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アラビアンナイト
天使たちの思惑
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Ωは、αを惹き付けるためのフェロモンを個々に持っており、それが個々の持つ匂いの基となっている。そのフェロモンは発情期間中に最大に発せられ、αの理性を溶かして互いの意に沿わぬ事故も度々起こしていた。
だがそれも番になるまでのこと。一旦うなじを噛まれて番が成立すると、それは互いを認識する匂いに変わって他の者には分からなくなるのだ。
これは異性を惹き付けるフェロモンを出す必要がなくなるためと思われ、番える相手かどうかを判別する一つの指標となっていた。
また、Ω程ではないが、αからもΩを惹き付けるフェロモンが匂いとして出ている。それもΩと同様に相手を虜にするためのものである。
藤代李玖にも同じように彼特有の匂いがあった。自然界で力の強いオスに沢山のメスが惹き付けられるように、彼の匂いもひときわ魅力的で沢山のΩを虜にしていた。
「どうしよう、涼平くん。藤代さまから匂いがしなくなってる」
「匂いがしない?どういう事だ」
「わかんない。藤代さまが隠してるのか、僕の鼻がおかしくなっちゃったのか、それとも、誰かを……噛んじゃった?どうしよう、そうしたらどうしよう!藤代さまじゃないとダメなのに、あの方じゃないと」
「落ち着け、まだそうと決まった訳じゃないだろ」
平泉綾音は幼なじみの涼平のシャツの胸元を掴んでパニックになっている。涼平は綾音を引き寄せた。
「そ、そうだよね、まずは確認しなきゃ」
涼平はβなのでフェロモンは分からない。だが、綾音だけではなく他のΩも不安そうな様子だ。きっと皆も同じように感じている。
「もし本当に誰かがいるなら、その人にお願いして代わってもらわなきゃ」
代わってくれるなら僕の持っているもの全てあげていい。株券とお金と土地と、それから……
綾音は涼平にしがみついて腕の中で震えていた。
(稀少種という存在は底が知れない。美しい容貌で甘く微笑んでいても、心の奥底で何を考えているのか分からない)
涼平は藤代李玖を警戒していた。綾音は藤代を番の相手に望んでいるが、涼平には彼が綾音の思っているような、ただの聖人には見えなかった。
過去、綾音たちと藤代のマンションを訪れた際に、涼平は難病の遺伝子が解読された藤代のノートを見た。涼平がその内容を理解した事を知ると、彼はこの病の特効薬を作ってみないかと持ちかけてきた。その後どういった道を辿ったのか、構造式は大学教授の手に渡り、世界が待望していた特効薬が完成している。
涼平が断ったから教授に作らせたのだろう。
教授は名声に目が眩んだのか、それとも弱みを握られたのか。いずれにしても藤代が教授を操って薬を作らせた事は明白だった。
あの日、綾音は藤代の元を去る時に小箱をもらっている。彼はそれをパンドラの匣だと言ったそうだ。
パンドラの匣──
それは、ギリシャ神話であらゆる厄災が飛び出し、底にたった一つ希望だけが残ったという匣。
時が来たら分かると言われて綾音は大切に仕舞っているが、俺には破滅の予告にしか思えない。
破滅の未来があるなら回避すればいいのに、なぜ回りくどく予言して未来を待つ必要がある?
あの訪問で俺たちは様々なふるいに掛けられた。
そして今、突如として藤代に番の存在が浮上し、綾音たちは当然パニックになっている。藤代にはこの混乱だって見えていた筈だ。
あの男は一体何を考えているんだろうか。俺には奴が神とは到底思えない。
それどころか……
「どういう事だよ、いったい」
天沼淳也は親指の爪を噛み、イライラと歩き回った。
モデルの仕事を始めた時に爪の形が悪くなるからと矯正した癖だ。しかし苛立ちはピークに達し、そんな事に構っていられない。
『大学に稀少種がいる』
高校の時に淳也はその情報を掴み、モデル業の傍ら受験勉強を始めた。大学に進学して構内で藤代李玖を見た淳也は打ち震えた。恐ろしい程の美貌、類まれなる知性。そのカリスマ性は淳也の率いる天沼商会を世界のトップブランドに押し上げるだろう。
欲しい!
