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第三章 風の神獣の契約者
1 イエラザームの使者
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イエラザーム皇国から使者が来た。
そう知らせがあった時、エディーサ国王ギルバートは首を傾げた。
イエラザーム皇国はエディーサ王国の西の隣国である。広い国土に豊富な資源を持ち、有名な宝石の産出地でもある。トルポント王国と違って砂漠などの荒野は少ない。
昔からエディーサ王国と仲が悪い訳ではないが、現皇帝が好戦的人物であることもあり、今は友好国とはとても言えない。近年、イエラザームがトルポント国王の王妹を皇妃として迎えてからは、エディーサ王国に侵攻してきたこともある。
「何の用だ?」
王の口から漏れた呟きに、隣に控えるエルガルフ・マーズヴァーン将軍が片眉をあげる。その仕草に、彼が何かを知っていると気づいたギルバート王が、将軍に話せと目で許可した。
「イエラザームの皇帝が討たれたようです」
ギルバート王の水色の瞳が一瞬見開かれた。
「第一皇子が内紛の主導者であると間諜が伝えてきました」
皇子が皇帝を討つ。
イエラザームの第一皇子は皇帝と、宰相をつとめる侯爵の令嬢である皇妃との間の実子であったはず。血を分けた父と子の間に何があったのか。
「理由はわかるか?」
続きを促すと、エルガルフは不確かな情報ですが、と前置きをして、
「数年前からトルポント王国とイエラザーム皇国が同盟を結び、我がエディーサ王国を侵略しようとする動きがあったことは陛下もご存じのことですが、二年前、トルポントがレンブル領に侵攻した時も、本来なら同時にイエラザームも侵攻を仕掛ける予定だったようです。それを阻止したのが第一皇子であると」
「侵略派の皇帝と反戦派の第一皇子の争いが起こっていたということか?」
「おそらくは。昨年の両国の侵攻も、第一皇子の派閥である宰相は是とはしていなかったと聞きます」
フーッと息を吐いてギルバート王は椅子の背にもたれかかった。
「この件にエルフェルムは関与しているのか?」
「わかりません」
エルガルフの息子は現在イエラザームの第一皇子の従者となっている。
彼の目的はトルポント王国の血を引く皇太子を失脚させ、トルポントとイエラザームの同盟を廃し、エディーサへの侵攻を止める事と聞いている。
それを伝えたのは彼の妹であり、昨年レンブル侯爵令嬢を助け出すためにイエラザーム皇国に乗り込んだ騎士の一人だ。彼の国で双子の兄妹は再会し、そして妹は兄の意図せんとする事を聞いて戻ってきた。
そのことについては、王も妹本人から報告を受けている。
しかし、諜報機関に命じてエルフェルムに向けて送られた間諜達は、全員彼に会えずに帰って来た。一体どこにいるのか。
「代替わりの挨拶だけなら良いのだが」
「使者を通してもよろしいですか?」
エルガルフの問いに、王は準備が整ったなら、と頷いた。
イエラザーム皇国からの使者は、居並ぶ重臣達に見つめられながら、正面に座るエディーサ国王に謁見を許された。
その口から伝えられた内容は二つ。
一つ目はイエラザーム皇帝の死去に伴い、現皇太子は廃嫡、第一皇子が即位するということ。
もう一つ目は誰も予想していなかったことだった。
「何だと?」
使者の言葉を聞いたギルバート王は、思わず聞き返した。
イエラザーム皇国の使者は、こうべを垂れたまま再度内容を繰り返す。
「次期皇帝ヴェルワーン陛下は、マーズヴァーン侯爵家令嬢エルディア様に婚姻を申し込むと仰せられております」
*********
使者が去った後も彼等はその場に残り、今後の対応を考えていた。
エルディアの名を知るものは少ない。
彼女はその強大な魔力とそれを得た経緯の特殊さ故に、エディーサ王国内でも存在自体を秘されている。
イエラザーム皇国の第一皇子、否、新皇帝が彼女を皇妃に望むことは、本来であればありえないことだ。
だが、皇帝の側には、同じ刻印を持つ彼女の兄がいる。彼女の存在を知っていても不思議はない。
だが、本当に彼女について理解しているのであれば、彼女を他国に渡すことはありえない事も理解しているはず。
戦場での話を聞く限り、兄の刻印も妹と同様の祝福を持っていることは容易に推察できる。あの双子を手に入れた国がどういう道を選ぶのか、十分に見極める必要がある。
刻印の秘密が世間に広まればどうなるか。
新たな刻印の主を生み出す術を見つけようとするかもしれない。
