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第2章:新たな漂流先――森の離宮
第40話:名もなき痛み
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――柄にもなくはしゃぎすぎたのが、良くなかったのかもしれない。
「熱っ!」
右手の甲に油が跳ね、たちまち赤くなっていく。
……放っておくと、水ぶくれになるかも。
そっと席を立とうとした瞬間、殿下がぐいっと私の腕を取って、屋敷の中へと引き込んだ。
「殿下?」
「赤くなっている。水で冷やすぞ」
その低い声は、まるで私を叱っているようにも聞こえた。
けれど、殿下の手が素早く水桶を引き寄せ、私の手首を支えたまま水に漬けた。
「このくらい、平気です」
「平気なわけがない。……痕が残ったらどうするんだ」
――どうするんだ、って。
心配なら「心配だ」と言ってくれればいいのに。
私が水に手を浸けている間も、殿下は私の手首を捕まえたまま離さない。
殿下の指先まで、冷たくなっていく。
何も言わない彼の視線は、ずっと私の手に注がれていた。
「ありがとうございます。しばらく冷やしてますから、殿下は皆のところへ戻ってください」
「……」
「殿下? 手が冷えます」
「あの時……ヘレナを追い出すような真似をして、悪かったと思ってる」
「……殿下は私を、追い出したの?」
「違う!」
「だったら、謝らないでください」
「……」
しばらくすると、殿下が布を広げて私の手首をそっと引き上げた。
言葉はいつも、すれ違ってばかり。
なのに。
私に触れる手は驚くほど丁寧で、冷たくなった指先が私の肌に触れるたびに、殿下の不器用な優しさが伝わってくる。
布で水気を拭いた後に殿下がポケットから取り出したのは――
彼の瞳の色を映したような、小さな青紫の缶だった。
「……っ、それ……どうして?」
「よく効くんだろう?」
「そうだけど――」
「騎士の間でも人気らしい。ヘレナの護衛が、薬草の調合書を添えて配っていた。……”民間療法”などと馬鹿にして、悪かった」
「それ、ジャンたちから?」
「ああ。『妃様が殿下のために作られたものだと思います』と言われて、渡された」
――あれは、まだ私が宮殿にいた頃のこと。
温室の薬草畑を見つけて、殿下に使用許可を申請した。
「薬草を? そんなものを採ってどうする」
「火傷や切り傷に効く塗り薬を作ろうと思って」
「何のために」
「何のためにって……『備えあれば憂いなし』って、帝国語のことわざでしょう?」
「もしもの時には医師に診てもらえばいい。根拠が曖昧な民間療法になど頼る必要はない」
「……全っ然、分かっていないのね」
「何を」
「世間には、医師に診てもらいたくても診てもらえない人がたくさんいるってこと! それに、民間薬には先人の知恵と経験が詰まってるんだから」
なんだかんだで、いつもの“ごり押し”で許可をもらった私は、祖母直伝の塗り薬を作り始めた。
でも、志半ばで帝都を去ることになって。
完成させたのは、森の離宮へ行ってからだった。
殿下は私の手を取って薬を塗り込むと、清潔な包帯を巻いてくれた。
「ふふっ。大袈裟ですね」
「何がおかしい?」
「初夜のときを思い出しちゃって。ほら――指をぐるぐる巻きにされたでしょう?」
「ふっ。……そんなこともあったな」
「私がいなくなって……少しは寂しかったりしますか?」
「――どうだろうな」
「なんですか。そこはお世辞でもいいから――」
「ただ……本音を言える相手がいなくなったことには、案外、堪えている」
その言葉を聞いて胸に広がったのは、嬉しさなんかじゃなくて、名のない痛みだった。
なぜだか、胸の奥がキュッと締め付けられる。
殿下の孤独が、まるで私自身を映す鏡のように思えたから。
不器用に感情を隠すその姿が、どこか自分と重なって見えた。
殿下は包帯を巻き終えると、結び目が緩まないか何度も確かめた。
その真剣さが伝わってくるのに、言葉は相変わらず不器用で、沈黙ばかり。
……どうして素直に言葉にしてくれないんだろう?
