異国妃の宮廷漂流記

花雨 宮琵 ー Kau Miyabi ー

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第3章:漂流の寄港地ー学園編

第56話:ヘレナと呼ばれて

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 お屋敷に着くと、オーギュスト様自らが出迎えてくれた。

「よく来たね、エレナ。アルフォンスも」
「私はおまけみたいですね」
「はははっ。そんなことないよ。可愛い甥が訪ねて来てくれて、嬉しいさ」

 挨拶を交わしてふと視線を横へ走らせると、オーギュスト様の後ろで控え目に立っている、物腰の柔らかそうな女性がいることに気づいた。

「あぁ、エレナは初対面だったね。辺境伯領の執務を手伝ってくれている、フォスティーヌ夫人だ」
「フォスティーヌ夫人……は、初めまして。エレナと申します」
「初めてご挨拶申し上げます、エレナ妃殿下。アルフォンス殿下、久方ぶりにお目にかかります」

 にこやかに応対しているその夫人をじっと見つめていたら、気付いてしまった。
 以前レオポルドが言っていた、オーギュスト様の意中の人というのは、この女性なのではないかということに。
 オーギュスト様がフォスティーヌ夫人に対して注ぐ眼差しが、愛しい人を見つめる男性のものであるということにも。

「さぁ、2人とも中へ。暑かっただろう?」
「お邪魔いたします」
「どうしたんだい、エレナ? 他人行儀じゃないか。前回と同じ部屋をエレナのために用意してあるからね。ゆっくりしていきなさい」
「――ありがとうございます。お世話になります」

 年末に滞在したときと同じ部屋に荷物を下ろし、着替えを済ませた頃、オーギュスト様の一人娘であるカミーユ様が学友の別荘から帰ってきたとの知らせを受けた。

「お父様っ! ただいま戻りました」

 カミーユ様がオーギュスト様の胸に飛び込み、ギュッと抱きつくさまを、羨ましいなと思いながら眺めていた。

 その日は、カミーユ様と私や殿下のために、贅を尽くした夕食を用意してくれていた。

「わあ、私の好物ばかりだわ!」

 カミーユ様が感嘆の声を上げると、オーギュスト様が「今夜の献立はフォスティーヌ夫人が考えてくれたんだ」と告げた。

「さすが夫人! 私の一番の理解者ね!」
「エレナが食べてみたいと言っていた魚介類もたくさんあるからね。遠慮なく食べてくれ」
「嬉しいです! いただきます」
 無邪気に喜ぶ振りをして、食欲もないのに胃の中へ無理やり詰め込んだ。

 ――私のことまで考慮して、献立を考えてくれたんだ。

 夫人の温かな心遣いや、優しく包み込む独特の存在感に、若さでは勝てない器の差のようなものを感じて、少しだけ落ち込んだ。

 それにしても、この落ち着いた控え目な佇まい――オーギュスト様のタイプって、私とは真逆な女性だったんだ。
 きっと、すっぴんも優しい顔をしてるに違いない。
 言葉も性格もきつくて、笑ってないと睨んでるみたいに思われる自分とは、まるで違う。

 きっと夫人は、何の迷いもなく、オーギュスト様の隣に立てる女性なのだろう。
 私はいつも、考えてしまう。
 隣に立つのが、自分でいいのかなって。
 自分が相応しいのかなって。
 そうして――自分から、距離を置いてしまう。
 傷つくのが、怖いから。
 たぶんそれが、夫人と私の“器”の差。

 オーギュスト様とフォスティーヌ夫人を眺めていたら、胸の奥がギュッと痛んだ。
 その痛みは、夫人への嫉妬なんかじゃなくて。
 2人には、これから先の輝かしい未来が見える気がしたから。
 その眩しさが、昨日のざわめきを再び呼び起こした。
 もし本当に、あの青年が殿下だったら――私の“未来”はどこへ行っちゃうんだろう……。

 フォークを口に運ぶ手を止めていたら、隣からサッと殿下が私の料理を掠め取った。
 え?
「――ん、美味いな」
「アルフォンス。食べたいのなら、自分の皿に盛ればいいだろう?」
「ヘレナがあまりに美味しそうに食べるから、少し味見してみたくなっただけですよ」
 殿下はそう言いながら、「無理して食べるな」と小声で私にささやいた。
 無理にナイフを進めようとした私の手に、そっと指を添えて止めてくれる。

 まただ。
 殿下はいつも、私の些細な変化に気が付いてくれる。
 すべて見透かされているのが、いつもは癇に障るのに。
 今夜はその気遣いが、嬉しかった。

「エレナ、もしかして体調が優れないのかい?」
 彼の叔父オーギュスト様も、そういうところは聡いみたい。

「馬車酔い、しちゃいまして。あ、でも大丈夫です! どれも本当に、美味しくて……」
「お辛いでしょう。レモン水を用意いたしましょうか?」
「夫人、お気遣いなく。ヘレナは“酔ーい、ぶっ飛び茶”を常備していますので」
「ははは! すごいネーミングだね。それは効きそうだ」
「ヘレナはネーミング・センスまで一流ですからね」
「ふふふっ。お2人は仲がよろしいのですね」

「ヘレナ? おい、無理は――」
「平気です。何だか、食欲が戻ってきたみたい」
「ふっ。……そうか。じゃあ、俺の肉も食べてみるか? 美味いぞ」
「ふぁい」
「すまないが、肉にもう少し火を通してくれ」
「かしこまりました」
「ちょ、殿下! どぉして?」
「どうしてって。王国人は、よく火を通した肉しか食さないだろう? だからだ」
「……もしかして、宮殿にいるときも、料理長にそう指示してた?」
「あ? あぁ……」

 殿下の指示だったのね、あの炭化寸前肉の正体は!
 女官たちの、嫌がらせじゃ、なかったんだ。
 それに……年末のバーベキューで、半分焦げたお肉を私にくれたのも。

「ふふっ。殿下は本当に、へレナ様のことを大切に思われてるのですね」
「妻ですから。ヘレナを形作ってきたものも含めて、大切にしたいだけですよ」
「ははは。何だか僕の知らないところで、良い事があったのかな? 年末に会ったときよりも、随分ヘレナと打ち解けているじゃないか」

 いやいや、わたし今、目の前で失恋してるんですけどね!?
 ……あれ?
 私、オーギュスト様のことが好きだって、ずっと言ってきたのに。
 あんまり傷ついていないかも。
 それよりも、隣にいる殿下の温かさの方が、ずっと心に触れてくる。

 遠くの憧れより、近くの沈黙の方が、心地良いってことなのかな。
 今さらだけど、殿下もそうとう、“器”の大きい人よね。
 ――私が勝手に傷ついて、誤解して。
 ひどい事も、失礼な態度もいっぱい取っちゃったのに。
 それでも、沈黙の中で、ずっと見守ってきてくれた。

「ヘレナは、自慢の妻ですよ」
 その言葉に胸が熱くなった。
 殿下が何度も私を“ヘレナ”と呼ぶから、自然と皆もそう呼んでくれるようになった。
 そのことが、たまらなく嬉しかった。
 私はわたしのままでいて良いのかもしれない、そう思えたから。
 ずっと探していた“ここにいてもいい”という思いは、呼び名の中にも隠れていた。

 ……ありがとう、殿下。
 声には出さなかったけれど、心の中で確かにそう呟いた。
 その瞬間、殿下の瞳がふとこちらを見た。
「も、もしかして、心の声、出てました!?」
 殿下はふっと口角を上げて笑うと、そのまま何も言わず、ただ視線を私に留めおいた。

 ……え。出てたの? 出てなかったの? どっちなの!?
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