シロクロユニゾン

エルセウス

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シロクロユニゾン 虚像の頁

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波乱の大会から数日後。
8月。夏休みの真夏の正午、むせ返るような暑さの中翔は気温ににつかないスーツを着こなし歩いていた。


暑いのもあるが、気の進まない用事のために出歩くのは自然と足が重くなる。しかしもたもたしていれば照り返す日光の餌食だ。彼は無理やり歩を早め、駅へと向かった。










ついたのは高層ビルが建ち並ぶ都心の街。夏休みだからであろう。かなり背伸びしたような金品を身に付け歩く自身と同じぐらいの年の集団や、博物館のチケットもって目を輝かせる子供がちらほら見える。


それを横目に時計を見ると、約束の時間まであと20分を切っていた。


「…ちょっとぼんやりしすぎたな…」


翔は目的のビルへと気だるそうに向かった。




◇◆◇◆




とある会社のビル。その扉の先には豪勢なロビーが広がっていた。天井のシャンデリア、ブランドのロゴが入ったソファ、そこで過ごす社員の腕には精密な装飾が施された腕時計がつけられている。


翔はロビーをまっすぐ抜けて受け付けに向かう。そこで要件を伝えると、なぜ子供がと少し見下した態度であった受付嬢ががらりと表情を変え、ペコペコと頭を下げながら奥に通された。


目の前にはこれまた豪華な扉。翔は少し震える手でコンコンコン、と軽くノックをした。


「失礼します」


重い扉をゆっくりと開く。応接間の中には、2人の馬獣人と、人のよさそうな笑みを浮かべるヤギ獣人がいた。


「遅かったわね?何かあったの?」


馬獣人の片方、翔の母親暮馬は少し心配した表情になる。


しかし、


「ったく…時間の管理がなってないな…」


もう片方の馬獣人は、高圧的な声をだす。


ゆっくりと立ち上がり、翔の目をじっと見つめる。


その顔を見た翔は、少し身構えながらもその目を見つめ返す。


「…お久しぶりです…父さん…」


翔の父…イギリスからやってきたグラントは冷ややかな仏頂面を崩さなかった。





◇◆◇◆





「いやいや~それにしても翔くんが会社を将来継いでくれるみたいで安心だよ~!変なのが継いだら取引も考えないといけなくなるからねっ!」


グラントと翔の間に流れる重い空気をよそに、初老のヤギ獣人、白樺有木(しらかばあらき)はニコニコとご機嫌な表情を浮かべる。


有木の「白樺グループ」と呼ばれる会社の会長だ。主に子供向けの玩具や家具を取り扱う日本の会社で、木材を使った精巧かつ扱いやすい造りの玩具、家具は海外にも人気で販路をどんどん拡大している。


その取引先の中でも、高級路線の家具、家の内装を手掛けるイギリスの「グラントグループ」は特に大きい。この2つのグループはお互いの技術をだし合い、時に競合しながら成長を続けている。


「このビルの内装もグラントくんに任せて正解だったね~!雰囲気が明るくなった!」


「いえ、有木さんの願いとあらば」


そんな会話をする雰囲気が正反対の彼らだが、有木はグラントの会社の立ち上げに一役かった人物であり、下積み時代のグラントにこの業界のノウハウを叩き込んだのだ。


「知識は早く身に付けるに越したことないからね!本場で数年勉強して継ごうね!翔くん!」


「はっ…はい…」


相変わらずの勢いにぎこちない返事で返す。


「…有木さん、そろそろ」


「あぁごめんごめん!今日はこれからの話をしに来たんだよね!」


そこからはこれからの翔の進路についての話し合いになった。数年の勉強で何を身に付けるべきか、今、そしてこれからの翔に必要な能力はどんなものか、そんな内容で会話は盛り上がる。


