明日の「具」足

社 光

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1話

1話「ゆで卵ラーメン」【3/3】

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 寝起きの胃袋が盛大にぶちかました大あくびが底冷えする部屋の隅々にまで響き渡って沈黙の時間が流れる。15秒と無い位の短い間だったけどそれでも私には数時間のように長く感じる程の苦しい時間だった。昨日会ったばかりの社会人のお姉さん、しかも自分が自転車でぶつかった相手に対して、寝起きのに鳴り響いたお腹の音をじっくり聞かれるなんて……、かなり特殊な嗜好の持ち主でなければ耐えられない恥ずかしさだ。だけど肝心の向こうはほんのわずかな間動きを止めただけで特に何を言ってくるわけでもなく、我関せずと言った様子で手元から引き上げた麺をすすり始めた。朝の爽やかな空気から激しく乖離する豚骨スープの香り。いつもであれば食欲を刺激される濃厚な風味に今日こんな形で出会いたくなかったよ……。

──ザルルッザズル!──

 佇まいからは想像もできないような豪快な音を立てて彼女は麺をすすっていた。全くもって偏見の極みだとは自分で分かっているけど、あぁいう人ってラーメン食べる時もレンゲの上で少しづつ噛んでいくイメージがあったな。ちょっと夢壊れた。多分、事故に関する話は食事の後ということなんだろうけど……、その前に聞きたいことがいくつかある。この部屋を綺麗さっぱり片付けてくれたのが彼女なのかということだ。そんなことをしてくれる理由も何も分からないし、なにやら胸の内側に感じるこのもやもやとした部分が引っかかっている。自分から彼女に何か聞くべきことがあるのだと急かしてくるみたいに。
 
 ──ググゥル……──

 第2射を放とうとした胃袋をお腹の上からグッと強引に左手で押さえつける。取り敢えず私も何か食べておきたい。こんな調子じゃ言い合いになっても反論の1つも浮かんでこないかもしれない。問題は内にある食材は冷蔵庫にある卵1個だけということ、記憶力に自信の無い私でもこういう食べ物に関する問題は割と覚えが良いのだ。そして気にしているのは「量」じゃなくてどうやって食べるかという点。目玉焼き1つ焼いて目の前でちびちび食べる姿を見られるのは流石に恥ずかしかった。オマケに向こうがいつ食べ終わるかも分からないこの状況では焼き時間まで含めて相手を待たせてしまうかもしれない。流石に後ろから催促されながら黄身が固まるまでフライパンの前で待っているなんてできないって!そうなると……残った手段はアレしかない……。

「(ロッキースタイル……!)」

 幸か不幸か勝手に部屋が片付けられていた中で一昨日にコーヒーを飲んだタンブラーはそのまま台所の脇に置いてあった、起きた時に目に入ったから間違いない。余計な動線を極力減らして卵を入手し、タンブラーの縁で割ってそのままゴクリといっちゃう……。手早く厚かましくなくかつ私の技量で今のこのお腹に栄養を供給するにはというかこれしかない!……と、混乱と空腹に支配された頭が出した結論がこれだった。左手で「失礼」って感じのニュアンスを込めたジェスチャーを出してゆっくりと立ち上がり、前を向いたまま後ずさりして真っ直ぐに冷蔵庫に。向こうから見れば私の静止画がゆっくりと縮小されていくようにしか見えない程に関節の全てを固定してバックしていった。もうすぐだ……もうすぐ。そして後ろ手でまさぐる先に取っ手のひんやりした感触に当たるとしっかりとその棒を掴んでゆっくりと扉を開けた。卵はポケット、扉の棚の中段右端っ!

「……ぁれ?」

 ──無い?何も無い。噴き出した冷気のせいで感覚が鈍くなってるのを無視しても指先に感じるのは穴の開いたプラスティックだけだった……!どうして……。

「……」
「ハゥッ!?」

 戸惑っている私に漂う湯気の向こうから鋭い視線が突き刺してくる。そしてさっきの長いすすり音とは違う短い漣音、あれは底に残った短い麺を探りながら食べてる音だ!思いのほか意地汚い食べ方をしているショックよりもこの場合はもうすぐ向こうが食べ終わるという危機感の方が勝ってくる。まずい!食べ終わったら多分本格的な話し合いだ!

「(ぇえいや、何でも!)」

 細かく素早いすり足でテーブルに滑り込んでスタート位置に戻る。仕方ない、覚悟を決めよう。大丈夫、夜道で聞いた低い声で動揺したけど昨夜からここまでの話し方から見てそこまで話せない人じゃないと思う。誠心誠意、こっちの非を認めた上で謝り倒せば、なんとか……なって欲しい……無理かもしれないけど。

「ハグゥフ」

 ん?

