従順な氷の執行人は、地獄の果てで愛を乞う

一条 柊

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第一章

14 . 忍び寄る手

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数日後。


久我は、横浜の古びた雑居ビルの一室に身を潜めていた。

そこは、かつて久我が単独で処理した「死に体」のペーパーカンパニーの隠れ家だ。
神代組のデータベースにも残っていない、完全に孤立した場所。


久我は、少し塞がりつつある左肩の傷を自ら消毒し、新しい包帯を巻いた。
嵯峨のいない夜は、驚くほど静かで、そして冷たかった。



念の為、GPSで追われる可能性があることを消すためにスマホの電源を切る。



(これでいい……。あの人は、これでまた、完璧な『若頭』に戻れる)




そう自分に言い聞かせながら、久我はベッドに横たわった。だが、目を閉じれば、浮かんでくるのは自分を貫く嵯峨の熱い吐息と、あの執着に満ちた瞳ばかり。



久我は、嵯峨が道具でも何でも一度手に入れて気に入ったものを簡単には手放さない主義だということは、自分が一番よく分かっていた。

だから、もし自分がここにいるのが嵯峨にバレでもすれば、力ずくで戻そうとするだろう。

そうなってしまったらあそこを去った意味がない。




「……弱み、か……」




独り言ちた言葉は、嵯峨の瞳のように黒い闇に紛れて消えた。





◇◇◇




一方、新宿。


神代組の事務所は、荒れ果てた戦場のようになっていた。

若頭執務室の重厚なドアを叩ける者は、今や真壁ですら数えるほどしかいない。



「……久我さんの足取り、依然として掴めません。横浜の港湾部、および都内のセーフハウスはすべて洗いましたが……形跡すら残っていません」



真壁の報告に対し、デスクの後ろに座る嵯峨蓮次は、何も答えなかった。

ただ、その掌の中では、久我が長年愛用していたクリスタルの灰皿がギリギリと嫌な音を立てて軋んでいた。




「……逃げ切れると思うなよ、怜。地の果てまで追い詰めてやる」




傍にあった鏡に映る自分の瞳は、おぞましいくらいに久我を失うことへの恐怖と、自分から逃げた久我に対しての憎悪が宿っていた。




そんな自分から意識を逸らすように鏡を力いっぱい殴ると、パリン、という硬質な音と共に割れた鏡の破片が飛び散った。


破片が嵯峨の掌に深く食い込み、そこから鮮血がデスクの上の書類に滴り落ちる。

しかし、嵯峨はその痛みすら感じていなかった。



彼はすでに、組の全戦力を動員し、隠れ家を洗い出させていた。

愛という名の狂気に染まった嵯峨にとって、久我を失うことは、己の魂を失うことと同義だった。



久我に繋がるすべての線を辿らせている。
それが嵯峨のやり方だった。


しかし、久我は嵯峨が思っていた以上に完璧だった。


自ら育て上げた「氷の執行人」が、その全能力を「逃亡」に注ぎ込んだ時、これほどまでに厄介な敵になるのかと、嵯峨は心のどこかで悦びさえ感じていた。


だが、それ以上に募るのは、裏切られた怒りではない。

自分を置いて消えた男への、殺意にも似た渇望だった。




「道具だと? ……笑わせるな。お前なしで、俺がまともでいられるとでも思っているのか」




闇の中で、嵯峨の瞳が獲物を狙う獣のように光る。




「……真壁、本家にも伝えろ。久我を見つけた者は、例え死体であっても俺の前に連れてこい。だが……」




嵯峨は立ち上がり、窓の外に広がる新宿の夜景を、飢えた獣の瞳で見下ろした。




「……その髪一本、爪一枚でも傷つけた奴がいれば、俺がその一族郎党を皆殺しにしてやる」




逃亡者となった久我と、執念の追跡者となった嵯峨。

二人の歪な絆は、組織を、そして裏社会全体を巻き込む大騒乱へと発展しようとしていた。





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