57 / 72
第3章:漂流の寄港地ー学園編
第57話:遠い青の記憶
しおりを挟む
翌日は、殿下が森を案内してくれることになった。
なぜか殿下が私を馬に乗せる。
「自分で乗れますけど?」
「知っている。……だが、叔父上には乗せてもらったのだろう」
そう言われ、腰を支えられて軽々と鞍の上に乗せられた。
思わず「きゃっ」と声が漏れる。
抗議の言葉を探しているうちに殿下が後ろから跨がってきて、私を囲むように手綱を握った。
耳元に低い声が落ちる。
「暴れるな」
背中越しに殿下の胸板が触れ、理由の分からないドキドキと、不思議な安心感が同時に胸に押し寄せた。
――この感覚。
昔、熱と痛みにうなされながら、誰かに抱きかかえられて馬に乗せられたことがあった。
揺れる馬の背と、耳元に落ちる声だけが鮮明で――。
「俺が守るから。――ちゃんと、家に戻してやるからな」
かすかな声が、今と重なる。
でも。
次の瞬間には霧のように記憶がほどけて、何も掴めなくなる。
「ねえ、殿下。知ってる? 王国ではね、不戦敗は恥なの。だからね、これは、名誉ある撤退」
「……」
「聞いたんでしょう? ランスロットから。私が、オーギュスト様に憧れてたって」
「あぁ……」
「王国ではね、負ける戦はしないんです。恋もおんなじ。――って、こんな話を夫にしてる自分が怖いですけど」
殿下の手綱を握る手に、わずかに力が入った。
「……今日は、とびきりの場所に連れていってやる」
「え? ……炭火焼き料理のお店?」
「秘密だ」
てっきり、食いしん坊の私を喜ばせようと、美味しいお店にでも連れて行ってくれるのかと思っていたのに。
「つかまってろ」
殿下はそう言って、馬の足を早めた。
どんどん森の奥へと進んでいく。やがて木々が途切れ、視界が開けた。
「――ここだ」
「わぁ……あれ?」
「あの山の向こう側は、王国だ。わずかだが、青い山脈が見えるだろう?」
こんな森の奥に、王国を望める場所があったなんて。
遠くに連なる山々を見ていたら、胸の奥が切なくなった。
森の匂い。
友と笑い合った時間。
祖母と領地経営に勤しんだ日々。
――それが私の、”未練”。
あれ? それにしても殿下、迷いなくここに連れてきてくれた……。
何度か来たことがあるのかしら。
殿下は遠くへ視線を向けたまま、静かに私に尋ねた。
「学園を卒業したら、故郷へ戻りたいか? ……酷な質問か」
「未練がましい女はね、王国じゃ、ダメなんです」
「無理して忘れようとしなくても、いい」
「未練ってね。もっと大切なものができたら、自然と薄れるんだって」
「大切なもの……?」
たとえば、大切に想える人ができたら。
たとえば、背負うべき役割を見つけられたら。
たとえば、もう二度と離れたくないって思える居場所ができたら。
――そうすれば、昔の未練なんて、きっと自然に霞んでいくんだろう。
「でも、私にはまだ、その“何か”が見つからないんです。だから……ずっと、立ち止まったまま」
言葉が落ちて、静けさが広がった。
見つかるといいんだけどな。卒業するまでに。
私が進む道が。
「……俺では、足りないか」
「え……?」
「俺はヘレナに、いてほしいけどな。――行くか? 保養地。今なら貸切だ」
なんだろう。
泣く理由なんてないのに、ちょっと、涙がこぼれそうになった。
「……慰めが要るなら、慰める。泣きたいなら、泣けばいい」
たぶん殿下は、私の涙の理由を誤解している。
でも。その誤解が、なぜだか優しく胸に響いた。
こくりとうなずくと、殿下はそのままオーギュスト様の屋敷に戻り、手早く私の荷物をまとめてくれた。
私の代わりにオーギュスト様に滞在のお礼を伝えると、2人で屋敷を後にした。
皇族の保養地は思ったよりも温かく、領地のお屋敷に戻ったような錯覚を覚えた。
なぜか殿下が私を馬に乗せる。
「自分で乗れますけど?」
「知っている。……だが、叔父上には乗せてもらったのだろう」
そう言われ、腰を支えられて軽々と鞍の上に乗せられた。
思わず「きゃっ」と声が漏れる。
抗議の言葉を探しているうちに殿下が後ろから跨がってきて、私を囲むように手綱を握った。
耳元に低い声が落ちる。
「暴れるな」
背中越しに殿下の胸板が触れ、理由の分からないドキドキと、不思議な安心感が同時に胸に押し寄せた。
――この感覚。
昔、熱と痛みにうなされながら、誰かに抱きかかえられて馬に乗せられたことがあった。
揺れる馬の背と、耳元に落ちる声だけが鮮明で――。
「俺が守るから。――ちゃんと、家に戻してやるからな」
かすかな声が、今と重なる。
でも。
次の瞬間には霧のように記憶がほどけて、何も掴めなくなる。
「ねえ、殿下。知ってる? 王国ではね、不戦敗は恥なの。だからね、これは、名誉ある撤退」
「……」
「聞いたんでしょう? ランスロットから。私が、オーギュスト様に憧れてたって」
「あぁ……」
「王国ではね、負ける戦はしないんです。恋もおんなじ。――って、こんな話を夫にしてる自分が怖いですけど」
