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そんなわけでありまして 3
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それからさらに二週間。
たっぷりお師匠様にお説教をくらうこと以外何事もなく、お師匠様の下での修行が続きました。
「……あのう、私、元の世界へ帰りたいのですが……」
ある日、私は意を決してお師匠様にその話題を持ち出しました。
この世界と日本ではどれだけ時間の進むスピードに違いがあるのか分かりませんが、もうすぐ一ヶ月はヤバいです。常春のこの国では季節を忘れてしまいがちですが、私は大学生。同じだけの日数が経っているなら、そろそろテスト期間なのです!
「ちょうどいい。その話をするつもりだった」
お師匠様はしれっと今まで全く口にしなかったことをスルーしました。
今は夕方。厳しい厳しい座学が終わり、厨房ではレイジュ君がお夕飯の準備をしているころです。
お師匠様は窓の外を見ました。
「今日は満月だ。これならイディアスも出てこざるをえまい」
「は?」
「今までイディアスが雲隠れしていてな。掴まらなかったんだ」
「はい!?」
王宮魔導師が雲隠れとは何事か! お師匠様も眉をひそめているじゃないか!
「時間がかかって悪かったな。満月は魔力の高まる日だ、やつの魔力も隠せん。必ず見つけて本を奪ってくる」
「は、はあ……」
「お前は気づいてなかったろうが、お前が来たのは先月の満月の日だ。魔力が高まっているときをねらってイディアスは異世界転移を使った。それぐらいに、魔力が跳ね上がる日だ」
それってお師匠様の魔力も高まるってことですよね。大丈夫なんでしょうか。
そんな風に思ったのが顔に出たみたい。お師匠様は私の額をピンと弾くと、
「私の心配をするとはいいご身分だな。お前はいつからそんなにえらくなった」
「だ、だってえ。魔力が大きいと大変なことがいっぱいって、危ないことがいっぱいだって、何度も仰ったのはお師匠様じゃないですかあ」
「―――」
奇妙な間が、ありました。
お師匠様は唐突に椅子に腰かけました。
「お前、椅子に座れ。こっちへ寄ってこい。向き合うように」
私は言われた通りに椅子に座りました。お師匠様を、真正面から見ます。
改めてみると本当に綺麗な顔ですが、見とれている場合ではありません。
「もっと近く」
言われて膝が当たるほど近づきます。お師匠様が近いような遠いような、微妙な距離です。
「両手を出せ。こういう風に」
お師匠様はてのひらを私に見せるようにして、両手を軽く前に――私のほうに――突き出しました。
私も真似をして、両手を突き出します。
「私とてのひらを合わせろ。軽く、自然な感じで」
自然な感じでって……む、難しいな。こんな感じ……かな?
お師匠様の大きなてのひら。それにつくかつかないくらいの位置に、私は自分の両手を浮かせました。
「よし、それでいい。では目を閉じろ……無心になれ。己の内側に通うものにだけ、目を向けろ」
「……???」
意味はさっぱり分かりませんでしたが――
無心。この頭の中が雑念でいっぱいの私に無心になれと言うのですか。それは無理というものでは。
……あれ、でも――
『己の内側に通うものにだけ、目を向けろ』
すう、すうと自分の呼吸。
私の手を始点として、何かが私の中を巡っている。温かいような冷たいような……温度があるような、ないような……
体の中を血が巡るのがはっきりと分かるかのように。
それが巡るのが、最初はうっすらと、だんだんはっきりと、分かってくる。
朝の植物の朝露を、飽きずに眺めているときと同じです。一度気づくと、それに夢中になってしまう私。
そして、一度気づいたその“巡り”は、呼吸が合うにつれてとても心地よいものに感じられてきました。
と――
バチン!
私はハッと我に返ります。今、てのひらに何か思いきり弾かれるような痛みが――
気がつくと、私のてのひらとお師匠様のてのひらの間から、煙が立ち昇っていました。
「お師匠様!」
しどろもどろにお師匠様を呼ぶと、お師匠様はふ、と口元に笑みを刻み、
「お前の魔力に私の魔力を反発させただけだ」
「私の……魔力?」
私は自分の両のてのひらを見つめます。魔力。私の中の魔力……
あると言われても全然実感などなかった。でも今なら分かります。体の中を血のように巡っていた――
あれが、魔力なんだ。
「今までは私がお前の魔力を抑え込んでいた。お前がお前の魔力をもっと強く自覚できるようになったら、直接制御する方法も教える」
え、私の魔力を抑え込むなんて、お師匠様そんなことまでしてくださってたんですか!?
