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第二章
何気ない日常こそ幸せ(1)
しおりを挟むピピッピピッピピッ……。
新しい一日の始まりを告げる電子音が、高らかに鳴り響く。彩は、手探りで枕元の目覚まし時計をつかんで、アラームを止めようと時計の頭を叩いた。顔にかかった髪を払いのけ、背伸びをしながらごろんと寝返りを打つ。投げるように伸ばした腕になにかが当たってうっすらと目を開けると、視線の先に仁寿の平和な寝顔があった。
「……あ」
意識が、雷に撃たれたかのように一気に目覚める。腕に当たったのは仁寿の頭部。彩は伸ばした腕を引っ込めて、飛び起きざまに布団をはぐった。服を着ている仁寿と裸の自分を交互に見た途端に、寝起きの頭がフル稼働し始める。
――わたしの服と下着たちはどこ?!
ベッドの上にそれらしきものは見当たらない。
――もしかして、床に落ちてるのかな。
床に散乱した服や下着の滑稽で憐れな姿を想像すると、恥ずかしくていたたまれない気持ちになる。とにかく、朝からあられもない姿を披露する勇気はない。
彩はベッドを揺らさないように四つん這いで仁寿の体をまたぐと、意を決して床におりた。その姿は、アメリカのSFアクション映画のプロローグで青白い電光と共に突然現れる、あの有名な筋肉隆々全裸男さながらだ。服を求めて辺りを見回す。しかし、やはり見当たらない。
「……う」
背後でベッドがきしんで、仁寿が身じろぐ。フットベンチに服を見つけた彩は、仁寿の様子をうかがいながら忍び足で移動すると、目にもとまらぬ早業で下着を身につけ服に袖を通した。そして、ささっと手で雑に髪を整えてベッドサイドに立つ。
昨日、夕方のカンファレスで仁寿の指導医が入院患者の採血について話していた。病棟では朝食の前に採血をするから、遅くても七時過ぎには病院に行かなくてはならないはずだ。
「先生、起きてください。朝ですよ」
「……う、ん」
「先生」
「……ん」
「起きないと、採血に間に合いませんよ」
「……」
だめだ、まったく目覚める気配がない。
――夜はあんなに元気だったのに……。
彩は、またあとで起こしに来ようと気を取り直して寝室のドアを開けた。寝室を出ると、まずバスルームに行って洗濯物が入っているバスケットを覗く。整髪料なんかが並んだ棚にあるデジタル表示の時計を見るとまだ六時前だった。洗濯をして、一度アパートに戻ってから出勤しても十分に間に合う時間だ。
――先生の服もあるし、ついでにわたしのも洗濯だけさせてもらおうかな。
バスケットに入った仁寿と自分の服、それから洗濯機の横に置いてある液体洗剤と柔軟剤を順に投入する。おしゃれな女子が使っていそうな香りのする柔軟剤に、なぜか仁寿らしさを感じた彩の表情がなごむ。
その時、仁寿がバスルームに入って来た。どことなくぼうっとして、いつもの元気みなぎる朗らかなオーラがない。彩は近づいてくる仁寿を凝視しながら、先生も人だったんだと妙な安心感を覚えた。
「おはようございます」
「おはよう、彩さん」
寝起きのかすれた声で彩に応えて、仁寿が顔を洗い始める。
あちこちピンとはねた寝ぐせだらけの黒い髪。本当なら左胸にあるであろうティーシャツの小さなワンポイントの刺繍が、右の肩甲骨付近でその存在をアピールしている。
先日は彩の方が遅く起きたから、知る由もなかった。初めて見る、完全オフの藤崎仁寿。貴重なショットに、彩は思わず笑みをこぼす。
「洗濯機をお借りします」
「うん」
短い返事をして、タオルで顔を拭いた仁寿がバスルームを出ていった。
洗濯機のスタートボタンを押して、彩も顔を洗って寝ぐせを直す。リビングに行くと、仁寿がキッチンで朝食の準備に取りかかっていた。ほんの数分しかたっていないのに、さっきの気配が嘘のようにてきぱきと動いている。すっかり普段の仁寿だ。どうやら、完全に目が覚めたらしい。
「洗濯物は、わたしが干しておきますね」
「ありがとう、助かるよ」
「いいえ」
「あ、そうだ」
にんまりと笑いながら、仁寿がトースターに食パンを二枚入れる。
「なんですか、その不敵な笑みは」
「あとでここの鍵を渡すね」
「鍵?」
「だって、今日は僕が先に出るから彩さんに鍵をかけてもらわないと」
「あ……、そうですね。じゃあ、お借りして病院でお返しします」
「それでもいいけど、病院は危険じゃない? 竹内とか嗅覚が鋭いから、気づいちゃうかもしれないよ。僕たちのただならぬ関係に」
仁寿と同期、竹内研修医の顔が彩の頭をよぎる。
「脅しですか?」
「違うよ。もし誰かに知られたら、秘書さんの仕事に差し障りがあるんじゃないのかなっていう、僕のささやかな気遣い」
「もう、先生。さわやかな笑顔でぞっとするような冗談言うの、やめてください」
「はい、彩さん。これ、お願いね」
冷蔵庫から出したバターとジャムをカウンターに置いて、仁寿がお湯を沸かす。彩は、手際のよさに感心しながらそれをダイニングテーブルに運んだ。シャツが後ろ前なのは、まぁいいか。本人は気づいていないみたいだし。
コーヒーのいい香りが漂ってきて、チンッ! とトースターが軽快に鳴る。仁寿が、焼きたてのトーストと生野菜が乗った皿、それからコーヒーをダイニングテーブルに並べた。
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