「ハグ」

 消え入りそうな程に小さく抑えられているけど、この朝の静かさの中でその音は私の耳に確かに届く。くぐもった中から聞こえる音は何か熱いものを頬張るときの息遣いによく似ていて、ひたすらに吐き出される息がその熱量と大きさを分かりやすく実況しているみたい。間違いない、この声はカップの向こう、彼女の口元から聞こえてきている。おかしい、残った麺とかスープをすするだけであんな声出す?間違いなく何か大きなもの、インスタントのかやくよりも大きな、熱くて丸っぽいもの……。

「あっ!」

 合点のいく予想と一緒に決定的な姿が目に映って思わず声が出た。カップの縁と彼女の唇の間から覗いた白い肌。後ろから差し込む朝日が反射する程の艶やかな白と、その内側から顔を出す薄く黒みがかった黄色、豚骨のこってりとした匂いに包まれても見た目で分かるその鉄っぽさで確信が持てた。そう、アレはゆで卵!メーカーさんの試行錯誤などお構いなしに投入された後乗せゆで卵だ!

「ふぁ、な……なんです?」
「あぁ……いやぁ。おいしそうだなーって」

 まだ仕掛けちゃいけない。多分アレは我が家の最後の一兵の成れの果てだ。そしてそれを彼女は私の許可なく口に運んでいる。状況だけ説明すれば何でもない事かもしれないけど唯一この場において私にプラスになるかもしれない事実が今目の前で実行されているんだ。つまるところ「窃盗」……!恐らくあのひとは私を逃がさない一心で部屋に留まって監視を続けていたけど、耐えきれない悪臭(誠に遺憾!)と空腹感に襲われてゴミの処分も合わせて買い出しを実行したんだ。深夜で軽い労働の後、少し後の朝に食べるんだとしても何か濃い味のものが食べたくなる状況で彼女は日頃手を出さないだろう豚骨ラーメンを買った。あんなスマートな女子が日常的にそんなもの食べるわけがないもん(偏見)。だけどいざ食べようと調理していく過程で自分の胃袋が予想以上にスカスカなことに気づいた彼女は手直にあるうちの冷蔵庫の中からお駄賃とばかりに最後の一個の卵を簒奪した……、こういうシナリオでしか恐らく今の状況は説明できない!

「み、見ていてもあげませんよ!……それよりも何か言うことがあるんじゃないですか?」
「……何ですか?」
「いえっだから……このお部屋を見て、何か言うことがあるんじゃないですか!?」
「……うーん、言われてみれば確かにどこか物寂しくなった気がしますね。泥棒にでも入られたのかな?」
「誰が泥棒よ!!!」

 動揺の声と一緒に汁の染みた割り箸がテーブルに叩きつけられる。なんというかビジュアルに似合わず凄まじく分かりやすく取り乱している。もうほとんど自供しているみたいなもんじゃんこれ。でもまだ駄目だ、素直にウチの卵を盗み食った事を追及しても何かしら言い逃れされる可能性がある。彼女が「勝手にやった」ということを彼女自身に認めさせないと。

「んん”っ!……貴方が昨夜勝手に眠ってしまって私はここに一晩中いたんです、泥棒なんて……入ってきたら分かるに決まってるでしょう」
「なんで一晩もこんな部屋に?あんなに居心地が悪そうだったじゃないですか?」
「この怪我の責任を取っていただくまでは帰れません!狸寝入りかとも思いましたが、いくら抱え起こして揺さぶっても起きないんですから待つしかないでしょう!?」

 ……何もそこまで。

「その間、あんなヘドロ溜まりのような空間でなんて過ごせません。……あとは分かるでしょう?」
「何がです?」
「ですからっ!私が貴方の部屋を徹夜で片付けてあげたんです!!!」

 よし、自分から手を出したことは認めた。あともう一押し───

「そぅ……ですか……」
「な、なんです……?」
「いえ、なんでも」
「何です!?ハッキリ言ってください!」
「私が大事にしていたものが見つからないので」

 ノってきてお願い!

「大事な、物……?そんな全部ゴミだったはず……」

 来た!

