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第2章:新たな漂流先――森の離宮
第32話:王国流のさようなら
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離宮でも本格的な冬支度が始まった頃。
厨房を預けている老夫婦が、沈んだ顔で報告に来た。
「……離宮に届けられる食料が、急に少なくなりました」
最近、厨房にある保管庫が寂しくなってきていることには気づいていた。
「そう……」
もしかして――。
背中を冷たい汗が伝う。
公爵の言葉が、現実になりつつあるのかもしれない。
その日。勉強の合間に、セヴラン先生に相談してみることにした。
「……殿下からの給金と王国からの慰謝料、毎月決まった額が振り込まれています。これを警備や食費に充てれば、この先も離宮の暮らしを支えられるでしょうか」
セヴラン先生はしばらく視線を手元に落としたのち、真っ直ぐに私を見つめてこう言った。
「可能ではありましょう。ですが、エレナ様が思い描いている未来のために残しておく方が、賢明かもしれません」
――本当は、取っておきたい。
心に描いている構想を形にするためには、元手となる資金が必要だから。
食料が届かないのなら、自分たちで仕入れる他にない。
市場には食材が並んでいるし、森育ちの私には自然の恵みを採る知恵もある。
だけど――。
教科書を閉じながら、ぽつりと本音が漏れた。
「来客を迎える食卓までは、支え続けられないと思うんです」
セヴラン先生はしばらく瞳を閉じて、それから穏やかな眼差しを向けた。
「限界があることを、エレナ様ご自身が分かっておられる。そのことが何より大切です」
理想を手放すことなく、現実を見据えた対応をする。
そのことが必ず未来を切り開く力になるはずだと、先生は言ってくれた。
祖母は逆境のとき、どうやって乗り越えたんだろう。
帝国から王国へ嫁いで、きっと私以上に孤独だったはずなのに。
思い浮かぶのは、いつも“もてなしの心”で誰かを迎え入れる祖母の姿ばかり。
彼女から受け継いだ誇りを守れないのなら。
離宮はもう、“家”とは呼べないのかもしれない。
静かな決意が胸に芽生えた、そのとき。
玄関に馬車の音が響いた。
「視察団でございます!」
銀縁眼鏡の事務次官を先頭に、官僚たちが次々に籠を抱えて入ってきた。
「本日は、離宮の臨検に参りました。……ついでに、少しばかり食材を」
差し出された籠には、肉や野菜、果物がぎっしり詰まっていた。
「まぁ! ……ありがとう」
思わず涙が込み上げそうになった。
官僚たちが食卓に加わり、パンの入った器をリレーしながら笑い合う。
その光景が温かくて、心強くて――まるで瞼の裏に焼き付けるように、その場を見つめていた。
「それでは、妃様。失礼いたします!」
使者たちの馬車が遠ざかっていくのを見届けていたとき、隣に立っていたセヴラン先生が、遠くに視線を向けたまま提案してくれた。
「エレナ様。年の瀬は、私と一緒に辺境伯領で過ごしませんか?」
その言葉を聞いた瞬間、祖父母と旅に出た日々が、急に思い出された。
馬車の窓から見た雪景色。
道中で食べた焼きりんごの甘い匂い。
懐中時計を見ながら「あと半刻で到着だぞ」
そう言って笑った祖父の声。
辺境伯領――懐かしさを感じるその響きに、あの頃の安心感が蘇った。
「辺境伯領……いいですね。行ってみたいです!」
「現辺境伯様は、かつての教え子でして。毎年、招待を受けているのです。帝国で、唯一温泉が湧いている土地なのですよ?」
「まあ素敵! ぜひ伺いたいわ」
あの懐中時計は、お祖父様の形見としてお祖母様が大事に取っていた。
そういえば、今はどこにあるんだろう――。
その夜。
帳簿をつけながら、深いため息が漏れた。
「官僚たちが食料を持参してくれるのはありがたいけれど。彼らの厚意に甘えるわけには、いかないものね……」
兵糧攻めも、護衛撤退も、もう始まっている。
森の離宮も――安全とは、言い切れない。
「……腹を括るしかなさそうね」
私はパタンと帳簿を閉じると、ひとつの決断をした。
翌朝。
「――離宮を、閉鎖しようと思うの」
そう告げると、重たい沈黙が落ちた。
「……でも、友情は変わらないっすよ」
ジャンが、拳を握りしめながら、そう言った。
その言葉に、ジャックが慌てて口を開く。
「妃様に向かって友情など! ……おこがましいですが……寂しくなります」
小さな声が、震えていた。
ジョンが胸を張って、言い切ってくれた。
「友情は、お金では買えません。だからこそ、永遠なんです!」
3人3様の言葉が重なった。
たとえ離宮が閉ざされても、私たちの絆は残り続ける。
その想いが、私の決意を支えてくれた。
離宮で過ごす、最後の夜。
火の落ちた暖炉の上に飾られた、殿下と私の姿を描いた絵を前に、強がりを口にした。
「さすがにこれ、売れないしね……。離縁したら残った人が処分に困るでしょ? だから私が持って帰ってあげるのよ。……感謝してほしいくらいだわ」
そう言いながら、絵の表面をそっと撫でて埃を払い、布で丁寧に包んだ。
箱の蓋をかぶせるとき、胸の奥がきゅっと痛んだ。
いつかこれも、想い出になるのかな……。
辺境伯領へ向かう朝。
3人の仲間との、別れの朝。
帝国流の挨拶を交わそう、そう思って背筋を伸ばした瞬間。
ジャンが勢いよく抱きついてきて、ジャックが涙を隠さず頬を濡らし、ジョンが背中へ腕を回して「また会えます」と囁いた。
