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涙、涙の蒲鉾板

徳次の話

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 朔太郎の串打ちは、文句のつけようがないくらい上達した。
 田楽の串打ちは、ただ豆腐に串を刺せばいいというものではない。真っ直ぐに打たなくては、焼く時に崩れてしまうのだ。彼が串打ちをはじめてすぐの頃はのぶも焼くのに苦労した。
 でもすぐに自分が打つのと変わらないくらいの出来になった。しかもやると決めた以上途中で投げ出したり、今日はやらないと言ったりしないのが感心だ。
 今日も彼は、のぶが豆腐を揚げ始めると小上がりから飯台へやってきて、腰掛けにちょこんと座って待っている。まるまで隣の腰掛け移動してあくびをしながら待っていた。
 さました豆腐を前に並べると、朔太郎はちゃんと布巾で手を拭いてからやりはじめる。真剣な眼差しにのぶの心はきゅんと跳ねる。ぼた餅ほっぺに口をつけてぷうっとやりたいくらいだった。

「さくちゃんの田楽お客さんに評判よ? お店も繁盛して助かっちゃう」

 声をかけると、嬉しそうににこっと笑いせっせと串を打っている。こんなに賢い子は江戸のどこを探してもいないとのぶは誇らしい気持ちになる。
 のぶが他の仕込みを終えた頃には、すべての豆腐に串が打てていた。

「おつかれさま」

 小さな手を拭いてやり、朔太郎の目の前におやつがのった皿を置く。のぶの手作りのあられだった。
 小さく切った豆腐をざるにのせて振ると豆腐はコロコロと転がって丸くなる。それを揚げて塩をふっただけの簡単なものだが、朔太郎が気に入って毎日嬉しそうに食べる。カリコリと食べる彼の前に温かい茶が入った湯呑みを置くとずずずと飲み、満足そうにした。

「よき茶じゃ」

「それはよかった」

 のぶの口もとに自然と笑みが浮かぶ。
 安居家に行ったあの日から、のぶは一日一回彼に茶を淹れてやることにした。
 それは彼が茶を"気に入った"というより、以前から飲んでいたように思えたからだ。
 ここらの子どもは、茶など滅多に飲まないから、『よき茶』などという言い方はしない。
 小さいながらに、一生懸命環境に馴染もうとする彼が少しでもほっとできることがあるならば、なんだってしてあげたい。一杯だけとはいえ毎日となれば家計には響くがそれでもいいとのぶは思った。
 一方で、こんなに小さな子が茶を嗜んでいることが不思議だった。

『あれまぁ、贅沢な子だよ。坊やのかかさまは、吉原の花魁でないかい? 花魁なんてうちの人ならありえないが、色男の晃さんなら……』
 
 朔太郎が茶を飲むところをたまたま見たつねは勝手なことを言っていた。その言葉にのぶ内心ひやりとした。
 本当にそういうところで晃之進がこさえた子なのだろうか。

 朔太郎に対する情と、晃之進への不信感、最近ののぶの心はこのふたつの間を行ったり来たり忙しい。

 とはいえ今は仕込みの途中、最後までやってしまおうとのぶが振り返ると、勝手口に瓶を抱えた徳次がつっ立っていた。

「徳次さん、来てたの」

 のぶが驚いて尋ねるとハッとたように瞬きをして頭を下げてた。

「はい、申し訳ありません。声もかけずに」

「それはべつに……ご苦労さま、どうぞ」

 台所へ促すと古い瓶と新しい瓶を交換する。でもすぐに立ち去らずに台所から朔太郎を見ていた。

「徳次さん? どうかした?」

 問いかけると、少し考えてから思い切ったように口を開いた。

「おかみさん、あの子は親戚の子だっておっしゃっていましたね」

「ええ、そうよ」

「だけどご近所の方の話では、おかみさんの旦那さんの隠し子だって聞きましたが」

 のぶは顔をしかめた。余計なことを吹き込んだ近所の方とは、きっとつねだろう。いや、もはや近所ではそうだと決まったかのような空気だから、それを耳にしたのかもしれないが。

「さくちゃんは、親戚の子よ」

 のぶが繰り返すと、徳次が顔を歪めた。

「だけどそういう噂があるのは事実でしょう。旦那さんに確認されたんですか?」

「それは……」

「おかみさんは旦那さんを信じておられるんですね。でもしあの子が、旦那さんが他所で拵えた子だったとしてもおかみさんはさっきみたいにあの子を可愛がれますか? 可愛がれないとしたら、最後は突き放すのに、見せかけの優しさをくれてやるのは、残酷だと思いませんか?」

 いつもと違う挑むような彼の言葉に、のぶはなんと言えばいいかわからなかった。
 彼は自分と朔太郎の境遇を重ね合わせているのだろう。
 だとしたら、たとえ朔太郎が隠し子でも大切にすると言い切るべきなのかもしれない。でもそれは、今ののぶにはできなかった。まだ本心からそれを言う覚悟はない。

 そして暗い目でこちらを見る徳次には、どんな誤魔化しも通じないような気がした。
 彼が信州屋にこだわる理由がわからないと晃之進は言った。
 自分を捨てた父と、隠し子だと知った途端に手のひらを返したようになった女将などには、見切りをつけて新たな道を行く方がいいということだ。
 酷なことかもしれないが、のぶもそう思う。そして徳次にはそれができない男でもないと思う。
 彼が信州屋にこだわる理由は、父親への愛情だろうか。
 ……それとも。

 いつまでも答えを口にできないのぶに、徳次はふっと笑みを漏らす。冷め切った笑みだった。

「失礼しました、おかみさんには関係ない話ですね」

 そう言って、丁寧に頭を下げた。

「それではあっしはこれで、失礼いたします」

 出て行こうとする背中を、のぶは思わず呼び止めた。

「あ、徳次さん。徳次さんは……信州屋さんに戻りたいのね?」

 一瞬の間の後、徳次が振り返りにっこり笑って口を開いた。

「当たり前じゃないですか、信州屋はあっしの実家です。この年まで面倒見てくださり仕込んでくださった旦那さまと奥さまに心底感謝しております。信州屋に骨を埋めるつもりで生涯働き続けるのが、あっしの望みでございます」

 そう言って今度こそ、勝手口から出て行った。
 その言葉をそのまま鵜呑みにできないのはわかったが、彼の真意はわからなかった。
 暗澹たる思いでため息をつく。
 振り返り前を向いて、どきんと胸が不吉な音を立てる。

 朔太郎が小さな手で耳を塞ぎ、勝手口を睨んでいた。
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