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2章:新婚旅行は幻惑の都で…(前編)

17.フレポジ夫人とシルク

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「そうそう、外ではエーデルを名乗ってるからエルシャもソレでお願いね」
「エーデル様ですか?」
「ただの偉くないエーデル、皇族だなんてすぐバレても周りが普通に接していれば相手は気を使わなくてすむでしょ?」
「ハァ…わかりました、エーデル…これでいいですね?」
「ついに陥落ね!」

 馬車の中で自分の事を"エーデル"と呼ぶように言ってくる。
たかだか呼び名だけでこのこだわり…呆れてしまうがエルシャも素直に根負けを認めた。
昔から公務では真面目に取り組む彼女であったが、プライベートになると一気に砕けた性格となる。
皇女という重責を担う彼女だからこそ、それから一時的にでも解放されるという事の大切さを知っているのだろう。
…以前のエルシャにはわからなかった事だ。

 ケヴィンの妻となって今ようやくその大切さが理解できるようになった。
エルシャにとっての「公私混同をするな」はプライベートに公務を持ち込んでしまうという欠点に対して言われる事であった。
自分の全てを公の為に捧げる覚悟を持ったエルシャにとって、休む時間とは家族との時間以外に存在しなかった。
そして、きっとそんな人間だったからこそ、妹の我儘に付き合う事も兄のスケジュールを無視した突然の思い付きによる行動も愛おしいと思えたのだろう…

 フレポジェルヌ領に訪れ、温泉で気を抜いた途端指一本動かせなくなる…
そんな事が数日続いた程に、心労というのは長年積みあがっていたのだ。
だからだろう…コーデリアが全力で気を抜こうとしている気持ちが理解できるようになっていた。


―――――――――――――――――――――――

 馬車で連れてこられた服飾店、コーデリアお勧めという事で当たり前だが皇室御用達という奴である。
サレツィホール家の娘としてのエルシャであれば家格に合った店と言えるが、今は子爵家に嫁いで来た身。
予算が心配ではあったが、ケヴィンから出がけに十分な金額を提示されたので驚かされた。

 恥ずかしながらエルシャは未だに夫の資産に関して把握していなかった。
冒険者として仕事をしていたというのは知ってはいたが、皇都でここまで名が知られている程の人物だなどという事は知らなかったのだ。
精々男爵家程度の年収があれば相当凄い…くらいの認識である。

 どうしてフレポジェルヌ領の税収に匹敵する程の年収を得ているなどという発想が出てこようか…?
勿論、主要作物である米が家畜のえさ扱いで買いたたかれているため現金収入としてではあるが。
これが皇都一つで王国の経済規模と同等と言われる程の大都市で成功するという事なのだろう。
聞けば冒険者としての稼ぎだけでなく友人の行っている事業に夫も出資しているため不労所得がいつの間にか入ってくるようになっているのだとか…
改めて疑問に思う…なぜ結婚できなかったのだ???

 ちなみに姉のアネスはもっとすごいらしい。
なんでも「魔道具関連の権利収入がエグイ」のだとか…
そんな姉弟が王国では全くの無名でのほほんと温泉に浸かっている。
姉は名声には無頓着で弟は女を口説く事にしか使わない、加えてハーケーンは他国民が多いためあまり気にされないというお国柄もあるのだろう。
多分ケヴィンも王国で嫁探しをしていたらすぐに相手は見つかったはず…と、よく考えたら妹のルフィアがソレであった。

 王家には全く情報を漏らすことなく血縁関係を結ぼうとするあたり、流石サレツィホール侯爵と言える。
そして、コーデリアには王家との確執など存在しないとは言ったものの、父がこのような細工をするあたり残念ながら確執は確実に存在するのだろう…

 政治の世界は騙し合い化かし合い…それだけならまだ可愛い物だ。
時に、身に覚えのない罪を喧伝され、時に暗殺という手段まで用いられる。
政敵だからと言って真逆の意見を投げつけ足を引っ張り同じ国の者同士で罵り合い潰し合う。

 それが愛国者だけであれば理解も出来よう…だが、実際はそうではない。
国を売ってでも、民が苦しもうとも自分の利権や名声、保身の為に平気で他者を蹴落とす人間もいる。
人が二人いれば争いが始まる…そんな事実にエルシャはいつも苦々しい思いで一杯であった。


 とにかく武器現金は用意してもらったのであれば戦えるし、紹介してくれた皇女殿下に恥を掻かせる事ものない。
エルシャとしてはサレツィホールの娘、そしてフレポジェルヌ家の人間としての仕事をするだけである。


 店に入って内装を見渡すと…なるほど皇女に相応しい店のようである。
飾られたドレスなども一目で一流とわかる一品ばかり。

「どうかしら?」
「ええ、大変すばらしいお店のようですね」
「よかった~お眼鏡にかなうか心配だったのよね。
エルシャの事だから皇女に相応しくない店を紹介したら小言を言われそうだし…?」
「そんな事は…」

…あるかもしれないが、コーデリアであればきっと大丈夫である。
店に問題はなさそうなので早速店長の挨拶を聞いてから採寸を済ませ実際に服を見て回る。

「こちらがシルクのドレスとなります」

 店員が言って見せてきた物を観察するエルシャだったが…

「どうかしら?」
「仕立ては素晴らしい技術をお持ちですが…
正直申し上げますと、サレツィホールの娘としてはこのシルクに袖を通すことはできませんね」
「ハッキリ言うわね…どう、これでこの方の事わかったかしら?」

コーデリアは店員に向かって呆れたように言うと店員も苦笑いだ。
別に試したというわけではないのだろう。
ハーケーンで生産されるシルクとしてはこれでも上質の物のはずなのだから。

 だがエルシャにしてみれば値段の割に品質が悪いという評価となってしまう。
これは、サレツィホールが南方より仕入れる高品質のシルクを輸入しているためである。
その南方の国はハーケーンとは正直仲がいいとは言えない。
そのためハーケーンが高品質のシルクを手に入れたければサレツィホールを海路で経由しなくてはならず、それには長く伸びた半島を迂回する事になってしまうため値段は跳ね上がってしまう。

 ハーケーンでそのシルクが手に入らないというわけではないが、既に仕入れの段階で買い手が決まっているのが殆どであり、今日初めて訪れたエルシャがいきなり買える物でもない。
皇女の紹介であれば買えなくもないのだろうが…エルシャとしては実家に頼めばいい話だ。

 そしてわざわざコレを見せたコーデリアの狙いとは…
やはりフレポジェルヌを通しての交易を見越しての事なのだろう。
海運での交易は一度に大量の物資を運べ、それは陸路とは比べ物にはならない。
価格が高いながらもシルクも当然ながら交易品として人気がある。

 そして、そのリスクは個人の商人が手を出せるほど小さいものではなく多くの人間がかかわる大事業なのだ。
以前にもハーケーン近海に海竜が出現しサレツィホールの交易船も被害にあった事がある。
その海竜は既にハーケーンの冒険者によって討伐されたという事だが…
海のトラブルは即死につながる大変危険な物、そして船を失う事は全財産を失う事でもある。

 だが、仮にフレポジェルヌを経由する陸路が確立されたならばどうなるか…
陸路であれば当然個人からの交易も可能…
そして、利ザヤの大きいシルクは当然個人の商人としては人気の品物となるだろう。
それは価格を大きく引き下げる要因となるのは明白である。
そしてそれはシルク単品に限ったものではないはず…

 王国側としても陸路による貿易路の開拓の恩恵はサレツィホールとハーケーンだけの関係ではない。
何しろ王都とハーケーンをほぼ最短距離で結ぶことが出来る新しい貿易路なのだ。
王国全土がこの新しい貿易経路に注目し、こぞって新規街道を整備する事だろう。
その明確な利のあるインフラ整備事業は王国の経済…
とりわけサレツィホールとの経済格差の根本原因である慢性的な失業問題の解決の光ともなりえる。

………

 今更ながらに本当に大きな重責を任された物だと感じると共に、やはり父には一言でも言って欲しかったと思うのであった。
一体何手先を見通せば、関係が完全にこじれたエルシャにこの役目を任せようと考えるのだろうか…?
父の千里眼が見通す先が皆目見当つかないエルシャであった。
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