おとぎ話の結末

咲房

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天使と小鳥

絶対に、離れない

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「やめて下さい!そんなことされても無理です」
「お願い、藤代さまじゃないと駄目なんです。何でもします、お願いします。僕に出来る事は何でもする。何でもあげるから」

 床に額づいた顔を上げ、見上げてくる瞳は必死だった。

「譲るとか譲らないとかじゃないんです。僕も先輩も、お互いじゃなきゃ駄目なんです」
「そんな……そんなの……いや……」

 綾音さんは絶望の顔でかぶりを振って僕の足に縋りついた。

「お願い、譲って!お金でも、土地でも、マンションの権利でも何でもあげる!僕が持ってるものなら全て渡すから!お願いします!藤代さまじゃなきゃ駄目なの。藤代さましかいないの!藤代さまじゃなきゃ、僕たちは」
「やめろ、綾音」

 幼なじみの涼平さんが、僕に懇願する綾音さんを後ろから抱えるようにして引き剥がした。

「涼平くん、どうしよう!藤代さまじゃなきゃだめ!藤代さまじゃなきゃ僕たちは引き離されてしまう!もう一緒に居れなくなる!」
「綾音、お前……それで藤代さまがよかったのか」

 綾音さんは涼平さんに縋り、泣き出してしまった。

「藤代さまだけが、涼平君が側にいても嫌な顔をされなかった。お菓子も必ず二個くれたし、涼平くんの事を話しても笑って聞いて下さった。他の方ならβの幼なじみを側に置くなんて許して頂けない。でも藤代さまだったら僕たちが一緒にいても引き離したりなんかなさらない」
「なにそれ……」

 僕は呆然となった。

「綾音さんは涼平さんと一緒にいたいから先輩とつがいになりたいの?じゃあ一緒にいられるなら先輩じゃなくてもいいんだ。綾音さんにとって一番大事なのは涼平さんであって、先輩じゃない。だったら綾音さんにとって先輩は何なの……」

 向き直ってみんなに言った。

「綾音さんだけじゃない。天沼くんも他の人達も、価値とか利用とか、自分に都合のいいことばっかり。みんな自分が幸せになることしか考えてない。大事なのは自分自身で、欲しいのは稀少種。藤代李玖という一人の人間を幸せにする気なんてこれっぽっちもない。じゃあ先輩は一人でどうやって幸せになればいいの?苦しい時や悲しい時をどうやって乗り越えればいいの?」
「稀少種は全部自分で解決できる。苦悩なんてねえよ」
「そんなことない。先輩だって感情を持った人間だ」

 稀少種だからといって心が傷つかない訳じゃない。むしろ優しい分深く傷つき、記憶力がいい分忘れられずに傷は幾重にも重なっていくだろう。

「それに稀少種だからって苦労しない筈がないでしょ」

 稀少種として生きる事はきっとそんなに甘くない。僕が先輩の努力を知った時、先輩は凄く嬉しそうな顔をした。凡人には想像できないだけで努力や苦労は僕たちよりずっとしてるんだ。
 天上人の世界が地上にいる僕たちに見えるものか。 鴻鵠こうこくの努力や苦悩が燕雀えんじゃくに分かる筈もない。

「絶対に、離れない」
「なんだって?」
「僕はりぃのつがいだ!りぃが僕を要らないって言わない限り、絶対に離れない!」

 固い決意で皆を睨んだ。
 僕は、過酷な任務から帰って来たりぃの傷ついた魂を癒す居場所になりたい。彼を独りになんてしたくない。

「……っ!ざけんな!お前如きがおこがましいんだよ!モブが出しゃばるんじゃねえ!」
「ぼ、僕たちはアンタなんかよりずっと藤代さまと一緒だったんだ、今更なんだよ」
「そうだそうだ、ポッと出は引っ込んでろ」
「藤代さまはあんたなんかより僕たちといる方がいいんだ。役立たずはどっか行け!」

 僕は悲しくなってきた。

「一緒にいたなら!どうしてりぃがそんな事望んでないって分からないの。りぃは見返りを求めたりなんてしなかった筈だよ。みんながりぃを好きなのは稀少種だからって理由だけ?りぃの優しさに救われたことはない?稀少種じゃなく、りぃの喜ぶ顔が見たいとは思わないの?」
「あ……」
「それ、は……」
「僕はりぃから目に見えないたくさんのものを貰った。これ以上はもう何もいらない。僕がりぃに望むのは、りぃ自身の幸せだけだ。その為なら何だってする。もしもりぃが望むのなら僕は自分の命でも喜んで差し出す」
「ハッ、綺麗事なら何とでも言える」
「本当だよ。僕はりぃになら殺されたって構わない」

 それがりぃの望みなら。僕の命が彼の役に立つなら、僕は喜んで差し出す。
 だけどりぃがそれを望む事は絶対に無い。もしそんな場面がきたなら、それが幸せな時だ。僕を宝物のように大事にしているりぃが、これ以外に僕を救う方法がないと判断した時。
 それは僕が苦痛に苛まれ、死よりも辛い時間を過ごしている時かもしれない。頭が狂って命ある事を呪っている時かもしれない。そう判断した時だと分かっているから、僕は怯えず彼に首を差し出せる。りぃの手の中でなら、事切れる瞬間まで笑っていられる。

