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11:恋か家族か。

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******

数日後。
あたしは、学校帰りに大きな会社に来ていた。
それはもちろん、両親が働く会社。

今日は、この前の答えを報告しに来たのだ。
お父さんから連絡が来て「そろそろ答えを聞きたい」と言われたあたしは、独り会社の前に立っていた。

…それにしても、大きいな。
目の前の大きなビルを見上げただけで、なんだか足がフラつく。
…緊張のせいもある、だろうな。
あたしはそう思うと、一息ついて、立派な入り口からその会社に入る。

ここに来たのは、初めて。
受付に行くと、お父さんの名前を言って、呼んでもらった。
…ああ、やっぱ緊張する…。

…本当は、ハルも呼んで一緒に来てもらおうかと考えたけれど、今日はそれはやめた。
これは、あたしの問題だから。

「少々お待ちください」
「…はい」

受付のお姉さんにそう言われて、ロビーで待つこと数分後…

「美希、」
「!」

その時…少し離れたところから、聞き覚えのある声が聞こえて来た。
…お父さん。
その声にあたしがそこを見遣れば、そこにはこっちに向かって歩いてくるお父さんとお母さんの姿があって。
…お母さんも、来てくれたんだ。
二人の登場に内心少しほっとするけれど、同時に不安も募る。
…ああ、まともに会話をするのはどれくらいぶりなんだろうか。
あたしがそう思っていたら、傍にやってくるなりお父さんが言った。

「…やっと、答えが出たか」
「…ん」

そして、あたしがそう頷くのを見て、今度はお母さんが言う。

「…そう。で、美希はどうするの?もちろん、この会社で働くのよね?」
「…、」

その言葉に、あたしは…

「……ごめんなさい」

呟くように、一言、そう言った。

「え、」

あたしのその言葉に、少し目を見開くお母さん。
そして、何も言わないお父さん。
あたしはそれでも構わずに、言葉を続けて言う。

「この会社では働きません。ごめんなさい」

そう言って、二人に向かって頭を下げる。
…その間、あたしは緊張で手足が震える。
せっかくの一緒にいれるチャンスなのに、あたしの言葉に二人はどう言うだろうか。
そう思うと…怖くて、二人の顔を見ることが出来ない。

だけど…

「どうして?」

お母さんがあたしにそう問いかけるのを聞くと、お父さんが言った。

「…別室で話を聞く」

…………

お父さんの言葉に、連れて来られたのは違う階の会議室?のような部屋。
緊張感が流れるこの部屋で、あたしは入り口付近にある椅子に座るよう促されて、お父さんはその近くに座る。
お母さんが、あたしに冷たいお茶を持ってきてくれる。
でも…今のあたしには飲めなくて。

お父さんの雰囲気が…怖い。
そう思っていたら、やがてお父さんが言った。

「…美希」
「は、はい」
「どうしてここで働かないんだ?理由は?」

そう言って、腕を組んで、あたしを見つめる。
…うん。二人は、あたしがまさか断るなんて思いもしなかっただろうね。
その言葉に、あたしは少し震える唇で、話し出した。

「…じゃあ、逆に聞くけど、」
「?」
「お父さんとお母さんは、どうしてあたしをこの会社で働かせてくれるの?」

そう問いかけて、思わず二人にバレないようにスカートの裾をぎゅっと握る。
…ああ、聞いたはいいけれど、答えを聞くのが怖い。
あたしが独りそう思っていたら、やがてお父さんが言う。

「…本当は、美希が男に生まれてきてくれれば良かったんだけどなぁ」
「…え」
「…」

あたしが答えを待っていると、ふいにお父さんが口にしたのは思わず耳を疑いたくなるような言葉。
その言葉にあたしが少し目を見開いて顔を上げれば、お父さんは苦笑いでため息を吐いた。

…それって…。

お父さんの言葉に、あたしの心臓が嫌な音を立てて傷つく。
ふいにお母さんを見遣れば、お母さんも同じような表情をしていて…。
あたしがいたたまれなくなっていたら、そのうちにお父さんが言葉を続けて言う。

「美希が男だったら、俺が次期社長になるこの会社に働かせたいと思うのは普通だろう。上手くいけばお前もいずれ社長になれるんだからな。
でも、お前は女だ。最初はもちろん、同じ会社で働かせる気なんてなかったよ。
だけどこの前、勝手に家を出た以来さすがにほったらかしはお前が可哀想だと思ってね」