心の中でそう呟いた瞬間、自嘲にも似た乾いた笑いが漏れた。
――って、私もおんなじか。
感情を隠してばかりだもの。
だから、2人とも孤独なんだ。
もっと……分かち合えたらいいのに……。
殿下の横顔に、不意に射す孤独の影。
それには、ずっと前から気づいていた。
彼のことをもっと理解したいと思う一方で、それは私の役割ではないと制する自分がいる。
結局は、殿下が自ら心を開いてくれるのを待つしかない。
だから私は、彼の前ではいつも正直でありたいと思う。
きっと、たぶん、これからも。
たとえ周囲から、「不敬だ」と非難されたとしても。
「熱っ!」
右手の甲に油が跳ね、たちまち赤くなっていく。
……放っておくと、水ぶくれになるかも。
そっと席を立とうとした瞬間、殿下がぐいっと私の腕を取って、屋敷の中へと引き込んだ。
「殿下?」
「赤くなっている。水で冷やすぞ」
その低い声は、まるで私を叱っているようにも聞こえた。
けれど、殿下の手が素早く水桶を引き寄せ、私の手首を支えたまま水に漬けた。
「このくらい、平気です」
「平気なわけがない。……痕が残ったらどうするんだ」
――どうするんだ、って。
心配なら「心配だ」と言ってくれればいいのに。
私が水に手を浸けている間も、殿下は私の手首を捕まえたまま離さない。
殿下の指先まで、冷たくなっていく。
何も言わない彼の視線は、ずっと私の手に注がれていた。
「ありがとうございます。しばらく冷やしてますから、殿下は皆のところへ戻ってください」
「……」
「殿下? 手が冷えます」
「あの時……ヘレナを追い出すような真似をして、悪かったと思ってる」
「……殿下は私を、追い出したの?」
「違う!」
「だったら、謝らないでください」
「……」
しばらくすると、殿下が布を広げて私の手首をそっと引き上げた。
言葉はいつも、すれ違ってばかり。
なのに。
私に触れる手は驚くほど丁寧で、冷たくなった指先が私の肌に触れるたびに、殿下の不器用な優しさが伝わってくる。
布で水気を拭いた後に殿下がポケットから取り出したのは――
彼の瞳の色を映したような、小さな青紫の缶だった。
「……っ、それ……どうして?」
「よく効くんだろう?」
「そうだけど――」
「騎士の間でも人気らしい。ヘレナの護衛が、薬草の調合書を添えて配っていた。……”民間療法”などと馬鹿にして、悪かった」
「それ、ジャンたちから?」
「ああ。『妃様が殿下のために作られたものだと思います』と言われて、渡された」
――あれは、まだ私が宮殿にいた頃のこと。
温室の薬草畑を見つけて、殿下に使用許可を申請した。
「薬草を? そんなものを採ってどうする」
「火傷や切り傷に効く塗り薬を作ろうと思って」
「何のために」
「何のためにって……『備えあれば憂いなし』って、帝国語のことわざでしょう?」
「もしもの時には医師に診てもらえばいい。根拠が曖昧な民間療法になど頼る必要はない」
「……全っ然、分かっていないのね」
「何を」
「世間には、医師に診てもらいたくても診てもらえない人がたくさんいるってこと! それに、民間薬には先人の知恵と経験が詰まってるんだから」
なんだかんだで、いつもの“ごり押し”で許可をもらった私は、祖母直伝の塗り薬を作り始めた。
でも、志半ばで帝都を去ることになって。
完成させたのは、森の離宮へ行ってからだった。
殿下は私の手を取って薬を塗り込むと、清潔な包帯を巻いてくれた。
「ふふっ。大袈裟ですね」
「何がおかしい?」
「初夜のときを思い出しちゃって。ほら――指をぐるぐる巻きにされたでしょう?」
「ふっ。……そんなこともあったな」
「私がいなくなって……少しは寂しかったりしますか?」
「――どうだろうな」
「なんですか。そこはお世辞でもいいから――」
「ただ……本音を言える相手がいなくなったことには、案外、堪えている」
その言葉を聞いて胸に広がったのは、嬉しさなんかじゃなくて、名のない痛みだった。
なぜだか、胸の奥がキュッと締め付けられる。
殿下の孤独が、まるで私自身を映す鏡のように思えたから。
不器用に感情を隠すその姿が、どこか自分と重なって見えた。
殿下は包帯を巻き終えると、結び目が緩まないか何度も確かめた。
その真剣さが伝わってくるのに、言葉は相変わらず不器用で、沈黙ばかり。
……どうして素直に言葉にしてくれないんだろう?
心の中でそう呟いた瞬間、自嘲にも似た乾いた笑いが漏れた。
――って、私もおんなじか。
感情を隠してばかりだもの。
だから、2人とも孤独なんだ。
もっと……分かち合えたらいいのに……。
殿下の横顔に、不意に射す孤独の影。
それには、ずっと前から気づいていた。
彼のことをもっと理解したいと思う一方で、それは私の役割ではないと制する自分がいる。
結局は、殿下が自ら心を開いてくれるのを待つしかない。
だから私は、彼の前ではいつも正直でありたいと思う。
きっと、たぶん、これからも。
たとえ周囲から、「不敬だ」と非難されたとしても。
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