異国妃の宮廷漂流記

花雨 宮琵 ー Kau Miyabi ー

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第1章:漂流の始まり――宮廷という伏魔殿

第18話:妃と俗世間と銀縁老眼鏡

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 例の“スープ事件”が明るみに出た翌日。
 女官長を含め、私付きの女官は見事に総入れ替えとなった。
 猛獣たちがいなくなり、清々したのも束の間。

「明日から、護衛騎士が24時間体制でヘレナを警護することになる」
「……え?」
 殿下のその一言に、私はフォークを刺そうとしたベーコンを勢いよく弾き飛ばした。
 お皿の外へ、ポーンと。
 床に転がったベーコンを、いつの間にか現れた銀縁眼鏡が顔を近づけてまじまじと見てから拾い上げた。
 ……どうして毎回、こんなにお肉が硬いの!?

「警護? 監視の間違いじゃなくて?」
「皇太子妃は常時警護されて然るべき身分なのだが、手違いで――」
と語る殿下の発言も気になるけれど、目下の問題は目の前のお肉だ。 

「手違い。……便利な! 言葉! ですわねっ!」
 ……あー、ダメ。ナイフの刃が欠けそう。
 私がお腹を壊したから万全を期しているのだろうけど、これなんて、もはや炭化寸前!

 護衛については、前の女官長の策略でわざと配置されていなかったに違いない。
「別にいいのに。人件費の節約になるし」
だからな」


 朝食が終わると、先ほどの銀縁眼鏡が3人の若者を紹介してくれた。
「本日より妃様の警護を担当いたします、ジャン、ジャック、ジョンの3名です」
 ジャン。ジャック。ジョン。……なんて、覚えやすいの!
「エレナよ。今日からよろしくね!」
 握手しようと手を差し出した私を、銀縁眼鏡が探るような視線で射抜いてくる。

 ……いったい、なんなの。
 血痕をスケッチする公証人。
 寝グセの一本まで描く宮廷画家。
 そして、今度はこの銀縁眼鏡!

 警護なんて言いながら、元敵国から来た花嫁が何かやらかさないように見張りたいだけでしょう?
 ”礼節”を国家理念に掲げておきながら、やってることは“のぞき見”じゃない。
 そう不貞腐ふてくされていたけれど――
 私の放つ田舎娘の空気がそうさせたのか、3人とはすぐに打ち解けた。

 しかもこの3人、みんな平民出身の騎士で、貴族社会の裏話から市井しせいの流行語まで、なんでも知ってる。
 皇太子妃教育じゃ絶対に教えてくれないようなことを、彼らは惜しみなく教えてくれるのだ。
 殿下には内緒だけれど、私は敬意を込めて彼らのことを「俗世間の師」と呼び、慕っている。
 昨日なんて、陽気なジャンが右手を伸ばしながら、こんなことを教えてくれた。

「今、庶民の間で“帝国の女はね――”って言い出すのが流行ってるんですよ!」  
「えっ、なにそれ!?」  
「で、豪快に林檎をシャリっとかじるんです。“健全な肉体は健康な歯に宿る”ってやつで、花嫁選びの合言葉になってるんですよ!」
「そ、それって私の真似!?」

 真面目なジャックが眉をひそめ、声を潜める。  
「――エレナ様、宮廷の中に間者スパイが……どこのどいつだ」  

 頭の回転の速いジョンが、間髪入れず計算を始める。
「……そうか。では出演料をいただかねばな。エレナ様、500マルクルほどでいかがでしょう?」  
 指を折りながら真顔で続ける。  
「あぁそうだ、田舎の幼馴染が林檎農家でしてね。思わぬ林檎フィーバーに嬉しい悲鳴をあげていますよ。……農夫からも“使用料”を取れるかな?」
「ちょっと! どうして商売の話になってるのよ!」
「ははっ、ジョンは商魂たくましいなぁ!」
「いや、ジャン殿にジョン殿、笑いごとでは……!」
 ジャックが顔を青くしている。