この稀少種こそ僕に相応しいαだ。絶対に手に入れてみせる。
淳也は彼の気を惹くために兼業していたモデルの仕事を中断して毎日大学に通い詰めた。集団の中で彼の隣の席を確保するまで上り詰め、もう少しの筈だった。あとは天沼家の秘薬を隙をみて飲ませれば、彼は僕に堕ちてくる。
なのに突然彼から匂いが消えた!
一体どういう事だ。もし誰かを噛んだのなら相手がいて、相手の匂いも消えている。なのにこの中にそれらしき人物が見当たらない。平泉綾音には匂いがあり、彼も動揺している。
だが、藤代が何らかの思惑で匂いを隠している可能性もある。
いずれにせよ、彼はその事を公にしていないから表立って行動するのは得策じゃない。
もし番がいるのなら、すぐに見つけて何らかの手を打たなくては。皆が知らない今のうちなら警護の手も薄い。そう、その相手に事故が起こっても不自然じゃない。
淳也は爪から手を離した。口角がゆっくりと上がる。
絶対に逃がさない。あの稀少種はオレのもんだ。
やべえ。
日野の友人のオレは焦った。
アイツら、藤代さんに番ができたのを勘づいている。そりゃ藤代さんからフェロモン出なくなったら気付くよな。幸いなことに〈運命の番〉がいた日野だとは誰も思ってない。日野から匂いがしなくなってても高村に噛まれたな、ぐらいしか思ってないだろう。あれ以来高村さんも集団を離れたから確認する術はないし。だがバレるのは時間の問題だ。
「日野、これからどうすんの?藤代さんの番になったの、いつかはあの取り巻き達にもバレるだろ」
「うーん……あの人達は先輩が好きだったり尊敬したりして集まってるでしょ。いきなり僕が割り込むのは先輩の交友関係の邪魔にならないかな。それに平凡で地味な僕がキラキラに混じってるのって周りから見たら浮いてるよね。なるたけ目立たないように隅っこにいるようにするけど、冷たい目で見られるのやだなあ。どうしよう」
違う、色々違うぞ……コイツの人の良さにはあきれる。
アイツらはお前が思ってるような善人集団じゃないぞ、それにお前の立ち位置は集団の端っこのモブ位置じゃねえ!どどーんと中央、藤代さんの横だ!
いやそうじゃなくて俺が言いたいのはお前の身の危険であって……
ま、いっか。旦那がいればなんとかなるでしょ……なるよな?多分。ま、せいぜい藤代さんがいない間はオレが気をつけてやるか。
(これからどうしたいって聞かれてもまだはっきり決められない)
日野晶馬は悩んでいた。
(だって先輩は凄い人だもの)
先輩の迷惑にだけはなりたくない。先輩を尊敬している人達との交流を邪魔したくないし、憧れてるΩの人達から取り上げたくもない。いっそのこと卒業まで隠してた方がいいのかな。でもそれは皆を騙すことになるから良くないよね。
いずれにしても先輩にとって一番いい方法を考えたい。先輩は僕にどうして欲しいかな……
だがそれも番になるまでのこと。一旦うなじを噛まれて番が成立すると、それは互いを認識する匂いに変わって他の者には分からなくなるのだ。
これは異性を惹き付けるフェロモンを出す必要がなくなるためと思われ、番える相手かどうかを判別する一つの指標となっていた。
また、Ω程ではないが、αからもΩを惹き付けるフェロモンが匂いとして出ている。それもΩと同様に相手を虜にするためのものである。
藤代李玖にも同じように彼特有の匂いがあった。自然界で力の強いオスに沢山のメスが惹き付けられるように、彼の匂いもひときわ魅力的で沢山のΩを虜にしていた。
「どうしよう、涼平くん。藤代さまから匂いがしなくなってる」
「匂いがしない?どういう事だ」
「わかんない。藤代さまが隠してるのか、僕の鼻がおかしくなっちゃったのか、それとも、誰かを……噛んじゃった?どうしよう、そうしたらどうしよう!藤代さまじゃないとダメなのに、あの方じゃないと」
「落ち着け、まだそうと決まった訳じゃないだろ」
平泉綾音は幼なじみの涼平のシャツの胸元を掴んでパニックになっている。涼平は綾音を引き寄せた。
「そ、そうだよね、まずは確認しなきゃ」
涼平はβなのでフェロモンは分からない。だが、綾音だけではなく他のΩも不安そうな様子だ。きっと皆も同じように感じている。
「もし本当に誰かがいるなら、その人にお願いして代わってもらわなきゃ」
代わってくれるなら僕の持っているもの全てあげていい。株券とお金と土地と、それから……
