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第2章:新たな漂流先――森の離宮
第38話:女主人の演技
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「ようこそいらっしゃいました」
「まるでヘレナがここの女主人のようだな」
「まあ! そう見えます? おほほほほ!」
オーギュスト様の奥様になったような気がして、ぱあっと瞳を輝かせた私に、殿下が顔を引き攣らせる。
「……何だその笑い方は」
ふんっ。
殿下にどう思われようと、もう気にしないんだから。
「いい匂い!」
シャルル様が好奇心に瞳を輝かせて辺りを見回す。
「ちょうど茸のキッシュを作っていたんです」
「僕も手伝っていいですか?」
「もちろん! じゃあ、あちらで手を洗いましょう」
「シャルル?」
「殿下も……ご一緒します?」
「そうしよう」
やっぱり信用されてないのね。
でも、何しに来たんだろう?
「クリステル様は一緒じゃないんですか?」
「ここまで長旅だったからな。今日はゆっくり過ごすよう伝えてきた」
――まあ、立派なご配慮。
さっすが、公妾を2人も抱える殿下は違うわね。
正妻にだけは、一度も向けてくれないけれど。
「たしかに、あの道は女性にはきついでしょうね。オルレアからの街道、舗装すれば流通も観光も発展すると思うんですけど」
「……そういうものか?」
「え? 殿下の方が詳しいでしょう?」
「……」
きっと、お休みの日にまで仕事の話はしたくないのね。
なら、私はキッシュ作りに集中することにしよう。
厨房のテーブルには、籠いっぱいの茸が並んでいる。
丸いもの、ずんぐりしているもの、細長いもの、傘の裏が黒っぽいもの――森の恵みがぎゅっと詰まっている。
「わぁ……! こんなに種類があるんですね!」
シャルル様が目を丸くする。
「丸くてずんぐりした茸は、香りが強いから少しだけね。こっちの房がたくさんあるのは、クリーム煮にぴったり。あっちの鮮やかなオレンジ色のは、オムレツに入れると美味しいの!」
指先で一つひとつ示しながら説明すると、シャルル様の瞳が輝きを増した。
「すごい! エレナ様って、本当に綺麗で、なんでも知ってるんですね!」
――え、ちょっと待って。
今、“綺麗”って言った?
頬が熱くなるのを誤魔化そうとした瞬間――
「……シャルル」
殿下が一歩前に出て、私とシャルル様の間にすっと立った。
え? ちょっと、どうして殿下が真ん中に立つの?
これじゃシャルル様に説明しづらいじゃない。
「言葉遣いが軽いぞ」
「えっ? ……あ、ごめんなさい、父上……」
「お休みの日くらい良いじゃありませんか」
殿下を避けて、スッとシャルル様の隣を再び陣取る。
「そうそう。シャルル様、上手ですよ。良い香りがしてきたら、火を止めましょうね」
「はい!」
小さな手を取りながら、炒めた茸と塩漬け肉をパイ生地のうえに広げていく。
「卵液は、ゆっくりね。……はい、完成! あとはオーブンに入れて焼けるのを待ちましょう?」
「思ったより簡単!」
「でしょう? 次はテーブルの準備をお願いしますね」
「はーい!」
「シャルル、『はい』は伸ばすな」
「はいはい、殿下は口より手を動かしてくださいね?」
「へレナも。『はい』は一回だ」
「はいっ!」
「……何だこれは」
「ミトンです。キッシュが焼けたから、殿下が取り出してください」
「俺が?」
「そうですよ? ここでは“働かざる者、食うべからず”です! 皇太子だって、例外じゃないんだから!」
「父上、頑張って!」
「……」
ふふっ。あの殿下が、花柄のミトンを付けてキッシュを取り出してる。
あー、カリにこの姿、描かせたい!
きつねいろに焼けた表面が、バターと茸の濃厚な薫りを厨房いっぱいに立ちのぼらせた。
「……どうだ?」
「どうですか、エレナ様?」
「うん、合格!」
「さ、いただきましょう!」
殿下が迷いなく中央を陣取った。
「殿下は左端!」
「……なぜだ」
「だって。殿下、左利きでしょう? 隣に座ったらぶつかっちゃうじゃない」
「……気づいていたのか」
「見ていれば分かります」
「えっ。……父上、そうなんですか?」
「俺は両利きだ。もともとは左利きだったが、直した」
すごっ……根性で直せるものなの?
