明日の「具」足

社 光

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2話

2話「湯豆腐と水餃子」【1/3】

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 「んっ、んっ、んっ、くぁ……」

 コップ1杯の水を飲み干して深く息を吸う。目覚めが悪い時とか気分が落ち込んだ時によくやっている対処法。長所はお金がほとんどかからない所。短所は目の前の現実には変化がない所。

「……」
「飲んでるところじっと見ないでくれます?」
「貴方は見てません!また余計な人がやってこないか玄関を見てたの」

 目覚めがけの悶着から1時間くらい経ったと思う。慣れない冷え冷えのフローリングに直に座る私の目の前に、昨日の事故以来ぴったり付きっきりになっているキャリアウーマン(死語)がさっきまでとは似ても似つかない仏頂面でまだ居座っている。目的は私の身分証、言い逃れできないようにするためだ。もっとも……

「余計な人達だったんですか?警察の人が」
「……」
「まぁそうですよね。盗み食いの現行犯ですもん」
「勝手なこと言わないで、証拠なんてないでしょ。私は事情も知らない警察が間に入って余計な時間がかかるのを避けたかっただけ。あなたの言い分なんて聞くだけ無駄なんだから」

 すまし顔で言っているけど彼女のお腹の中には間違いなく我が家の最後の食糧が収まっている。でも現存する証拠が彼女が滑らせた言葉だけな以上、お互いに事情を話しても警察に信用されるのは間違いなく彼女の方だと思う。あの青アザはかなりインパクトあるし。

「私にも反論の自由はあるんじゃないですか?」
「実際こうして私は怪我してるの。どんな事情があろうが貴方の運転に過失がある事は明白でしょう」
「なら警察にあの場で言えばよかったじゃないですか」
「まぁそれは……、とにかく!この件は私とあなたの間だけで解決させて貰います!貴方にとってもその方が都合が良いでしょう!?」

 情けないけどその通りなのが悔しい。本格的な警察沙汰になったらここを出ていかざるを得ないだろうし、何より解決にまでも時間がかかる。どんな形でも彼女に直接話ができるののならそれに越したことは無いか……。

「……分かりました。お幾らほどお支払すればいいですか?」
「……ん?」
「治療費と慰謝料……ですよね?こういう場合。目の前で話しているんだから弁護士の人を呼ぶまでも無いと思うんですけど」

 聞きかじった知識を並べ立ててはみたけど少なくともこっちから言い出した方が心証は間違いなく良いはず……、そのくらいの考えから出て来た私の言葉を受けて彼女は何故かキョトンと気の抜けた顔をしているように見えて、私の方から確認の言葉を投げるまで黙りこくっていた。

「まぁ、そうね。……で、でも!もっと大事なコトあると思わない?」
「なんです?」
「……誠意」

 うわ。

「謝罪の言葉なら、昨夜のうちにしたと思いますけど」
「逃げた後に私に迫られてやっとでしょ!とにかくもう一度しっかり目を見てやって。自分に少しでも悪い部分があるって思っていればできるはずよ」

 まぁ当たり前だ……、色々悪あがきしてはいるけど結局この人にぶち当たって私が逃げた事実は変わらない訳で、むしろこんな風に面と向かった話し合いが出来てるのはかなりありがたい事なんだと思う。……うん、そうだ。もう一度しっかり謝ろう。

「……ごめんなさい。人としてやってはいけない行動を取ってしまって、本当にすいませんでした」

 色々な謝罪のパターンを脳内で組み立ててみたけど、芝居じみた感じになると嫌だったから土下座ではなく正座のまま頭を下げた。角度とか形式的な決まりとかあってないかもしれないけど、とにかく申し訳ないという気持ちだけは込めたつもりだ。私の方が悪いことをしたっていう事実を自分の心でも受け入れる為に、頭を下げて変な表情にならないように唇と瞼を堅く閉じて向こうから声がかかるまでただひたすら頭を下げて待ち続けた。
 そうやって少し間が開いた後、何かを飲み込むような音が聞こえた後に彼女から「もういい」という言葉を貰うと私は頭を上げてまた彼女と向き合う形になった。何度か掌で顔を拭うような変わった仕草をした後に彼女は、1回深く深呼吸をすると昨夜部屋の中で見た時と同じ真剣な面持ちに戻ると、身分証ではなく電話番号の方を教えるように言ってきたのだ。

「保険証とか、逃げない為に預かるんじゃないんですか?」
「貴方をどうだか知らないけど私は分別のある大人なの、貴方が自分から雲隠れするような臆病者じゃないってことくらいは昨夜からの間で分かったわ。こちらから連絡するまで大人しくしていてくれるのなら番号だけで許してあげる」

 非常にありがたい言葉だけどそのまま頷いていい物かどうかが分からずに黙ってしまった。沈黙が続いてもさっきまでの刺すような視線は感じられない。謝罪の気持ちが通じたのかは分からないけど、今の彼女の真剣さの中には昨夜のような厳しい雰囲気を感じられなかった。