殿下の手綱を握る手に、わずかに力が入った。
「……今日は、とびきりの場所に連れていってやる」
「え? ……炭火焼き料理のお店?」
「秘密だ」
てっきり、食いしん坊の私を喜ばせようと、美味しいお店にでも連れて行ってくれるのかと思っていたのに。
「つかまってろ」
殿下はそう言って、馬の足を早めた。
どんどん森の奥へと進んでいく。やがて木々が途切れ、視界が開けた。
「――ここだ」
「わぁ……あれ?」
「あの山の向こう側は、王国だ。わずかだが、青い山脈が見えるだろう?」
こんな森の奥に、王国を望める場所があったなんて。
遠くに連なる山々を見ていたら、胸の奥が切なくなった。
森の匂い。
友と笑い合った時間。
祖母と領地経営に勤しんだ日々。
――それが私の、”未練”。
あれ? それにしても殿下、迷いなくここに連れてきてくれた……。
何度か来たことがあるのかしら。
殿下は遠くへ視線を向けたまま、静かに私に尋ねた。
「学園を卒業したら、故郷へ戻りたいか? ……酷な質問か」
「未練がましい女はね、王国じゃ、ダメなんです」
「無理して忘れようとしなくても、いい」
「未練ってね。もっと大切なものができたら、自然と薄れるんだって」
「大切なもの……?」
たとえば、大切に想える人ができたら。
たとえば、背負うべき役割を見つけられたら。
たとえば、もう二度と離れたくないって思える居場所ができたら。
――そうすれば、昔の未練なんて、きっと自然に霞んでいくんだろう。
「でも、私にはまだ、その“何か”が見つからないんです。だから……ずっと、立ち止まったまま」
言葉が落ちて、静けさが広がった。
見つかるといいんだけどな。卒業するまでに。
私が進む道が。
「……俺では、足りないか」
「え……?」
「俺はヘレナに、いてほしいけどな。――行くか? 保養地。今なら貸切だ」
なんだろう。
泣く理由なんてないのに、ちょっと、涙がこぼれそうになった。
「……慰めが要るなら、慰める。泣きたいなら、泣けばいい」
たぶん殿下は、私の涙の理由を誤解している。
でも。その誤解が、なぜだか優しく胸に響いた。
こくりとうなずくと、殿下はそのままオーギュスト様の屋敷に戻り、手早く私の荷物をまとめてくれた。
私の代わりにオーギュスト様に滞在のお礼を伝えると、2人で屋敷を後にした。
皇族の保養地は思ったよりも温かく、領地のお屋敷に戻ったような錯覚を覚えた。
42
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
王の影姫は真実を言えない
柴田はつみ
恋愛
社交界で“国王の妾”と陰口を叩かれる謎の公爵夫人リュミエール。彼女は王命により、絶世の美貌を誇る英雄アラン公爵の妻となったが、その結婚は「公爵が哀れ」「妻は汚名の女」と同情と嘲笑の的だった。
けれど真実は――リュミエールは国王シオンの“妾”ではなく、異母妹。王家の血筋を巡る闇と政争から守るため、彼女は真実を口にできない。夫アランにさえ、打ち明ければ彼を巻き込んでしまうから。
一方アランもまた、王命と王宮の思惑の中で彼女を守るため、あえて距離を取り冷たく振る舞う。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~
marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」
「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」
私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。
暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。
彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。
それなのに……。
やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。
※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。
※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です
流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。
父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。
無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。
純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる