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一章:話の始まりはこうだった
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しおりを挟む「いつまで持つかな?」――自称魔法使いが不吉な予言を残して去っていってから、私は現実逃避を決め込むように眠り続けた。
うつらうつらと微睡み、時々目を開ける。ああ、まだこの部屋にいるんだ、と落胆して再び目を閉じる。
一体何度それを繰り返したか分からない。
トイレにすら行きたくならないのが不思議だったが、飲み食いしていないのだから当然かもしれない。
このまま衰弱して死ぬなら死んだでいいや。
投げやりな気持ちで眠りの浅瀬を彷徨っていた私を叩き起こしたのは、少年の怒鳴り声だった。
「おい、お前! いつまで寝てんだよ!」
声変わりの澄んでいない高めの声が、部屋中に響き渡る。
今度は子どもか。
母さん、というのは一番初めにお肉を持ってきてくれたマダムのことだろうか。
いいなあ……。母さんか。
もう顔もうっすらとしか覚えていない母のことを思い出す。
「無視すんな、ほら、起きろ!」
その子供は返事をしない私に業を煮やしたのか、なんとお腹の上に飛び乗ってきた。
それだけでも衝撃だったのに、更に馬乗りの状態で私の肩を掴んで揺さぶる。
「うっ……!!」
ぐらぐら揺さぶられて気持ち悪いし、大きな岩を乗せられたように苦しい。
たまらず目を開き、腹の上の少年を確認してみる。
声が少年なだけで、実は筋骨たくましい青年じゃないかと疑ったのだ。
ところが視界に飛び込んできたのは、10歳かそこらに見える女の子だった。
頭には綺麗な織布を巻きつけ、結んだ先を片側に垂らしている。
アーモンドみたいに大きな瞳は真っ青で、白い肌によく映えていた。高い鼻梁といい、形の良い薄い唇といい、ハリウッド映画に出てきそうな美少女だ。
声は少年で、体重は成人男性、そして顔は超絶美少女。
ちょっと属性盛りすぎじゃないかな。
この期に及んでまだ夢だと思いたい私を引き戻したのは、腹上に感じるリアルな重みだった。
圧迫され続ける腹部に、身体が悲鳴を上げている。
――じゃあ。じゃあ、これはやっぱり夢じゃないってこと?
私は本当に違う世界に飛ばされたってこと……?
現実を認識した瞬間、勝手に涙が溢れてきた。
……これは酷いんじゃないですか、神様。ここまでの仕打ちは、あんまりじゃないんですか。
悲しみや怒り、困惑に不安。一気に込み上げてきた負の感情を制御出来ない。
堰が切れたようにわあわあ大声で泣き出した私に驚いたのか、少女はぴたりと動きを止めた。
肩から手を離し、バツが悪そうに顔を顰める。
「な、なんだよ……なかなか起きないお前が悪いんだからなっ!」
少女はそう言いながらも腹から下り、隣にちょこんと正座した。
それから袖口をひっぱり、私の頬をぐいぐい拭ってくる。
ここにきてようやく、相手が10以上年下であると認識した。泣いても困らせるのは可哀そうだと思うのに、どうしても涙が止まらない。
「……分かったよ、俺が悪かったよ」
少女は途方に暮れた顔で呟いた。
独特の一人称に驚いた後で、そういえば日本語で話していると気づく。
顔はどう見ても西洋人だし、よくよく見てみれば彼女の背中にも翼が生えている。
ここは一体どういう世界なんだろう。
状況を把握しようと脳が働き始める。お陰でようやく涙が止まった。
「これやるから、元気出せって」
少女はチュニックのような形の上っ張りのポケットを探り、丸い小石を取り出した。
そして私にぐい、と突き出してくる。
なんだろう、これ。触ってもいいもの?
「遠慮すんなよ。ほら」
動かない私に焦れたのか、彼女は私の手を取り、小石を握らせた。
ザラザラとした小石は妙にベタついていた。
「これな。飴っていうんだぞ、知ってるか?」
少女が瞳を煌めかせて、私の顔を覗き込んでくる。
控えめに言って非常に愛らしい。
私は腕を持ち上げ、手の中の物体をよく見てみることにした。
……色のついたただの砂糖の塊に見えるんだけど、これが飴?
「前のジャンプの時に父さんに買ってきてもらったんだ。スゴイだろ? ちょっとずつ食べようと思って取っといたんだ」
少女は胸を張ってそう言った。
ジャンプって何だろう。
よく分からないが、どうやら大事に取っておいたものを私にくれようとしてるらしい。
少女の健気な心遣いに、思わず頬が緩んでしまう。
「私はいいよ。自分で食べな」
どうぞ、と手を開き飴を返そうとすると、困ったように眉根を寄せる。
「いらないよ。もうそれお前にやったやつだし」
「気持ちは嬉しかったよ、ありがとう。でもほら、私はもうかなりの大人だし、子どもに我慢させる方が嫌っていうか」
私の返事に、彼女は頬を真っ赤に染めた。
「は? 俺だって子どもじゃないし!」
え? そこで怒るの?
いや、どうみても子どもだよね……。この世界の成人が何歳かは知らないが、私の中で10歳はまだ子どもだ。
「でも食べたいんでしょ? 遠慮しないで」
「お前こそ欲しいんだろ! いいから食えよ」
押し問答はしばらく続いたが、最後は少女が折れた。
ふくふくとした白い手で飴を掴み取り、そのまま口元へ持っていく。
彼女は飴に歯を立て、ガリと半分に噛み砕いた。
なかなかワイルドな仕草だが、少女がやるとやけに様になる。
美人は得だな、と感心しながら眺める私の口に、彼女は残りの飴を押し込んだ。
「むぐっ」
「口、開いてたぞ」
目を丸くした私に、少女がニヤリと笑う。
茶目っ気たっぷりの笑顔に、私も思わず笑ってしまった。
口の中の飴は、お世辞にも美味しいとは思えなかった。甘さだけはとびきり強烈だけど、味が単調で舌触りが悪い。
それでも「どうだ、うまいだろ?」と期待に満ちた瞳で覗き込んでくる親切な少女に、「いや、かなり不味いよ」なんて言えるはずがない。
「ありがとう、すごく美味しい。いい子だね、君は」
大事なものを分けてくれてありがとう。そんな気持ちで微笑みかけると、照れくさそうな笑顔が返ってきた。
「へへ……。ねえ、頭、撫でて」
「ん? 頭?」
「うん。撫でて」
少女が私の手の下に、自分の頭を潜り込ませてくる。
随分人懐っこいなとは思ったが、施設にもこんな感じの寂しがり屋はいたのでそこまで驚かない。
私は飴を握っていなかった方の手を伸ばし、布越しに頭を撫でてあげた。
「ただびとなんだよな、お前。名前は?」
気持ちよさそうに目を細めた少女が、改めて問いかけてくる。
『ただびと』という言葉は魔法使いも口にしていた。おそらく異世界から来た人間をそう呼んでいるのだろうと当たりをつける。翼がない人、という意味ではない筈だ。だって魔法使いの背中に翼はなかった。
「美香だよ。小林 美香」
「コバヤシ、ミカ? 変な名前!」
大人げなくムッとした私は、眉を上げて問い返した。
「じゃあ、君は? なんていう名前なの?」
「ラスティン。みんなはラスって呼ぶ」
「ラスティンだけ? 名字は?」
「それだけだけど……名字ってなに」
不思議そうに首を傾げる。
名字はないのかな。それじゃ「コバヤシ」という姓が奇妙に聞こえても仕方ないか。
「私はミカでいいよ」
「分かった。他の奴にはまだ、名前言ってない? 俺が初めて?」
何故かラスが身を乗り出して尋ねてくる。
「うん、多分……。正直よく覚えてないけど、自己紹介は誰ともしてないと思う」
「そうか!」
ラスはパァッと瞳を輝かせ、破顔した。
そこまで喜ばれることではない気がしたが、一番最初ってところが大事なんだろうか。これくらいの年の子の価値観って謎だ。
ラスと話したお陰で、すっかり心が落ち着いている。
冷静になってみれば、随分前から喉が渇いていたことに気がついた。
「お水、もらってもいい? あと私に魔法をかけたって言ってたズボンの人と話したい。あ、あなたのお母さんってお肉持ってきてくれた人? その人にもお礼言いたい」
ふらつく体をなんとか起こして頼むと、ラスはこくりと頷いてベッドから飛び降りた。
「分かった、呼んで来る! ここで待ってて。勝手に外に出たら駄目だからな」
念を押してくる顔は大真面目で、それがまた愛らしい。
「大丈夫、どこにも行かないよ」
そもそも状況が分からないのに、迂闊に外になんて行けるはずがない。
いつの間にか自暴自棄な気持ちは消えていた。今はまだ死にたくない。
「ミカは、もうダメにならないよな?」
去り際、ラスはそう尋ねてきた。
意味が分からなくて面食らう。
そういえば、魔法使いも似たようなこと言ってたっけ。
曖昧に頷いた私を見て、ラスは安堵の表情を浮かべた。
ラスの言葉の意味が分かったのは、彼女の母親と魔法使いが揃ってやって来た後だった。
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