12 / 79
波紋5
しおりを挟む
「で、お前はこの子に会わせるために俺を連れてきたのか?」
画面に映る沙耶を飽きもせずに眺めている幸嗣に呆れながら、直哉は1人面白くなさそうに尋ねる。
多少地味に感じるが、エキゾチックな顔立ちは整っており、控えめで慎ましい性格なのは見ていてわかる。だが、彼の親友といい、その兄といい、財界で名を知らない者はいない派手な女性遍歴を持つ彼らが挙って求婚するほどの相手とは到底思えなかった。
「まあね。頼みたい事もあったし……」
愛しい沙耶の姿に幸嗣の眼尻は下がりっぱなしである。驚いた事に彼だけでなく理事長夫妻もあの美弥子までもが彼女を穏やかな表情で眺めているのだ。
「さっき、発作がどうこう言っていたが、それを抑える薬か?」
「……ああ」
彼にしては珍しく、何かをためらっている様子だった。
「どんな病気かわからんが、一から作るとなると相当時間がかかるぞ」
直哉はため息をついて友人を眺める。ひどい発作が起こる程の重篤な患者であれば、薬が出来るより早く命が尽きる可能性が高い。
「今使っている薬を改良してくれればいい。出来るだけ副作用を抑えたいんだ」
「それが一番難しいんだけどな……相当惚れてるようだな。正直、俺にはお前達があの子のどこに惹かれているのか理解できない」
直哉の率直な感想に先程まで眦を下げていた面々が射るような視線で直哉を睨んでいる。
「そのセリフ、絶対兄さんの前では言うなよ」
「アイツは容赦しないわよぉ」
「まあ、有無を言わさず半殺しだろうな」
「お会いしたことが無いから仕方ないのかもしれませんが、周囲に対する気配りが出来た本当に素晴らしい子です。ああいった子に指導できるというのは、教師として誇らしく思います」
「えっ? えっ?」
周囲に反応に直哉は1人狼狽する。
「あの子としばらく一緒に行動して、話をすればすぐに分かるよ。本当にいい子なんだ」
幸嗣はモニターを眺めながら言葉を続ける。
「俺達の我儘で今までと全く異なる環境に身を置くことになっても、それに相応しい教養を身に着けようとしている努力家なんだ。例え調子が悪くて寝込んでいるときでも、英会話の教材を聞いていたりして少しでも自分のスキルを上げようとして頑張っている。俺は……俺達はそんなあの子の負担を少しでも軽くしてやりたいんだ」
「で、あの子は何の病気なんだ?」
「薬物中毒の後遺症とPTSDよ」
「薬物中毒? 何だよそれ!」
直哉は怪訝そうな表情で幸嗣の代わりに応えた美弥子を見返す。心の弱さから誘惑に負け、薬物に手を染めて中毒になるのは自業自得だというのが彼の持論である。協力してもいいかと思い始めていたが、薬物中毒と聞いて一気のその考えは消え去っていた。
「薬物中毒と言っても、本人の意思でそうなった訳じゃない」
「じゃあ、何だ?」
麻薬の類が嫌いな直哉が何を思ったか付き合いの長い幸嗣にはすぐわかった。彼は激昂する直哉を、有無を言わせず元々座っていたソファに戻して座らせる。
「……直哉君、佐々本家の事は聞いているかね?」
ずっと成り行きを見守っていた理事長が徐に口を開く。佐々本家と聞いて直哉の体がピクリと反応する。あの、一連の事件の首謀者の一人でもある佐々本製薬の元社長、佐々本直忠は直哉の叔父だった。但し、目的には手段を選ばず、一度ならず問題を起こした彼は直哉の祖父でもある彼の父親に勘当を言い渡されていた。それは直哉が生まれて間もないころの事で、叔父の存在を知ったのは高校に進学する頃の事だった。
「……あの人が麻薬の生成に手を貸して捕まったぐらいしか……」
ずっと研究に没頭していた彼は、父親からの話を聞き流し、半分程度しか聞いておらず、よって叔父が犯罪に手を染めて捕まった程度の事しか覚えていない。
「その薬の被害者が彼女だ」
「え……」
直哉はモニターに映る少女をもう一度見る。チアの演技は終わったらしいが、出口の混雑が落ち着くまで待つつもりなのか、少女たちはまだその場にとどまって話し込んでいる。
「まさかここへ隔離されるとは思ってなかったから、今日は沙耶に会わせるだけで止めておいて、この話は後日改めてするつもりだった」
幸嗣は沙耶の姿を見て一呼吸置くと、改めて直哉に向き直る。
「聞いてくれるかい? あの子の身に何が起こったか?」
「……聞かせてくれ」
直哉が神妙な顔をして頷くと、幸嗣は沙耶とその母親の身に起こった事件のあらましを語り始める。そして話が進むにつれて初めて聞く直哉だけでなく、事情を心得ているはずのジェシカの両親も美弥子もその壮絶な内容に言葉を無くす。
