上 下
17 / 53
第一部

5-1.ムカつくあいつと出会った時から

しおりを挟む
 真っ暗な闇の中で目を覚ました。
 ここは一体どこだろう?
 辺りを見回したところで、視界に入るのは暗闇しかない。
 それどころか自分の手足すら見ることができない。
 そんな場所などあるわけがない。
 そこでようやく意識だけの存在なのだと気づき、同時にこれが現実ではないと理解できた。
 夢、なのだろうか。
 強く意識したことはないが、いつもとどこか違っている気がした。
 底知れない恐怖心はその場から動くことを不可能にし、闇の中でうずくまるしかなかった。
 どうせ見るのならもっと温かいものがいい。
 例えば……あいつの夢とか。
 気付いてしまった恋心は、アリシアの思考を鮮やかに染め上げた。
 
 初めてロシュを目にしたのは、入学式の時だった。
 大勢の生徒や教師が見つめる中、堂々と挨拶を読み上げる様子にアリシアは感激していた。
 あまりにも落ち着き払った態度は、同い年なのかとつい疑ってしまったくらいだ。
 同級生たちはなぜか反感にも見える視線を送っていたが。
 式が終わり教室に入ると、クラスメイトはすでにグループができていた。
 富裕層の生まればかりなのだから、元から派閥的なものもあったのだろう。
 勇気を出して近付いたところで、忌避にも近い視線を送られてしまう。
 仲良くなるのは……難しいのかな。
 初めて家族から離れたアリシアにとって、最初から突きつけられた疎外感は大きなものだった。
 しょんぼりと肩を落として席を探すと、出口に近い場所に広く空いた場所があった。
 普通、こういう席は後ろから埋まってしまうものではないか。
 不思議に思って目を向けると、空間の中心には唯一名前を知っている姿があった。

「あの……ロシュくん、ですよね? さっき代表でお話ししてた。ここ、いいですか?」

 思い切って声をかけると、細めた瞳がこちらを睨み付けた。
 今まで一度も見たことのない赤い瞳に思わず見蕩れてしまったが、相手はそうではないらしい。
 嫌悪感すら抱いているのか、敵意を込めた視線をぶつけてくる。

「てめぇも親の命令か?」

「え?」

 親……?
 アリシアの実家は学園から遠く離れた土地で雑貨屋を営んでいる。
 アリシアも幼い頃から手伝っていて、近所の人々から看板娘と可愛がられたものだ。
 本当なら、義務教育を終えてすぐに家業を手伝うはずだった。
 しかしそうはならず、あえてこの国一番の学園に入学したのだ。

「いえ、お父さんもお母さんも魔法とか全然興味なくて。
 ほんとは家計も楽じゃないって分かってるんですけど、どうにか通わせてもらうんです」

「ああ……例の特待生かよ。縁を作りたきゃ他の連中にしろ。俺に目ぇつけても意味ねぇぞ」
 
「縁、ですか?」
 
「どうせてめぇも見栄かなんかで入ったんだろ。
 あいつらに媚びへつらっておけば卒業後にいい思いできんじゃねぇの」

 あいつらというのは、遠巻きにこちらを見ているクラスメイトのことだろうか。
 つまらなそうに言ってくる言葉の意味がまるで分からない。
 え、もしかしてこの人、人付き合いしたことないの?
 そんな疑問が浮かんでくるくらい、ロシュの態度は険悪なものだった。

「分かったらさっさとどっか行けよ。馬鹿がうつる」

 ふいっと顔を背けられ、アリシアのこめかみがピクリと痙攣した。
 どうやらこの男も自分を毛嫌いしているらしい。
 大層な家に生まれた者ばかりの中で、自分が弾かれるのは仕方がないかもしれない。
 しかし、今ぶつけられた言葉にはまるで納得できなかった。

「黙って聞いてれば……っ!」

 手近な机にバンと手を叩きつけ、不愉快な存在にぐっと顔を寄せる。
 初めての王都で初めての寮生活と、不慣れで忙しない日々に疲れが溜まっていた。
 その上、期待に胸躍らせてきた教室でこんな目に遭ったとなれば。
 売られた喧嘩を買ってしまうのも無理はなかった。

「あんた、挨拶したってことは学年一位なのよね? 次があたしなの。
 特待生で入るためにどれだけ勉強したと思ってんの? 馬鹿にしないでっ!」

「は……?」

「は、じゃないわよ! なぁにが縁よ! あたしはそんなもののためにここに入ったんじゃないんだから!」

 クラスメイトたちがあんな態度だったのはそういうことなのだろう。
 縁が欲しくて近付く庶民と思われているのなら、最初に釘を打ってしまえばいい。
 自分は純粋に魔法を学びたいだけなのだから。