さっすが帝国の皇室教育は違うわね。
――そりゃあ、柔軟性もなくなるわ。
「いただきまーす。……わぁ、エレナ様、すごく美味しいです」
「自分で作ると美味しいでしょう? 熱いからフーフーしながら食べてね」
「……うまいな」
しばらく夢中で食べていたシャルルが、ぽつりと呟いた。
「母上にも、食べさせてあげたかったなぁ」
”母上”という言葉を耳にした瞬間、心にサッと影が落ちた。
3人で食卓を囲むこの時間が、まるで本物の家族みたいで――幸せだったから。
私もその輪の中に入れてもらっているような気になっていた。
こんなことで寂しさを覚えるなんて。
私って、狭量だなぁ……。
「じゃあ、持って帰れるように包みましょうか?」
「うん! あっ、でも……今夜はレストランに行くんだった」
シャルル様の瞳がきらきらと輝く。
「毎回、ここに来ると父上が僕と母上を連れて行ってくれるんです。湖が見えて、すごく綺麗なんです!」
「まぁ、素敵」
――レストラン。
私と殿下は、一度も一緒に行ったことがない。
誘われたことすらない。
新婚旅行代わりに帝都の街を歩いた、あの一度きり。
庶民の真似をして、行列に並んで焼きたてパンを買ったっけ。
愛されている女性には、当たり前に用意される特別な時間なんだろうけど。
私には、一度も与えられなかった。
――胸の奥が、再びストンと沈んでいく。
「そうだ、エレナ様も一緒に来ませんか?」
無邪気な声に、慌てて笑みを浮かべた。
「うふふ。嬉しいけど、今夜はオーギュスト様と約束があるの」
「エレナ様もどっか行くの?」
「ううん。オーギュスト様が夕食を振舞ってくださるの」
「……叔父上が?」
殿下の声が、少しだけ硬くなった気がした。
けれど次の瞬間には、いつもの無表情に戻る。
「新婚旅行も、外食も。殿下に誘われたことなんて一度もなかったから……余計に嬉しくって! まさか夫でもないオーギュスト様が、”手料理を振る舞ってもらう”夢を叶えてくださるなんて!」
わざと声を弾ませて言った瞬間、殿下の顎の筋肉がピクリと引きつった。
あの動じない殿下に揺らぎが走ったのを見て、胸がすく思いだったのに。
言葉を飲みこむようにわずかに喉を動かした横顔に、理由もなく心がざわめいた。
「まるでヘレナがここの女主人のようだな」
「まあ! そう見えます? おほほほほ!」
オーギュスト様の奥様になったような気がして、ぱあっと瞳を輝かせた私に、殿下が顔を引き攣らせる。
「……何だその笑い方は」
ふんっ。
殿下にどう思われようと、もう気にしないんだから。
「いい匂い!」
シャルル様が好奇心に瞳を輝かせて辺りを見回す。
「ちょうど茸のキッシュを作っていたんです」
「僕も手伝っていいですか?」
「もちろん! じゃあ、あちらで手を洗いましょう」
「シャルル?」
「殿下も……ご一緒します?」
「そうしよう」
やっぱり信用されてないのね。
でも、何しに来たんだろう?
「クリステル様は一緒じゃないんですか?」
「ここまで長旅だったからな。今日はゆっくり過ごすよう伝えてきた」
――まあ、立派なご配慮。
さっすが、公妾を2人も抱える殿下は違うわね。
正妻にだけは、一度も向けてくれないけれど。
「たしかに、あの道は女性にはきついでしょうね。オルレアからの街道、舗装すれば流通も観光も発展すると思うんですけど」
「……そういうものか?」
「え? 殿下の方が詳しいでしょう?」
「……」
きっと、お休みの日にまで仕事の話はしたくないのね。
なら、私はキッシュ作りに集中することにしよう。
厨房のテーブルには、籠いっぱいの茸が並んでいる。
丸いもの、ずんぐりしているもの、細長いもの、傘の裏が黒っぽいもの――森の恵みがぎゅっと詰まっている。
「わぁ……! こんなに種類があるんですね!」
シャルル様が目を丸くする。
「丸くてずんぐりした茸は、香りが強いから少しだけね。こっちの房がたくさんあるのは、クリーム煮にぴったり。あっちの鮮やかなオレンジ色のは、オムレツに入れると美味しいの!」
指先で一つひとつ示しながら説明すると、シャルル様の瞳が輝きを増した。
「すごい! エレナ様って、本当に綺麗で、なんでも知ってるんですね!」
――え、ちょっと待って。
今、“綺麗”って言った?
