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★vs張学良★
【張学良VS柏原①】
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1941年1月9日08時00分。
私は秋山氏を始め大使館のスタッフに見送られて、陸軍の96式重爆撃機で張学良のもとへと向かった。
使用したこの重爆は、昨日の夕方に張学良軍の偵察任務に付いていたものだから、確実に彼のもとへ行くことは出来る。
彼らは昨夜、大原市郊外で野営していた。
これから予想されるルートは2つ。
東の陽泉市に向かい陸軍が想定する決戦場である保定市を通って東から北京を目指すのか、それとも北に進んで大同市から張家口市を通って北から北京を目指すのか。
東の陽泉市に向かうルートであれば早ければあと3日つまり1月12日に戦闘地域に到達するが、北の大同市を通るルートであれば一旦北に迂回することとなり更に3日後の1月15日に北京の北40kmの地点まで進むことが出来る。
進軍に数の他にも考慮すべきことはある。
東ルートだと、石家荘市や保定市といった都市部を通過するため、その際に国民党軍との戦闘も起こり得るし、詳しい兵力や装備なども敵に曝け出してしまう可能性は高い。
更に戦場は北西に山がある以外、常に隠れ場所のない平原で戦う事になる。
近代化武装に劣る張学良軍にとって、ここでの戦いは困難な事となるのは必至。
しかしそれは正攻法で戦った場合のことで、もし張学良の狙いが本当に北京入城であるとすれば、本体を広い平原で戦わせ日本軍の目をそっちに向けさせた隙に、北西に北京まで伸びる山に隠れながら支隊と共に北京に向かう手もある。
北のルートであれば日数は余計に掛かってしまうが、過疎部を通るのと国民党軍の勢力が薄い地域となるため安全に北京近くまで進むことが出来る。
周囲を深い山に覆われているので、大規模な戦力と出くわす可能性も極めて低い。
北から関東軍が来た場合挟み撃ちにされてしまうが、関東軍が北から来る場合は道もないステップ地帯を500kmも進まなくてはならず、大部隊を進軍させるのは補給の面で困難を極める。
ただ北京から70kmにある懐来県を先に日本軍に抑えられてしまうと、地形的に不利な戦いを強いられるが彼の目的が本当に北京であればこっちを選ぶはず。
何故なら日本軍が北京の北に大部隊を投入して配置することは時間が掛かるうえに、その動向は簡単に察知できるから。
「朝に得た情報によりますと、張学良軍の先鋒部隊は北の朔州市さくしゅうしへ進んでいたそうですが、どうしましょう?」
96式重爆撃機の情報将校が言った。
「先方部隊の規模は?」
「約1個師団だそうです」
「1個師団の編成状況は?」
「全て騎兵です」
騎兵1個師団となれば6千ら1万人程度。
陽動作戦と言う事だろう。
騎兵なら動きは速いうえに、自動車を使う機械化部隊と違い森の中でも素早く展開できる。
500kmの大回りとなると言っても、早ければ3日もあれば懐来県に到達するだろう。
騎兵1個師団となると北京盧溝橋要塞に駐屯する支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊では手に負えないから、天津に上陸した第25軍から2個師団以上の部隊を派遣せざる負えないうえに、天津と北京と言う2つの巨大都市を通過する必要もあるため懐来県に到達するのは張学良の差し向けた師団の方が先になるだろう。
また北京東北東に位置する関東軍第6師団、第8師団、混成第14旅団、騎兵第4旅団も後方支援のため、北京の北へ移動を余儀なくされ、これにより日本軍は5万の部隊を主戦場の外側に配置することになる。
僅か1万人規模の部隊で5万の兵力を釣り上げるとは、大した戦略家だ。
昨夜の野営地は忻州市きんしゅうしらしかったので、そっちに向かってもらうことにした。
おそらく張学良軍の本隊は、まだそこに居るであろう。
私は秋山氏を始め大使館のスタッフに見送られて、陸軍の96式重爆撃機で張学良のもとへと向かった。
使用したこの重爆は、昨日の夕方に張学良軍の偵察任務に付いていたものだから、確実に彼のもとへ行くことは出来る。
彼らは昨夜、大原市郊外で野営していた。
これから予想されるルートは2つ。
東の陽泉市に向かい陸軍が想定する決戦場である保定市を通って東から北京を目指すのか、それとも北に進んで大同市から張家口市を通って北から北京を目指すのか。
東の陽泉市に向かうルートであれば早ければあと3日つまり1月12日に戦闘地域に到達するが、北の大同市を通るルートであれば一旦北に迂回することとなり更に3日後の1月15日に北京の北40kmの地点まで進むことが出来る。
進軍に数の他にも考慮すべきことはある。
東ルートだと、石家荘市や保定市といった都市部を通過するため、その際に国民党軍との戦闘も起こり得るし、詳しい兵力や装備なども敵に曝け出してしまう可能性は高い。
更に戦場は北西に山がある以外、常に隠れ場所のない平原で戦う事になる。
近代化武装に劣る張学良軍にとって、ここでの戦いは困難な事となるのは必至。
しかしそれは正攻法で戦った場合のことで、もし張学良の狙いが本当に北京入城であるとすれば、本体を広い平原で戦わせ日本軍の目をそっちに向けさせた隙に、北西に北京まで伸びる山に隠れながら支隊と共に北京に向かう手もある。
北のルートであれば日数は余計に掛かってしまうが、過疎部を通るのと国民党軍の勢力が薄い地域となるため安全に北京近くまで進むことが出来る。
周囲を深い山に覆われているので、大規模な戦力と出くわす可能性も極めて低い。
北から関東軍が来た場合挟み撃ちにされてしまうが、関東軍が北から来る場合は道もないステップ地帯を500kmも進まなくてはならず、大部隊を進軍させるのは補給の面で困難を極める。
ただ北京から70kmにある懐来県を先に日本軍に抑えられてしまうと、地形的に不利な戦いを強いられるが彼の目的が本当に北京であればこっちを選ぶはず。
何故なら日本軍が北京の北に大部隊を投入して配置することは時間が掛かるうえに、その動向は簡単に察知できるから。
「朝に得た情報によりますと、張学良軍の先鋒部隊は北の朔州市さくしゅうしへ進んでいたそうですが、どうしましょう?」
96式重爆撃機の情報将校が言った。
「先方部隊の規模は?」
「約1個師団だそうです」
「1個師団の編成状況は?」
「全て騎兵です」
騎兵1個師団となれば6千ら1万人程度。
陽動作戦と言う事だろう。
騎兵なら動きは速いうえに、自動車を使う機械化部隊と違い森の中でも素早く展開できる。
500kmの大回りとなると言っても、早ければ3日もあれば懐来県に到達するだろう。
騎兵1個師団となると北京盧溝橋要塞に駐屯する支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊では手に負えないから、天津に上陸した第25軍から2個師団以上の部隊を派遣せざる負えないうえに、天津と北京と言う2つの巨大都市を通過する必要もあるため懐来県に到達するのは張学良の差し向けた師団の方が先になるだろう。
また北京東北東に位置する関東軍第6師団、第8師団、混成第14旅団、騎兵第4旅団も後方支援のため、北京の北へ移動を余儀なくされ、これにより日本軍は5万の部隊を主戦場の外側に配置することになる。
僅か1万人規模の部隊で5万の兵力を釣り上げるとは、大した戦略家だ。
昨夜の野営地は忻州市きんしゅうしらしかったので、そっちに向かってもらうことにした。
おそらく張学良軍の本隊は、まだそこに居るであろう。
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