綾音は涼平にしがみついて腕の中で震えていた。
(稀少種という存在は底が知れない。美しい容貌で甘く微笑んでいても、心の奥底で何を考えているのか分からない)
涼平は藤代李玖を警戒していた。綾音は藤代を番の相手に望んでいるが、涼平には彼が綾音の思っているような、ただの聖人には見えなかった。
過去、綾音たちと藤代のマンションを訪れた際に、涼平は難病の遺伝子が解読された藤代のノートを見た。涼平がその内容を理解した事を知ると、彼はこの病の特効薬を作ってみないかと持ちかけてきた。その後どういった道を辿ったのか、構造式は大学教授の手に渡り、世界が待望していた特効薬が完成している。
涼平が断ったから教授に作らせたのだろう。
教授は名声に目が眩んだのか、それとも弱みを握られたのか。いずれにしても藤代が教授を操って薬を作らせた事は明白だった。
あの日、綾音は藤代の元を去る時に小箱をもらっている。彼はそれをパンドラの匣だと言ったそうだ。
パンドラの匣──
それは、ギリシャ神話であらゆる厄災が飛び出し、底にたった一つ希望だけが残ったという匣。
時が来たら分かると言われて綾音は大切に仕舞っているが、俺には破滅の予告にしか思えない。
破滅の未来があるなら回避すればいいのに、なぜ回りくどく予言して未来を待つ必要がある?
あの訪問で俺たちは様々なふるいに掛けられた。
そして今、突如として藤代に番の存在が浮上し、綾音たちは当然パニックになっている。藤代にはこの混乱だって見えていた筈だ。
あの男は一体何を考えているんだろうか。俺には奴が神とは到底思えない。
それどころか……
「どういう事だよ、いったい」
天沼淳也は親指の爪を噛み、イライラと歩き回った。
モデルの仕事を始めた時に爪の形が悪くなるからと矯正した癖だ。しかし苛立ちはピークに達し、そんな事に構っていられない。
『大学に稀少種がいる』
高校の時に淳也はその情報を掴み、モデル業の傍ら受験勉強を始めた。大学に進学して構内で藤代李玖を見た淳也は打ち震えた。恐ろしい程の美貌、類まれなる知性。そのカリスマ性は淳也の率いる天沼商会を世界のトップブランドに押し上げるだろう。
欲しい!
この稀少種こそ僕に相応しいαだ。絶対に手に入れてみせる。
淳也は彼の気を惹くために兼業していたモデルの仕事を中断して毎日大学に通い詰めた。集団の中で彼の隣の席を確保するまで上り詰め、もう少しの筈だった。あとは天沼家の秘薬を隙をみて飲ませれば、彼は僕に堕ちてくる。
なのに突然彼から匂いが消えた!
一体どういう事だ。もし誰かを噛んだのなら相手がいて、相手の匂いも消えている。なのにこの中にそれらしき人物が見当たらない。平泉綾音には匂いがあり、彼も動揺している。
だが、藤代が何らかの思惑で匂いを隠している可能性もある。
いずれにせよ、彼はその事を公にしていないから表立って行動するのは得策じゃない。
もし番がいるのなら、すぐに見つけて何らかの手を打たなくては。皆が知らない今のうちなら警護の手も薄い。そう、その相手に事故が起こっても不自然じゃない。
淳也は爪から手を離した。口角がゆっくりと上がる。
絶対に逃がさない。あの稀少種はオレのもんだ。
やべえ。
日野の友人のオレは焦った。
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違う、色々違うぞ……コイツの人の良さにはあきれる。
アイツらはお前が思ってるような善人集団じゃないぞ、それにお前の立ち位置は集団の端っこのモブ位置じゃねえ!どどーんと中央、藤代さんの横だ!
いやそうじゃなくて俺が言いたいのはお前の身の危険であって……
ま、いっか。旦那がいればなんとかなるでしょ……なるよな?多分。ま、せいぜい藤代さんがいない間はオレが気をつけてやるか。
(これからどうしたいって聞かれてもまだはっきり決められない)
日野晶馬は悩んでいた。
(だって先輩は凄い人だもの)
先輩の迷惑にだけはなりたくない。先輩を尊敬している人達との交流を邪魔したくないし、憧れてるΩの人達から取り上げたくもない。いっそのこと卒業まで隠してた方がいいのかな。でもそれは皆を騙すことになるから良くないよね。
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