異国妃の宮廷漂流記

花雨宮琵

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第3章:漂流の寄港地ー学園編

第57話:遠い青の記憶

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 翌日は、殿下が森を案内してくれることになった。
 なぜか殿下が私を馬に乗せる。
「自分で乗れますけど?」
「知っている。……だが、叔父上には乗せてもらったのだろう」

 そう言われ、腰を支えられて軽々と鞍の上に乗せられた。
 思わず「きゃっ」と声が漏れる。
 抗議の言葉を探しているうちに殿下が後ろから跨がってきて、私を囲むように手綱を握った。

 耳元に低い声が落ちる。
「暴れるな」

 背中越しに殿下の胸板が触れ、理由の分からないドキドキと、不思議な安心感が同時に胸に押し寄せた。

 ――この感覚。
 昔、熱と痛みにうなされながら、誰かに抱きかかえられて馬に乗せられたことがあった。
 揺れる馬の背と、耳元に落ちる声だけが鮮明で――。
「俺が守るから。――ちゃんと、家に戻してやるからな」
 かすかな声が、今と重なる。
 でも。
 次の瞬間には霧のように記憶がほどけて、何も掴めなくなる。

「ねえ、殿下。知ってる? 王国ではね、不戦敗は恥なの。だからね、これは、名誉ある撤退」
「……」
「聞いたんでしょう? ランスロットから。私が、オーギュスト様にって」
「あぁ……」
「王国ではね、負ける戦はしないんです。恋もおんなじ。――って、こんな話を夫にしてる自分が怖いですけど」

 殿下の手綱を握る手に、わずかに力が入った。

「……今日は、とびきりの場所に連れていってやる」
「え? ……炭火焼き料理のお店?」
「秘密だ」

 てっきり、食いしん坊の私を喜ばせようと、美味しいお店にでも連れて行ってくれるのかと思っていたのに。

「つかまってろ」
 殿下はそう言って、馬の足を早めた。
 どんどん森の奥へと進んでいく。やがて木々が途切れ、視界が開けた。
「――ここだ」
「わぁ……あれ?」
「あの山の向こう側は、王国だ。わずかだが、青い山脈が見えるだろう?」

 こんな森の奥に、王国を望める場所があったなんて。
 遠くに連なる山々を見ていたら、胸の奥が切なくなった。
 森の匂い。
 友と笑い合った時間。
 祖母と領地経営に勤しんだ日々。
 ――それが私の、”未練”。

 あれ? それにしても殿下、迷いなくここに連れてきてくれた……。
 何度か来たことがあるのかしら。

 殿下は遠くへ視線を向けたまま、静かに私に尋ねた。
「学園を卒業したら、故郷へ戻りたいか? ……酷な質問か」
「未練がましい女はね、王国じゃ、ダメなんです」
「無理して忘れようとしなくても、いい」
「未練ってね。もっと大切なものができたら、自然と薄れるんだって」
「大切なもの……?」

 たとえば、大切に想える人ができたら。
 たとえば、背負うべき役割を見つけられたら。
 たとえば、もう二度と離れたくないって思える居場所ができたら。

 ――そうすれば、昔の未練なんて、きっと自然に霞んでいくんだろう。

「でも、私にはまだ、その“何か”が見つからないんです。だから……ずっと、立ち止まったまま」

 言葉が落ちて、静けさが広がった。
 見つかるといいんだけどな。卒業するまでに。
 私が進む道が。

「……俺では、足りないか」
「え……?」
「俺はヘレナに、いてほしいけどな。――行くか? 保養地。今なら貸切だ」

 なんだろう。
 泣く理由なんてないのに、ちょっと、涙がこぼれそうになった。

「……慰めが要るなら、慰める。泣きたいなら、泣けばいい」
 たぶん殿下は、私の涙の理由を誤解している。
 でも。その誤解が、なぜだか優しく胸に響いた。

 こくりとうなずくと、殿下はそのままオーギュスト様の屋敷に戻り、手早く私の荷物をまとめてくれた。
 私の代わりにオーギュスト様に滞在のお礼を伝えると、2人で屋敷を後にした。

 皇族の保養地は思ったよりも温かく、領地のお屋敷に戻ったような錯覚を覚えた。
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