限界社畜さんは怪異となかよし

くもいの館 後編

4.

「いけません」

落ち着き払った声がした。ひつじさんだ。
私が何を考えたのかわかったのかもしれない。

「あなただけでも逃げてください」

「いやです」

断固として首を横に振る。もう形振り構ってはいられない。今となってはひつじさんの言うことにひとつも信用が置けないからだ。

「わたしが何とかしますから」

「何とかってなんですか？　囮にでもなるつもりですか？」

「あなたが気に病むことはないんですよ。わたしはそもそも誰かに気遣われるような存在ではないんです。価値のないわたしは坊っちゃんがいて初めて此の世にいる価値がうまれるんです。あの方の命も果たせないならば、私が此の世にいる価値はない。だからあなたを逃がせるなら、囮にでもなんでもなりますよ。きっと、社長もそれをお望みです」

価値があるとかないとか、ひつじさんが何を言っているのか、正直まったくわからない。わかりたくない。
ただこれだけはわかった。

私の堪忍袋の尾が思いっきり切れたことだけは。

「ふざけんな…」

出発前、社長室のデスクで物憂げにしていた幼い横顔が脳裏を過る。
大股でひつじさんに歩み寄ると、驚くひつじさんの衿を掴んで思い切り引き寄せた。

「本当に社長がそのためにあんたを私につけたとでも思ってんのか！？　身を挺して私を庇えって！？　囮になれって！？　あの鬼上司のこと、私は何にも知らないけどな、これだけはあんたよりわかる！　あのひとは絶対にあんたに囮になれなんて思ってない。私よりずっと長く側にいてそんなこともわかんねぇのか！」

ドン、と言葉とともに胸元を叩く。ひつじさんにとっては大した力ではなかっただろうに、彼はよろめいた。
はく、と口が震え、ひつじさんが何かを言いかけた時、