頬が熱くなるのを誤魔化そうとした瞬間――
「……シャルル」
殿下が一歩前に出て、私とシャルル様の間にすっと立った。
え? ちょっと、どうして殿下が真ん中に立つの?
これじゃシャルル様に説明しづらいじゃない。
「言葉遣いが軽いぞ」
「えっ? ……あ、ごめんなさい、父上……」
「お休みの日くらい良いじゃありませんか」
殿下を避けて、スッとシャルル様の隣を再び陣取る。
「そうそう。シャルル様、上手ですよ。良い香りがしてきたら、火を止めましょうね」
「はい!」
小さな手を取りながら、炒めた茸と塩漬け肉をパイ生地のうえに広げていく。
「卵液は、ゆっくりね。……はい、完成! あとはオーブンに入れて焼けるのを待ちましょう?」
「思ったより簡単!」
「でしょう? 次はテーブルの準備をお願いしますね」
「はーい!」
「シャルル、『はい』は伸ばすな」
「はいはい、殿下は口より手を動かしてくださいね?」
「へレナも。『はい』は一回だ」
「はいっ!」
「……何だこれは」
「ミトンです。キッシュが焼けたから、殿下が取り出してください」
「俺が?」
「そうですよ? ここでは“働かざる者、食うべからず”です! 皇太子だって、例外じゃないんだから!」
「父上、頑張って!」
「……」
ふふっ。あの殿下が、花柄のミトンを付けてキッシュを取り出してる。
あー、カリにこの姿、描かせたい!
きつねいろに焼けた表面が、バターと茸の濃厚な薫りを厨房いっぱいに立ちのぼらせた。
「……どうだ?」
「どうですか、エレナ様?」
「うん、合格!」
「さ、いただきましょう!」
殿下が迷いなく中央を陣取った。
「殿下は左端!」
「……なぜだ」
「だって。殿下、左利きでしょう? 隣に座ったらぶつかっちゃうじゃない」
「……気づいていたのか」
「見ていれば分かります」
「えっ。……父上、そうなんですか?」
「俺は両利きだ。もともとは左利きだったが、直した」
すごっ……根性で直せるものなの?
さっすが帝国の皇室教育は違うわね。
――そりゃあ、柔軟性もなくなるわ。
「いただきまーす。……わぁ、エレナ様、すごく美味しいです」
「自分で作ると美味しいでしょう? 熱いからフーフーしながら食べてね」
「……うまいな」
しばらく夢中で食べていたシャルルが、ぽつりと呟いた。
「母上にも、食べさせてあげたかったなぁ」
”母上”という言葉を耳にした瞬間、心にサッと影が落ちた。
3人で食卓を囲むこの時間が、まるで本物の家族みたいで――幸せだったから。
私もその輪の中に入れてもらっているような気になっていた。
こんなことで寂しさを覚えるなんて。
私って、狭量だなぁ……。
「じゃあ、持って帰れるように包みましょうか?」
「うん! あっ、でも……今夜はレストランに行くんだった」
シャルル様の瞳がきらきらと輝く。
「毎回、ここに来ると父上が僕と母上を連れて行ってくれるんです。湖が見えて、すごく綺麗なんです!」
「まぁ、素敵」
――レストラン。
私と殿下は、一度も一緒に行ったことがない。
誘われたことすらない。
新婚旅行代わりに帝都の街を歩いた、あの一度きり。
庶民の真似をして、行列に並んで焼きたてパンを買ったっけ。
愛されている女性には、当たり前に用意される特別な時間なんだろうけど。
私には、一度も与えられなかった。
――胸の奥が、再びストンと沈んでいく。
「そうだ、エレナ様も一緒に来ませんか?」
無邪気な声に、慌てて笑みを浮かべた。
「うふふ。嬉しいけど、今夜はオーギュスト様と約束があるの」
「エレナ様もどっか行くの?」
「ううん。オーギュスト様が夕食を振舞ってくださるの」
「……叔父上が?」
殿下の声が、少しだけ硬くなった気がした。
けれど次の瞬間には、いつもの無表情に戻る。
「新婚旅行も、外食も。殿下に誘われたことなんて一度もなかったから……余計に嬉しくって! まさか夫でもないオーギュスト様が、”手料理を振る舞ってもらう”夢を叶えてくださるなんて!」
わざと声を弾ませて言った瞬間、殿下の顎の筋肉がピクリと引きつった。
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