「…とまぁこんな感じだね~。大学入ったばっかの翔くんには申し訳ないけど…8月末にはイギリスの工業大学に移ってもらうことになるけど…」


「気にしないでください。これは彼の意思なので。な?」


そういってグラントは翔の方を向く。その目は有無を言わさぬ威圧感が込められていた。


「…はい…父が成功したように、僕も早くから知識を得たいので…」


それに翔は逆らえずにいた。逆らったときの痛みを、以前彼は体験したのだから。


「うん!それなら何よりだ!自分かやりたいことをするのが一番だからね~!っともうこんな時間か!」


そう言うと有木はサッと立ち上がる。


「ごめんね!僕はこれから別の会議あるから!この応接間まだ使ってていいからゆっくりしていってね~!」


そして早口でそう伝えると、そそくさと応接間を去っていった。


有木の足音が少しずつ遠ざかっていく。そうして完全に聞こえなくなったところでグラントが翔の方へ向き直る。


「翔…私が与えた猶予は有効に使えているのか…?」


グラントが彼に与えた「猶予」。それは4月から夏休みまでの大学での生活だ。海外に行くまでの4ヶ月を、最後の思いで作りの期間としたのだ。


「…大学生活は満喫してます…。授業とサークルで新しい友達もできました。大会も優勝しましたし」


翔はその問いに目を合わせずに答える。


「…そうか…その大会で派手なことをしたみたいだが?」


派手なこと…恐らく緑川達に対して激怒しゴールを勢いそのままに破壊したことだろう。


「…なにがお前をそこまで駆り立てたのかしらないが…お前ら私の後継ぎだ。立ち振舞いには気を付けなさい。」


そういって、彼は細い顔をグイッと翔の眼前に出した。


「それともなんだ…?お前にそうさせるような獣人がいるのか…?」


聞くだけで震えるような低音。その声には冷酷さと威圧感が詰まっていた。


その声によって甦る過去の記憶。思い出したくもないことがフラッシュバックする。










脳裏によぎるは、遠ざかる過去の友人の声。










「いや…決してそんなことはありません…!気を付けます…!」


かろうじて返事をするくらいの声は出せたが、蚊の鳴くような細く弱い声だ。


その返事を聞いたグラントは、不機嫌そうにフンと鼻をならした。


「まあいい。とにかく、今月末にはイギリスに行くからな?準備を怠らないように。…行くぞ。」


そうして、暮馬を連れ応接間を去った。


有木とは違う重い足音が少しずつ遠ざかっていく。


「…凛…」


その中で、彼は新にできた友人の名前をポツリと呟いた。


その呟きは、天井の豪勢な照明に吸い込まれていった。





◇◆◇◆





一方その頃


「あの…話って…?」


凛は話があると急に彼を引っ張り出した目の前の友人、遥に聞く。


場所は遥の地元の町。凛達の大学から電車で5駅ほどの場所だ。


そこにある遥がよく通っていたという喫茶店に2人は腰を落ち着けていた。


「まぁ~単刀直入に聞きたいことがあるんよ」


そう言って遥はアイスコーヒーの飲み干す。


空になったグラスをドンと置き、凛の目をじっと見つめる。










「お前、翔のこと好きだろ?」


「ブホッ!?」


唐突な問い。凛はアイスココアを吹き出した。


「ケホッ!…はぇ??」


咳き込みながら問いの内容を反芻するが、驚きがそれを邪魔する。


「いや~あんなことがあったから気になっただけ…なんだけどさ?」


凛の反応を見た遥はニヤニヤと性悪な笑みを浮かべている。


「いや…えっと…」


「まぁ大会の前からなんとなく気付いてたけどな~!顔に出まくってたぜ?」


遥の顔を見て慌てふためいてしまうが、凛は肩を落として諦めた。


「えぇ…っと…まぁ…そう…なんだけどさぁ…」


「ほほぅ?じゃあちょっと色々聞かせてもらおうか?」


逃げられない。遥の光る目を見て凛は悟った。そこからは質問責めだ。いつから好きになったか、どこが好きなのか、大会の後翔の部屋でなにをしたかなど根掘り葉掘り聞かれた。