「りぃのつがいは僕だ。あなた達なんかに渡さない。絶対にりぃから離れない!」

「ふざけるな!」

 淳也くんが怒鳴った。

「もういい。誰かそいつ捕まえてて」
「な、何するの、淳也くん」

 周りはヒートアップした僕たちに怯えて及び腰になり、誰も動こうとはしなかった。
 淳也くんはテーブルに置かれていた紙コップのコーヒーを持ち上げた。

「コーヒーを飲ませてあげるだけだよ。体に害なんてない。ただ藤代さまを諦めたくなるだけさ」

 何それ!
 ぞっとした。じりっと後ずさって踵を返そうとしたら、後ろから誰かに羽交い締めにされた。これといった特徴のない、知らない子だった。

「やめて!離して」
「……」
「そのまま押さえときな」

 そんな得体の知れないもの飲めるわけない。だというのに掴んでいる相手も必死で、さほど変わらない体格なのに振りほどけない。

「大人しく言うことを聞くなら見逃しても良かったのにね」
「じ、淳也くん、やばいよ」
「やめようよ、ボクもういい」
「あんたたち藤代さまがアイツのものになってもいいの?」
「嫌だけど、でも……」
「でしょう?ここまできたら皆同罪なんだよ。黙って見てな」
「ヒッ」

 淳也くんが近づいてきて僕の顎を掴んだ。にぃっと笑い、誰にも聞こえないように耳元で囁いた。

「これは惚れ薬さ。相手にはあんたに相応しい下衆げすを用意しといてあげたよ。素直に離れとけばそんなのとつがわなくて済んだのにね」

 冗談じゃない!
 僕は口を引き結び、顔を逸らして顎の手から逃れようとした。すると今度はさらに強い力で掴まれ、上を向かされて唇をこじ開けられた。

「どうする?あの人諦める?」

 それだけはしない!
 キッと睨み返した。

「そ。じゃあ新しい相手とお幸せに」

 天沼くんは心底楽しそうに笑い、紙コップを傾けていった。ふちから液体が零れてくる。

 タラタラタラ……

 ダメだ、口に入る!
 そう思った瞬間、誰かの手が僕の口を覆った。流れ落ちたコーヒーはその手に阻まれてぎりぎりで僕の口に入らなかった。もう一方の手が紙コップごと淳也くんの手を掴んでいる。

「誰だ、お前!離せ、邪魔するな!」
「おイタが過ぎたね」

 その人は僕の口のガードを外すと、淳也くんを後ろ手にして拘束した。

「やめろ、やめ、うっ、やめろ!」

 助かっ、た……

 淳也くんを見ると、天沼くんを押さえてくれたのは……

 え、牧之原さん?どうしてここに?

 先輩に急ぎの用事でもあったのかな。とにかく助かった。ありがとうございます。
 僕を後ろから押さえていた拘束が弛んだので、体をひねって抜け出して強化ガラスの手摺りを背にした。吹き抜けになっている下のラウンジを何も知らない学生が時折通り過ぎていく。
 気が緩んだ僕は、拘束していた彼が小さく呟いてることに気付かなかった。

「なんでアンタだけ……どうして……自分だけズルい……」

 ドンッ


 え


 押されて景色がぐるりと逆さまになった。
 さっきまで僕がいた場所で、僕を捕まえてた人が手を突き出したポーズをしてるのが見える。

 あ、

 僕、


 お


 ち


 た





 景色がスローモーションのように遠ざかる。
 目には周りが映るのに、頭には今までの様々な映像がフラッシュバックで流れている。
 その中にりぃがいた。
 子馬をくれたりぃ。僕を救いに来たりぃ。真っ暗な部屋に差し込む光、ギターを弾く姿。握り合わせた大きな手、嫉妬の顔、泣き笑いの顔、得意そうな顔、笑顔、笑顔、笑顔。

 最後は全て、笑顔だった。

 りぃ。
 僕のりぃ。
 魂を分け合った半身、僕のつがい。
 大丈夫だよ。
 走馬灯のりぃに笑い掛けた。

 僕は君を置いて行かない。

 大丈夫だよ。

 一生を掛けてりぃを守るよ───





   ドサッ

 体の重さに落下の加速が加わり、地面に強い力で引っ張られるようにいっきに荷重がかかった。
 衝撃と痛みを予想して体がこわばる。でも予想に反してそれらはこなかった。

「……っぶねぇ」

 すぐそばで聞こえた声。心臓の音がどくどくと鳴ってる。どうやら誰かに受け止めてもらったようだ。

「いきなり何だよ、なんで降ってきた」
「あ、ありがとう、ございます」
「驚かせるなよ……ってなんだお前か」
「え、あっ」

 あきらかにガッカリされた。
 高村さんだった。
 どうせなら爆乳降ってこいよな……って妄想ダダ漏れしてますよ、すみませんねおネエさんじゃなくて。

「なんで空から」

 上を見たら、僕を落とした人がちょうど逃げていくところだった。

「あいつか!ビビらせやがって。待ちやがれ!」

 高村さんは彼を追いかけていった。
 僕も皆も、まさか落ちるとは思っていなかった。上の階には、身を乗り出して下を見る人、床に座り込む人、震えてる人……とさまざまのようだ。このラウンジにも人が集まりだした。その時、

 パンッ

「そこまで」

 手を叩き、制止を促す声が響いた。
 稀少種が階段の途中から僕たちを見ていた。
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