異国妃の宮廷漂流記ー愛と誇りを紡ぐ花嫁のサバイバル譚―

花雨宮琵

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第一章:漂流の始まり――宮廷という伏魔殿

第7話:顔面クーデターとロレーヌ派の影

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 結婚を祝う披露宴――とは名ばかりの食事会。
 舞台は宮殿の晩餐室だった。
 伝統にこだわる帝国風のコーディネートは、この場と同じく重苦しい。
 王国なら、もっと軽やかで可憐な装飾なのに。
 磨き上げられた銀食器が、刃のように冷たく光っていた。

「……祝宴のはずなのに、最後の晩餐みたいだわね」

 帝国の招待客たちの視線に潜む敵意は、殿下に愛する女性と皇子がいるからなのか。
 それとも、五年前まで剣を交えた王国から来た花嫁――私自身へのものなのか。
 まるで敵地に単身乗り込んだ気分。
 一応、私だって四分の一は帝国人の血が流れてるんだけどなぁ。

 それもこれも――すっぴんのせい!?
 控室で施された“悪女顔メイク”に耐えきれず洗い落としたら、すっぴんの方が強気に見えるなんて。
 ほんと、損な顔立ちだ。

 殿下の隣で挨拶すると、みなが顔をひきつらせ、二度見する人までいた。
 すっぴんで二度見? ……どういうこと。
 笑ってないとにらんでるように見えるのかな。
 天真爛漫でいられたら、どんなに楽だったろう。
 でも、背伸びしなきゃ生きてこれなかったんだもの。

 挨拶の列は絶えず、年若いからと侮られ、面倒な夫人には絡まれる。
 帝国語が分からないふりを続けていればよかったかも……。
 そんな中、ただ一人、年配のご婦人が胸元の刺繍を見て微笑んだ。

「まあ……その意匠、とてもお似合いですわ。……うちの子たちも、いずれ妃殿下のお支えになれば」
 名も明かさず去っていったけれど、その言葉が胸に小さな灯をともした。
 だからもう、形ばかりの挨拶はやめることにした。
 無理に笑うより、美味しい料理を味わう方が誠実だと思えたから。

 目の前のテーブルには、料理人の技と趣向を凝らした小皿が整然と並んでいる。
 宝石のようなアミューズブッシュ。
 森の香り漂うキッシュを口に運んだ瞬間――
「……ほぉぅ」
 思わず息が漏れる。敵陣に放り込まれた気分も、少しずつ和らいでいく。
 次のひと口を待ちきれずフォークを伸ばす私に、殿下が声をかけた。

「……よく食べるな」
「美味しいから」
「ふっ。そうか」
「ふぁい」
 口いっぱいに頬張ったまま返事をすると、殿下の肩が小さく揺れた。
 呆れたようで、どこか楽しそうな笑い方だった。

 魚料理を平らげたところで、冷たいぶどうのソルベが運ばれる。
 芳醇な香りに、帝国の葡萄酒ワイン文化の誇りが滲んでいた。
 ――いよいよ次は肉料理。そう思った矢先。

「皇太子妃殿下」
 野太い声とともに、来賓席から大きな影が立ち上がった。
 あの歩き方、あの腹の揺れ。
 来たわね、絶対面倒臭いやつ!

「――外務大臣だ」
 殿下がそっと耳打ちしてくれる。

「帝国の格式ある披露宴に、すっぴんで臨まれるとは……王国の礼儀作法は随分と自由奔放なようで。王国流の“親しみ”の表現ですかな? 帝国では礼節を尽くすのが常ですがね」
 かっかっと笑うたび、たるんだ腹がどすんと揺れる。
 その笑い声と腹の揺れが、晩餐室の重苦しさをさらに増幅させた。

「危うく国際問題に発展しかねない――“顔面クーデター”に遭遇しましたの。あれを“礼節”と呼ぶのなら、尽くさぬことをお勧めしますわ」

 一瞬の静寂。次いでざわめき。

「なんて無礼な……」
「異国の娘風情が……」

 突き刺さる視線は、元敵国から来た花嫁を拒む姿勢そのもの。
 殿下が椅子をわずかに引き寄せ、低く囁く。

「顔面クーデター、か。……たしかにアレは酷かった」
 広間の空気がすっと張りつめる。殿下の声には、父帝を思わせる支配力がある。
 顔を強張らせた大臣が言葉を続ける。

「私の娘が付き添い人を務めましたが――」
 ――好きにやっていい。
 殿下の低音の声が、私だけに落ちてきた。
 まるで、責任は自分が取ると言うように。

「そのクーデターを企てたのが、彼女たちでして。外務大臣のお嬢様も、ご一緒でしたのね?」
 ざわめきが止み、会場が静まり返る。
 隅では女官たちが魂の抜けた顔でへたっていた。
 馬車酔いで顔は真っ青、唇は紫、化粧は跡形もなく崩れていた。
 滲んだアイラインは“悪女”を通りこし、“魔女”そのもの。
 あれを“礼節”と呼ぶのなら、私は無礼で結構よ。

「……ロレーヌ派の令嬢たちだな」
 誰かの小声が耳に届いた。
 なるほど――外務大臣もロレーヌ派の手先ということか。
 だからあの女官たち、揃って私をあざけったのね。
 ロレーヌ公爵である財務大臣の影がちらつくときは、いつも何かが崩れる気がする。
 まるで、見えない手で足をすくわれるみたいに。

 私の内心とは裏腹に、皆が続きを待っているようだった。
 ――私が敗者をさらに追い詰めるのを。
 けれど私は、公衆の面前で相手をおとしめるような真似はしない。

「ハリボテの見た目を磨くより、誠意を態度で示すこと。それが王国流の礼節――そう教わって育ちましたの。ですから、お許しくださいな」
 そう微笑み、仔羊のロティへとフォークを伸ばした。

「ふっ。援護射撃するまでもなかったな」
「射撃なんていらないわ。あの大物、皮肉しか詰まってなさそうだもん。せっかくなら、美味しいジビエがいい」

 殿下の口元がわずかに緩み、グラスを軽く揺らす。
 その仕草は、まるで意趣返しが成功した合図のように思えて、重苦しい披露宴に一筋の風を通した。
 ――けれど、胸のざらつきまでは消えなかった。
 ロレーヌ派の名が、影のように背後にまとわりついていた。
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