翔とシャワーを浴びたこと。一緒のベットで寝たことを話したときに一瞬眉がピクリと動いた気がしたが気のせいだろう。


そうして一通り聞いた後、最後の質問といって遥は凛に向きなおる。


「あいつと2人きりの時…俺のことはなんか言ってたか?」


その質問に、凛は自信の記憶の糸をたどる。
…大会直後の夜、その答えがその時にあった。


「えっとね…遥くんのこと…辛い時に助けてくれたヒーローみたいなやつって言ってた…大切な親友で相棒だって…!」


そう言ってたよ!としめて凛は残りのココアを飲んだ。


「親友…ね…。ん!ならよかった!」


すると、遥は唐突に立ち上り、1枚のチラシを凛に渡した。


「そんな凛の恋を応援しようと思ってな!夏休みに実らせようぜ!」


チラシの下の方にあった地図を見ると、ここから近くの服屋のものであることがわかった。


「その店俺の実家!そこで服見繕ってデートの下準備だ!」


「ふえっ!?」


話が急すぎる。早すぎる提案に凛は狼狽える。


「早いにこしたことないぜ~?」


そして遥は立ち上りレジに向かった。


「支払っとくから先行っててくれ!俺ちょっとよるとこあるからさっ」


そそくさと財布を出しながら凛にそう声をかけた。



「あっ…えっと…うん!わかった!」


凛は戸惑ったが、勢いに押され取り敢えず服屋に向かうことにした。


ありがとうと遥に礼を言って、凛は足早に店を去った。


平日の昼下がり。店の中には遥と店主のみだった。


凛が去ったのを確認すると、遥はズボンのポケットから1つ箱を取り出した。


「マスター、裏空いてる?」


遥の声に、店主は何も答えず、裏口の鍵を投げ渡した。


「サンキュー」


受け取った遥が乾いた声でそう言うと、裏口に向かい、錆び付いたドアを開けた。


裏口には小さなベンチと灰皿。遥はベンチに腰を掛け、箱から1本の棒を出した。


それを咥えると、慣れた手付きでライターを取り出しそれに火をつける。


「ふぅ…」


18の口には似合わない紫煙が立ち上る。


その片手にはスマホが握られていて、画面にはLINEのトークが表示されていた。


『凛のことどう思ってる?』


そんな言葉の下にまた別の言葉が連なる。


『ん?どうした?』


『いや~なんとなく。なんか凛といると楽しそうというか…凛といるお前顔緩んでるぞ?』『それに…凛のことになると結構熱くなるじゃん』


『マジか』『そこまで見てるのは流石だな』


『んで?どうなん?』


『正直惹かれてる』


『言質とったで』


『おいこら』


『じょーだんじょーだんw』『てか…お前ゲイなのか?ぜんぜんそんな素振り無かったけど』


『ゲイ…というかバイだな。この前送ってくれた女優の動画抜けたし』


『唐突に下ネタぶちこむなw』


『あいつのいつも俺達のために頑張ってるとこ…でもたまーにドジって空回りしてるとこがいいんよな。守りたくなる。』


『草』『庇護欲やん』


『うるせぇ』


『で?いつ告白すんの?』


『勇気でねぇよ』


そこで会話は途切れていた。


「…ったく…なにが勇気でねぇだよ…」


そう言って遥は、立ち上る煙を見て目を細めた。





◇◆◇◆





「はぁ…めんどくせぇ…」


校舎の裏の花壇に肥料と水をまく1人の影。中学生の遥は、ジャンケンで負けたといういかにもな理由で環境係なるものを任されていた。


週に何度か校舎裏を訪れては、誰が見るのかもわからない小さな花壇の植物の世話をしていた。


いつものように肥料と水を適当にばらまき、早々と帰りの準備をしようとした時であった。



「オラッ!」


ここより更に奥から、怒鳴り声が聞こえた。それと同時に鈍い音が聞こえる。


恐らくいじめの現場だろう。この学校では特別珍しいことではない。彼はすぐに帰路につこうとする。


しかし、その日はなぜか足が止まった。


何故かはわからないが、遥の足は声のする方へと向いた。


(……ちょっくら覗いてみるか)