 まあ、いっか。
 結婚パレードもなかったし、帝国の経済が潤うのに一役買えたのなら、それでいいわ。

 そんなある日、銀縁眼鏡がわざわざ私室まで訪ねてきた。
 実は彼、帝国官僚のトップオブザトップの事務次官様らしい。
 なんでも、護衛騎士の件について“ご説明”があるのだとか。

「妃様の護衛には、貴族出身の騎士をあてがうのがですが……妃様に難しいお話はご理解いただけまいと思いまして、平民の騎士を選ばせていただきました」
 また出た、“慣例”。
 殿下といい、儀礼官といい。――帝国の偉い人って、こればっか。
 “あえて”だなんて、わどとらしい。
 当てつけの匂いしかしないじゃない。

「まぁ! それは素敵なご配慮ね!」
「……え」
「事務次官なんて、書類としか話さない方だとばかり思っていたわ。嫌な偏見よね、ごめんなさい」
「はぁ」
「ジャンたちは気さくだし、すごく物知りなのよ? 昨日なんて、ジャックが“皇太子妃付きの毒見役が、長年毒を摂取しすぎて、もはや毒に気づけない体になってる”って教えてくれたの!」」
 事務次官の顔が、みるみる青ざめていく。
「いや、それは……」
「それを聞いて、すっごく納得しちゃったのよね。スープ事件のとき、毒見済みだったのにお腹を壊したから。変だなって思ってたの!」
「……そ、そうですか。3人をお気に召していただけたなら、何よりです」
「ええ、とっても! 事務次官って、見る目があるのね! ジャン達を選んでくれてありがとう!」
「……恐縮です」
 彼の口元が、引きつった笑みに変わったのを見て、多少気が晴れる。  
 帝国官僚が肌身離さず持ち歩くという、『帝国官僚規範集』。  
 そこに新しく“動揺”って項目を書き足してやった気分。  

 その後、事務次官は眼鏡を指で押し上げながら、何とも言えない顔で退室していった。

 彼の背中を目を追いながら、ジャックが心配顔で耳打ちしてきた。
「エレナ様、あれは皮肉だったのでは……」
 ジャンが、肩を揺らして笑う。
「そうですよ! まさかの“褒め殺し”で返ってきたせいで、眼鏡が半分ずり落ちてましたって!」
「まっさかぁ! 私が近い将来、ちょっと身分が変わるって分かってて、広い世界を見せてくれようとしてるのよ、きっと!」
「ええぇ!?」

 あっ、いっけない! うっかり口がすべっちゃった。
「っていうか、ほら。皇太子妃も、永久就職じゃないから。ね? ね?」
 ジャンが、ぽんっと手を打った。
「たしかに! 皇太子殿下が皇帝になれば、エレナ様も皇妃になりますもんねぇ! 今のうちに庶民の暮らしぶりを学んでおくのは理にかなってるってもんです!」

 いや、違うんだけど。
 でも、離縁前提の身っていのは内緒だし。
 ――今は笑えてる。けど、2年後は……どうだろう。

 ジャックは首を傾げながら、理解に苦しむという顔をしている。
「そういう解釈も、あり得るのでしょうが……」
 ジョンに至っては真顔でつぶやいている。
「さすが事務次官殿。先を見据えておられる……投資の一環というわけか。……いつかあの方の元で学びたいものだ」

「そぉーなのよ! あの銀縁の眼鏡はね~、ただの眼鏡じゃないわね。“先見の明”が宿ってるに違いないわ。あなどるなかれ、よ。知らんけど!」
 最後に「知らんけど」ってつけると、何でもオッケーになるって、ジャンが教えてくれたのよね。
 責任回避の常套句じょうとうく
 ちょっと品はないけれど、早速使えるんだもん。
 やっぱりよかったわ、護衛がこの3人で!

 どや顔をしている私をよそに、ジャンたちの表情がさっきまでと打って変わって堅い。
 ん? どうしたの?
 いつもなら笑ってくれるのに。
 違和感を抱いたその瞬間、空気が凍りついた。

「――あれは老眼鏡だ」
「ひぃっ、殿下!? いつから、ここに!?」
「ヘレナ、来客だ。――それから、事務次官が“眼鏡を買い替えようかな”とぼやいていたぞ」
「えっ……えええええ!?」
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