好きになっちゃ駄目なのに

瑞原チヒロ

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そんなわけでありまして 4

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 お師匠様は口元にかすかな笑みを浮かべました。
「言ってるだろう、今からイディアスのやつを捕まえにいくと。……お前を見捨てるわけがない」
 そう言って、私の頭をぽんと叩くお師匠様。
 ああ……
 彼の手を感じるとき、同時に感じるのは包まれているような安心感。普段は氷の張った湖面のような人なのに、実際にその湖につかるととても心地よくて優しい。
 お師匠様。私この湖でずうっと過ごしていたいです。
 そんなことをふと思った私は、ひょっとしたらこのときすでに、彼にとらわれていたのかもしれない――



 その夜の満月は、輪郭がぼんやりとぼやける朧月でした。
 私はローランさんと二人で、お師匠様の実験室の窓から、その月を眺めました。
「綺麗な月ですね、ローランさん」
 私は窓枠に肘を乗せて頬杖をつきながら、弾んだ声でそう言いました。
「この月、どこかでお師匠様も見ているんでしょうか? そうだったらいいな」
「イディアス様を無事に見つけたのだったらそれどころじゃないでしょうけどね」
 ローランさんは、私の間抜けな言葉をたしなめることもなく、優しく微笑しました。
「貴女のそういうところでしょうね、先生が気に入っているのは」
「……はい?」
 今、何かおかしな言葉を聞いたような?
「ええとローランさん。すみませんがもう一度……」
「先生は貴女を気に入っていると言ったんですよ、僕は」
 笑いながらもう一度。
 ……えーえええええええ! 何ですかそれ! いったいどこからそんな発想が!
 私は言葉にならずにぶんぶん両手を顔の前で振りました。違う! 絶対違う!
 けれどローランさんは朧月でめかしこんだ夜空に視線を移動させ、
「本当ですよ。いくら貴女のお茶がおいしくても、勉強がろくに進まないのに茶葉の研究には熱心だった貴女を叱りもしなかったのが、その証拠です」
「あれ……。ひょっとして、お師匠様にもバレてました?」
「そりゃあバレるでしょう。貴女は顔に出ますし、どんどんお茶の味が変わっていきましたし」
 ひいいい。座学の復習放置でお茶の研究してたのバレバレだったあああ!
「一度、厨房でそれに没頭していた貴女の姿を先生は見ていますよ。黙って離れていかれたので、『いいんですか』と僕が聞いたくらいです」
「そそそそれでお師匠様はなんと?」
「『ひとつくらい熱中できるものがある人間のほうがマシだ』だそうです」
 実際には――
 面と向かって私は、お師匠様に散々罵倒されていました。「魔力の大変さと大切さを自覚しろ、この座学はすべて命に関わると思え、さぼるな怠けるな、よそ見をするな――」
 それなのに。
 本当はローランさんの言う通りに、私が“よそ見”をするのを、許してくれていたのでしょうか。
「貴女は特別だと思いますよ。僕が修行始めたばかりのころ貴女と同じようなことをしていたら、絶対許してもらえなかったでしょう」
「そ、そうなんですか?」
「僕は『趣味』を持つのを許されたのがつい最近でしてね」
 ちなみにローランさんの趣味は押し花だそうです。それをしおりにして挟んで本を読むのが好きだそうで。ちょっと意外。
 それからローランさんは教えてくれました。彼は貴族の三男坊で、家に居続けても受け取る領地もなく、ただの穀潰しだったのだと。
 自分に魔力があることが分かり、思い切ってアーレン師匠の門戸を叩いたら、最初は「弟子など取る気はない」とあっさり断られてしまったんだそうです。
 一ヶ月。一ヶ月門の前に通い詰めて、ようやく……弟子入りを認めてもらえて――。
 ローランさんの言うところによると、王宮魔導師は本来あまりに位が高い存在。そこに弟子入りできたこと自体生半可なことじゃない。
 それなのに――私はあっさり弟子入りしてしまった。
 貴女が羨ましかった時期もありました。ローランさんはそう言いました。 
「でも、羨ましいだけでもないですね。どうやら僕も貴女のそういう感じが好きみたいだ」
「ほへ?」
 とんでもない言葉を聞いた気がして硬直したら、ローランさんはくすっと笑って、
「仲間として、人として、ですよ。大丈夫、勘違いしないで」
「――びっくりしたあ……」
 まったく、変な言い方はやめてほしいです。こっちがドキドキしちゃうじゃないですか。
 そうですよ、変なこと言われたらドキドキしますよ。そんな――お師匠様が私をお気に入りだなんて、考えただけで胸がバックバクですよ。
(お師匠様の『お気に入り』は、たぶんペットかマスコットみたいな意味! うん!)
 私は心の中で何度もそう念じました。
 だって普段はあんなにつれないのに。あんなに冷たいのに。
 ……でも、ときどき優しくてあったかいから。
 勘違い――したくなる――
 朧月夜の神秘な空気の中で、私はドキドキと鼓動を高鳴らせながら、ただ夜空を見上げました。
 お師匠様が帰ってきたら、本が無事奪えたら、私は元の世界に帰れる。
 ……帰れるんだ。

 そう改めて思ったとき。
 胸にチクリととげが刺さったのは、いったいなぜ……?

 その夜、深夜零時を回るまで私は起きて待っていましたが、お師匠様は帰ってきませんでした。
 さすがに眠気に負けてベッドに潜り込み――
 そして、翌朝。

「タイヘン、タイヘン!」

 レンジュ君が私の私室のドアをドンドンドンと力一杯叩いています。
 私は欠伸をしながらドアを開けにいきました。
 レンジュ君は一人ではありませんでした。隣にイオリスさんという、このお屋敷の使用人さんが立っています。
 さらにはローランさんがいて、ひどく難しい顔で私に一歩近づき、
「落ち着いて聞いてくださいね」
「は……はい」
 私はねぼけまなこでかろうじて返事をしました。何だろう、なんでみんなそんな深刻な顔をしているの――

「お師匠様が――アーレン様が、王宮にて捕らえられました。現在、王宮にて軟禁状態だそうです」
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