それを彼はただの野次馬精神だと思い、少し早足で現場に向かう。


狭い道を抜け、日が射さないジメジメとした空間に入る。


声が近い。遥は足を忍ばせ、壁からゆっくりと顔を出す。



「気持ち悪い外人が!帰れ!」



恐らく主犯…素行の悪さで有名な猪獣人が被害者に蹴りを入れる。


その様子を周りの取り巻き達が笑いながら写真を撮っていた。


猪の影にかくれて被害者の顔が見えない。どうにかして確認しようも首を伸ばした。


その時、


「おい!お前何見てる!」


取り巻きの1人が、遥の存在に気付き声を荒げた。


「やべっ」


 「あ゛?」


その声に猪が首を回し、血走った目で遥を捉えた。


「なんだぁお前?こいつの仲間か?あぁ?」


「いや~別に通りかかっただけで…ハハ…」


誤魔化そうとしたが場所が場所だ。通りかかったというには不自然すぎる。


トラブルの回避はどうやら不可能なようだ。


「てめぇ……見たからには…」



そう言って猪の大きな拳が上がる。こぶしはミシミシと音をならしながら握られてていて、いかに感情が荒ぶっているかがわかる。


「こうするしかねぇよなぁ!」


そしてこのまま遥の頭に拳が振り下ろされる。彼の脳天に隕石のような勢いで拳が迫る。




しかし、



「よっと!」




遥は紙一重でそれを外した。


「ったく危ないなぁ…」


等の本人は首をポキポキとならしながら悠然と立っていた。


「はぁ?」


猪はなにが起こっているか理解できなかった。


「先に手を出したのはそっちってことで…」


そして、遥が足に力を入れる。


「正当防衛…だよなっ!」


次の瞬間、光のような速度で猪の腹に蹴りが入った。槍のように鋭い足が深く突き刺さる。


「コバァッ!?」


それを受けた猪は白目をむく。そして膝から地面に崩れ落ち、口から泡を出して情けなく倒れこんだ。


「…で?お前らは?」


遥はそう言って周りの取り巻き立ちに視線をやる。


「や…やべぇ…」


「にげろっ!」


しかしリーダーがやられれば戦意なんてものは塵同然のものになる。彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「ウサギ獣人の脚力なめんなよってな。さてと…」


騒がしい足音が遠さかる中、遥は蹴られていたヒトのもとへ向かう。


そこにいたのは金髪の白馬獣人。先ほどの猪の発言からして外国から転校でもしてきたのだろう。制服には所々破れた跡がみえ、毛皮のしたの皮膚には内出血のようなものが見られた。


「おいあんた、大丈夫か?」


そう言って彼に手を差し伸べる。


「う…うん…」


弱々しい声、それと共に彼の手が遥の手に触れる。そして彼はその顔を上げた。


その瞬間、遥はその顔に視線を奪われた。


透き通るようなコバルトブルー。今までに見たことのないような端正な顔立ち。うつくしい金髪がその美しさを引き出している。


「すげえ…」


その言葉は無自覚の内に発せられた。まるで1つの作品とも言えるような容姿に遥は圧倒された。


「あっ!」


それに気づいた白馬は長い金髪で顔を隠した。


「ごめ…気持ち悪いよね…ごめん…」


弱々しい声でそう言うと、彼の体が少し震えていた。


日本の獣人とは全く違う容姿、様子を見るにこれが先程の惨状の原因だろう。


「……お前、今日暇か?」


「え?」


「もし暇だったら俺の家来いよ」


初対面の獣人からの誘い。白馬は困惑する。


「えっと…何…するの?」


警戒する白馬。それを見た遥はズイッと顔を近づける。


「ちょっと見た目いじる!いいから来い!」


そして白馬の手をぐいっと引いて立たせた。


「俺は遥。お前は?」


「えっと…翔…白城…翔…」


ぶっきらぼうな物言いに、翔は目を合わせずに答えた。


◇◆◇◆


「ただいま~!」


「お…お邪魔します…」


とある商店街の一角。年季が入っているものの店内はきれいに整えられている小さな服屋に2人は入った。


「お帰り!!」


すると奥から大きな声が帰ってくる。大量の服を手に抱えたロップイヤーの女性が出てきた。
遥の母親、夏が息子の隣に立つ子供を見つける。


「ん?隣の子は?友達?」


「まぁそんな感じ!」


遥はそう言うと店の奥からゴソゴソと何かを取り出す。


「ちょっとここら辺の服借りる!」


「あん?急にどうしたの?」


「すぐ終わるから!」


遥はいこう!と翔の手を握ると、返事も聞かず店の外に出て居住スペースである2階に続く階段を足音を踏み鳴らしながら上がった。


◇◆◇◆


「適当に座ってていいぞ。」


居住スペースの遥の部屋。遥は手に抱えていた大量の服をバサバサと床に下ろすと、その前で何やらぶつぶつと呟きながら考え込み始めた。


翔は部屋の隅に座る。ふっと顔を上げると、躍動するバスケ選手が大きくプリントされたポスターが貼られていた。床には荷物が散乱し、ベッドにはパジャマが脱ぎ捨てられている。そんな部屋でもそのポスターの周りは綺麗に整えられていた。