「あ、ありがとうございます」
心から感謝をこめて頭を下げると、お師匠様は目を背けました。
「まあ……異世界人のお前を喚んでしまった責任があるからな。魔力の暴発で死なれたら寝覚めが悪い」
ひっ。今何気に恐ろしいこと言いましたよね!?
ああもう本当に、異世界転移って恐い。美形たちが見られる以外、いいことなしじゃないですかあ。
それにしても、
「も、もっと早く『魔力』を教えてくださっても良かったのでは……」
「阿呆。頭の悪い奴が魔力だけを覚えると、その力を軽々しく使いたがる場合が多すぎる」
ひいい!? それは危ないですね!?
たしかに座学なしで先に魔力だけ知っていたら、私とか絶対調子に乗ります! お師匠様よく分かってる!
「……お前も、魔力は恐ろしいことが多いと分かったようだからな。まずは軽く魔力を自覚させた。この先は、またあとだ」
また窓の外を見たお師匠様は、あくまで淡々とそう仰いましたが――
どことなく、本当にどことなく、私を褒めてくれているような気がしたので、
「……お師匠様が教えてくださるからです」
私はぽつりと、言葉をこぼしました。
「お師匠様が、頭の悪い私にもしつこく何度だって、教えてくださるからです」
魔力の恐ろしさの実感は、まだないけれど――
おぼろげに『魔力が増す』と言われて不安を感じるのは、彼の教えのたまものです。
彼は毎日、覚えの悪い私に根気よく色々なことを教えてくれました。
今、自分の魔力を知っても、「使いたい!」と思わずに済んでいるのは、間違いなく彼のおかげなんです。
どこかに出かけるのか立ち上がったお師匠様を見上げて、私は必死に言いつのりました。
「お師匠様。私馬鹿ですけど、頑張って覚えます。だから、見捨てないでください」
もしもイディなんたらさんの異世界召喚が完全に成功していたら。
もしも私を拾ったのがお師匠様でなかったなら。
私は今ごろこの世にいないかもしれない。
――厳しいお師匠様。でも絶対ついていく。
元の世界に戻してやると、約束してくれたのは彼だったから――
たっぷりお師匠様にお説教をくらうこと以外何事もなく、お師匠様の下での修行が続きました。
「……あのう、私、元の世界へ帰りたいのですが……」
ある日、私は意を決してお師匠様にその話題を持ち出しました。
この世界と日本ではどれだけ時間の進むスピードに違いがあるのか分かりませんが、もうすぐ一ヶ月はヤバいです。常春のこの国では季節を忘れてしまいがちですが、私は大学生。同じだけの日数が経っているなら、そろそろテスト期間なのです!
「ちょうどいい。その話をするつもりだった」
お師匠様はしれっと今まで全く口にしなかったことをスルーしました。
今は夕方。厳しい厳しい座学が終わり、厨房ではレイジュ君がお夕飯の準備をしているころです。
お師匠様は窓の外を見ました。
「今日は満月だ。これならイディアスも出てこざるをえまい」
「は?」
「今までイディアスが雲隠れしていてな。掴まらなかったんだ」
「はい!?」
王宮魔導師が雲隠れとは何事か! お師匠様も眉をひそめているじゃないか!
「時間がかかって悪かったな。満月は魔力の高まる日だ、やつの魔力も隠せん。必ず見つけて本を奪ってくる」
「は、はあ……」
「お前は気づいてなかったろうが、お前が来たのは先月の満月の日だ。魔力が高まっているときをねらってイディアスは異世界転移を使った。それぐらいに、魔力が跳ね上がる日だ」
それってお師匠様の魔力も高まるってことですよね。大丈夫なんでしょうか。
そんな風に思ったのが顔に出たみたい。お師匠様は私の額をピンと弾くと、
「私の心配をするとはいいご身分だな。お前はいつからそんなにえらくなった」
「だ、だってえ。魔力が大きいと大変なことがいっぱいって、危ないことがいっぱいだって、何度も仰ったのはお師匠様じゃないですかあ」
「―――」
奇妙な間が、ありました。
お師匠様は唐突に椅子に腰かけました。
「お前、椅子に座れ。こっちへ寄ってこい。向き合うように」
私は言われた通りに椅子に座りました。お師匠様を、真正面から見ます。
改めてみると本当に綺麗な顔ですが、見とれている場合ではありません。
「もっと近く」
言われて膝が当たるほど近づきます。お師匠様が近いような遠いような、微妙な距離です。
「両手を出せ。こういう風に」
お師匠様はてのひらを私に見せるようにして、両手を軽く前に――私のほうに――突き出しました。
私も真似をして、両手を突き出します。
「私とてのひらを合わせろ。軽く、自然な感じで」
自然な感じでって……む、難しいな。こんな感じ……かな?
お師匠様の大きなてのひら。それにつくかつかないくらいの位置に、私は自分の両手を浮かせました。
「よし、それでいい。では目を閉じろ……無心になれ。己の内側に通うものにだけ、目を向けろ」
「……???」
意味はさっぱり分かりませんでしたが――
無心。この頭の中が雑念でいっぱいの私に無心になれと言うのですか。それは無理というものでは。
……あれ、でも――
『己の内側に通うものにだけ、目を向けろ』
すう、すうと自分の呼吸。
私の手を始点として、何かが私の中を巡っている。温かいような冷たいような……温度があるような、ないような……
体の中を血が巡るのがはっきりと分かるかのように。
それが巡るのが、最初はうっすらと、だんだんはっきりと、分かってくる。
朝の植物の朝露を、飽きずに眺めているときと同じです。一度気づくと、それに夢中になってしまう私。
そして、一度気づいたその“巡り”は、呼吸が合うにつれてとても心地よいものに感じられてきました。
と――
バチン!
私はハッと我に返ります。今、てのひらに何か思いきり弾かれるような痛みが――
気がつくと、私のてのひらとお師匠様のてのひらの間から、煙が立ち昇っていました。
「お師匠様!」
しどろもどろにお師匠様を呼ぶと、お師匠様はふ、と口元に笑みを刻み、
「お前の魔力に私の魔力を反発させただけだ」
「私の……魔力?」
私は自分の両のてのひらを見つめます。魔力。私の中の魔力……
あると言われても全然実感などなかった。でも今なら分かります。体の中を血のように巡っていた――
あれが、魔力なんだ。
「今までは私がお前の魔力を抑え込んでいた。お前がお前の魔力をもっと強く自覚できるようになったら、直接制御する方法も教える」
え、私の魔力を抑え込むなんて、お師匠様そんなことまでしてくださってたんですか!?
「あ、ありがとうございます」
心から感謝をこめて頭を下げると、お師匠様は目を背けました。
「まあ……異世界人のお前を喚んでしまった責任があるからな。魔力の暴発で死なれたら寝覚めが悪い」
ひっ。今何気に恐ろしいこと言いましたよね!?
ああもう本当に、異世界転移って恐い。美形たちが見られる以外、いいことなしじゃないですかあ。
それにしても、
「も、もっと早く『魔力』を教えてくださっても良かったのでは……」
「阿呆。頭の悪い奴が魔力だけを覚えると、その力を軽々しく使いたがる場合が多すぎる」
ひいい!? それは危ないですね!?
たしかに座学なしで先に魔力だけ知っていたら、私とか絶対調子に乗ります! お師匠様よく分かってる!
「……お前も、魔力は恐ろしいことが多いと分かったようだからな。まずは軽く魔力を自覚させた。この先は、またあとだ」
また窓の外を見たお師匠様は、あくまで淡々とそう仰いましたが――
どことなく、本当にどことなく、私を褒めてくれているような気がしたので、
「……お師匠様が教えてくださるからです」
私はぽつりと、言葉をこぼしました。
「お師匠様が、頭の悪い私にもしつこく何度だって、教えてくださるからです」
魔力の恐ろしさの実感は、まだないけれど――
おぼろげに『魔力が増す』と言われて不安を感じるのは、彼の教えのたまものです。
彼は毎日、覚えの悪い私に根気よく色々なことを教えてくれました。
今、自分の魔力を知っても、「使いたい!」と思わずに済んでいるのは、間違いなく彼のおかげなんです。
どこかに出かけるのか立ち上がったお師匠様を見上げて、私は必死に言いつのりました。
「お師匠様。私馬鹿ですけど、頑張って覚えます。だから、見捨てないでください」
もしもイディなんたらさんの異世界召喚が完全に成功していたら。
もしも私を拾ったのがお師匠様でなかったなら。
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