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第13話 不毛というより、恐怖

ゴキブリ天国(2)

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 柱の向こうからゆっくりとその姿が現れる。

 髪の長い、細い女──オバケ違(ちゃ)うで。
 お姉だ。姉の乙姫や。
 しかしお姉は、幽霊のような壮絶な笑みをこちらに向けた。

「掃除、終わったぁ?」

 掃除アレルギーの彼女は、携帯ゲーム機片手に青い顔だ。

「早く終わらせて、おやつにしましょうよ」

「おやつはいいけど。アンタ、何も働いてへんやん!」

「アラアラ……何か言ったかしら?」

 睨まれてアタシは怯む。
 ああ、自分で自分が情けないわ。

「あああの、そこの物置がまだですぅ」

 ワンちゃんが真面目に申告した。

「そう、じゃあさっさと終わらせちゃいましょう」

「あっ、お姉……」

 姉の行動には躊躇がない。

 ギギーッ。
 魔窟の扉は、こうして魔の女王自らの手で開かれたのだった。

「うわ、何やここ。ゲホッ!」

 立ち込める埃にアタシたちは噎せ返る。
 3畳ほどの狭さのそこには、ダンボール箱が山ほど詰まれていた。

「何かしらね、これ」

 お姉のノンキすぎるセリフ。

「自分の物置やろ!」

 そう言うと首を振る。
 どうやら記憶にないらしい。

「前のオーナーの物がそのまま残っているのかしらね」

「前のオーナー?」

「ここを買い取ったのは一年前だもの。株でちょっと儲けたから、土地を転がそうと思って買ったのよ」

「お姉、株なんてしてたん? 土地転がすなんて、豪快やん!」

「オホホ」

 じゃあコレら全て、前の人の物なんや。
 それやったら遠慮なく捨ててしもたらいいやん。
 なんや、一気に気持ちが軽くなったで。

 そう思ってアタシは一番手近にあるダンボール箱に手をかけた。
 意外と軽い。動かそうとした時だ。
 腕にカサカサ──むずがゆい感覚が走った。

「なに?」

 何気なくそこを見た。
 その時のアタシは、何の危機感も抱いてはいなかったのだ。

 自分の腕を見下ろそうと顔をうつむける。
 視野の端に映った桃太郎とワンちゃん──その表情が一気に凍りつく。
 それは突如、極限状態に置かれた人間の表情そのものだ。
 二人の視線はアタシの腕を這い回る。

「ど、どしたん? 二人とも」

 内臓ムズムズするような嫌な予感。
 カサカサカサ──。

「!」

 テカッと光る黒茶のモノ。
 長い触角がフワリと揺れ、羽が小刻みに動いている。

「ヒィアァァーーーーッ! ゴッ……、ゴのつくモノがぁァ!」

 ゴ○ブリ!
 ゴキ○リ!
 ゴキブ○ィ!

 恐ろしくて名前言えん。
 肩口へ這い上がってくるソレ──ゴのつくモノ、それも特大サイズが二匹。

 ワンちゃんが無言で部屋を飛び出し逃げて行く。
 彼女に続こうとして、桃太郎はその場にバタンと派手に転んだ。

「ヒィァーーーッ! ヒッ! ヒィ~!」

 アタシは両腕を振り回す。
 お姉がすごい声でケタケタ笑い出した。

 しかし、悲劇は終わらない。

 放り投げ、ひっくり返った箱の中からゾロゾロとあふれ出る何十匹ものゴのつくモノ。
 行進というより固まりが波のようにサァーっと動き、そしてアパート中へ散っていった。

 アタシと桃太郎は茫然自失。
 泡吹いてたように思う。
 遠のく意識の中でお姉が楽しそうに「アラアラ」と言っては笑っていた。

「素早いわね、コイツめ! オホホ」

 そしてアタシの姉は、ゴのつくモノを手でつまんで頭と胴をまっぷたつに千切ったのだ。
 平然とした顔で!

「こうやって、むしっておけば復活はないわ」
 あんなこと言ってる。
「たかが小さな虫じゃない。あなたたち、自分の大きさを考えなさいな」

「ごもっともですぅ! 大家殿のおっしゃる通りですぅ!」

 桃太郎がヘンなテンションになってその場に土下座した。

「桃太郎、アカン! 心を殺しちゃアカンて! 気をしっかり……心をしっかり!」

 桃太郎を抱えて、這うような体で出口に向かう。
 ゴのつくモノの大群に流されるように。

「アッ!」
 途中、桃太郎が悲鳴をあげた。
「メガネメガネ……」

 ゴをかき分け、床を探し回る。
 土下座した拍子に落とした大事なメガネを、ゴの海にさらわれたらしい。

「メガネがないと何も見えぬから、メガネを探すこともかなわぬ」

 すごく筋の通った、真っ当なこと言ってる。

 ほんの少し時をおいて、各居室から「ギャーッ!」と凄まじい悲鳴があがった。
 まだ顔も見たことない住人たちが、一様にゴのつくモノに対して慄いた瞬間だ。

 アパート中に、ヤツらは散ったのだ。

 きっとアタシの部屋にも……。
 そう考えた瞬間、アタシは弾かれたように立ち上がった。

 すぐ隣りの自分の部屋に駆け込んで、ガラリと押入れを開け放つ。

「大丈夫か、法師!」

 ピョン。
 小さなカタマリがアタシの肩に取りついた。

 一瞬ギョッとするものの、それが緑色だと分かり安堵する。
 黒茶色じゃない。
 うん、安心。ゴのつくモノじゃない。

「だ、大丈夫か? 法師」

「アウッ……ウッ……」

 一寸法師はアタシの肩にピタッと張り付いてハラハラと涙をこぼしている。
 ああ、遅かったか。
 放心したその様子に、被害はここまで来ていたかとアタシは舌打ちした。

 見ると玉手箱(?)は蓋が半分開いている。
 それがカタカタ動いているではないか。
 中に居るのは──?

「せ、拙者が寝ていたら、いきなり黒茶色の生き物が……黒茶色の生き物が……」

 サイズがサイズだけに恐怖もひとしおだったろう。

 自分と同じ大きさの黒茶色のヤツらが大群で押し寄せてくる──想像もしたくない恐ろしさや。

 箱の中にヤツらがいるのは分かった。
 できればこのまま押入れの戸を閉めて、一生開けたくない──そう思う。
 しかしアタシは意を決した。

「アンタも福の神やったらアタシに感謝して、とびっきりの福……もたらしてや!」

 電光石火のスピードで玉手箱の蓋を閉め、輪ゴムを何重にもかける。
 次の瞬間、窓を開けた。

「飛んでけーッ!」

 空に向かって放り捨てる。

「アッ、拙者の屋敷がぁぁーっ!」

 肩のあたりから悲痛な悲鳴があがった。

 玉手箱は青い空に吸い込まれる。

「はぁはぁ……バドミントンで鍛えたアタシの強肩、まだまだ衰えてへんわ」

 そこへドアが開いた。
 コソコソ入ってきたのは諸悪の根源、怠け者女王だ。

 この事態に尚もゲーム機を手放さず、もう片手にゴの胴体をつかみながら変に薄笑いを浮かべている。
 怖い。

「この前からバルサンをしようと思っていたのよ。頼んでいたのにちっとも買ってきてくれなくて……。嫌だわ、わたしのせいじゃないわよ。オホホ」

 珍しく言い訳がましくブツブツ言ってる。
 一寸法師の存在にも気付かない様子だ。

 アタシは呆けて、もう何も聞いてはいなかった。



「14.不毛すぎたカラクリ~間に合わなかったバルサン」につづく
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