本棚を見ても、バスケやファッションについての本は立てて並べられているが、教科書やワーク類は無造作に山積みにされていた。


そうやってボーッとしていると、


「よし、これにしよう!」


突然遥が大きな声を出し、翔の方を向いた。


「俺後ろ向いてるからさ、この服着てみてくんね?絶対似合うからさ!」


そういう彼の腕の中にはファッション一式が抱えられていた。


「え…でもそれ商品じゃ…?」


「いーのいーの!ほら!着てみて!!」


困惑する翔をよそに衣類を押し付けると、遥はクルッと後ろを向いてしまった。


「うーん…」


手にした衣類に視線を落とす。今まで特にファッションに対して興味がなかった翔であったが、それを見ているうちに次第に好奇心が強くなっていく。


「じゃあ…ちょっと待っててね…」


そうして、翔はベルトを緩めた。スルスルと布の擦れる音、床に落ちる音が静かなこの部屋でハッキリと聞こえる。


服を広げ袖を通す。ズボンのチャックを閉める。普段は気にしない音が、彼らの鼓膜を確かに揺らしていた。2人きりという特異な雰囲気だからだろうか、遥は少しずつもどかしさを覚えるようになっていた。


「着替え…終わったよ」


そんな遥に、翔の声が届く。待ってましたと言わんばかりに遥は勢いよく首を回した。


「おぉ…やっぱり…!」


思わず漏れるは感嘆の声、そこに立っている翔はモデルも顔負けな程のスタイルを引き出していた。


紺色のジーパンが足の形と若々しさを引き立て、ベージュのシャツが柔らかい雰囲気を醸し出している。羽織っている黒のカーディガンが、全体を綺麗に纏めていた。


「ほらっ!見てみろよ!」


遥は目をきらきらとさせながら翔を姿見の前に連れて行った。


そこに映るは紛れもない自分の姿。そのはずだったが、目の前にあるのはいつもの根暗な自分とは違う。若さとその輝きを存分に発揮しているいつもとは全く異なる自分の姿が、磨かれた姿見に反射されていた。


