こんなに遠くまできてしまいました

ナツ

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二章:初めての雨

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「ちょっと頭冷やしてくる。すぐ戻るから、待ってて」

 ラスはそう言うが早いか、あっという間に駆けだして行った。
 後を追おうとした私の肩を、ユーグさんが掴む。

「行かない方がいい。戦闘態勢に入っちゃったからね。冷静になる時間が必要なんだ。特に君が近づくと苦しいと思う」
 
 ユーグさんの言葉がさっぱり理解出来ない。
 顔を顰めて聞き返そうとしたところに、ベネッサさんとダンさんがやって来た。

「そうね。羽化が近いせいで、不安定なのよ。許してあげて」
「いやあ、若いな! 私もあんな風だったか? ベネ」
「あなたはもっと酷かったわよ」

 ははは、と三人が笑う。
 笑っていないのは私だけだった。
 何がなんだかさっぱりだが、おそらく「ラスは思春期」ということなのだろうと結論づける。
 タリムの民の思春期もなかなか物騒だな、と思った。
 盗んだバイクで走り出したりはしないけど、隣人を脅したりはするんだから。

 それからどれだけも経たないうちに、頭からずぶぬれになったラスが戻ってきた。
 どうやら、川に飛び込んだらしい。

「なにやってるの、もう。風邪ひいたらどうするの!」

 洗濯物干し場から、乾いたばかりの布を取ってきてごしごし頭を拭いてやる。
 ラスはされるがままになっていた。
 すっかり落ち着いた瞳をふにゃりと細め、嬉しそうに笑う。

「風邪って、熱が出ること? そうなったら、ミカに看病してもらうからいい」
「看病くらいしてあげるけど、苦しそうなラスを見たくないって言ってるの!」
「俺も一緒だよ。魔法だか何だかしらないけど、ミカが傷つけられるとこ、もう見たくない」
「じゃあ、今度から見えないところでやってもらうね」
「それはもっと嫌だ!」

 わーわー言い合う私とラスを見て、ダンさんとベネッサさんは声を立てて笑い、ユーグさんは額を押さえていた。


 ◇◇◇


 ダンさんの家から空飛ぶハンモックで移動すること30分余り。
 山の谷合に開けた一角が見えてくる。
 彼らが「町」と呼んでいる場所は、小さな露店が立ち並ぶこの辺りのタリム人の社交場のことだった。
 ダンさんとラスが広場の隅に着地する前から、広場にいたタリムの人達はこちらに気づき、手でひさしを作って見上げていた。
 下りてすぐに取り囲まれるんじゃないかと危惧したが、そういうことはなく、皆遠巻きにこちらを眺めている。

「ただびとを保護した世話人から紹介される前に、直接ただびとに話しかけたら、タリム様の怒りに触れるって皆思ってるんだ。ミカから話しかける分には構わないよ」

 いつの間にか傍に現れたユーグさんが、小声で教えてくれる。
 なるほど、そういう決まりがあるからなのか。
 私はホッと胸を撫で下ろした。
 知らない人に一斉に話しかけられたらどうしようと、実はびくびくしていた。

「さて、どうする、ミカ。まずは店を見て回るかい? それとも休憩しにいこうか?」
「先に見て回りたいです」

 本音を言えば、どこかに座ってゆっくりしたかった。
 空中ハンモックもかなり怖かったのだ。
 必死に両手で布を握りしめていたせいで、腕に力が入らない。
 だがここで休憩してしまえば、すぐに紹介タイムが始まる気がした。もう少し心の準備をしたい。

「そうか。じゃあ、私は知り合いに挨拶をしてくるよ。ラス、ユーグ。ミカを頼んだぞ」

 ダンさんは私の頭をひとつ撫でてて、踵を返す。
 待ち合わせの場所や時間を決める必要がないことは、もう知っている。
 この広場くらいの範囲なら、彼らは匂いで互いの場所が分かるのだ。

「行こう、ミカ」

 ラスといつものように手を繋ぎ、私達も歩き始める。
 ユーグさんも少し後ろからついてきた。気になって振り返ると、前を向いて歩きなさい、というように手をひらひら振られる。どうやら彼は彼なりに楽しむつもりのようだ。次に振り返った時には、カットフルーツの入った葉っぱのカップを持っていた。

「ミカも何か欲しいものがあったら言えよ」

 ラスが私を見上げて、頼もしく言う。

「いいの? お金は?」

 町では東の島で使える通貨で買い物をするという。
 ラスはゆったりしたズボンのポケットをぽん、と叩いた。

「大丈夫、ちゃんと預かってきた。遠慮したらすぐに分かるし、怒るからな?」

 念を押してくるラスに「分かったよ」と答え、あれこれ見て回る。
 といっても、ハンモック酔いが続いているので、すぐに思いつかない。
 露店には、東の島から持ち帰るような現代的な品物ではなく、西の島で取れる薬草を乾燥させた胃腸薬や、機織り機はたおりきで織ったシーツや布が並べてあった。
 ドライフルーツや生絞りのジュースが女性には人気だというので、私はラスに頼み、ザクロに似たドライフルーツを買ってもらった。
 奥歯で噛むと、甘酸っぱい旨味が口いっぱいに広がる。