「分かりました」
「当然ね、ここで断られるようなら即裁判よ」

 極端な人だと思いつつも言葉を飲み込んで彼女が差し出してきたメモ用紙に携帯の電話番号を、そして一応私から出来る誠意の表れとしてここの住所も書き記しておいた。

「繋がらなかったら一応参考にしてください、必ず出るようにはしますけど」
「だから当然の事だって言ってるでしょ。まぁ、ありがとう」

 そう言うと彼女はおもむろにスマホを取り出して番号を打ち込み始めた。少し長い操作時間の後にロフトの上から私のスマホの着信が部屋の中に鳴り響き始める。

「間違いないみたいね」
「……すいません。止めてきます」

 ロフトの梯子を上ると片付けられる前の部屋の残り香が臭ってきた。うっ……、確かに改めて嗅いだら気になるかも……。音の鳴る先に重なっている布団と枕を押しのけてようやく見えた液晶の光に手を伸ばそうとする。だけどその時、ガチャリという聞き慣れた金属音と革靴のつま先を地面に当てるトントンという音が玄関から聞こえてきたのだ。

「えっ!?あっちょ……!」

 急な気配の移動に慌てて、梯子にしがみついたまま後ろを向こうと頭を起こしたせいで後頭部を天井に強打してしまった。声にならない苦悶に耐えながら梯子から落ちないように必死な私に向かって話しかける彼女の声はやはり玄関の方から聞こえてくる。

「大丈夫?」
「っだぁ……ちょっと待って……!」
「───番号はテーブルに置いてあるわ。じゃあ、またね」

 そういった後にまたガチャリという音が聞こえて部屋の中から気配が1つ消えた。後頭部の鈍痛がようやく収まってきてゆっくりと梯子を下りて行くとやっぱりもう部屋の中には彼女の姿は無く、言葉通り彼女のモノだと思う携帯の電話番号が書かれた名刺が1枚、テーブルのド真ん中に置かれていている。冷たい朝の風が吹き込み続けていた窓と閉じて見慣れていたはず部屋の本当の広さに眩暈を感じながら、私はフローリングの上でまたお腹の音が鳴るのを聞いた。

「あぁ…… んなる……」
 
 



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





 今朝、ほとんど初めましてに近い再会を果たしたローテーブルの上に、目を覚ましてから眼に入っていなかった我が家の主な家具家電類を並べ終わった。収納らしい収納が存在しないウチの中で見当たらなかったから最初は彼女に捨てられてしまったんじゃないかとも心配してたけど、まさかシステムバスの中にまとめて押し込まれているなんて思わなかった。一息つこうとトイレのドアを開けた瞬間に、先客みたくカバーの上に鎮座していた加湿器を見た時の感情をどう言い表したらいいものか。

「……使う前に洗お」

 カルキの塊だらけの内部を水洗いする中で自分のズボラさを猛省しながら今後の行動についてを考え始めた。彼女からもらった名刺と電話番号。とはいってもこっちからこの番号にかけることは恐らく無い。私の役目はこの番号からかかってきた電話に可能な限り素早く応答するだけだ。こっちがやってしまった方な以上、向こうの都合に合わせるのが自然な流れだろうし。何よりこの名刺に書かれている内容が私と向こうの立場の差を決定的なまでにしていた。

Terra's テラスって、ネット通販でもかなりの大手じゃん。そこの営業部長って……ヤバいな……」

 多分、今の日本国民の5人に1人は使ったことがあるネット販売業者「Terra'sテラス」。素粒子より大きなものと富士山より小さなものだったら何でも買えるんじゃないかってくらい豊富な品揃えで有名で、かくいう私も先週新しい膝掛を買わせてもらった。それくらい大きな会社だ。大してこっちは喫茶店のバイトで日銭を稼ぐ作家モドキ……。釣り合うどころか反動で大気圏を突破しかねない程に立場が違う。ここは大人しく向こうからの連絡があるまでじっとしているしかないでしょ。
 弁護士や警察沙汰にしないと言ってくれたのは予想外だったけど正直感謝しかない。ここを放り出されたら他に住む場所を探すのも大変だろうし、何より時間ばかりがかかってしまいそうだった。今にして思えば彼女、優しいとか言うレベルじゃないくらいに譲歩してくれてるっていうか、余り良い言い方をしなければお人好しが過ぎる。素直に甘えたいのは山々にしてもここまで譲ってもらうのって、何ていうか……。

さかき 奈央なおさん。いや、榊主任さん……か」

 小さな紙片の中の3文字の名前を見つめながら、住む世界が異なれば視点も違うということなんだろうか?と、らしくも無いことを考えてはみるけど……、どっちにしたって私には待つことしかできそうにない。名刺に書かれた名前に目を奪われるよりも先に、一先ず買い物にでも行ってこの空っぽのお腹を満たしてから考えよう。

───ペリリリリリ!ペリリリリリ!───

 不意に鳴り響き始めた着信音に胡坐あぐらのまま床から跳ねそうな程に驚いた。瞬間的に梯子を駆けのぼりながらこんなに早くに連絡が来たのかと爆発的に膨らんでいく不安を押し殺して、まだ充電器に刺しっぱだったスマホの画面を覗き込む。

『けんしろう』

 そこに映っていたのは見慣れていても見たくなかった名前。その名前から電話がかかってくる理由に数えきれないほどの合点がいって、そそくさと緑色の受話器マークを右にスワイプする。

「───もしもし?」
「ん?珍しいな、言い訳から入らないなんて」
「自分に非があるって確信できれば、人間素直なモンだよ……」
「下で話す。無理が無かったら早めに来い」
「はーい……」

 すさまじく簡素な会話のラリーが終わった。低血圧特有の気だるげなトーンの向こうでカチャカチャと忙しなく響くコントローラーの音からして向こうは徹夜明けなんだろう。注意か説教か勧告か、私は申し訳なさと面倒臭さを3対7の割合で心に抱えながらギョサンを履いて玄関を出て、このアパートの大家である御殿おどの 健史郎けんしろうの部屋へと降りて行った。
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