「使われた薬が一種類なら、今あるもので対処できたかもしれない。だが……あの野郎、めちゃくちゃに薬を使いやがって……」
一瞬、その場にいた4人が思わず後ずさるほどの強い怒りを抑える為に、幸嗣はギリギリと音が聞こえるくらい強く歯をかみしめる
「正直、あの子に今以上の投薬は難しいと思うの。あれだけの薬を使われて、正気を保っていられるのは奇跡よ。」
治療に当たっているのは美弥子の夫が院長を務める病院である。医者の知識も持ち合わせている美弥子は、いつになく真面目な表情で言葉を添えた。
「頻度は一時よりはだいぶましになったけど、今でも発作は起こる。眩暈だったり、頭痛だったり……媚薬の効果はもう無くなっている筈なのに体が疼いたり……。発作が治まった後は決まって皆に手を煩わした事へ謝罪と感謝を伝える。あの子が悪いわけではないのにな……」
「……悪かった」
直哉がぽつりと漏らした謝罪の言葉は先程の偏見に対するものだろう。幸嗣は頷いてその謝罪を受け入れた。
「最初に桜井家へ協力を要請したら、佐々本とは縁を切っているからもう関わりたくはないと、親父さんにはあまりいい顔されなかった。君に帰国を要請していたのはその事を徹底させる為だったらしいけど、君は研究の方が気になってそれどころじゃなかっただろう?」
「う……」
幸嗣に指摘され、図星だった直哉は狼狽える。
「君が研究に没頭している間、兄さんが桜井家を説得し、俺も友人として協力して欲しいだけだと頼んだらどうにか許しは貰えた。手助けしてもらえるかい?」
「ああ、そう言う事なら喜んで引き受ける」
「ありがとう、助かるよ」
若者2人ががっちりと握手を交わす様子を年長者3人は黙って見届けた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こんな話を書いていますが、実は私、薬に関してそれ程知識があるわけではありません。
多少調べたりもしましたが、医薬品に関してはド素人です。
その道に詳しい方が読めばアラがいくつでも出て来るんじゃないでしょうか。
深くは気にせず、さらっと読み流して頂けると幸いです。
画面に映る沙耶を飽きもせずに眺めている幸嗣に呆れながら、直哉は1人面白くなさそうに尋ねる。
多少地味に感じるが、エキゾチックな顔立ちは整っており、控えめで慎ましい性格なのは見ていてわかる。だが、彼の親友といい、その兄といい、財界で名を知らない者はいない派手な女性遍歴を持つ彼らが挙って求婚するほどの相手とは到底思えなかった。
「まあね。頼みたい事もあったし……」
愛しい沙耶の姿に幸嗣の眼尻は下がりっぱなしである。驚いた事に彼だけでなく理事長夫妻もあの美弥子までもが彼女を穏やかな表情で眺めているのだ。
「さっき、発作がどうこう言っていたが、それを抑える薬か?」
「……ああ」
彼にしては珍しく、何かをためらっている様子だった。
「どんな病気かわからんが、一から作るとなると相当時間がかかるぞ」
直哉はため息をついて友人を眺める。ひどい発作が起こる程の重篤な患者であれば、薬が出来るより早く命が尽きる可能性が高い。
「今使っている薬を改良してくれればいい。出来るだけ副作用を抑えたいんだ」
「それが一番難しいんだけどな……相当惚れてるようだな。正直、俺にはお前達があの子のどこに惹かれているのか理解できない」
直哉の率直な感想に先程まで眦を下げていた面々が射るような視線で直哉を睨んでいる。
「そのセリフ、絶対兄さんの前では言うなよ」
「アイツは容赦しないわよぉ」
「まあ、有無を言わさず半殺しだろうな」
「お会いしたことが無いから仕方ないのかもしれませんが、周囲に対する気配りが出来た本当に素晴らしい子です。ああいった子に指導できるというのは、教師として誇らしく思います」
「えっ? えっ?」
周囲に反応に直哉は1人狼狽する。
「あの子としばらく一緒に行動して、話をすればすぐに分かるよ。本当にいい子なんだ」
幸嗣はモニターを眺めながら言葉を続ける。
「俺達の我儘で今までと全く異なる環境に身を置くことになっても、それに相応しい教養を身に着けようとしている努力家なんだ。例え調子が悪くて寝込んでいるときでも、英会話の教材を聞いていたりして少しでも自分のスキルを上げようとして頑張っている。俺は……俺達はそんなあの子の負担を少しでも軽くしてやりたいんだ」
「で、あの子は何の病気なんだ?」
「薬物中毒の後遺症とPTSDよ」
「薬物中毒? 何だよそれ!」
