星の代行者

蒼崎シキ

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第0話 プロローグ

③英雄との邂逅

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両の耳に届くは、樹海が切り裂かれ、数千年の積み重ねが蹂躙される音。

それは危険信号となって、僕の内で加速度的に膨れ上がっていく。

最早、"警報"とまで呼べるほどに膨らんだ雑音ノイズが脳に主の危機を訴えかける。

"ここは危険だ"、"逃げろッ"、と本能が警告を発する。

"動かない身体を意地でも動かせ、出ないと今度は本当に木偶人形のようになるぞ!!"。

最大規模のアラームが脳内に鳴り響く。

足音が近づいてくる。

"死"という概念が形を持って近づいてくるのを感じる。

一つだけじゃない。

複数いや一個師団にも相当するであろう大規模な軍団の蠢く轟音が、僕を目指して迫っている。

後ろを振り向くのが怖い。

やっぱり外は怖いところで、マザーの言うことは聞くべきだった。

心の底からそう思う。

だって今、僕は初めて死が間近に迫っているのを感じているのだから。

それでも死の足音というものの正体を知らなければ対処の施しようがない。

怖い……それでも見てみたい――。

好奇心と勇気を振り絞って背後に目を向けた。

そこで、僕が見たものは――。

視界に収まりきらないほど溢れかえる無数の人外たちだった。

知らない、知らない、知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない……。

こんな生き物を僕は知らない。

それらは人の皮を被った黒いナニカだった。

だって僕は、木々の全長を越すような人間なんて知らない。

ツノやツバサの生えた人間なんて僕は知らない。

全長が50cm台の人間なんて知らない。

それはまるで空想の話が現実に起こったかのような地獄絵図。

物語の世界でしか存在し得ない、存在してはいけないナニカがそこにはあった。



「あ、ああああああああ……」



言葉が出ない。

何も考えることができない。

思考が止まった。

恐怖が脳の全てを支配した。

これ以上は危険だ、と脳が思考を強制的に遮断する。

身体が、心が、脳が、絶望的な状況を前に完全敗北を認めていた。

"肉だ、肉だ、上玉な肉の匂いがするぞ"。

"エネルギーの補給が必要だ。絶対に逃すな"。

大小あれど、人間に近い姿をした黒い魔物どもが僕目掛けて迷わずに歩みを進める。

その距離僅かに三十メートル足らず。

僕は今日ここで死ぬのか……。

謎の気配との対話も今となっては思い出せない。

思い出す為に必要な脳の容量を超えてしまった。

しかし大事な何かを言っていた気がするのだ。

僕を救う唯一の希望だったそれは――。



「――ッ」



――瞬間、ドクンと鼓動が弾けた。



『しょうのない子だ。もう一度だけ言ってあげよう。怪物どもが間近まで迫っているようだが、案ずることはない、彼が助けてくれる。本来、彼の出番はもう少し先になる予定だったのだがね。まぁ、君の命には替えられまい。故に胡座をかいて待つが良いと私は断ずる』



脳に直接響いた不可思議な声が、僕に正常な思考を取り戻してくれた。

どうやら"彼"とやらがこの逆境を打開してくれるらしい。

しかし、どうやって――?

"彼"ということはこんな大人数相手に一人で挑むつもりなのか。

この死地を打開できる人間なんてそもそもいるのだろうか。

魔物どもが僕の目の前にやってくる。

"肉だ、肉だ、栄養補給が十二分にできそうなほどに上質な肉だ"。

魔物たちの手が僕に伸びる。

もう、終わりだ、ぼくは死ぬ、そう思った次の瞬間――。



「――そこまでだ」



――荒れ狂う森に鋭く切り裂く雷鳴が轟いた。

……否、雷鳴ではない。

これは剣戟の音。

森を上空から一刀両断した際に生じた衝撃音。

雷鳴と聞き違えるほどの轟音と覇気を携えて、一人の益荒男が僕と魔物の間に立ち塞がった。

僕の眼前で外套が翻る。

夜に煌めく金髪が視界に映る。

――瞬間、魔物が悲鳴を上げた。

発狂している化け物は、僕に触れる直前まで手を伸ばしていた奴だ。

どうやら"彼"が地に降りたと同時に腕を切断されたらしい。

辺りに真っ赤な血飛沫が飛び散っていた。

怪物たちが恐れ慄く。

魔物どもを警戒させるには、十分に効果のある登場だったらしい。

だからこそというべきか、彼の登場には疑問を抱く。

彼は一体どこから飛び降りて来たのだろうか?

頭上から現れた気がする、だけど……。

思わず、近くにそれらしい高台がないか確認するもやはりというべきか、辺り一帯は斜面を携えた森林地帯であり……高台なんてどこにも見当たらなかった。

強いて挙げるとすれば大木だろうか。

でも、まさかそんな……大木から飛び降りるなんて離れ業を人間ができるとは到底思えない。

そんな僕の困惑なぞ毛ほども知らない彼は、僕の方に顔を向けると――。



「もう大丈夫だ、今までよく耐えた」



――一言、静かな声音で僕に安心感を与えてくれた。

魂というものが本当にあるのならば、今この瞬間にこそ僕の魂が喝采したと断言できる。

振り向いた救世主の顔に生気は一切感じられない。

感情は全く見えない。

ただの一般人にしか見えない彼に、この絶望的な状況を打破できる力があるのか甚だ疑問だ。

しかし何故だろう。

今初めて会った彼の言葉に、僕は救われた気がしたのだ。

心底ほっとした自分がいる。

そのことに驚く。

だって彼は本当に見るからに平凡で、突出した部分などまるでなく、怪物たちに敵わなさそうな装いなのに……それでも、僕は助かったと思ってしまったのだ。

ただの直感――否、願望に過ぎない戯言だが、彼なら怪物どもを一掃できると信じてしまった。

そう感じさせる何かが、彼にはあった。

理由なんて何もない、確証も何もない、だけど今日は少し疲れた。

ここは彼に任せて、僕は休ませてもらおう。

"安心した……"。

心の底から安堵してしまった僕は、全身の力が急激に抜けていった。

両目が微睡む。

視界が霞みがかっていく。

薄れゆく意識の中で、彼が怪物たちを相手に剣を振るう鬼神の如き姿を目に焼き付ける。

その鬼気迫る彼の雄姿は、未来永劫忘れることはないだろう。

剣を振るうたびに薙ぎ払われる怪物たち。

それらはまるで紙切れのように宙を舞い、死にたくないと怪物らしからぬ慟哭を漏らす。

しかし、彼はそれらを無表情のまま淡々と切り刻んでいく。

感情を一切排した様子で怪物どもを単純作業でもやるかのように切り刻む様は、まるでロボットではないか?

僕の身体に稲妻の如き戦慄が奔った。

これが、これこそが僕の追い求めるべき姿なのではないか?