彼等のような魔獣と契約した者達を幾人も作り出せたとしたら。そして、それらの者達を戦の道具にしたとしたら。それはおそらく、人間の戦いではなくなってしまう。
あの、人には操れぬ恐ろしい魔獣達を、思い通りに操り戦わせることに等しい。
「どう思う?エルガルフ」
傍の友に声を掛ける。
とうの双子の父親は、王の問い掛けに低く唸る。
「正直、あちらの皇帝の意図を計りかねます。正式に婚姻を申し込むという事は、同盟を望んでいるということでしょう。争う意思はないのかとは思うのですが。ただ、こちらがすんなり渡すはずはない事もわかっているでしょう。断ると、どう出るかが読めません」
「エルディアは皇帝に面識があるのだろうか」
「話に出てこなかったので、直接の面識は無いと思います」
「やはりエルフェルムのせいかな」
「おそらく。彼は役目を果たせば、第一皇子の従者を辞めてエディーサに帰国する約束だと言ったそうなので」
「代わりに寄越せということか」
「そう考えるのが妥当かと」
王も腕を組んでうーむと唸った。
エディーサ王国にはアーヴァインを筆頭に、今や強力な攻撃もできる魔術師団がある。騎士団と魔術師団が合わされば、大国の侵略も跳ね返す事ができる。
その上に魔獣の契約者が二人もいれば、周辺諸国には脅威でしかない。
「人質……か」
エルディアは王家の血も引く。
身分にうるさい他国でも、十分皇妃になり得る。
だが……。
「即位式の披露目の夜会にアストラルドを出席させる。エルディアをエスコートさせよう」
「行かせますか?」
「名指しだ。仕方あるまい。一度だけ会わせる。だが、エルフェルムを連れて帰れ。それが目的だ」
ただの令嬢と思われては困る。
彼女は王国騎士団の一員でもあるのだ。
連絡がつかないエルフェルムも、帰るに帰れない状況に陥っている可能性が高い。
「後はあちらの出方次第だ。真に誠実にエルディアを扱うつもりがあるかどうかは、彼女が判断するだろう」
「はい」
ギルバート王は小さく溜息をついた。
我が妹の子供達は、つくづく大変な道を歩まされるものだ。
出来る限り守ってやりたいとは思う。
王太子によく言い聞かせておこう。
あの猫被りの腹黒王子なら、上手く皇帝から彼女を守れるのではと思う。
王はいつもおっとりとした風情の息子の顔を思い浮かべた。
幼い頃以来会っていないエルフェルムは、あんな風にひねくれていないといいのだが、と少し思った。
そう知らせがあった時、エディーサ国王ギルバートは首を傾げた。
イエラザーム皇国はエディーサ王国の西の隣国である。広い国土に豊富な資源を持ち、有名な宝石の産出地でもある。トルポント王国と違って砂漠などの荒野は少ない。
昔からエディーサ王国と仲が悪い訳ではないが、現皇帝が好戦的人物であることもあり、今は友好国とはとても言えない。近年、イエラザームがトルポント国王の王妹を皇妃として迎えてからは、エディーサ王国に侵攻してきたこともある。
「何の用だ?」
王の口から漏れた呟きに、隣に控えるエルガルフ・マーズヴァーン将軍が片眉をあげる。その仕草に、彼が何かを知っていると気づいたギルバート王が、将軍に話せと目で許可した。
「イエラザームの皇帝が討たれたようです」
ギルバート王の水色の瞳が一瞬見開かれた。
「第一皇子が内紛の主導者であると間諜が伝えてきました」
皇子が皇帝を討つ。
イエラザームの第一皇子は皇帝と、宰相をつとめる侯爵の令嬢である皇妃との間の実子であったはず。血を分けた父と子の間に何があったのか。
「理由はわかるか?」
続きを促すと、エルガルフは不確かな情報ですが、と前置きをして、
「数年前からトルポント王国とイエラザーム皇国が同盟を結び、我がエディーサ王国を侵略しようとする動きがあったことは陛下もご存じのことですが、二年前、トルポントがレンブル領に侵攻した時も、本来なら同時にイエラザームも侵攻を仕掛ける予定だったようです。それを阻止したのが第一皇子であると」
「侵略派の皇帝と反戦派の第一皇子の争いが起こっていたということか?」
「おそらくは。昨年の両国の侵攻も、第一皇子の派閥である宰相は是とはしていなかったと聞きます」
フーッと息を吐いてギルバート王は椅子の背にもたれかかった。
「この件にエルフェルムは関与しているのか?」
「わかりません」
エルガルフの息子は現在イエラザームの第一皇子の従者となっている。
彼の目的はトルポント王国の血を引く皇太子を失脚させ、トルポントとイエラザームの同盟を廃し、エディーサへの侵攻を止める事と聞いている。
