異国妃の宮廷漂流記

花雨宮琵

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第2章:新たな漂流先――森の離宮

第35話:親しみやすさの裏側

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 そのとき、暖炉の火がぱちりと弾けた。
 殿下の視線が、私の表情を探るよう向けられていることに気づく。
 けれど、沈黙を破ったのはオーギュスト様の声だった。

「エレナ? どうしたんだい、その恰好?」
「え?」
「頬に茶色い影がついているし、腕まくりなどして」
「あっ! 今日は朝から森に入って栗を拾っていたんです。だから――」

 殿下の眉が、わずかにしかめられる。
 その意味を量りかねていると、小さく瞳を見開いているクリステル様と視線が合った。
 驚きの中に――羨みを秘めたような眼差し。
 その瞬間、ひやりとする。

 ――そっか。
 こんな振る舞いは、“帝国の妃”にはふさわしくないんだ。
 私は慌てて指を後ろに隠した。爪の隙間には、まだ栗の渋皮の茶色い影が残っていたから。
 今日もお化粧はしていない。
 こんな無防備な姿、見られたくはなかったな……。

「はははっ。早速、行ってきたのかい? たくさん採れた?」
「はい。……籠いっぱいに」
「それはよかった。エレナが森に入っている間、屋敷が冷えた気がしたらしくてね。家令が火をくべたんだ」

 え? 今日は晴天だし……気温は昨日と変わらないはず。
「エレナがいるだけで、場が暖まる。……そんな人は、稀だよ」
 そう言って、穏やかに微笑みかけてくれる。

 じゃあ、火をくべたのって。
 私がいなかったから、屋敷が冷えた――そういうこと?

「どうした? 立っていないで、こちらに掛けなさい。まだ5日なのに、エレナがいないと落ち着かなくてね。まるで、昔から一緒にいるみたいだ」
 勧められるまま、オーギュスト様の隣に腰かけた。
 彼の言葉に、居場所をもらえたような気がして、身体に温もりが戻ってくる。

 ――だというのに、殿下の眉間がさらに深く寄った。
 怒ってる?
 私、なにか粗相をしたかしら。
 殿下は一人掛けの椅子に座っているんだから、オーギュスト様の隣に座るのが自然よね?
 けれど、その視線は私にではなく、隣に座るオーギュスト様との距離に注がれているみたい。
 ますます意味が、分からない。

「今日は、アルフォンスが挨拶に来てくれたんだ」
「アルフォンス?」
 皇太子殿下を呼び捨てにしてもいいのかしら。

「あぁ。アルフォンスは私の甥なんだ」
「甥!? ――ということは、オーギュスト様は……まさか、皇弟殿下!?」
「そういうこと。まぁ、中央のまつりごとはからっきしでね。剣を振るっている方が性に合ってる」

 ――どうしてセヴラン先生は、辺境伯と皇弟殿下が同一人物だと教えてくれなかったんだろう。
 夫となる人の親族なら、教えてくれてもいいようなものなのに。
 でも、仕方ないのかもしれない。
 皇位継承権を持つ皇児の情報は、徹底的に管理されている。
 元敵国から来た私には、まだ知らされていないことが、きっと山ほどあるんだろうな……。


「叔父上。ヘレナとはずいぶん、親しそうですね」
「そうかな?」
 ふふーんだ。殿下とよりは親しいですよ?
 何なら、軽ーく求婚もしちゃったし!

 だいたい、今さら辺境伯領まで“家族”連れで何しに来たのよ。
 新婚旅行にも行く暇がないほど、ご多忙なんじゃなかったの?
 初夜の翌朝に放置されたこと、まだ根に持ってるんだから!
 私は王国の女なの。
 執念深さは、覚悟しておいてもらわなくちゃ。

「殿下はどのようなご用件で?」
「年末年始は、家族で辺境伯領にある皇族専用の保養地で過ごすのがなんだ」
「なるほど! それで皆さまクリステルとご一緒なわけですね」

 ほんっとにこの人、”慣例”が好きだな。
 私のことは、”慣例”の外に置くくせに。皇太子妃には“慣例”で24時間警護がつくはずですけどね。
 もう、いいけど。

「……へレナはどうするつもりだ?」
「わたくしも年末年始はこちらで過ごす予定です」
「え?」

 クリステル様の目が、ほんの一瞬、強張った。
 けれど、それ以上にパイの焼き加減の方が気になった。

「そぉーでした! マロンパイを焼いている途中だったんです! ちょっと様子を見てきますね」

 先ほどのクリステル様の瞳。
 怯えというより……警戒の色を帯びていた。
 決して、殿下に予定を合わせて辺境伯領へ来たわけじゃない。
 彼ら”家族“の邪魔をする気もない。
 なのに。
 ……あぁもう、せっかく心穏やかに過ごせてたのに。
 パイが焦げちゃう!

 慌てて厨房へ顔を出すと、殿下の護衛たちが、出されたお茶を飲みながら交替で休憩を取っているところだった。
 侍女が焦げる前にと、オーブンからパイを出してくれていた。
「あぁー、良かった! どうもありがとう」
「ふふっ。エレナ様の武勇伝、護衛の皆さんからお聞きしましたよ。『庶民派の妃様』と、騎士様の間で絶大な人気を誇っているそうです」

 ……え? 何それ。
 あ、前にオーギュスト様が言ってたっけ。
 ”庶民派”って……もはや皮肉なのか誉め言葉なのかわからないわね。
 みんなにとっては、“親しみやすさ”なんだろうけど。
 殿下にとっては、“遠ざけやすい理由”。
 本当に、便利な言葉だ。
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