異国妃の宮廷漂流記

花雨 宮琵 ー Kau Miyabi ー

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第3章:漂流の寄港地ー学園編

第58話:ほどけていく距離

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「――飲め。アルコールは飛ばしてある」
 殿下は湯呑をテーブルの上にトンッと置き、そのまま正面にドカッと腰を下ろした。

 ……卵酒エッグノッグ
 殿下はこういう時でも、法令を遵守する。
 ほんと、さすがだわ。

「……いただきます」
「叔父上のどこが良かった」
 左肩を半分前に出し、尋問のように訊いてくる。

「初めてだったんです。家族以外に甘えられたの。でもあれは、恋じゃなくて。憧れみたいなものです」
「俺には、一度も憧れを抱かなかったのか」
「だって。殿下は、私に冷たいもの」
「冷たくしているつもりはない。……言葉にするのが、下手なだけだ」
「私、帝国人みたいに“空気”、読めませんから。比喩だって理解できないし。ちゃんと言葉にしてくれないと、分かりません」

 殿下は一瞬、黙り込んだ。
 そして、まっすぐ私を見て言った。

「だったら、教えてくれ。どう言えば、ヘレナに伝わるのか」

 その眼差しがあまりに真剣だったから、胸の奥がざわついた。
 昨夜の言葉――ヘレナを形作ってきたものも含めて、大切にしたい――が蘇る。
 今の私たちなら、孤独を分かち合えるかもしれない。
 そう思えて、私もそっと本音を明かすことにした。

「……殿下には、素直に甘えられないの。強がってばかりで……でも、結局は殿下にしか弱さを見せられない。殿下の優しさは、ちゃんと届いてます」

 オーギュスト様には、子どものように甘えられた。
 ”守られている”安心感に、素直に身を委ねることができた。
 でも殿下には、なぜか強がってしまう。
 それでも――弱さをさらけ出せるのは、殿下にだけ。
 
 殿下が小さく「ふっ」と笑った。
 その顔に、いつものように張り付けた皇太子の仮面はなかった。

「まあでも! フォスティーヌ夫人には敵いませんね。――女としての器も、色気も足りていないもの」
「色気など、男と肌を重ねれば自然に出る。要は経験だ」
「今のままだと私、一生色気とは無縁な気がする……」
「……必要なら、俺が教えてやる」
「むっ。結構です!」
「冗談だ。本気にするな」
 
 ……冗談なんだ。
 妻なのに、夫から正面切って「抱かない」と言われる私っていったい……。

「そういえば、クリステル様たちはどちらに?」
「明後日、着く」

 なんだ。やっぱり夏休みも家族3人で過ごすんだ。

「でしたら、今夜だけこちらにお世話になってもいいですか?」
「ああ。――好きなだけいればいい」

 え? いいの? 
 見上げると、殿下は視線をそらし、何かを言いかけては、ためらうように息をつく。 

「……ヘレナがいると、静かすぎなくていい。……それに温まる」 
「殿下、寒いの? ……風邪引いちゃった?」
「違う。……もういい」
「じゃあ、”バイバイ菌ブレンド飴”、食べてみます?」
「……口にする気が失せる名前だな」

「ええっ!? せっかくランスロットと考えたのに」
「ランスロットはどうでもいい」
「……殿下、嫉妬してる?」
「馬鹿をいうな。……だが、今度は俺に相談しろ」

「えぇー、やだ! だって、殿下が付けたら“風邪撃退とまでは言えないが、喉の痛みには効くと思しき飴”とかになりそうだもん」
「正確で何が悪い」
「そんなの誰が買うのよっ!」
「……だったら、“皇室印・万能飴”でどうだ」
「……喉に詰まりそう」
「――おい」
「だって“皇室印”なんて! の私からしたら、名が重すぎです」
「勝手に庶民になるな。……庶民代表推奨・万能飴ならどうだ?」
「それ、詐欺師の手口でしょ!」

 思わず笑い出してしまった私に、殿下がふっと頬を緩めた。
「やっと笑ったな」
 ……なによ。
 まるで私を励まそうとしてくれていたみたいじゃない。
 嬉しいくせに、素直に嬉しいと言えない自分が、もどかしい。
 ……あぁそうか。
 殿下もきっと、おんなじなんだ。
 言葉よりも態度の方が雄弁だということに、今さら気づくなんて。

 ――この小さな気づきが、このあと、決定的なすれ違いを生むことになるとは思いもしなかった。
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