「あたしはここを一番の成績で卒業して、エリート魔術師になって高給取りになるの!
 馬鹿がうつるっていうなら天才もうつるでしょ、ちょっとそれよこしなさいよ!」

 アリシアの大声は教室中に響き渡り、小声の誹謗がぴたりと止んだ。
 そしてそれは目の前のロシュも同様で、敵意のこもった憎まれ口が塞がっている。
 静まりかえった教室の中、アリシアは内心で冷や汗をかいていた。
 入学早々、とんでもない悪目立ちをしてしまった……。
 背後にいるであろうクラスメイトを振り返ることすらできず、ただただ喧嘩相手を睨むしかできない。
 赤い瞳がふと和らいだと思ったら、次の瞬間失笑に変わった。

「うわ、こいつ馬鹿だ」
 
「馬鹿じゃないって言ってるでしょっ!?」

「俺よりは馬鹿だろ。お前、なんていうんだっけ? 記憶の端にもかかんねぇ奴、大したことねぇか」

「はぁっ? あたしはアリシアっていうの! 天才なら人の名前くらい覚えられるでしょ!」

「必要ねぇって言ってんだよ。覚えて欲しけりゃ覚えさせてみやがれ」

「言ったわね? ちょっとそこの荷物どかしなさいよ。覚えるまで離れないんだから!」

「覚えたら離れてくれるってか」

「嫌よ。あたしの将来のためにあんたを利用してあげるわ」

 そう言って、悪意の視線を避けるようにロシュの隣に座った。
 しかしロシュはそれを拒まず、眉をひそめながらも僅かに口角が上がっていた。

 そんな思い出が浮かび、アリシアは闇の中でふっと気持ちが和らいだ。
 あんなに最悪な出会いから、よくもここまで一緒に来られたものだ。
 今では唯一心を許せる存在で、今では初めて好きになった相手で……。
 そう思った瞬間、真っ暗な中に赤紫色の光が向けられた。
 眩しく明滅する光はどこか不安を感じるもので、無意識に目をそらしたくなってしまう。
 しかし光はそれを許さず、闇に雄々しい声が響き渡った。

『無上の魔力を捧げろ』

 安らぎは緊張に塗り変わった。
 責め立てるような追い立てるような、威圧的な声に身体が震えてしまう。
 湧き上がる恐怖は心臓を強く握りしめ、苦しさに鼓動が速くなった。
 僅かに浮かんだ願望を感じ取ったかのように、雄々しい声が音を強める。

『集め、惹き寄せ、搾り取れ。そのための力を与えた。無上の魔力を捧げることが貴様の役目だ』

 靄がかかった頭に響く声は誰のものなのだろうか。
 無上の魔力って、一体なんのこと?
 声の正体を知りたいと目蓋を開こうとした時、赤紫色の闇はさぁっと霧散していった。

 あれから何度寝起きを繰り返しているのだろう。
 救護室で意識を失った翌日から、アリシアは浅い睡眠を続けていた。
 身体を襲う倦怠感が軽くなることはなく、今は立ち上がることすら困難だった。
 ただの疲労ではないのだろう。
 心あたりがあるとすれば淫魔の呪いだけ。
 下腹部の紋章は今も消えることはなく、僅かな膨らみに触れるとどうしようもなく不安になる。
 これから、どうなっちゃうんだろう……。
 どうにか寝返りを打つと、机に積み重なったノートが目に入った。
 昨晩、ロシュが置いていったものだ。
 自分のために大嫌いな授業に出て、丁寧にノートを取ってくれた。
 元気になったら授業に沿って教えてやると言われ、こんな状態なのに約得だと思ってしまった。

「今日も、会えるかな……」

 考えるだけで胸が温かくなるのは、好きだと気づけたからだろう。
 ロシュに対する気持ちはクレメントへの憧れとは違っていた。
 口論しながらいつも一緒に居て、不真面目な姿を何度も叱って。
 だけどふとした時に見せる真剣な顔や、からかう時の意地悪な笑みに見惚れてもいたのだ。
 ロシュへの気持ちが高まっていくにつれ、身体を襲う疼きも増していく。
 欲求と倦怠感に包まれた身体は、再び限界を迎えて眠りに落ちた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

サラ・ノールはさみしんぼ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:260

精霊たちの献身

恋愛 / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:1,046

甘やかして……?

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

魔拳のデイドリーマー

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:1,050pt お気に入り:8,522

桜の季節

恋愛 / 完結 24h.ポイント:426pt お気に入り:7

黒魔女さんは炎狼を捕まえたようです。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:60

呪物ショップの店主呪戀魔「呪界団地編」

ホラー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:7

ヒヨクレンリ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:482pt お気に入り:884

突然の契約結婚は……楽、でした。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:86,937pt お気に入り:2,508

処理中です...