異国妃の宮廷漂流記

花雨宮琵

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第2章:新たな漂流先――森の離宮

第29話:冷笑の影、食卓に灯された温もり

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 公爵はそれ以上言葉を重ねず、ただ視線を絵の一点に留めた。
 ジャンたちと私の笑顔の背後――そこには、壊れた荷馬車が描かれていた。
 荷台には、金貨の入った袋に紙の束。
「……くだらんっ!」
 苛立ちと焦りを混ぜた声が、石造りの玄関にキン――と響いた。
 公爵はすぐにはっとして、平静を取り戻す。
 が、いつもより早口になっていることには気づいていないようだ。
「妃殿下。余計なことに首を突っ込まぬことです。知らぬ顔をしていれば……冬も安らかに越せましょう」

 脅しのつもり?
 それに、どうしてここまで苛立つの?
 私の言葉は、ただの皮肉にすぎなかったはず。彼ほどの人物が、それしきで冷静さを乱すはずもない。
 もしかして、カリが描いた絵に何かが隠されている?
 ――分からない。

 やがて、衣擦れの音と靴音が遠ざかり、扉の前で止まった。
 そして、ふと化粧気のない私の顔を見て、冷笑を落とす。
「殿下には、もっとふさわしい伴侶が必要でしょうな」
 低く吐き捨てる声。
 その言葉に、胸の奥がざわめいた。
 ――イヴェットを正妃に? それとも――クリステル様を?

 扉が閉まる音がやけに大きく響いた。
 すぐにジャン達が駆け寄って来る。
 けれど、絵画に描かれた笑顔が場違いなものに見えるほど離宮の空間は冷え切っていた。
 背筋を伸ばしたまま、深く息を吐く。
 ――微笑で返したはずなのに。
 うまく言葉にできない痛みが、胸の奥に残った。

 
 3日後。

「そもそも離宮の食費、なんでこんなに少ないんでしょう?」
 護衛なのに官僚じみたジャックが、帳簿を抱えて眉をひそめる。
 私は苦笑して肩をすくめた。
「離宮に住むなんて、想定外のことだもの。予算がついてなくて当然よ。私費から出すから、問題ないわ」
 するとジャンが、ポンっと手を打って大声を上げた。
「だったら! カリが描いたエレナ様の肖像画を売っちゃえばいいんですよ! 絶対人気出ますって!」
「ジャン殿! 妃様を商品扱いするなど……!」
 ジャックが青ざめて慌てふためく。
 私は苦笑して首を振った。
「ダメでしょ! 国民からお金をむしり取るなんて、皇族にあるまじき行為だわ!」
「ははっ、冗談っすよ冗談!」
 ジャンはけらけら笑って場を和ませる。
 するとジョンが肩をすくめ、冷静に言った。
「……非売品にしておけば、価値はさらに上がりますよ。投資は”時間”を味方につけることが大事ですから」
「もう! 商売の話はいいから」

 そんなやりとりとしていたら、レオポルドが思わぬ人物の来訪を告げた。

「失礼いたします」
 大きな籠を抱えてやってきたのはーー
「料理長……」
  
 逃げるようにして厨房を去ったあの日ぶりに見る、料理長の姿だった。 
 彼が抱える荷物の中には、秋の食材がぎっしり詰まっている。  

「旬のものですから、取扱いには注意が必要でして……私が直接お持ちするのが一番かと」  
 少し言い訳じみた口ぶり。  
 でも、その目はどこか誇らしげで、まるで離宮のみんなに食べてほしいと言っているかのようだった。  

「まぁ……ありがとうございます!」  
 その心遣いが嬉しくて、思わず声が弾んでしまう。  
「せっかくだから、ここで召し上がっていきませんか?」  

 驚く料理長をよそに、私は厨房に立った。  
 生成り色のクロスを敷き、庭で摘んだダリアと野花を小さな花瓶に挿す。  
 そのまわりに、ジャン達と森で採った松ぼっくりやどんぐりをころんと転がし、紅葉した葉を一枚添える。  
 食卓は一気に秋の色に染まり、宮殿の白い食卓とは違う、家庭の温かさがそこに広がる。  

 かぼちゃと栗のポタージュ。  
 鴨肉のロースト。  
 洋梨のタルトタタン。  

 護衛も使用人も一緒に席につき、ぎこちなく帝国式の祈りを捧げたあと、カットしたバゲットの入ったお皿を回し合う。  
 料理人たちの間に謀反者がいないかを探るように、目を皿のようにして見回すジャック。
 一人当たりに行き渡るお料理の量を慎重に測るジョン。
 ポタージュをクロスの上に落としてしまい、慌てふためくジャン。
 そんな彼らの姿に笑いをこらえきれず吹き出す使用人たち。  
 こんな賑やかな食卓に、料理長はしばらく黙っていたけれど、やがてコック帽を脱ぎ、深々と頭を下げた。  
「……妃様。どうか、私にご助言をいただけませんか」  

 その姿に、若い菓子職人たちが思わず声を上げる。  
「料理長! 帝国の誇りを捨てるおつもりですか!」  
 料理長は静かに言った。  
「誇りを守るために、学ぶんだ。妃様の料理は、人を笑顔にする。――我々に、最も欠けているものだ」  

 祖母の言葉――「文化の交流はね、まず胃袋からなのよ?」――を思い出し、胸の奥が温かくなった。  

 それからというもの、宮殿から時おりやって来る官僚たちが食卓に加わるのが恒例になった。  
 彼らが持ってくるのは、決まって宮殿の菓子職人が焼いた「王国風紅茶クッキー」だ。  

「今日はどんな味かしら?」  
 皿を回して皆でかじりながら、私は笑って言った。  
「今日のは……真面目な官僚さんの味ね。レシピどおりにきっちり配合したんでしょう?  
 でもね、お菓子って、その日の天気や湿気で少しずつ味が変わるの。  
 だから、ちょーっとだけ配合を工夫するのが秘訣なのよ」  

 官僚たちは顔を見合わせ、やがて吹き出した。  
「妃様の感想は、いつも一風変わっていて面白いですね」  
「いやはや。柔軟性のなさは、我々の欠点でもありますから。さすが妃様、見る目をお持ちだ」
 その言葉が宮殿に戻って菓子職人の耳に入り、次はどんな感想が聞けるのかと楽しみにされているらしい。  

 私はお礼に、自分で焼いた素朴なお菓子を小さな包みにして官僚に託す。  
「これを、菓子職人の皆さまへ渡してちょうだい」  

 交換日記ならぬ、交換菓子。  
 そんなやりとりが続くうちに、離宮の食卓はますます賑やかになっていった。  
 まるで親戚同士が手土産を持ち寄る日のようで、ここが“家”になっていくのを感じた。  
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