「…、」

お父さんはそう言うと、「それなのに…」と呆れて見せる。
あたしはその言葉と表情で、思わず唇を噛みしめた。
可哀想、って…。

「…っ、」

つまり、この話は両親が最後にあたしにくれた“チャンス”だったんだ。
二人は、完全にあたしを捨てたわけじゃなかった。
…けど。

「…何それ」
「え?」

あたしはさすがに我慢しきれなくなって、気が付けば、そう口にしていた。
あたしのその一言に二人は不思議そうな顔をしているけれど、でももう戻れない。

「何それ。可哀想って、本気で言ってるの?」
「…何だ美希。そんな、」
「答えて!本気で言ってるの?可哀想って…よく今更そんな言葉が出てくるよね!今までさんざんあたしをほったらかしにしてきたクセに!
“男に生まれてきてくれれば良かった”?じゃあどっちにしろあたしは要らないコだったんじゃん!」

あたしは椅子から立ち上がってそう言うと、ビックリしている二人に向かって今までの寂しさや悲しさをぶつける。

…でも、こんなモンじゃない。
こんなんじゃ足りない。
けど、言ってる間に凄く泣きそうで、必死で涙を堪える。
これ以上何かを話せば、泣きそう…。
あたしがそう思っていたら、やがてお母さんがため息交じりに言った。

「…そうね。確かに、美希のことを“必要”と思ったことは無いわね」
「!!」

お母さんは一言そう言うと、冷たくあたしから視線を逸らす。

…え、

「でも、美希の言う通り今更かもしれないけれど、これはチャンスなのよ」
「!」
「今まで寂しい思いをしてきたのもわかるけど、考えてみなさい。ここで働いていれば、貴方はこれから先お金の苦労は絶対に無いわ。それに、あたし達にも毎日逢える。一緒に暮らしてもいいわよ」

お母さんはそう言うと、一歩一歩あたしに近づいて来る。
そしてその最後の一言に、心が揺れ動きそうになった。

けど、

「…何、言ってるの」
「?」

あたしはそんなお母さんに目を遣って、思い切って言った。

「それは、あたしの為じゃなくて“会社のために”言ってるんでしょ、お母さんは」

あたしがそう言うと、お父さんが「美希」と呆れたような声を出すけれど…

「っ、お父さんだってそうじゃん!どーせ、二人ともあたしの為なんかじゃないんでしょ!あたしのこと、心から可哀想って思ってるわけない!そんなことくらいあたしにだってわかる。
一緒に、だなんて今更すぎるの!二人とも知らないでしょ、あたしが学校でどの立場にいるかなんて!」

そう言って、こらえきれずに涙を零した。
だって、勉強の成績や体育の成績だってそう。そもそも知ろうともしないでしょ。
だからあたしは、指で涙を拭いながら言う。

「…一緒になんて働かない。あたしには、友達もいっぱいいるし、ハルだっている。それに…」

そこまで言うと、その時自然と浮かんでくるのは渉の顔。
…それに、ここで働いちゃうと、本気で逢えなくなっちゃいそうだし。
それも、怖い。

「…これからのことは、自分で考えるから」

あたしはそう言うと、もういたたまれなくなって、鞄を持ってこの部屋を出ようとする。

すると…

「だったら好きにしろ」
「!」
「お前はもう娘じゃない」

後ろからお父さんのそんな言葉が聞こえたけれど、あたしはそれでも振り向かなかった。
…涙だけは、止まらない…。

…………

「~っ」

会社を出た後は、あたしは家に直行した。
さっきの出来事に何もかもが傷ついて、もう立ち直れる気がしない。
それに、ずっと頭の中で巡っている。
お父さんから言われた、「娘じゃない」って言葉が。

出来れば何かに八つ当たりをしたい気分だけど、そんなことをしたって心は晴れるわけないし。
大声をだして何もかもを吐き出したい。話を聞いてもらいたい。

…あ、ハル。
あたしは独りの大切な幼なじみの姿を思い浮かべると、せっかく到着した家を通り越してハルの家に向かった。
ハルなら、わかってくれるかな。
でも、そう思いながら行ってみたけれど…

