こんなに遠くまできてしまいました

ナツ

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四章:大人になったラスと真実を知った私

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 成人したラスを見慣れるまで、10日以上かかった。
 それまで私は無意識のうちに彼を避けてしまい、ラスは毎日しょんぼりしていた。
 朝の沐浴を「私はもう行けない」と断った時は、瞳が潤んでいた。
 精悍な背中を丸めて、寂しそうにソファーに座るラスの後ろ姿が視界に入った時、ああ、ここにいるのは私の可愛いラスなんだ、とようやく実感する。
 見た目が大きく変わっただけで、彼自身は何も変わってない。ラスにとってみれば、手の平を返すように距離を置き始めた私の方こそ、変わったように見えただろう。
 そんな当たり前のことに気づくまで、かなりかかってしまった。

「ラス! 今日は何するの?」

 私は思いきってラスの隣に座ってみた。
 以前と同じ近さで、ぴったりとくっつく。
 ラスはぱぁっと瞳を輝かせ、私を見つめた。

「何も考えてない。ミカは?」
「山菜摘みに行こうかな、って。何も予定がないなら、一緒に行く?」
「行く!」

 ラスは嬉しそうに即答し、いつものように私に抱き着こうとする。
 だが途中でぴたりと動きを止め、のろのろと腕を下ろした。
 そして侘し気にぽつりと零す。

「……もう抱き締めたらいけないんだった」

 悄然とした表情に、胸がきゅんと疼く。庇護欲をそそらずにはおかない愛らしさは、大人になった今も健在だった。
 
「誰かに何か言われたの?」
「父さんと母さん、それとユーグにも注意された。もうミカの許しが出るまで触れたらダメだって。ミカを抱き締めていいのは、家族か番だけだからって」

 ラスは仕方ない、と諦めているようだ。
 私はん? と首を傾げた。

「家族がいいなら、ラスはいいんじゃない? 私の弟みたいなものだし」
「俺は嫌なの!」

 ラスはムッとしたように言い返し、「弟じゃないって証明する為にも、もう軽率に抱き着かない」と宣言する。

「その代わり、狩りに行けるようになったら求愛する。その時は、真剣に考えて」
「ごめん、それは出来ない」

 私はきっぱり言った。
 チェインとのあれこれを思い出したのだ。
 ここではっきり意思表示しないと、誰より大事なラスを失ってしまう気がした。

「私はラスを可愛い弟みたいに思ってきたの。ちょっと見た目が変わったからって、今更、異性だとは思えないよ」
「ちょっと? あんなに驚いてたのに?」

 ラスが目を丸くして聞き返す。

「う……、あ、あの時は驚いたけど、今はもう大丈夫」

 図星を突かれて口籠った私を、ラスはじっと見つめた。

「ほんとに?」

 切れ長の瞳が私だけを映す。
 腰に響く低音に、艶めいた美貌。
 これはずるい。
 見た目ひとつで、これほど受ける印象は変わるものなのか。
 見惚れずにはいられない自分が、悔しい。それくらいラスの容姿は魅力的だった。

「ほんとだよ」

 目を逸らさないでいるのが精一杯で、何とも頼りない声になってしまう。
 ラスは何もかもを見透かしたように、ふ、と微笑んだ。

「俺にはそうは思えない。ミカの香りは甘くなったよ? ほっぺも真っ赤だし、すごく可愛い」
「……っ! だめったら、だめ! そんな風に迫るなら、一緒に行かない!」

 私は憤然と立ち上がり、踵を返した。
 ラスはまるきり堪えた風もなく、飄々と後をついてくる。

「もう口説かない?」

 外に出たところで足を止め、くるりと振り返る。
 ラスは悠然とした態度で頷いた。

「ミカがそうして欲しくないなら。素直になれるまで、待ってあげる」

 身体が成長した途端、中身まで大人になった気がする。
 タリム人って一体どうなってるんだ!
 
「な、なんでそんな偉そうなの!?」
「偉そうにしてない。ミカの意思を尊重してるだけ」
「うう……なんか違う……」

 胸がそわそわする。むず痒いような微かに痛むような、変な気持ちだ。
 私は大きな溜息をひとつ吐いて、再び歩き始める。
 ラスは「ちゃんと足元見て。じゃないとこけるよ」と優しく注意した。

 
 ラスが成人してから初めて巡ってきた雨の季節を、私は戦々恐々とした思いで迎えた。
 タリム人の男が発情期にどうなるかは、すでに知っている。
 私からはフェロモンのようなものが発せられていて、それが強力な催淫剤になるのだ。
 
『ミカたちは、異性の容姿に惹かれることが多いんだろう? それがタリムの男の場合は、香りなんだよ』

 ユーグさんはそう説明した。
 ちなみにタリムの女性は、翼の強さに惹かれるそうだ。
 なるほど、さっぱり分からん。
 分かったのは、自分ではどうにも出来ない衝動だ、ということだけ。
 誰かを好きになるって、理屈じゃないんだろうな。
 性格がいいだとか、話が合うだとか、みんな色々理由をつけたがるけど、本当は「惹かれるか、惹かれないか」の二択なのかもしれない。
 
 ところが雨に入っても、ラスの態度は変わらなかった。
 平然とした顔で家に居て、あれこれ私の世話を焼いてくる。
 変わったことと言えば、私の部屋には絶対に入ろうとしないこと。
 朝起こす時も、扉を叩いて外から声を掛けるだけになった。
 成人後も、晴れの時期は普通に部屋に入ってきてたのに……と首を捻り、やはり発情期は違うんだろうな、と納得する。
 私はと言えば、いまだにちらほら求愛しに来る若者を「全くその気になれません。他を当たって下さい、すみません」と断わっていた。

 
 ラスが自室に籠る時は、彼が何をしているか意識しないようにする為、組紐作りに集中する。

 ラスにプレゼントした後、約束通りベネッサさんにも編んであげたことをきっかけに、私の組紐作りは「内職」になった。
 ベネッサさんは組紐を貰うが早いか町へ出かけ、友人や顔見知りの若い子達に自慢して回ったのだ。
 私の編んだ組紐を、皆は一目で気に入ったらしい。
 
「私も欲しい!」
「ただで作ってもらうのは悪いし、売ってもらいたいわ」
「腕輪にも出来るの?」
「途中に石を通しても素敵じゃない?」

 彼女達は大いに盛り上がり、収拾がつかなくなるくらいの注文が入った。
 それならいっそ町の小物屋さんで売ってもらったらどうか、と提案してくれたのはダンさん。
 私は、その申し出に一も二もなく飛びついた。

 今では、定期的に作った組紐を、ダンさんが紹介してくれた小物屋さんに卸している。
 組紐を売ったお金はダンさんに渡すと決めていた。

『ミカの好きに使っていいんだよ』

 ダンさんとベネッサさんは遠慮したが、私も譲らなかった。

『受け取って欲しいの。元の世界でも、成人したら自分で稼いで親孝行するのが普通だったんだよ?』

 親孝行、と言葉を使うのは気恥ずかしかったが、二人はそれを聞いて涙ぐんでいた。

『じゃあ、せっかくだし貰っておくね。ミカの嫁入り支度に使えたらいいわね』

 ベネッサさんが微笑みながらダンさんを見上げる。
 ダンさんは『そうだね、そうしよう』と大きく頷く。
 長らく抱え込んでいた罪悪感が軽くなり、胸がスッとした。

 ツイてないと思ってた私の人生、けっこういい風吹き始めたんじゃない?
 鼻歌まじりで組紐の糸を編みながら、私はそんな風に思っていた。
 
 

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