明日の「具」足

社 光

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2話

2話「湯豆腐と水餃子」【2/3】

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「俺が何で怒ってるのか分かるか?」

 上司や先生が言ってきたら面倒くさい言葉ランキングトップ3に入る台詞が部屋に入った瞬間に廊下の奥のリビングから飛んでくる。玄関から素足になって上がり、足元に散乱しているケーブル類を踏み越えながら声の元に向かって行く途中で同じ質問がもう1度、さらに大きな声で奥から飛んできた。

「夜中からさっきまで騒いでたこと?」
「それは良い、昨夜の俺の方が大声出してた。他は何か無いか?」

 自主性を養うと言えば聞こえはいいけど、ぶっちゃけ自分の言葉で相手に伝えるのがメンドクサイだけだよねこの聞き方。この人の場合こういう聞き方をしてくるときは2パターンしかない。が激しく動いているかの動きが激しいかのどっちかだ。加えてリビングに近づくにつれてますます大きくなっていくカチャカチャ音、これだけで原因が後者だということが裏付けられる。それにしても他に何の問題があったっけ……?

「……一昨日のアルペンに入ってた焼きハラスおにぎりの最後の2つ、抜け駆けして買い占めたこと?」
「だぁあああ!!!こんぬぁーーーー!!!」

 廊下まで響き渡る怒声と衝突音。すごい接戦からの押し切りをされたとみて間違いない。ということは頭の方も自由になったはず。質問の答えとスムーズな解決を求めて私は液晶の明かりが煌々と灯る管理人特別室のリビングに足を踏み入れた。
 6台のモニターのうち5つに映し出された折れ線グラフ、そして残った1つに赤くデカデカと張り付けられた「LOSE」の文字の前でうなだれながら、アパート「コミヤグランパレス」の大家である御殿おどの 健史郎けんしろうは言葉にならない後悔と疲れを口からのため息と頭からの蒸気で吐き出していた。

「……大丈夫?健史郎」
「あぁおぅ、見ての通り……。ったくどうしてここ一番で右にずれるかね……」
「よく分かんないけど、力入れ過ぎなんじゃない?」
「おぅサンキュ、そして素人はシャラップ。……質問の答えはどうした?」

 相当熱中してたみたい。憔悴したオーラに免じて素直に諦めて呼び出された原因を向こうに訊ねてみると、健史郎は右手に持っていたコントローラを床の上に置いて真剣な面持ちに変わった。私がここに入居した時以来初めて見るくらいのレベルにまで張り詰めた表情の彼を前に、思わず私は面倒さとかを忘れて彼の言葉を聞くことに全部の神経を集中させる。

みなもと……」
「……ん、ななっ!何!?」

 黄緑色のやたらゴツゴツした大きい椅子から腰を上げ、健史郎は立ち上がるなり摺り足で急速に距離を詰めてきた。一周りも年の離れた男がそんな風に近づいてきたので思わず私も同じくらいの速さで後ずさろうとすると、健史郎が「だ!」と大声で私を制止させた。目線を追えばどうやら踵がケーブルに引っかかりそうになっていたみたい。

「っ悪い。単刀直入に聞くぞ……あの人は何だ?」
「あの人って……どの人?」
「認識を合わせる手間が惜しい!お前はどいつのことを言ってる?!」
「自分から分かりやすく聞けばいいでしょ!さっき私の部屋から出ていった女の人の事?!」
「長い黒髪でパンツスーツ、目尻がキュッと上がったクールビューティーな人だったか!?」

 あぁなるほど。いつになく真剣だったのはそういうことか。まぁこの人の場合、入居者の苦情とかは住人同士の話し合いになる前に処理できちゃうし、近隣からの苦情は警察が必要な場合以外はそもそもガン無視だからわざわざ呼び出していってくるあたりロクでもない話題じゃないとは思ってけど……。

「悪いけど、あの人とはもう一度しっかり話し合いをしなきゃいけないから。そういうことは色々済んでからにしてくれない?」
「こぁっ!?……知ったように言ってくれるな。お前が狙ってるなら俺だって横入りなんてしないよ。ただ昨日の今日でお袋から催促の電話があったから妙に意識して視ちまったっていうか──」
「別に、私もそういうんじゃないの。ちょっと込み入った話し合いをしなくちゃいけなくて……それまでは大人しく向こうからの連絡を待たなくちゃならないから」
「込み入った話?」

 だらしなく椅子に戻ってコントローラを握りながら背中越しに健史郎が訊ねてきた。でも事故の内容に関して話すのは避けたい。間違いなくややこしさが増すし、何より心配させたくない。

「ウォーターサーバーの契約。しつこくって玄関の中にまで踏み込んでくるもんだからついつい大声出ちゃったんだよ」
「お、何だ良いじゃないか。そういう大事な大物があればお前も少しは部屋の中を綺麗に保つ意識ができるんじゃないか?」

 ぐっ!

「先月手伝ってやってからまた散らかし具合は悪化してないだろうな?汚れた空気じゃ治るもんも──」
「だ!大丈夫!実は昨日の晩に鳴ってた音がその片付けの音でさ!徹夜でやった後にその営業が来たもんだからイライラして大声出しちゃったんだよ!」

 心は重くなるけど嘘は言っていない。ここで納得させないと食い下がってくるだろうし、の部屋に入られたらますます怪しまれる!

「じゃあ……ホントに関係ない人なんだな?」
「うん」
「連絡先とかも知らない……?」
「……うん」

 喉に引っかかってる真実をグッと飲み込んで当たり障りのない返事を返す。コレは自分だけの責任で起こってしまったトラブルなんだから巻き込みたくない。そして無念そうに納得しながら画面に顔を戻す健史郎にじゃあねと声をかけて部屋に戻ろうとしたら、マズいことに呼び出された動揺で忘れかけていた空腹感がまた激しく襲ってきた!

「うぐぐ、ねぇ健史郎お菓子か何か貰ってって良い?」
「なぁみなもと、お前さっきの話に嘘は無いよな?」

 無くない。

「う、うん!私が健史郎に嘘ついたこと無いでしょ!」
「そうか……、ならさっき言ったアルペンの件も本当か?」
「ぬっ!」

 アルペンていうのはここから徒歩2分の場所にある個人経営のコンビニ。おにぎりが美味しいんだけど特に焼きハラスを入れた特製おにぎりは人気ですぐに売り切れちゃう。私は1つの真実を隠すのに夢中でもう1つの重大な事実を露見させてしまったらしい。

「か、帰ってから差し入れしようかと思ったんだよ!インターホン鳴らしても出てこない方が悪いんじゃん!」
「持つ者は持たざる者に!ラス2を買い占める事だけでも立派なマナー違反だろうが!盗人に恵む菓子はねぇ!」

 ドタドタとケーブルの沼の上をヘッドホンをつけたアラフォーに追い立てられて気付くと私は管理人室の扉の前に叩きだされていた。すきっ腹で熱量が足りずに冷え切った身体に11月の寒風が容赦なく吹き付けてくる。私は近所用の真っ赤なギョサンを両足に引っ掛けて今年1番の大きなくしゃみを1つかましてから自分の部屋にすごすご退却せざるを得なかった。

 部屋のドアノブが金属なことがこの季節になると特に辛い。素手で握る度にくっついて離れなくなるんじゃないかって不安になって余計なストレスがかかっているような気がしてならない。そんなことを毎回考えながら戻ってきた自分の部屋の中に改めて外から入ってきた時、私は全身から湧き出る感動の波で全身に鳥肌が立った。
 嘘!これ!?これが私の部屋!?いや確かに部屋を借りて1週間はこんな感じだった覚えがあるけど、色々な忙しさにかまけて暮らしていくうちに私が毎日排出していくブツが溜まっていくばかりで、あるラインを過ぎたらもう後は対処療法……寝床のロフトが埋まらないくらいにまでゴミ出ししてまたほったらかしの水際対策ループ状態だった。こんなありのままの姿……もう見る事なんて無いと思ってたのに……。

「うっぐ……」

 嬉しさのあまりに涙が零れてきた。もう健史郎の小言を聞かない為の言い訳を考えることも、お蕎麦屋さんの出前の人に中を覗かれない為に必死でディフェンスすることも、食後の錠剤が行方不明になることも無いんだ!私は自由だー!!!

「えぇいやった、あ」

 ───WARNING───

 脳内で微かに響いた警告音とその裏でイメージされた7字の英単語。その存在感の小ささは今まさに鳴り始めたからじゃなく、まさに今消えようとしているから。昨日の惰眠から目覚める前、溜め込んでいたエネルギーをついに使い切り、歓喜の雄たけびを上げたのを最後に私の体はその全ての機能が停止させようとしていた。

「ふぉぉぉ……」

 膝から崩れ落ちた床の上にかつてこの体を優しく抱き留めてくれたコンビニ弁当のトレー達はいない。最近肥えてきたことを自覚し始めた我がボディの体重を受けた両膝はその職務を放棄し、私の全身は冷たく艶やかなフローリングの上に横たわる。空っぽになり最早何の抵抗力も持ち合わせない私の頭に実に2時間も経たないうちに馴染みのある眠気が襲ってくる。これは死ぬ!死ぬ前の眠気だ!

「……んフギギぃ」

 歯を食いしばって抵抗し続けることも叶わず緩む口元とその奥からかすかに聞こえ始めたいびきに戦慄し、私はこの10時間ばかりのうちの自分の運命を呪いながら空腹による苦しい眠りの中に落ちていった。

「こふ」





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※






───ポコポコポコ……───

 何か聞こえる。胸の中を流れる太い血管の中みたいに、温かい水の音。懐かしい水の音色は心地の良い軽い音からすぐにグツグツって感じの重い音に変わって、それに釣られたようにもう1つの音が薄ぼけた意識の中に飛び込んできた。

───ドタッ、ドコドコドドズッ───

 連続する重低音。ひどく不規則なペースで発生するその音は同時に大きな振動を生み出しながら動き続けていて、次第に感覚を取り戻し始めた私の身体にダイレクトに伝わってくる。そして次に聞こえてきたのは声。

「あぁ!もう沸いてるし!こんなに火強くしてないよもう!どっちから先に入れた方が良いかなっ……、冷たい方が先?」

 酷く取り乱した様子の声に合わせて振動とドタドタ音も行ったり来たり。くっ付きかけた瞼を剥がして最初に見えたのは、私の部屋の中で狼狽えながら動き回りテーブルの上で沸騰している鍋のお湯と対峙している1人の女性の姿だった。

「へぇあ!?」
「!?」

 目覚めたばかりのぼんやりした意識が放った驚きの声。ガスコンロの火と沸き立つ熱湯を前にしてどこかの民族舞踊の如く戸惑いながら体をくねらせていた背中はそれを聞いて動きを止めた。肩口の高さで1つに束ねられた長くて艶やかな黒髪を大きく振って私の方に向けられたその顔は、動揺のせいか今朝みたいな厳格さがかなり和らいでいて、私を見たその2つの瞳には不意を突かれたことで露わになった動揺とほんの僅かな嬉しさがあったような気がした。

「目、醒めた?」
「……報知器鳴っちゃうんで火弱めて」
「あっ、うん……」

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