「まず台所の流し近くに置いてあった未開封のかなタワシパックが無いです。何か知ってますか?」
「あっ……あぁ、あんな有様では気付いていないでしょうが全部錆びていたので処分しました。……それだけですか?」
「それと、窓側の壁の左隅に置いてあった期間限定のチョコの包装」
「あんなのゴミと同じでしょ!それに傷やしわだらけで大事にしてあるようには見えませんでした!」
「あと、台所に食べようと置いてあった卵」
「!?」

 言った途端に彼女は一切の動きを止めた。急表情まで固まったのは多分手元にあるカップに目線が行かないようにしているんだと思う。ここまで行けば多分確信犯だ。心は痛むけど一気に追い込ませて貰う。

「給料日前で食い詰めてた身で、あれがウチにある最後の食糧だったんです。ただ今見た限り何処にも見つからなくて」
「あっ、アレは!……ほらその……腐ってた、腐ってたのよ!流しの脇に出してあったせいで……」
「卵は常温の方が日持ちするんですもん」
「え!?なら貴方何で冷蔵庫の中に入れてたっ……の……」

 言っている途中で自分で気が付いたのかテーブルに手を着いて食って掛かっている途中で彼女の口は止まってしまった。多分、実行中から後ろめたさがあったんだろう、そこに漬け込んで相対的に自分の非を軽く見せようとしている私の矮小さが心にグサグサと突き刺さるけど遠慮なんかしない。警察のご厄介になる最後なんてガチで嫌だ!

「私の卵ですよね……その中の」
「……」
「盗んで食べたんですか?」
「ぬすっ!?違っ、これはその……迷惑料として」
「あるんですかその中に、私の卵?」
「ハゥ?!」

 またしても語るに落ちた彼女の手元を立ち上がって見降ろしてみる。真っ白な博多豚骨の溜りに半月状の白身と粉々になった黄身が顔を出していた。それを見た瞬間に腹が立ってきたのは私が黄身を大事に食べる派だったからではないと思う。

「人の家の備蓄に勝手に手を付ける行為は、立派な犯罪だと思うんですけど?」
「──貴方だって!元はと言えば貴方の自転車の運転が原因でしょう!?事実私は怪我してるのよ!」
「それは分かってます!ですからここは、起きてしまった事実を踏まえた上で話し合うのが一番だと思うんですけど?!」
「そんな都合の良い話しがあるもんですか!いいから電話番号教えなさいよ!」

 ───ピンポーン───

 論争の第一射がその音で中断される。この時間にやってくる人間には心当たりがあるけど理由は……と考えて視線を流すと開きっぱなしになっていた窓に目が止まって納得がいく。

「……ちょっと待っててくださいよ卵泥棒」
「ひき逃げ犯が何言ってんのよ!」

 摺り足で玄関まで静かに近づいてインターホンを押す。恐らく大家のが朝っぱらからの騒音に対して注意にやってきたのだ。ただいつもよりも部屋にまでやってくるのが大分速いことに違和感を感じる。出来るだけ手早く済ませようと応答ボタンを押して素直な声で「はい」と答えた。

「すいません、警察の者ですが。通行人の方がこの部屋で言い争う声を聞いたらしいのですが……何か心当たりなどありますか?」

 ……終わった、最悪だ。警察が来たと知られたら彼女は腕の傷を見せて私の非を主張してくる。こっちは向こうの言質しかないんだからシラを切られればそれまでだ……。インターホンからの声は絶対に聞こえてるし事実もう後ろからはドタドタと足音が聞こえてきている。

「はーーーい!!!」

 部屋中に響く大きな返事と共に目線の横からヌっと伸びてきた腕がドアノブに掛けられた。どうやら私の無駄な抵抗もこれでお終い……あぁ、お母さんお父さんごめんなさい。あなた方の娘は犯罪者として───

 ───ガチャコ───

「すいませ~ん朝から大声出しちゃって。別に変ったことは何も──」

 ……へぁ?

「大丈夫ですか?」
「はい、ご迷惑をおかけしちゃってすいませんでした!彼女の寝相について注意してたら少し言い合いになっちゃって。それで少し……ね?」

 何言ってんのこの人。何故こっちにウインクする?

「?……あっ!そうでしたか……こ、これは、失礼を!」
「いえとんでもないです!小さなトラブルに気づいてくださる方がいれば、私達も安心して暮らせますから」
「ご無礼をお詫びします、それでは」
「いえこちらこそ、お勤めご苦労様です」

 一切の事実を話すことなく紺色の制服の背中をにこやかに見送る彼女。青ざめた右手首をひらひらと振りながら私に視線を向けたその時も、ほんの少しの間彼女はその優し気な瞳のままそ私を見つめ続けていた。



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