「これが…俺…?」


姿見をじっと見つめ、そこに映る自分の姿を反芻する。


「そう!ちょっと服装いじるだけでめちゃくちゃ変わるんだぜ!」


遥は感情に浸る翔にそう言うと、手元からピンを1つ取り出した。


「あとは…こうしてみるとさ…」


そして翔と姿見の間に入ると、長くサラサラとした翔の立髪をピンで挟みまとめ上げた。


遥が思わず見惚れた、吸い込まれるような深いコバルトブルーの目が露わになった。


「ほら、やっぱ綺麗だよ!隠すの勿体無いぜ!」


遥は少し興奮しながらその目を見つめる。






すると、翔の目が潤み、透明な涙がポロリと翔の肌を伝った。


「うおっ!?やっぱ目見られるのは嫌だったか!?ごっごめん!!」


ギョッとした遥はアタフタとしながら謝罪する。あの時目を見られるのが嫌と気付いていたのに、配慮のないことをしてしまったと。


しかし、


「ううん…違うんだ…」


翔は遥の言葉に首を振る。


「日本に来てから…この目のせいでずっと嫌な思いをしてた…だからこの目が嫌いだった…」


途中途中声を詰まらせながら、少しずつ言葉を紡ぐ。


「初めて…言ってもらったんだ…俺の目が綺麗って…だから嬉しくて…」


そして、顔を上げ潤んだ目で遥の方を向く。





「ありがとう…綺麗って言ってくれて!」









涙は浮かんだまま、はにかむような笑顔で翔は遥にそれを伝えた。








トクン









遥の鼓動は、確かにそこから早まった。




◇◆◇◆





「ホントは幾つか服プレゼントしたかったんだけどな~!母さんにぶん殴られるからさっ」


「アハハ…俺もお金払わないで商品は受け取れないよ」


2人はそんな話をしながら店の前に出た。結局あの後日が暮れるまで小さな部屋で、2人きりでのファッションショーを楽しんでいた。


「とにかく…今日はありがとうっ!楽しかった!」


「おう、それならよかった」


眩しい笑顔。何故だろう、これをみると胸の揺れが強くなるのは。


「ふふ…自分に自信が持てたよっ」


少し低く優しい声。何故だろう、これを聞くと心地よく身を委ねたくなるのは。


「俺の目…俺の大事な個性だから…!」


吸い込まれるようなコバルトブルーの目。何故だろう、それを見ると自分のものにしてしまいたくなるのは。


「…それじゃあ!またあし」


「おいっ」


別れ際、遥は翔を呼び止める。


ん?と首を傾げる翔に、遥は手に握っていたものを投げ渡した。


放り投げられたのは、1つのピン。しかし先ほどのものとは違い、小さく白色のクロッカスの花の装飾があしらわれていた。


「それ、やるよ。」


「えっ!?でもこれ売り物じゃ」


「さっき金渡してきた。300円くらいのやつだから気にするな!」


手の中のピンは夕日を吸い込み鈍い光を放っている。


「今日は俺が振り回したからな。お詫びってことで受け取ってくれ」


遥はそう言うとサッと振り返り店の中に入ろうとした。





「ね…ねぇ!」




それを翔は声を振り絞り止める。




片手をあげる。そこにはクロッカスのピンが握られている。




「今日は…ありがとう!また学校で!…またね!遥くん!」



夕日を背にした彼の顔は逆光で暗くなる。だがその笑顔と白い体毛が眩いほどの光を放っているように感じた。


「遥でいい!また明日!」


それに対し遥は少しぶっきらぼうにそう言うと、そそくさと店の中へ姿を消した。









その日の夜


ベッドで彼のことを思い出す。その度に胸の鼓動は早くなる。


彼の声を思い出す。もっと聞いていたいと思ってしまう。


彼の目を思い出す。目を出すことを勧めたのは自分だが、果たして直視できるだろうか。



昔からなんとなく自分はその気があるということは自覚していた。だがそのなんとなくは確信に変わる。





(俺…男が好きなんだな…)





仰向けになり、少しシミがついた暗い天井を見つめる。




一目惚れ。その言葉が彼に似合う言葉であろう。




「はぁ…チョロいな…俺。」




これ以上考えるのはやめた。そう言わんばかりに彼は目を閉じ布団に潜り込んだ。




◆◇◆◇




チリチリとタバコの煙が上がる。儚い思い出のように、その紫煙は立ち消える。


昔から、彼は翔に特別な感情を抱いていた。しかし、その思いを彼は伝えることはなかった。この感情を隠すために、全く興奮しない女性が映ったビデオを送り、いかにも女性が好きのように装ったりした。


男同士の恋愛はどうしても奇異の目線が刺さるものである。遥はそれに翔を巻き込みたくなかった。それに急に男に告白されても翔を困惑させるだけだろう。この関係に傷もつけたくない。





翔を困らせたくない。その思いが行動に移せなかった理由だと思っていた。




だが、実際は違った。





凛が男好きとバラされた時、翔はどうしただろうか。それを気持ち悪いとも言わず、奇異の視線を刺すわけでもなく、その好きという感情を肯定し大切な感情だと言った。










なぜ、翔ならそう言うだろうと確信できなかったのだろうか。あんなにも長い時間を共に過ごしていたのに、どうして彼なら伝えても大丈夫と思えなかったのだろうか。










答えは単純だった。本当は翔が困るからという理由ではない。遥が、自分自身が男との恋愛の違和感に耐えられる自信がなく、気持ちを伝えることから逃げていたからだ。


翔を巻き込みたくなかった、翔との関係に傷を付けたくなかった。そんな感情は翔の為のものではなかった。


ただ単に、怖かったのだ。翔が離れてしまうことが、自信が男との恋愛で奇異の視線に晒されるのが。翔のためだと思っていた感情は、自分が翔に気持ちを伝えることから逃げるための理由にすぎなかった。


それに対し、凛は昔から自分の気持ちにしっかり向き合っていた。己を曝け出すことはなくとも、その気持ちを誤魔化すことはしなかった。先ほど翔のことが好きだと言えたのは、彼の強さでもあるのだろう。


翔はそんなところに惹かれたのだろうか。


紫煙はとうの昔に消えていた。やっと気付いて遥は震える手でタバコを口から離した。


ああ、いつぶりだろう。涙が頬を伝うのは。


煙のように消えて欲しかった思いは、不完全燃焼のまま心で燻ったままだ。


「なんで…」


タバコを灰皿で潰して呟く。


「なんで…言えなかったんだろうな…」


嗚咽の混じった声が、誰もいない空間にこだまする。


うざったいぐらいの夏の陽光が、彼の体を容赦なく照らす。


手に持っているライターに掘られた白馬のエンブレムが、静かに煌めいた。
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