玄関のチャイムを鳴らして待っていたら、出て来たのは春夜くんだった。

「あれ、美希。どした?」
「…ハルは?」
「え、春斗?…さぁ。ここんとこずっと帰り遅くてさ」

今日もたぶん、帰るの遅いかもな。
春夜くんはそう言うと、「何か用事?」って問いかけてくる。

でもあたしは、

「…うん。用事…あったけど、ハルいないならいいや」

そう言って、「じゃあね」って帰ろうとした。

けど…

「あれ、美希ちゃん!」
「!」

あたしが帰ろうとした、その時…廊下の奥から見覚えのある人物が顔を覗かせた。
志歩さん…。春夜くんの、お嫁さんだ。

「…こ、こんにちは」
「どうしたの?遊びに来たの?」
「いえ、ちょっとハルを…」
「え、ハル君?」

志歩さんはあたしにそう言いながら、一歩一歩近づいてくる。
…でも、この前のファミレスで会った時みたいな、嫌な感じは今はしない。
あたしがそれくらい、渉のことを好きになったからだろうか。
ハルに用事があったけど、いないから帰ることを伝えたら、志歩さんが言った。

「せっかく来たんだから、夕飯食べて行けば?」

そう言って、志歩さんはニコニコとあたしに優しい笑みを浮かべて見つめてくる。

「…、」

この人…この前は気が付かなかったけれど、凄く優しい笑顔、持ってるな。
あたしがそんなことを思っていると、隣で聞いていた春夜が志歩さんに同意して言った。

「おお、そうしろよ美希。今日な、夜俺らだけしかいないから志歩がここで夕飯作ってくれんだよ。お前も一緒に食べてけ」
「で、でも、二人の邪魔しちゃ悪い…」
「なーに遠慮してんだよ!たまにはこういうのもアリだろ、」

春夜くんはそう言うと、半ば強引にあたしを家の中に招き入れる。
…ああ、話をハルに聴いてもらいにきたはずが、予想外の展開になっちゃった。
あたしがそう思いながらリビングのソファーに座ったら、志歩さんが言った。

「美希ちゃんって、から揚げ好き?」
「はい、大好きです」
「あ、そうなんだ。良かったー」

志歩さんがそう言って立っているキッチンからは、確かにから揚げの匂いが漂ってくる。
今日、から揚げ作ってくれてるんだ。
そう思っていたら、春夜くんがあたしに言った。

「志歩って、から揚げ苦手なんだって」
「え、作るのが?」
「んーん。食うのが」

でも、今日は俺のワガママでから揚げにしてもらったー。
春夜くんはそう言うと、嬉しそうに笑う。
…そっか。春夜くん、から揚げ好きだもんね。
ってか、から揚げが苦手な人って初めて見たな。

あたしはそう思うと、ソファーから立ち上がって…

「何か手伝いますよ」

キッチンに立つ志歩さんに、そう言った。
だって、何か大変そうだし。急に一人増えちゃって、申し訳ない。誘われたとはいえ。
でもあたしがそう言うと、志歩さんが言う。

「いやいやー、大丈夫だよー。美希ちゃんゆっくりしてて?」
「でも大変そうだし…あたしこう見えて、料理は得意な方なんですよ」

そしてあたしがそう言うと、志歩さんは「じゃあ、」とあたしにサラダを任せてくれた。

…………

「…、」

志歩さんの手伝いを初めてから、数分後。
後ろで独りテレビを見ている春夜くんを確認したあと、あたしは志歩さんにこっそり聞いてみた。

「…あの、志歩さんって」
「うん?」
「どうして、春夜くんと結婚するんですか?」

あたしは気になっていたことを問いかけて、サラダを作りながら志歩さんに目を遣る。
ちょっと前ならきっと聞けなかっただろうそれを聞いたら、志歩さんが少し笑って言った。

「え、“どうして”?うーん、恥ずかしいなぁ」
「…」
「でもそうやって改めて聞かれると…はっきりした答えはわかんないんだよねー、正直」
「え、」

志歩さんはそう言って、「結婚するのに可笑しな答えでしょ」ってまた笑って見せる。
でも、確かにそれは予想外な答え。
結婚するんだからもっとちゃんとした理由があると思ってたのに。
だけどあたしがそう思っていると、志歩さんが言葉を続けて言う。

