異国妃の宮廷漂流記

花雨 宮琵 ー Kau Miyabi ー

文字の大きさ
12 / 75
第1章:漂流の始まり――宮廷という伏魔殿

第12話 泣いてくれた人。笑わせてくれる人。

しおりを挟む
 夜になり、湯浴みを済ませると――女官たちに昨夜と同じ夫婦の寝室へ案内された。

「……どうして? 今夜は私室で休みたいんだけど」
「お飾りの妻とはいえ、結婚された以上は、夫婦の寝室でお休みいただくのが“慣例”でございます」

 “お飾りの妻”。
 単語帳にこっそり書き留めておいたのに。
 きっと、殿下か、気づいた女官が捨てたんだ。

「まあ、殿下がこちらにお越しになることは、まずございませんので」

 わざわざここに寝かせるのは、独り寝の寂しさを味わわせたいから?
 あの女官たちってば、ほんとに性根が悪い。

 私は大きなベッドに飛び乗り、クッションを抱えて真ん中に座った。
「夫婦の寝室、かぁ……。ランスロットはもう、ヴィクトリア様とそういうことをしてるのかな」

 彼らの結婚式は、直前に花嫁が代わったけれど、予定どおり行われた。
 ランスロットが初恋の相手ヴィクトリアと結ばれたことを祝う気持ちはある。
 でも――やっぱり私は傷ついた。
 ランスロットが私ではなく別の人を選んだことも、王家にあっさり切り捨てられたことも。

「私が純粋な王国人じゃないから、王家には相応しくないと思われたのかなぁ」
 だとしたら、帝国で幸せになりたいところだけど。
 こっちに来たら来たで、「元敵国から来た花嫁」なんて言われている。

 結局、どちらの国でも余所者よそもの扱い。
 根無し草。
 それが、今のわたし。

 風に吹かれれば、どこへでも運ばれる。
 根を下ろす場所もない――そんな、根のない花嫁。
 咲いた証の花びらでさえ、風にさらわれて消えていく。

 ……あの頃もそうだった。
 私とランスロットの婚姻に反対する保守派の声が、一段と大きくなっていって。
 帝国の財務大臣――ロレーヌ公爵の長女が嫁いだ家の近縁も、その中にいた。
 理由は分からない。ただ、あの時から何かが動いていた気がする。

 あーぁ。
 “ここにいてもいい理由”って、どうすれば見つかるんだろう?

 もう、嫌になっちゃう!
 どうして今頃になって、涙が出てきちゃうのかな。

 私はクッションを抱えたまま、わんわん泣いた。

 ランスロットは、私の代わりに泣いてくれる人だった。
 恋じゃなかった。
 でも、家族みたいに、心の奥で繋がっている人だった。
 だから、今みたいに涙が止まらない夜には、“ランスロットがいてくれたら”って思ってしまう。

「ランスロットの、バカ――っ! どうしてこんなとき、そばにいないのよ!」

 クッションを投げつけた瞬間、ベッドが揺れた。
 ……え?

「殿下!?」
「――こんな時間に、ひとりで枕と格闘か」

 よく見たら、殿下の前髪が乱れている。
 どうやら殿下の顔にクッションを投げちゃったみたい。
 慌てて頬をこすり、涙の跡を隠した。

「……別に」
「夫婦の寝室で元婚約者の名を叫ぶのは、如何なものかと思うがな」
「殿下に言われたくない。公妾だか愛妾だか側室だかがいるくせにっ! いつまで夫のふりを演じるつもり? だいたい、どうしてここに――」
「寝るためだ。婚姻後、三日三晩の共寝は慣例だ」
「慣例、慣例って。そんなにカタチが大事?」
「伝統は……帝国の理念だ。それに――そばにいてほしいんだろう? 俺では代わりにならないだろうけど」
「殿下じゃ、足りないの。……ランスロットはね、いつも私の代わりに泣いてくれたの。でも殿下は、そういうのできないでしょ?」
「王太子のくせに泣いていたのか」
「ヘタレだもん……。あれ? ヘタレって、帝国語で何て言うの?」
「意気地なし、根性なし、臆病者――そのあたりだ。……メモはするな」
「殿下って、説教するときだけ饒舌じょうぜつなのね?」
「無言の圧力が一番苦手なのだろう? だから、2番目で我慢しておけ」
「……ぷっ。ふふふっ、あはははっ!」
「――こういうのなら、できる」
「え?」
「ヘレナの代わりに泣いてやることはできないが、笑わせることなら」

 殿下はそっと顔を近づけ、残っていた涙を指先で拭い取った。
 そのまま優しくおでこを合わせる。
 昔、祖母がしてくれたのと同じ仕草に――また涙がこぼれそうになった。

 そういえば、初めて『ヘレナ』と呼ばれた気がする。
 それに。私が苦手なもの、ちゃーんと覚えててくれたんだ。
 宮殿に向かう馬車の中での、たわいもないお喋りだったのに。
 こんなことで、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 でも殿下は、初夜が明ければ本当の“家族”のもとへと帰ってしまう。
 優しくされたところで、心の居場所には、なれない。

「――そろそろ休むか」
 結局、そのまま同じベッドで寝ることになった。

「……殿下の身体って、本に出てくる英雄譚の騎士みたい」
「ん?」
「強さというより……背負ってきたものの重さを感じる」
「……守れたものより、失ったものの方が多いがな」
「え?」
「いや、忘れてくれ。――灯りを落とす」
「はーい」
「伸ばすな、と言っただろう?」
「はいハイ。おやすみなさーい」
「……まったく。わざとだな」

 殿下は私の前髪をくしゃっと乱すと、背を向けてすぐに寝息を立て始めた。
「なによ……」
 女性として意識していない態度が腹立たしくて、殿下の背中にぴったりと身体を寄せて瞳を閉じた。

 皇太子って、物語に出てくる中性的な王子様のような身体をしているもんだと思ってた。
 でも実際は、鎧を脱いでもなお鎧をまとっているみたい。
 不思議ね……なんだか懐かしい。
 遠い日の記憶に手を引かれるように、眠りへと落ちていった。

 その夜――昔の夢を見た。
 赤いマントが、陽を受けて燃えるように揺れていた。
 剣だこのある硬い手のひらが、私を支える時だけは驚くほど優しかった。
「気がついたか? 可哀そうに。ちゃんと家に帰してあげるからな。それまで頑張るんだぞ?」
「心配いらない。必ず家に戻してやるから」
「ヘレナのことは、俺が――――」
 低く静かな声が、耳の奥で響く。
 けれど、いつもここで目が覚めてしまう。

 私の泪を受け止めてくれた彼は、夢の中にいた。
 笑わせてくれると言った殿下は、すぐそばにいるのに――彼の背中に耳を当てても、心の声は聞こえない。
 仕方なく、再び目を閉じる。

「……離縁したら、あの人のもとへ行けたらいいのに」
 その願いは、夢の底に沈んでいった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...