部隊を先行させているのではないのか?」
「なるどど、10万規模の兵力のうち1割が機械化されても1万の大軍。空からしか偵察しないのが分かっていれば十分に数を多く見せる偽装工作も可能でしょう」
一部の精鋭部隊を先行させる手は戦場でよく使われるが、それは後についてくる味方が居てからこその活躍であり、ただ単に前線に突出してしまうのは孤立するだけ。
軍がそのような作戦を取るとは考えられない。
部隊を先行させて街道沿いの安全の確保を行っているのか、それとも偵察機を欺くための囮、或いは部隊を派遣する我々を慌てさせる意図があるのか……。
“略奪!?”
攻め込まれている方が退路沿いの村や町の物資を略奪しながら撤退する作戦を「焦土作戦」と言う。
これは攻めて来る敵に、食料となる物資や家屋を利用させないために行われるものだが、攻める側も似たような戦術を使う事も有る。
紀元前のカルタゴのハンニバルによるローマ侵攻や、13世紀から15世紀にかけてのモンゴル帝国のアジアから東ヨーロッパへの侵攻を支えたのも、この略奪によって支えられていた。
張学良軍の移動速度が上がったのは、もしかすると食料や軍馬などを移動する先々で略奪することにより補われているのかも知れない。
実際に敵上偵察に出てみたいが距離が遠すぎるし、全体を把握でき各部隊に指示を出す使命を放り出すことはできない。
かと言って、誰か他の者に任せるには危険が大き過ぎるし、戻って来ることができる確率は皆無と言っていい。
夜間に偵察部隊を落下傘で降下させたとしても彼らを回収できる手立てはなく、蒋介石の国民党軍からの情報も期待できそうにない。
いままで通り97式重爆撃機を使って高い空の上から偵察してもらう方法では略奪の有無を確認することは限界があるし低空での偵察は撃墜される恐れが高まりあまりにも危険すぎる。
“いったいどうすればいい?”
「遅くなりましたぁ!」と、ドアを開ける音と共に薫さんの声がした。
考え事をしている間に、いつの間にか外に出ていたらしい。
「おお、連れて来たか。待っていたぞ」
薫さんの声に続きて永野局長の声。
地図から目を離すと、薫さんは誰か知らない民間人らしき人を連れて来ていた。
「誰?」
私の言葉に、永野は写真屋だと答えた。
「写真屋?」
「折角新しい軍服が出来たのだから、汚れる前に記念写真でも撮ってもらおうと思ってな。さあ、みんな外に出よう」
「外に出て写真を?」
「折角門松が飾ってあるんだから、写真を撮るなら今のうちが好いと思ってな。関西なら15日まで飾られるが関東は7日までだから」
「それはつまり、明日になると正月の飾りは街から消える……」
「当たり前じゃないか」
「柏原少佐、なにか気になる事でも?」
今日は門松と一緒に記念写真を撮れるが、明日になれば記念写真の背景に門松はない……。
今日と明日で、取れる写真は違う……。
「永野さん!ありがとうございます‼ それですよ!それ‼」
「んっ? なに??」
「極力危険を冒さずに、正確な敵状を把握する方法は、それです!」
「それとは?」
「航空写真ですよ! 偵察機に敵の現在位置だけでなく、彼らが通過した村や町、そして予想される進路上にある村や町を綿密に写真に収めそれを比較することで張学良軍が何を行っているのかが分かるんです。直ぐに関東軍に連絡しましょう!」
「チョ、チョッと待ってくれ、写真は今までも撮影されているとは思うが、それを君の言うように多く撮ったところで、我々はそれを見ることはできないぞ。いいアイディアだとは思うが、見れない事には比較も出来ない」
「直ぐに送らせるんです!」
「直ぐに送ると言っても、無線で写真は……そ、そうか飛行機か!」
「その通り! 撮影した97式重爆撃機が瀋陽飛行場に戻り、現像された写真を今度は海軍の「臘月ろうげつ」で内地に送る!」(臘月=前史で陸軍の100式司令部偵察機に似た機体となる)
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「たしかに‼」
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