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【第五章】ヴァン×ルーシィ編
5
「…これが、海……」
憧れた自由は想像していたよりずっと惨たらしかった。
道にこびりついた酸化した赤黒いシミ、街中に漂う不穏な空気。
陽の光が届かない路地裏に目をやれば妙な瓶を手にして虚空を見ている人間がたむろしている。
1日経って分かった、闇市よりよっぽど恐ろしい世界が当たり前のようにそこにはあった。
それでも、どこまでも広がる広大な海を見た瞬間、あまりの美しさに私は言葉を失った。
喧騒の中、ここだけは切り離されたように穏やかな場所に感じた。
この海を渡って国を出たら、穏やかな暮らしがしたい。
こんな騒々しいところは嫌い。
誰もいない静かな場所で好きなように研究をして生きていたい。
「わんっ」
「っわ!?」
突然大きな声がして驚いた。
見れば犬が足元に擦り寄ってきている。こんな場所でも犬好きはいるのか。
街の様相に反して身綺麗な犬だ、きっと飼われているんだろう。
「お前、どこから来たの」
頭の撫でてやれば気持ちよさそうに目を細めて尻尾をブンブンと振った。愛らしいと素直に感じる。
胸の奥がじくりと、暖かい。
こんな優しい気持ちになったのはいつぶりだろうか、
いつだって周囲が憎くて仕方なかった。
物心着いた頃の記憶は物置のような狭くて埃っぽい場所と薄い布。壁を隔てた場所から聞こえる母親の嬌声。相手は父親じゃない、知らない男。
薄い布を頭から被って耳を塞いでも声は止まなかった。
父親は私に興味がなかった。
跡取りにならない女は要らないらしい。
他所で愛人をつくり、そこで男児をこさえたから私も母親も用済みなんだそうだ。
捨てるのは外聞が悪いから、生かされているだけ。
男が後を継げる歳になるまでの、期限つきの家族関係だった。
私もこの犬のように、愛されてみたかった。
母に、似合いの服を見てほしかった。
父に、金など関係なく話しを聞いてほしかった。
本当は、あなた達を嫌いになれなかった。
ヴァンと婚約してから環境は変わった。
母は私を見てくれるようになった、嫉妬に濡れた目で。
父も私を見てくれるようになった、金のなる木だから。
部屋を与えられ、服を与えられ、充分な飯が用意されるようになった。
欲しかった関心は、物は、こんな形で欲しいわけじゃなかった。
だから、だから全てを拒否して生きてきた。
子供のように駄々をこねて、本心に気がついて欲しかった。
誰も私に関心なんてないんだから、意味なんてなかったのに。
どうせ彼だって、聖女様に心奪われる運命なんだから。
海を渡って浮浪者になれば私はこんな私から解放される。
きっと、
「そろそろ行かないと」
「あう!」
「こら、離しなさい」
船が港に近付いている、あれに乗らないと。
移動したいのに犬は服の端を咥えて離してくれない。
向こうから飼い主らしい人が慌てて駆け寄ってくるのが見えた。
「ああ、すみません、うちの犬が。」
耳に馴染んだ低い声。帽子の鍔で顔は見えないが妙に既視感を感じた。
頭の中に警報が鳴り響く。
私はこの時、犬を振り解き逃げるべきだった。
人混みまで走って逃げたなら、あるいは自由になれていたのかもしれない。
「どうやら″匂い″に釣られたようで」
体格の良い男が近付いてくる。何故かバクバクと心臓が煩く鳴る。
帽子で隠れていた顔が露わになった瞬間、ひゅっと息が止まった。
「おさんぽの時間はとっくに終わっているだろう?もう、帰らないと。」
…寝れない私のために用意された匂い袋、
そういえば、あの調香師を手配したのはー……。
「ねぇ、ルーシィ」
大きな手が細い首を覆い、プツリと意識が途切れた。
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