おとぎ話の結末

咲房

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りぃ

波紋

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 雨が降ってきた。
 この雨は京都にも降っているのだろうか。雨はあまり好きじゃない。向こうは降ってないといいけど……

 李玖先輩、無事に帰ってきて下さい。
 早く元気な姿が見たいです。



 先輩は京都に発つ前に部屋の中をひととおり案内してくれた。

「この部屋のエアコンはここだよ。操作パネルはここ。もし寒かったらこの温度を上げて、こっちに仕舞ってるブランケットや毛布も羽織ってね」

 書斎を兼ねた勉強部屋やリビング、先輩の部屋や寝室……僕の背中に手を回してどこに何が置いてあるかと操作の仕方を教えてくれた。

「誰にも見せちゃダメなデータはロックを掛けてるし、触ったら危ないものは鍵を掛けて仕舞ってる。晶馬くんがうっかり見たり使ったりすることはないから安心して触ってね。留守中を快適に過ごして欲しいんだ。何でも使って。それで僕が毎日どんな風に過ごしてるか知ってくれたら嬉しい」
「ありがとうございます。じゃあ、少しだけ触ってもいいですか?先輩の小さい頃の写真が見たいです」
「もちろん。フォトアルバムは本棚の右下に立て掛けてるよ。晶馬くんに見られるの嬉しいけど恥ずかしいな」

 先輩は照れくさそうだった。嬉しい。先輩、どんな子供さんだったんだろ。

 寝室の奥にある大きな鏡は折り畳み式のドアだった。両手で引くと中はウォークインクローゼットで、両側の壁は明るい色をしたパイン材の棚が取り付けてある。そこにはシャツやニットなどが種類別に綺麗に畳んで重ねてある。仕切られた半透明の引き出しには小物が仕舞ってあり、ハンガーパイプにはコートとスーツがきっちりと並べて下げられていた。整頓された様子は、お洒落なセレクトショップみたいだ。

 数日前、先輩はその中からスーツをひと揃えトランクに詰めていた。
 シルクみたいな柔らかい光沢のある上品なスーツで、細身なので体のラインが綺麗に出てとても似合っていた。
 それを選ぶ時に鏡の前でワイシャツとジレを着用して数本のネクタイを首に当ててコーディネートを考えている先輩は、海外の俳優さんみたいに格好よかった。そうやってスーツなんて着る機会がない僕には大人っぽく見えて、長い指先でネクタイを締める仕草にドキドキしていると、鏡越しの先輩と目が合った。

「珍しい?」

 こくりと頷くと目で笑われちゃった。その顔が蕩けちゃうほど甘く、見とれてた恥ずかしさも相まってますます真っ赤になってゆく。

「ぷはっ。晶馬くん」

 笑いながら熱を吸い取るように頬に手を当てられて、そのまま抱き寄せられる。

(しわになっちゃう……)

 そう思っているのに僕も先輩の背中に手を回してスーツを握ってしまった。



 そのジャケットはちゃんとしわを直してトランクに詰めました。その他の旅行に必要な物も詰めて、京都に旅立ったのが昨日。僕は李玖先輩が出掛けたあと、お借りした資料と先輩の分かりやすいノートを参考に一晩でレポートを書き上げた。
 今の時刻は午後の二時。昨日は京都で打ち合わせ、今日は学会と打ち上げパーティーというハードなスケジュールをこなした先輩は、夕方の飛行機に乗り、こっちの空港には夜の到着予定だ。それから電車とバスを乗り継いでこのマンションに帰ってくるから、着くのは夜遅くになる。時間はまだまだある。僕は先輩のアルバムを見せてもらうことにした。

(可愛い……)

 生まれてすぐの先輩は大きな瞳と透き通るような白い肌で、まるで天使みたいだった。幼稚園や小学校も写真だからオーラは分からないのに、人目を引く存在感がある。

(先輩らしいや。わあ、かっこいい)

 中学校はブレザーだった。生徒会の役員だったのかな?学園祭の打ち上げの集合写真や体育祭のハチマキを巻いた学ラン姿もある。

(楽しそう。本物を見たかったな。もし同じ中学だったら、僕が入学した時に先輩は三年生で、一年間は一緒に過ごせてたのか)

 この頃は先輩とまだ出会ってなくてお互いに存在を知らなかった。だから居ないのが当たり前なのに、隣に居れなかったのが残念だと思うなんて。僕、贅沢になっちゃったな。
 こっちは高校生?留学してたのか海外で撮った写真がチラホラとある。この黒いコートを着て丸い筒を持ったのは何かの博士号を取ったのかな。もしかしてスキップで海外の大学を卒業してたりして……まさかね。

(そうだった、先輩は稀少種だからいろんな人と繋がりがある筈だ。今だって周りにたくさん人が集まってる。海外もいっぱい行ってるし、今回の学会みたいに専門外の研究チームにも参加されてたんだろうな)

 改めて先輩の凄さを感じた。僕、ほんとに平凡なんだよ。ちょっと気後れしちゃうかも。

 アルバムを閉じて顔を上げると、棚に置いてあるキャンディポットが見えた。中には個包装のお菓子が詰まっている。僕はそこから見覚えのあるクッキーを一枚取り出した。
 本来なら、αの頂点の李玖先輩と平凡なΩの僕に接点はない筈だった。先輩くらい頭が良かったら世界のトップレベルの大学で学べる。なのに何故か偶然日本の大学で知り合って仲良くしてもらってきた。

『君は僕の後輩だな。先輩って呼んで』
『日野くんは相変わらず痩せてるよね、はいコレ』
『しまった。魔法のポケットを叩いたからクッキーが2枚に増えたよ』

 クスッ

 会う度に先輩のポケットからはたくさんのお菓子が出てきた。キャンディやチョコレート、飴玉にマシュマロにガム。割れたクッキーは二つに増えたって半分こしてくれた。手首の痣をそっと撫でて、呪文の言葉を教えてくれて。先輩はいつも僕を心配して、甘やかしながら見守ってくれていた。

 あの時の憧れの先輩が今、僕のつがいになっている──

「李玖先輩……」

 僕を救ってくれた人。僕に自信をくれた人。僕を大切だと言ってくれる人。
 手の平の同じクッキーを見て、沢山の場面が脳裏をよぎる。

(李玖先輩……)

 その先輩が僕を好きだと言ってくれてるんだ……トクトクと鼓動が早まり胸が熱くなる。嬉しくて恥ずかしくて、わー!って叫んで駆けだしてベッドを転がり回りたい。

(好き。李玖先輩、好き。会いたい。思いきり抱き着いて胸に顔を押し付けて、頬ずりして先輩の爽やかないい匂いを胸いっぱい吸い込みたい)

 どうやったらこの気持ち伝わる?今すぐ会いたい。

「先輩……李玖先輩……」

 これからは一緒の写真をいっぱい撮ろう。あのアルバムに僕との写真も入れて貰おう。綺麗な景色を見るのも、美味しい食べ物を食べるのも何でも一緒にしたい。

「李玖先輩……すき……」

 ほぅ……と幸せのため息が出た。


 ゴロゴロゴロ……

 遠くで雷の音がした。

(でも、世の中に絶対なんてないんだ)

 微かに雨の気配がする。

(もし、このままもう会えなかったらどうする?)

「え……」

 ポツリ、と一粒。
 心に不安の雨粒が落ちてきて、黒い波紋があっという間に広がっていった。
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