【R18】僕を好きだと言ったのは君だろ。

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(……そうなるだろうとは、思っていた)

聖女が顕現したという報告を受け父である王から婚約者が聖女になる旨を聞いた時、胸の奥で何かが静かに崩れた音がした。
それは驚きというよりも、長く続いた緊張が緩む音に近い。

王太子である以上、婚姻は政の一部だ。
聖女が現れた以上、王家の婚約相手が変更されるのは自然な流れであり、避けられない決定だった。
それが誰であろうと――たとえ、長く傍にいた婚約者であっても。

だから僕は、アイシャにその話を伝える役目を負うことになった。正確には″伝えられる場に同席する″だけだ。
王家の使者と彼女の両親が同席し、すべては滞りなく進められる手筈だった。

(彼女は、どんな顔をするのだろう)

泣くのか。
取り乱すのか。
あるいは、感情を抑え込んで微笑むのか。

……どれも、容易く想像できてしまう自分がいた。


王城の応接間は、冬の光を柔らかく反射していた。
磨かれた床、磨かれた調度、磨かれた言葉。
すべてが整いすぎていて、人の感情だけが浮いているように思えた。
アイシャは、そこにいた。
背筋を伸ばし、指先を揃え、いつもと変わらぬ姿勢で。

使者が淡々と告げる。
聖女顕現の報、王家の決定、婚約解消の意向。
その間、アイシャは一言も挟まなかった。
眉一つ動かさず、ただ静かに聞いていた。

…泣かないのか。

微動だにしない彼女の態度に、胸の奥で微かな違和感が生まれた。それはどこか彼女を軽視している悪い感情のような気がして、そっと自分を諌める。
彼女は強い。そういう人間だったから未来の王妃の器として婚約者に選ばれた。
感情に流されることなく、立場を理解し、受け入れる。
それが彼女の美徳だと、僕は理解していたはずなのに。

「……かしこまり、ました」

ようやく発せられた声は、少し言い淀んだものの凛として澄んでいた。

「聖女様とのご婚約が、国の益となるのであれば……それが、最善なのでしょう」

その言葉を聞いた瞬間、ふつりと胸のどこかがひどく静かになった。
(——そう、君は受け入れられるのか)
何故か頭に浮かんだのはその言葉だった。
腹の奥が澱み攻撃的な感情が胸に渦巻く。自分も納得したはずなのに、彼女が理解を示して承諾したことにどうしようもない怒りが込み上げた。
何故?
彼女が身を引いてくれることは僕にとって良いことのはずだ。
彼女とご両親に理解を貰い円満な婚約解消をするため、説得のために僕はここまで来たはずだろう。
全ては順調だ。なのに、なぜ、

――ただ、思っていた反応と違っただけだ。

彼女が、少しは取り乱すと思っていた。
悲しむか、縋るか、あるいは怒るか。
少なくとも、“感情”を見せるのだと。

だが彼女は、そうしなかった。

彼女の父親と使者が安堵したように息をつき、話は形式的に締めくくられる。
その様子を、僕はただ黙って見ていた。

何か言うべきなのだろうか。
いや、言うべき言葉なんて今ここにない。
言葉をかける資格が、自分にあるのだろうか。
こんな攻撃的な感情で一体何を話そうというのか。


「……それでは、失礼いたします」

アイシャは静かに立ち上がった。
ほんの一瞬、足元が揺れたようにも見えたが、すぐに姿勢を正す。

扉へ向かう背中を、無意識に目で追っていた。

——その時だ。

扉を出て閉まるまでのほんの一瞬、彼女がふと振り返り、視線が重なった。
僕に相談をしに来るいつもの迷い子のような目で、彼女の瞳に薄く涙の膜がある。『どうしたの』『何かあった?』いつものように声を掛けられたならこの胸の詰まりも取れるのだろうか。そんな僕の葛藤なんて川に流すようにふわりと、優雅に、——彼女は、笑った。




それは、これまで何度も見てきた笑顔だった。
社交の場で向けられる、柔らかく、優しい微笑み。
誰にでも向けられる、あの笑顔。




———あぁ、そうか。


込み上げた感情の理由を、僕は漸く気が付いた。

僕の知る彼女はこんなに理性的で全てを飲み込む人間じゃない。
二人きりの茶会で砕けた笑い方をして、愚直なくらい真っ直ぐに僕を愛してくれて、貴族だというのに腹芸は苦手で、上っ面の褒め言葉も、媚を売られることも苦手で、だから腹芸が得意な僕は彼女がただ真っ直ぐ悪意に晒されることなく居られるように幾らでも手を回してあげてきたのに。
僕の言葉を嫌味なく受けとる謙虚な性格が好ましかった。
君と話しているときは裏表なんて考えなくて良くて、性善説を信じる聖人君子に自分もなれたような気がした。

そうだ、彼女のあの態度は、この笑顔は——、




社交場で貴族へ向ける、上っ面の仮面の顔だ。



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