直哉は怪訝そうな表情で幸嗣の代わりに応えた美弥子を見返す。心の弱さから誘惑に負け、薬物に手を染めて中毒になるのは自業自得だというのが彼の持論である。協力してもいいかと思い始めていたが、薬物中毒と聞いて一気のその考えは消え去っていた。
「薬物中毒と言っても、本人の意思でそうなった訳じゃない」
「じゃあ、何だ?」
麻薬の類が嫌いな直哉が何を思ったか付き合いの長い幸嗣にはすぐわかった。彼は激昂する直哉を、有無を言わせず元々座っていたソファに戻して座らせる。
「……直哉君、佐々本家の事は聞いているかね?」
ずっと成り行きを見守っていた理事長が徐に口を開く。佐々本家と聞いて直哉の体がピクリと反応する。あの、一連の事件の首謀者の一人でもある佐々本製薬の元社長、佐々本直忠は直哉の叔父だった。但し、目的には手段を選ばず、一度ならず問題を起こした彼は直哉の祖父でもある彼の父親に勘当を言い渡されていた。それは直哉が生まれて間もないころの事で、叔父の存在を知ったのは高校に進学する頃の事だった。
「……あの人が麻薬の生成に手を貸して捕まったぐらいしか……」
ずっと研究に没頭していた彼は、父親からの話を聞き流し、半分程度しか聞いておらず、よって叔父が犯罪に手を染めて捕まった程度の事しか覚えていない。
「その薬の被害者が彼女だ」
「え……」
直哉はモニターに映る少女をもう一度見る。チアの演技は終わったらしいが、出口の混雑が落ち着くまで待つつもりなのか、少女たちはまだその場にとどまって話し込んでいる。
「まさかここへ隔離されるとは思ってなかったから、今日は沙耶に会わせるだけで止めておいて、この話は後日改めてするつもりだった」
幸嗣は沙耶の姿を見て一呼吸置くと、改めて直哉に向き直る。
「聞いてくれるかい? あの子の身に何が起こったか?」
「……聞かせてくれ」
直哉が神妙な顔をして頷くと、幸嗣は沙耶とその母親の身に起こった事件のあらましを語り始める。そして話が進むにつれて初めて聞く直哉だけでなく、事情を心得ているはずのジェシカの両親も美弥子もその壮絶な内容に言葉を無くす。
「使われた薬が一種類なら、今あるもので対処できたかもしれない。だが……あの野郎、めちゃくちゃに薬を使いやがって……」
一瞬、その場にいた4人が思わず後ずさるほどの強い怒りを抑える為に、幸嗣はギリギリと音が聞こえるくらい強く歯をかみしめる
「正直、あの子に今以上の投薬は難しいと思うの。あれだけの薬を使われて、正気を保っていられるのは奇跡よ。」
治療に当たっているのは美弥子の夫が院長を務める病院である。医者の知識も持ち合わせている美弥子は、いつになく真面目な表情で言葉を添えた。
「頻度は一時よりはだいぶましになったけど、今でも発作は起こる。眩暈だったり、頭痛だったり……媚薬の効果はもう無くなっている筈なのに体が疼いたり……。発作が治まった後は決まって皆に手を煩わした事へ謝罪と感謝を伝える。あの子が悪いわけではないのにな……」
「……悪かった」
直哉がぽつりと漏らした謝罪の言葉は先程の偏見に対するものだろう。幸嗣は頷いてその謝罪を受け入れた。
「最初に桜井家へ協力を要請したら、佐々本とは縁を切っているからもう関わりたくはないと、親父さんにはあまりいい顔されなかった。君に帰国を要請していたのはその事を徹底させる為だったらしいけど、君は研究の方が気になってそれどころじゃなかっただろう?」
「う……」
幸嗣に指摘され、図星だった直哉は狼狽える。
「君が研究に没頭している間、兄さんが桜井家を説得し、俺も友人として協力して欲しいだけだと頼んだらどうにか許しは貰えた。手助けしてもらえるかい?」
「ああ、そう言う事なら喜んで引き受ける」
「ありがとう、助かるよ」
若者2人ががっちりと握手を交わす様子を年長者3人は黙って見届けた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こんな話を書いていますが、実は私、薬に関してそれ程知識があるわけではありません。
多少調べたりもしましたが、医薬品に関してはド素人です。
その道に詳しい方が読めばアラがいくつでも出て来るんじゃないでしょうか。
深くは気にせず、さらっと読み流して頂けると幸いです。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
90
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる