おとぎ話の結末

咲房

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京都にて〈 side.藤代 〉

京都の夜・2

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「ご存知の通り、この病は脳の伝達物質が異常をきたして全身の神経が機能しなくなり、筋肉が萎縮してやせ細り最後は骨と皮だけとなり死に至ります。
 ある日、この恐ろしい病に一人の女性が罹患しました。彼女は稀少種の番で、稀少種だった夫は妻を救うために死に物狂いで病の解明を始めました。私が貴方に渡した構造式を割り出したのも彼です。
 彼は住まいの一角を研究施設に変えて数多の器機を運び入れ、妻から採取した病変部位を培養して何千という検体を試験管に作り、病に効く可能性のあるものを片っ端から実験していきました。しかし、研究半ばにして彼の番は亡くなった。稀少種の力を以てしても薬の開発は間に合わなかったのです。
 今回、教授の研究中に私が排除した候補は、彼が実験を行った中で最も時間のロスを生んだ物質です。この物質は一時的にですが病の進行が停滞したため、希望を見い出した彼は実験を重ねていきました。試験管での化学反応は途中まで順調に進み、配合と条件を変えた試作品は百本近くにも上りました。しかしいくら稀少種といえど反応の速度を早められる訳もなく、結果はすぐに手に入りません。ゆっくりとした工程変化をジリジリと焦りながら見守ったものの、しかしその全ては失敗でした。その大幅な時間のロスのせいで薬の完成は間に合わず、奥様は帰らぬ人となった。彼の絶望は如何ほどのものだったか……。
 稀少種ですら手を焼いた物質です。教授のチームがあのまま実験を始めたなら、数年を無為に使った事でしょう」
「数年も……」
「或いはもっと。それでも実験の途中でなにかしらの副産物、つまり他の分野に転用できる有益な情報がもたらされるなら、そのまま実験を続けてもらったかもしれません。だが最悪なことに新しい発見は何ひとつなく、ただ無駄に時間を消費しただけでした。私はあなた方に彼の絶望と同じ轍を踏ませるわけにはいかなかったのです」
「そうだったのですね……それであの候補を外したのか……」
「ええ。そしてその後、更に急を要する理由が出来たので」
「更に?」
「そうです。私は、番を失って失意の底に落ちた彼から研究を引き継ぎました。その時点で特効薬の完成まではあと一歩でしたが、開発を続けていると試験管の一本が信じられない反応を示しました。
 あるウイルスを投入して反応を観察したところ、ウイルスが病気の因子を取り込んだのです。そのウイルスはインフルエンザに類似しており、接触感染も空気感染もします。ということは、難病の人がそのウイルスが引き起こした疾患、ただのインフルエンザだと思われる病でこの難病が広がっていくことになる。
 この瞬間、特効薬のない、死に至る病を世界中に広めるウイルスが誕生したのです。
 もしこのウイルスが広がれば、治せる薬も拡大を止めるワクチンもないのですから史上最悪の世界的大流行《パンデミック》が始まります。そうなれば世界は一気にパニックです」
「パンデミックだと?この現代にそんなまさか!」
「医療の進んだこの現代でまさか。そう思うのも無理はありません。もちろんこのウイルスは試験管に発生した時点で跡形もなく抹消しました。ですがこの先、いつどこで再び発生してもおかしくありません。
 歴史は人類が経験してきたた過去の積み重ねであり、愚かな行為を再び繰り返さないために学ぶものです。しかし人類はコレラやペストなど伝染病の過去があるにも関わらず、何度も大流行を繰り返してきました。
 実は、歴史の中には現在に伝えられていない抹消された過去が幾つかあり、その一つにとある伝染病のパンデミックが含まれています。
 その伝染病は、発生した時期も発生源の街も分かっていたのにその場所だけで病を封じ込める事が出来ませんでした。どんなに医療が進んでも、広がりを防げるかどうかは個々の行動に掛かってきます。
 当時の人々も『この現代でそんなまさか』と考えていました。「遠い場所だから関係ない」「自分に限ってまさか」その考えが人々に対岸の火事として無責任な行動を取らせ、世界規模の伝染病に拡大させてしまったのです。国々は外出自粛や個々の衛生管理の推進などで拡散防止を訴えましたが、罹患者は広がり続けました。
 そうしているうちに貿易が制限されて全世界の流通が鈍り、個人消費も国内、国外の総生産も落ち込み、世界経済は急激に冷えこんでいきました。各家庭が経済的な不安を持ち買い控えをするようになると益々経済は回らなくなり、負のスパイラルから抜け出せなくなったのです。それが全世界に広がると、数年、或いは数十年に及ぶ世界的規模の不景気が始まりました。そうなると国々が国庫を開けて経済の下落をくい止めようとしても最終的には世界恐慌にまで至り、自力で回復することは難しくなります。企業は倒産が相次いで街には失業者が溢れ、自ら命を絶つ者も出始める……。
 当時のパンデミックは、ワクチンが開発されてやっと落ち着きを取り戻しました。逆を言えばそれ以外にどんな方法もパニックを止める事は出来なかったのです。もしその過去が我々の歴史として残っていたとしても、今回もまた人類はパニックを起こすことでしょう。ところで国が不景気から脱却する簡単な方法をご存知ですか?」
「簡単な方法?」
「戦争です」
「!」
「武器や戦闘機の製造、軍に関わる職種に必要な物資その他もろもろ。戦争に掛かる軍事費用は莫大で、戦争をすることで経済が回り始める。掛かった費用は戦いに勝てば敗戦国からの補償で補える。
 もし発生源が特定できていれば、それを敵対国のテロだと主張して、大義名分を掲げてその国と戦争に突入できます。真偽はどうでもいいのです。彼らは自分が悪者にならずに、正義の名のもとに戦争がしたいだけなのですからこんなチャンスはめったにありません。
 今回も一歩間違えればそこまで行き着く恐れがありました。しかしそのシナリオだけは絶対に避けなければなりません。なので先に特効薬を用意する事で、それら一連の可能性を潰したかったのです」
「ち、ちょっと待ってくれ、じゃあ俺が作ったのは単に難病の薬というだけじゃなく、」
「ええ。世界恐慌と最終的には戦争に発展しかねない可能性も消して頂きました」
「マジか……」

 息を詰めて身を乗り出して聞いていた教授は、椅子にドサリと背を預け、天井を仰いで震える手で顔を覆った。

「話が大きすぎる……」
「教授には感謝しています。貴方が仰るとおり、この難病の薬は既に開発されていました。なので一刻も早く世に出したかったのですが、これを私たち稀少種が出す訳にはいかなかったのです」
「どうして?」
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