「でもね、結婚願望はずーっとあったんだ。春夜と出会う前から」
「…、」
「あたしね、幼い頃に両親を事故で亡くして、それからずっと独りぼっちだったの」
「!」

その一言に、思わず手を止めて志歩さんを見る。

そして…

「中学まではおばあちゃんに育てて貰ってたけど、あんまり上手くいってなかったんだ。それにあたし、友達も少なかったし。長い間寂しい思いしてたの。“何であたしにはお父さんもお母さんもいないの?”って」
「…、」
「だから…寂しいって思う度に、考えてた。あたしがもし将来誰かと結婚したら、自分の子どもにこんなに寂しい思いはさせないんだって。まぁあたしの両親は、事故死だから仕方ないんだけどね」

志歩さんはそう言うと、横顔で少し寂しそうに笑顔を作る。
…志歩さんも、そんなに寂しい思いしてたんだ…。
あたしが志歩さんを見つめながらそう思っていたら、また志歩さんが言葉を続けて言った。

「でもあたし、春夜と結婚したい理由ははっきりと浮かばないけど、春夜と出会って良かったって思ってる」
「!」
「いっぱい寂しい思いをして、春夜と出会ってやっとわかったんだ。今までさんざん寂しかったぶん、これから幸せをいっぱい作っていけばいいんだって。これから挽回していけばいいって気づいた。だから春夜と結婚したい」

そう言ってほほ笑む志歩さんの表情は、今度は凄く幸せそうな顔。
少し前まで志歩さんを苦手としていたあたし自身が、今は凄く情けなく思えてくる。
そしてその笑顔を見た瞬間、あたしは大事なことに気付けた気がした。

そっか…

あたしも、志歩さんほどではないけど今まで寂しい思いをしてきて、これからどうすればいいかなんてわからなかった。
両親とただただ一緒にいたかった。また家族になりたかったけど、もうなれない…。
でも、大事なのはしっかり前を向くこと。

悲しいだらけの過去より、何が起こるかわからない将来の方が、今は大事で。
あたしが見なきゃいけないのは、過去よりも未来。
寂しい過去は、いくらでも幸せな未来に変えられる。

だから…

志歩さんの言葉に、あたしは思わずはっとした。
今までモヤモヤしていた心が、少しスッキリしてきた感じ。
そっか…そうだったんだ。
だったらあたしは…

そしてあたしがそう思っていると、そんなことを話しているとは知らない春夜くんが、テレビを見ながらあたし達に声をかけた。

「おー!!ね、俳優の光井明人が結婚だって!しかも女優の沖野美憂と!」
「え、うそ!」

どうやら春夜くんは夕方のエンタメニュースを見ていたようで、リモコンを片手にビックリした顔をしている。
その言葉にまたビックリしたらしい志歩さんが春夜くんに駆け寄って、「え、ほんとだ!意外!」なんて言ってる。
一方、あたしはそのテレビ画面を二人の後ろから見て…独り、少しの可能性を考えてみた。

もしも、これから先この画面にこうやって渉が誰かと一緒に映る未来があるのなら…
あたしはこれ以上、後悔はしたくない。絶対に。

…………

その後、志歩さんが作ってくれた美味しいから揚げを食べて、あたしはずっとハルを待った。
春夜くんに「泊まってけば?」と言われたけれど、ちょっとハルに話があるだけだし。
そして独りハルを待つこと数時間後、ハルが帰って来たのは21時を過ぎた頃だった。

「ただいまぁー」
「!」

玄関のドアが開く音と同時に、いつもの声がリビングにまで届く。
その声と音に思わずあたしが玄関まで行くと、ハルは当然ビックリした顔をして。

「え、美希ちゃん!?」
「おっそいハル!」
「え、や、だって、来てるなんて思っ、」
「!」

何故か慌てだすハルの姿に、あたしは少し遅れて奴の違和感を感じた。

「…あれ?」
「?」
「なーに?ハル。なんか今日、香水つけてる?え、昼間そんな香水してたっけ?」
「!!」

…しかも…女ものの香水っぽい…?
だけどあたしのそんな言葉に、ハルが靴を脱ぎながら尚も慌てた様子で言う。

「え、な、何もつけてないよー。美希ちゃんの勘違いじゃない?」
「…そうかな?でも、」
「それより、何で家来てんのー?」

そう言って、さりげなく話を逸らされる。
…なんか怪しい。まぁいいけどさ。
あたしはそう思うと、リビングに行こうとするハルの腕を引っ張って、ハルの部屋へと向かった。