――王国流のさようなら。
私のやり方を選んでくれた彼らに、心からの感謝を捧げて別れを告げた。
厨房を預けている老夫婦が、沈んだ顔で報告に来た。
「……離宮に届けられる食料が、急に少なくなりました」
最近、厨房にある保管庫が寂しくなってきていることには気づいていた。
「そう……」
もしかして――。
背中を冷たい汗が伝う。
公爵の言葉が、現実になりつつあるのかもしれない。
その日。勉強の合間に、セヴラン先生に相談してみることにした。
「……殿下からの給金と王国からの慰謝料、毎月決まった額が振り込まれています。これを警備や食費に充てれば、この先も離宮の暮らしを支えられるでしょうか」
セヴラン先生はしばらく視線を手元に落としたのち、真っ直ぐに私を見つめてこう言った。
「可能ではありましょう。ですが、エレナ様が思い描いている未来のために残しておく方が、賢明かもしれません」
――本当は、取っておきたい。
心に描いている構想を形にするためには、元手となる資金が必要だから。
食料が届かないのなら、自分たちで仕入れる他にない。
市場には食材が並んでいるし、森育ちの私には自然の恵みを採る知恵もある。
だけど――。
教科書を閉じながら、ぽつりと本音が漏れた。
「来客を迎える食卓までは、支え続けられないと思うんです」
セヴラン先生はしばらく瞳を閉じて、それから穏やかな眼差しを向けた。
「限界があることを、エレナ様ご自身が分かっておられる。そのことが何より大切です」
理想を手放すことなく、現実を見据えた対応をする。
そのことが必ず未来を切り開く力になるはずだと、先生は言ってくれた。
祖母は逆境のとき、どうやって乗り越えたんだろう。
帝国から王国へ嫁いで、きっと私以上に孤独だったはずなのに。
思い浮かぶのは、いつも“もてなしの心”で誰かを迎え入れる祖母の姿ばかり。
彼女から受け継いだ誇りを守れないのなら。
離宮はもう、“家”とは呼べないのかもしれない。
静かな決意が胸に芽生えた、そのとき。
玄関に馬車の音が響いた。
「視察団でございます!」
銀縁眼鏡の事務次官を先頭に、官僚たちが次々に籠を抱えて入ってきた。
「本日は、離宮の臨検に参りました。……ついでに、少しばかり食材を」
差し出された籠には、肉や野菜、果物がぎっしり詰まっていた。
「まぁ! ……ありがとう」
思わず涙が込み上げそうになった。
官僚たちが食卓に加わり、パンの入った器をリレーしながら笑い合う。
その光景が温かくて、心強くて――まるで瞼の裏に焼き付けるように、その場を見つめていた。
「それでは、妃様。失礼いたします!」
使者たちの馬車が遠ざかっていくのを見届けていたとき、隣に立っていたセヴラン先生が、遠くに視線を向けたまま提案してくれた。
「エレナ様。年の瀬は、私と一緒に辺境伯領で過ごしませんか?」
その言葉を聞いた瞬間、祖父母と旅に出た日々が、急に思い出された。
馬車の窓から見た雪景色。
道中で食べた焼きりんごの甘い匂い。
懐中時計を見ながら「あと半刻で到着だぞ」
そう言って笑った祖父の声。
辺境伯領――懐かしさを感じるその響きに、あの頃の安心感が蘇った。
「辺境伯領……いいですね。行ってみたいです!」
「現辺境伯様は、かつての教え子でして。毎年、招待を受けているのです。帝国で、唯一温泉が湧いている土地なのですよ?」
「まあ素敵! ぜひ伺いたいわ」
あの懐中時計は、お祖父様の形見としてお祖母様が大事に取っていた。
そういえば、今はどこにあるんだろう――。
その夜。
帳簿をつけながら、深いため息が漏れた。
「官僚たちが食料を持参してくれるのはありがたいけれど。彼らの厚意に甘えるわけには、いかないものね……」
兵糧攻めも、護衛撤退も、もう始まっている。
森の離宮も――安全とは、言い切れない。
「……腹を括るしかなさそうね」
私はパタンと帳簿を閉じると、ひとつの決断をした。
翌朝。
「――離宮を、閉鎖しようと思うの」
そう告げると、重たい沈黙が落ちた。
「……でも、友情は変わらないっすよ」
ジャンが、拳を握りしめながら、そう言った。
その言葉に、ジャックが慌てて口を開く。
「妃様に向かって友情など! ……おこがましいですが……寂しくなります」
小さな声が、震えていた。
ジョンが胸を張って、言い切ってくれた。
「友情は、お金では買えません。だからこそ、永遠なんです!」
3人3様の言葉が重なった。
たとえ離宮が閉ざされても、私たちの絆は残り続ける。
その想いが、私の決意を支えてくれた。
離宮で過ごす、最後の夜。
火の落ちた暖炉の上に飾られた、殿下と私の姿を描いた絵を前に、強がりを口にした。
「さすがにこれ、売れないしね……。離縁したら残った人が処分に困るでしょ? だから私が持って帰ってあげるのよ。……感謝してほしいくらいだわ」
そう言いながら、絵の表面をそっと撫でて埃を払い、布で丁寧に包んだ。
箱の蓋をかぶせるとき、胸の奥がきゅっと痛んだ。
いつかこれも、想い出になるのかな……。
辺境伯領へ向かう朝。
3人の仲間との、別れの朝。
帝国流の挨拶を交わそう、そう思って背筋を伸ばした瞬間。
ジャンが勢いよく抱きついてきて、ジャックが涙を隠さず頬を濡らし、ジョンが背中へ腕を回して「また会えます」と囁いた。
――王国流のさようなら。
私のやり方を選んでくれた彼らに、心からの感謝を捧げて別れを告げた。
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