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第3章:漂流の寄港地ー学園編
第53話:沈黙を破るとき
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その瞬間、向かいに座っていた殿下が、身を乗り出し、まるで体で衝撃を吸収するかのように私に覆いかぶさった。片手で壁を押しながら、もう片方の手は腰の剣へと伸びている。
鋭く外へ視線を走らせると、腹に響く声を張った。
「何事だ?」
「車輪が石畳に乗り上げたようです。しばらく悪路が続きます」
窓越しに、騎乗しながら並走している護衛の声が返ってくる。
殿下が、大きく肩で息を吐く。
彼の胸に囲まれた額越しに、早鐘のような鼓動が耳を打つ。
今の殿下。
とっさの反射にしては、対応が速すぎる。まるで、予期していたみたい……。
「……でん、か?」
「すまない、大丈夫か?」
「はい……」
私の父は、王国軍の大将だった。
だから、身を守る術は小さな頃から叩き込まれていた。
今回も、殿下が覆いかぶさるのと同時に重心を落とし、右足を前に出して揺れに備えた。
護衛の報告を受けても、なお殿下は、私を庇う姿勢のまましばらく外の気配を探るように動かなかった。
殿下は、なにも言わない。
ただ沈黙のまま、私を守ろうとする。
でも――このままじゃ、これまでと何も変わらない。
”知らされぬ存在”のままじゃ、大事なものも、守れない。
ガタン。
2度目の揺れがきた瞬間、あの伏魔殿の重苦しい空気が蘇った。
ガタン。
今度は、女官たちの歪んだ笑顔が脳裏をかすめた。
あの時の、値踏みするような視線。
ガタン。
なんだろう、この違和感。
この、心のざわつき。
そして――ほんの少しの、期待は。
いくつもの拭え切れぬ疑念を抱えたまま、馬車は学園都市へと走った。
学園に着くと、殿下にお礼を伝えて鞄の中から栗色のウィッグを取り出した。
「お忙しい中、祖母の1回忌に顔を出してくださいまして、ありがとうございました」
それから、サイドの髪の毛を耳にかけ、上からウィッグを着けた。
途端に、殿下の顔に影が差す。
「あ、切った髪の毛は鬘にしてあるので、ご心配なく!公式行事の際にはそれを被りますから」
「すまなかった」
「え?」
「女性にとって髪は、身体の一部なんだろう?」
そっか、「初夜の儀」で共寝していた頃、言ってくれたんだっけ。「美しい髪だな」って。思い返せば、殿下から褒められたのって、髪の毛くらいだったような……。
「大袈裟ですよ!それに、乾かすのが楽で助かってます」
「……今さらだが」
殿下は、苦しげな表情を浮かべたまま、小箱を差し出した。
美しいラッピング――けれど、よく見るとリボンの結び目が少し歪だ。
「これ……」
「誕生祝いだ。――ヘレナは気に入らなかったのかもしれないが、受け取ってくれないか?」
え……。
前に届いたときは、もっと完璧に結ばれたリボンで、包み紙も一回り大きかった。
角ひとつ歪まず、すべてが計算されたように整っていて、カードの筆跡はイヴェットだった……。
だから、中身を見ることもなく送り返してしまった。
「これ……殿下が選んでくれたものだったんですね」
「贈り物は、相手のことを想い浮かべながら、自分で選ぶもの。――違ったか?」
「覚えててくれたんだ。……開けても良いですか?」
「あぁ」
それは、美しい瑠璃色の髪留めだった。金の薄片がちりばめられていて、まるで夜空に輝く星のようだった。
「わぁー。綺麗なバレッタ! ありがとうございます」
「その髪じゃ、不要だったな」
「髪はまた伸びますから」
このバレッタを使うくらい髪が伸びた頃には、もう――。
もったいないけれど、殿下の前でこのバレッタを使う日は来ないだろうなと思ったことは、心の内にしまっておいた。
「……それから」
殿下は少し言い淀んでから、視線をそらした。
「学園での暮らしのこと、時々でいい。手紙をくれないか」
「……え?」
思わず聞き返した。
昨日、陛下が言った言葉と重なったから。
『知らせが届けば、なお安心できる』
――やっぱり、親子なのね。
陛下は、祖母に匿名で薬を届けてくれた。
殿下は、言葉少なに沈黙で私を守ってくれる。
形は違っても、そこにあるのは確かな愛情で。
不器用な優しさが重なって、心がふわりと温かくなった。
こうして日常へと戻っていき、最終学年への進級が認められた頃。
胸に抱いていた違和感は、もう無視できないほどに膨らんでいた。
猶予はあと一年。
だったら、今の私にできることしよう。
ただ待っているだけなんて、それこそ”お飾りの妻”じゃない。