それを伝えたのは彼の妹であり、昨年レンブル侯爵令嬢を助け出すためにイエラザーム皇国に乗り込んだ騎士の一人だ。彼の国で双子の兄妹は再会し、そして妹は兄の意図せんとする事を聞いて戻ってきた。
そのことについては、王も妹本人から報告を受けている。
しかし、諜報機関に命じてエルフェルムに向けて送られた間諜達は、全員彼に会えずに帰って来た。一体どこにいるのか。
「代替わりの挨拶だけなら良いのだが」
「使者を通してもよろしいですか?」
エルガルフの問いに、王は準備が整ったなら、と頷いた。
イエラザーム皇国からの使者は、居並ぶ重臣達に見つめられながら、正面に座るエディーサ国王に謁見を許された。
その口から伝えられた内容は二つ。
一つ目はイエラザーム皇帝の死去に伴い、現皇太子は廃嫡、第一皇子が即位するということ。
もう一つ目は誰も予想していなかったことだった。
「何だと?」
使者の言葉を聞いたギルバート王は、思わず聞き返した。
イエラザーム皇国の使者は、こうべを垂れたまま再度内容を繰り返す。
「次期皇帝ヴェルワーン陛下は、マーズヴァーン侯爵家令嬢エルディア様に婚姻を申し込むと仰せられております」
*********
使者が去った後も彼等はその場に残り、今後の対応を考えていた。
エルディアの名を知るものは少ない。
彼女はその強大な魔力とそれを得た経緯の特殊さ故に、エディーサ王国内でも存在自体を秘されている。
イエラザーム皇国の第一皇子、否、新皇帝が彼女を皇妃に望むことは、本来であればありえないことだ。
だが、皇帝の側には、同じ刻印を持つ彼女の兄がいる。彼女の存在を知っていても不思議はない。
だが、本当に彼女について理解しているのであれば、彼女を他国に渡すことはありえない事も理解しているはず。
戦場での話を聞く限り、兄の刻印も妹と同様の祝福を持っていることは容易に推察できる。あの双子を手に入れた国がどういう道を選ぶのか、十分に見極める必要がある。
刻印の秘密が世間に広まればどうなるか。
新たな刻印の主を生み出す術を見つけようとするかもしれない。
彼等のような魔獣と契約した者達を幾人も作り出せたとしたら。そして、それらの者達を戦の道具にしたとしたら。それはおそらく、人間の戦いではなくなってしまう。
あの、人には操れぬ恐ろしい魔獣達を、思い通りに操り戦わせることに等しい。
「どう思う?エルガルフ」
傍の友に声を掛ける。
とうの双子の父親は、王の問い掛けに低く唸る。
「正直、あちらの皇帝の意図を計りかねます。正式に婚姻を申し込むという事は、同盟を望んでいるということでしょう。争う意思はないのかとは思うのですが。ただ、こちらがすんなり渡すはずはない事もわかっているでしょう。断ると、どう出るかが読めません」
「エルディアは皇帝に面識があるのだろうか」
「話に出てこなかったので、直接の面識は無いと思います」
「やはりエルフェルムのせいかな」
「おそらく。彼は役目を果たせば、第一皇子の従者を辞めてエディーサに帰国する約束だと言ったそうなので」
「代わりに寄越せということか」
「そう考えるのが妥当かと」
王も腕を組んでうーむと唸った。
エディーサ王国にはアーヴァインを筆頭に、今や強力な攻撃もできる魔術師団がある。騎士団と魔術師団が合わされば、大国の侵略も跳ね返す事ができる。
その上に魔獣の契約者が二人もいれば、周辺諸国には脅威でしかない。
「人質……か」
エルディアは王家の血も引く。
身分にうるさい他国でも、十分皇妃になり得る。
だが……。
「即位式の披露目の夜会にアストラルドを出席させる。エルディアをエスコートさせよう」
「行かせますか?」
「名指しだ。仕方あるまい。一度だけ会わせる。だが、エルフェルムを連れて帰れ。それが目的だ」
ただの令嬢と思われては困る。
彼女は王国騎士団の一員でもあるのだ。
連絡がつかないエルフェルムも、帰るに帰れない状況に陥っている可能性が高い。
「後はあちらの出方次第だ。真に誠実にエルディアを扱うつもりがあるかどうかは、彼女が判断するだろう」
「はい」
ギルバート王は小さく溜息をついた。
我が妹の子供達は、つくづく大変な道を歩まされるものだ。
出来る限り守ってやりたいとは思う。
王太子によく言い聞かせておこう。
あの猫被りの腹黒王子なら、上手く皇帝から彼女を守れるのではと思う。
王はいつもおっとりとした風情の息子の顔を思い浮かべた。
幼い頃以来会っていないエルフェルムは、あんな風にひねくれていないといいのだが、と少し思った。
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