「ちょっとこっち!」
「え、うわ!」

…………

久しぶりにハルの部屋に入ると、そこはかなり散らかっていた。
部屋で家族の話とかしたかったのに、その前になんだかもう座るスペースが無い。

「…あたしどこに座ればいいわけ?」
「ま、待って!今ささっと片付けるから!」
「あー!じゃあ立ち話でいい!」
「え、そう?」

あたしはそう言うと、後ろ手で入り口のドアを閉める。
さっきまで隣の部屋で春夜くんと志歩さんの話し声が聞こえたけど、その瞬間聞こえなくなった。

「…」
「…えっと、ほんと、どうしたの?美希ちゃん」

そして一方のハルは、いつもと様子が違うあたしに少し不安げ。
まぁ、気持ち、わからなくもないけど。

ハルは持っていた通学用の鞄を床に無造作に置いて、ベッドに腰かける。
ちょこん、と座るその姿が可愛いけれど、話さなきゃいけないことはしっかり話さなきゃ。
あたしはそう思うと、やっとハルに話し出した、

「…あたしね」
「うん?」
「今日、実は…親との縁、切ってきた」
「…え」

あたしはそう言うと、ドアの前で一つ、ため息を吐く。
そんなあたしの言葉に、ハルは少しビックリした顔。
…でも、ハルには全部話さなきゃな。
あたしはそう思うと、前に家から家具が突然無くなっていたあの出来事からハルに話し出した。
この話も、ハルにはしてなかったから。

…………

「…そんなことがあったんだ」
「うん」

その話をした後、ハルは悲しい顔をして俯いた。
あたしの話にため息を吐いて、独り考え込む。

ちなみに、今日会社に行って両親と話してきたことも全部伝えた。
ハルには少し重い話かもしれないけど。
ハルは暫く黙り込むと、やがてあたしを見遣って言う。

「…美希ちゃん」
「うん?」
「…大丈夫?」

ハルはそう問いかけると、あたしに近づいて頭を撫でてくれる。
…不思議だね。昔はあたしが、よくハルの頭をぽんぽんしてたのに。

でも、

「…大丈夫」
「え、」
「最初はダメージ大きかったけど、さっき志歩さんに元気づけられたから」

あたしはそう言って、ニッコリ笑った。
でもハルは、そんなあたしの顔を見ても心配そう。
…あ、信じてないな。そりゃそうか。

「あたしね、志歩さんと仲良くなったの」
「!」
「志歩さんも、昔いろいろあって寂しい思いしたんだって。で、春夜くんと結婚したい理由とか聞いて、何か元気もらっちゃった。大事なのは、寂しい過去じゃなくて何が起こるかわからない未来なんだって」

あたしはそう言うと、頭に触れるハルの手を退かして、「だから、今はもう平気」と言葉を続ける。
むしろこれからがあたしの楽しみなんだ、と。

「…美希ちゃん…」

そしてあたしの言葉に安心するハルを見て、あたしはまた口を開いて言った。
ここから先が、あたしが本当に言いたかったこと。

「だからね、」
「?」
「あたし…渉に、告白しようと思う」
「…え、」
「もう逃げたりしないの。後悔もしたくないから。あたし、渉に告白する」

あたしがそう言うと、ハルはビックリしたような表情をする。
それでもあたしは、言葉を続けて…

「…渉ね、デビューに向けていろいろ忙しくなるから、学校辞めるんだって。だからあたしにももう逢えなくなるかもって言ってた。
だったらあたしは、後悔したくないから渉に自分の気持ちだけはせめて伝えたい」

そう言って、ハルに向かってニッコリ笑顔を浮かべる。
これはもう決めたことだから。ハルにも伝えたかった。

「…ホントに?」
「うん」
「本気?」
「本気だよ」

あたしの言葉に、ハルは少し哀しそうな顔をして見せる。
そしてその時、ふいに背中に回されたハルの両腕。
…だけど、あたしはそれを離して。

「…ごめんね」
「!」
「ハルには感謝してる。ありがとう。でも…ハルは、あたしじゃない誰かと幸せになって」

あたしはそう言って、大切な幼なじみに向けて笑みを浮かべた。
その後はすぐにハルの部屋を後にして、階段を下りる。

…ハルは、追いかけてこない。
だけど、ハルにも本当に幸せになってほしいから。
あたしは玄関までたどり着くと、靴を履いて、その重い扉を開けた────…。








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