動いている方が、ずっと私らしい。
こうして私は、あたためていた策を実行に移すべく、殿下に向けて筆を取った。
鋭く外へ視線を走らせると、腹に響く声を張った。
「何事だ?」
「車輪が石畳に乗り上げたようです。しばらく悪路が続きます」
窓越しに、騎乗しながら並走している護衛の声が返ってくる。
殿下が、大きく肩で息を吐く。
彼の胸に囲まれた額越しに、早鐘のような鼓動が耳を打つ。
今の殿下。
とっさの反射にしては、対応が速すぎる。まるで、予期していたみたい……。
「……でん、か?」
「すまない、大丈夫か?」
「はい……」
私の父は、王国軍の大将だった。
だから、身を守る術は小さな頃から叩き込まれていた。
今回も、殿下が覆いかぶさるのと同時に重心を落とし、右足を前に出して揺れに備えた。
護衛の報告を受けても、なお殿下は、私を庇う姿勢のまましばらく外の気配を探るように動かなかった。
殿下は、なにも言わない。
ただ沈黙のまま、私を守ろうとする。
でも――このままじゃ、これまでと何も変わらない。
”知らされぬ存在”のままじゃ、大事なものも、守れない。
ガタン。
2度目の揺れがきた瞬間、あの伏魔殿の重苦しい空気が蘇った。
ガタン。
今度は、女官たちの歪んだ笑顔が脳裏をかすめた。
あの時の、値踏みするような視線。
ガタン。
なんだろう、この違和感。
この、心のざわつき。
そして――ほんの少しの、期待は。
いくつもの拭え切れぬ疑念を抱えたまま、馬車は学園都市へと走った。
学園に着くと、殿下にお礼を伝えて鞄の中から栗色のウィッグを取り出した。
「お忙しい中、祖母の1回忌に顔を出してくださいまして、ありがとうございました」
それから、サイドの髪の毛を耳にかけ、上からウィッグを着けた。
途端に、殿下の顔に影が差す。
「あ、切った髪の毛は鬘にしてあるので、ご心配なく!公式行事の際にはそれを被りますから」
「すまなかった」
「え?」
「女性にとって髪は、身体の一部なんだろう?」
そっか、「初夜の儀」で共寝していた頃、言ってくれたんだっけ。「美しい髪だな」って。思い返せば、殿下から褒められたのって、髪の毛くらいだったような……。
「大袈裟ですよ!それに、乾かすのが楽で助かってます」
「……今さらだが」
殿下は、苦しげな表情を浮かべたまま、小箱を差し出した。
美しいラッピング――けれど、よく見るとリボンの結び目が少し歪だ。
「これ……」
「誕生祝いだ。――ヘレナは気に入らなかったのかもしれないが、受け取ってくれないか?」
え……。
前に届いたときは、もっと完璧に結ばれたリボンで、包み紙も一回り大きかった。
角ひとつ歪まず、すべてが計算されたように整っていて、カードの筆跡はイヴェットだった……。
だから、中身を見ることもなく送り返してしまった。
「これ……殿下が選んでくれたものだったんですね」
「贈り物は、相手のことを想い浮かべながら、自分で選ぶもの。――違ったか?」
「覚えててくれたんだ。……開けても良いですか?」
「あぁ」
それは、美しい瑠璃色の髪留めだった。金の薄片がちりばめられていて、まるで夜空に輝く星のようだった。
「わぁー。綺麗なバレッタ! ありがとうございます」
「その髪じゃ、不要だったな」
「髪はまた伸びますから」
このバレッタを使うくらい髪が伸びた頃には、もう――。
もったいないけれど、殿下の前でこのバレッタを使う日は来ないだろうなと思ったことは、心の内にしまっておいた。
「……それから」
殿下は少し言い淀んでから、視線をそらした。
「学園での暮らしのこと、時々でいい。手紙をくれないか」
「……え?」
思わず聞き返した。
昨日、陛下が言った言葉と重なったから。
『知らせが届けば、なお安心できる』
――やっぱり、親子なのね。
陛下は、祖母に匿名で薬を届けてくれた。
殿下は、言葉少なに沈黙で私を守ってくれる。
形は違っても、そこにあるのは確かな愛情で。
不器用な優しさが重なって、心がふわりと温かくなった。
こうして日常へと戻っていき、最終学年への進級が認められた頃。
胸に抱いていた違和感は、もう無視できないほどに膨らんでいた。
猶予はあと一年。
だったら、今の私にできることしよう。
ただ待っているだけなんて、それこそ”お飾りの妻”じゃない。
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こうして私は、あたためていた策を実行に移すべく、殿下に向けて筆を取った。
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