「どうだ?」
「すっぱくて美味しい! 後味は甘いんだね。噛み応えもあるし、癖になりそう」
「そうか、よかったな。母さんにも買っていくか」
「そうしよう!」

 仲良く話しながら買い物を続ける。
 品定めに似た無遠慮な視線をあちこちから感じたが、私は決してそちらを見なかった。
 お店の人たちは、少し驚いた顔はするものの、あとはごく普通に接客してくれた。
 一口にタリム人といっても、容姿はもちろん翼の色や形、大きさも人それぞれに違う。
 ダンさん一家しか見たことのない私は、そんな当たり前のことに感心してしまった。
 
 この世界に落ちた直後はあれほど驚愕したというのに、今では彼らの翼にもすっかり馴染んでいる。
 逆に、あれ? どうして私には翼がないんだっけ? という気持ちにさえなってくるのだから、人の認識というのはいい加減なものだ。
 
 町の広場の中央にには、女神タリムの像が置いてあった。
 実際に見てみた私は、なるほど、似てるわ、と思わず納得した。
 丸い輪郭といい、薄く短めの眉といい、奥二重の目元といい、ぽてっとした唇といい、鏡でよく見た自分の顔にそっくりだ。ここまで類似点があることの方に驚いてしまう。
 先ほどからじろじろ見られているのは、ただびとというだけではなく、タリム様にそっくりだからという理由もあるのかもしれない。
 
「そろそろ疲れたんじゃない? ダンと合流する?」

 それまで黙ってついてきていたユーグさんに声を掛けられる。
 私が頷くのと、長い腕が伸びてきたのは同時だった。
 ラスまで一緒に引っ張られる。
 ドスンと堅い壁にぶつかった、と思ったらそこには背の高い若者が立っていた。一見、端整な顔立ちの美青年だ。だが、見惚れる心の余裕はなかった。
 ぶつかった肩が痛いし、掴まれた腕も痛い。心の中で警鐘が鳴り響く。
 私が口を開く前に、ラスがキッと青年を睨み上げた。

「急に引っ張るなよ、チェイン! ミカと話したいなら、父さんの紹介を待て」
「うるせえな。ケツに殻つけたひよっこは黙ってろ」

 その台詞を聞いた瞬間、私の中でチェインと呼ばれた男の位置が決まった。
 口を利く価値もないと、腕を無理やり振り払う。
 私が抵抗するとは思っていなかったのか、男はあっけなく手を離した。

「行こう、ラス。ダンさんを探そう?」

 まるで何もなかったかのように、ラスに微笑みかける。
 ラスは目を丸くした後、プッと噴き出した。

「ああ、そうだな。そろそろ待ちくたびれてるかも」

 手を繋ぎ直し、男が立っている場所とは逆方向に足を踏み出す。

「おいおい、待てって。無視はないんじゃねえの。俺にだって権利はあるんだぜ?」

 男は怒った風もなく、私の隣に並ぶと飄々と話しかけてきた。

「最初見た時は変てこな恰好した女だと思ったけど、明るいとこでちゃんと見たら美人だな!」
「…………」
「気の強そうなとこも好みだし、すげえいい匂い」
「…………」
「あの時、ダンに頼んで俺が連れて帰っとけばよかったな。なあ、今からでも家に来ねえ?」
「……はぁ」

 無視してずんずん歩いていたが、あまりのしつこさに辟易してくる。
 それにどうやら、彼は私がここへ落ちた時に見た三羽の巨大鳥の一人らしい。
 ということは、ダンさんの狩り仲間ってことだ。
 ここで下手に遺恨を残せば、ダンさんに迷惑がかかるかもしれない。
 
 心の中で素早く計算し、足を止めた。
 
「はじめまして、こんにちは。お名前をお聞きしてもいいですか?」

 腹を括って、男の顔を見上げる。
 男は、肩につくかつかないかの濃い茶色の髪を片側だけ編み込み、残りは垂らしていた。
 下ろした前髪から覗く薄い青の瞳は、愉快そうに光っている。

「あ、やっとこっち見た」
「お名前は?」

 辛抱強く繰り返す。
 
「俺はチェイン。お前は?」
「私はミカです。ダンさんの家でお世話になっています。あなたの世話になることは絶対にないので、今後はこんな風に絡んでこないで下さい。迷惑です。では」

 丁寧かつ早口に言って、再び歩き始める。
 ラスとユーグさんは、私の剣幕に驚いた様子だった。
 チェインは、仲間らしき若者たちに「フラれてやんの!」「すげえな、チェインを振るなんて!」と口々にからかわれていた。逆上して追いかけてきたら、一発は殴られてやろうと思っていたのに、彼はその場で立ち止まり、仲間たちと一緒に笑っている。

「またな、ミカ!」

 懲りない台詞が背中から聞こえる。
 私は今度こそ無視して歩き続けた。


 
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