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第一章
心のキズと新たな出会い(3)
しおりを挟む医学生たちは、病棟を見学したあと、医局に戻って感想を言い合ったり、循環器の医師による講義を受けたり、充実した時間を過ごしているようだった。
医局の大きなスクリーンに冠動脈CTの3D画像が映し出されて、狭心症や虚血性心疾患について医師が易しい言葉で説明する。
その間、彩は自分の席で月曜日に医大へ確認する事項を付箋に書いて仕事用のスケジュール帳に貼ったり、日報を作成したり、教えられたばかりの事務作業に勤しんだ。
「学生連れて飯食いに行こうと思うけど、廣崎さんもどう?」
眉間にしわを寄せて真剣な顔でパソコンの画面を見つめる彩に、循環器の医師が声をかける。はっとして時計を見ると、午後六時をまわっていた。医師が俺の奢りだと言うので、彩は行きますと笑顔で答える。
彩が急いで医局のテーブルや流しの片づけを始めると、医学生たちがみんなで手分けして手伝ってくれた。まだ未成年の学生がいるから、お酒は飲まずに食事と連絡先だけ交換して早々に家路につく。
「あの、廣崎さん」
お店を出て、駐車場へ向かおうとする彩を仁寿が呼び止める。
「どうかしました?」
「予約しているホテルの場所が分からなくて」
「あ、そうですね。藤崎さん、県外の人だから……。気が利かなくてごめんなさい。ホテルの名前を教えてください」
「えっと、確か」
仁寿が泊まるホテルは、駅から少し離れた、入り組んだ路地にあるビジネスホテルだった。
「ああ、ここ。帰り道の途中にあるホテルなので、送りましょうか?」
「本当ですか? 助かります」
仁寿を助手席に乗せて、夜の街道を走る。二人は、十分ちょっとの短いドライブの間に、お互いの自己紹介をした。どこの出身だとか両親の職業とか、そんな他愛もない内容だった。
ホテルの前に着いて車をおりる間際、仁寿がリュックサックから小さな箱を出して彩に手渡す。
「F大の近くにある洋菓子店のマカロンです。おやつにしようと思って買って来たんですけど、よろしければどうぞ。おいしいですよ」
「わぁ、ありがとうございます。このお店、有名ですよね。一度食べてみたいと思ってました。でもいいんですか? 藤崎さんのおやつがなくなっちゃう」
「気にしないでください。僕より廣崎さんに食べてもらうほうが、マカロンも嬉しいでしょうし。それに、僕は好きな時にいつでも買いに行けますから」
なんて雰囲気の柔らかい人なんだろう。彩は、仁寿のにっこりとした笑顔に好意的な感想を抱いて、同じようにほほえみ返した。
「また勉強会をする時は教えていただけませんか? 今日の話、すごく興味深くて面白かったので」
「分かりました。明日は、気をつけて帰ってくださいね」
「はい、ありがとうございました」
車をおりて、ドアを閉めた仁寿が手を振る。
家に帰りついてすぐ、スマートフォンのメッセージ受信音が鳴った。アプリを立ちあげてみると、仁寿からだった。
『次もおいしいお菓子を買って来ます』
◆◇◆
彩はその年の七月、無事に一級建築士の試験に合格した。これで来年から建築士として働ける。期待を胸に、医局秘書の仕事を真面目にこなしながら、密かに転職先を探す。
しかし、どういう運命のいたずらか、上司が椎間板ヘルニアで戦線離脱したのを皮切りに、同僚の退職や妊娠出産などが続いて転職のタイミングを逃してしまった。
医局秘書は事務職だが、業務内容が特殊だから誰でもすぐにできる仕事ではない。特に人間関係が重要で、それなりの知識とコミュニケーション能力が必要とされるからだ。
まずは、院内の医師たちとの関係の構築から始まって、そのうち院内だけではなくて外部とのつながりもできてくる。業務の内容によっては、対外的な責任も負わなくてはならない専門的な仕事だ。
真面目で慎重な性格の彩は、仕事でのミスもほとんどない。二年半たつころには、すっかり医局秘書課の中心的存在になっていて、ますます仕事を投げ出せない立場になっていた。
その間にも、仁寿が夏休みや冬休みを利用して度々病院を訪ねてきた。研修医を獲得するために、医学生向けの広報するのも医局秘書課の大事な仕事だ。
他の医学生を交えて食事会をしたり、医師に頼んで勉強会を企画したり。彩と仁寿には顔を合わせる機会が多々あって、次第に「彩さん」「藤崎君」と呼び合うほど親睦を深めていった。
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