英雄の本質というものを垣間見た気がしたのだ。

子供なら誰もが憧れるみんなのヒーロー。

その理想像に、ありとあらゆる人間の中で彼が一番近い。

そう直感した。

僕は彼の……英雄としての在るべき姿を脳裏に焼き付けて、いつか自分もあの場所へ至ってやると……新たな決意を胸に抱いたまま、重たい瞼を静かに閉じたのだった。

彼こそは後に、世界が誇る四大英傑かつ最強の英雄であると知りもせず――。

―。

――。

―――。

英雄が両手に掲げる大剣が夜闇を切り裂き、唸りを上げる。

彼が握る大剣は刀身だけで自らの上背を凌いでおり、本来であれば両手で握って振り回すであろう代物を、彼は左右に一本ずつ携えて、事も無げにそれらを振るっている。

しかし、彼が振るった斬撃の威力は腕一本で扱うには規格外すぎる程の破壊力をこの大樹海にもたらした。

たったひと振り……それだけで千年を超える歴史を刻んだ大木が両断される。

しかも、それは彼が狙って実行したことではなく、敵を滅する上で無自覚に振るった大剣が生じさせた二次被害でしかない。

例えば、人は道を歩く為に小石をいちいち退かしたりはしない。

邪魔ならば蹴って退けるのみ。

つまりはそういうこと。

決して彼の意図したところではない。

必然としてそうなっただけ。

敵を屠る時に大木も一緒に斬ってしまった。

彼にとっては、常人がサッカーボールを蹴る時に砂を巻き上げる感覚と等しい行為に違いない。

辺り一面を覆っていた樹海が綺麗に伐採されていく。

戦況は森林愛護団体が見れば、悲鳴を上げかねない様相を呈していた。

敵を一匹屠る為に、幾多もの木々が大地に根付かせた歴史の幕を理不尽に閉ざされていく。

しかし、英雄に憂いはなく、同情の色もない。

彼はただ、目の前に呆然と佇む自らの死期を悟った魔物を薙ぎ払うだけ。

そこに感情というものは一切なく、機械のように目的を遂行するまで止まらない。

夜の樹海に轟く暴威は、暴虐なる王の圧政だ。

歯向かう者悉くを打ち滅ぼす断罪の刃。

よって今宵、この場に現れた悲運な魔物たちに救いはない。

彼の手によって生涯を終える……その時まで絶望を奏でるだけの傀儡でしかない。

以って、世は全て事もなし。

英雄は望まれるがままにこの地に降りた全ての邪悪を滅ぼし尽くした――。



「終わりましたか?」



もはや樹海とは呼べぬほど伐採された枯れ地に、一人の僧衣が姿を現す。

聖職者らしい聖人君主の微笑を携えた表情とは対照的に、緑黄色の長い髪は彼の服装に相応しくないものだった。

突然現れた聖職者に、しかし英雄は瞬き一つ見せないまま向き直る。



「ああ、特に問題もなく任務は遂行した」

「そのようですね。それにしても"幻想解放"をせずにこれですか……」



神父は周囲を一瞥して満足そうに頷いた。

辺りを見渡せば、動かなくなった魔人の死体が優に百体は転がっている。

されど、鎖帷子から露出した英雄の皮膚にはどこを見ても傷一つ見当たらない。

彼の成果を認めて、感心感心、と頷く神父の視線が、英雄の足元に潜む異物へと注がれた。



「その子は……?」



見つけた物は無論、意識を失った義明だ。

彼は激しい戦闘の合間もずっと気絶したまま、目を覚まさなかった。

故に、英雄は安眠する彼を容易に見つけることができ、保護した次第だった。

神父は珍しいものを見つけたとばかりに、目を輝かせながら英雄へ問うた。



「この子は俺がここへ到着した時に魔人どもから襲われていた一般市民だ」

「ふむ……」



英雄の端的な説明を受けて考え込む神父。

そして――。



「その子は私が預かりましょう。こちらへお引渡しください」

「この子をどうするつもりだ?」



警戒……というよりは興味本位で尋ねる英雄。

そんな彼の問いに、神父は不敵な笑みを漏らした。



「ここにこの子が偶然居合わせたなどと言う運命は"彼"が許さぬでしょう。きっとこれは"彼"による啓示の一つだ……ならば、この子を使ってすることなど一つだけですよ」

「――?」



頭にクエスチョンマークを浮かべる英雄。

それと同時に嫌な予感が彼の脳裏を過った。



「この子にはこの地で行う儀式……『大いなる宿業』の遂行役を担ってもらいましょう。罪人を処罰するには、執行人が必要ですから」

「その役目は俺たちが担う筈だろう。この子を巻き込むな」



叫ぶでもなく、怒鳴るでもない。

どこまでも低く威厳のある声が枯れ果てた大地に轟いた。

しかし、神父は英雄の雄々しさなど、どこ吹く風とばかりに受け流し――。



「勘違いをしておられるようですので一つ訂正させてもらいましょう。私にとってあなた方は所詮、神秘を具現する為の試運転……それを体現した装置という意味合いしか持ち合わせておりません。本命はこの後……この地にて儀式を展開した後に目覚める人類の敵とも呼ぶべき"旧神"と渡り合える宿業を持ち合わせた人物を探し出すことにあるのですよ。故に……」

「分かった。もういい……お前の御託は聞き飽きた。ようは俺がその儀式の際に現れる"旧神"とやらを叩き潰せるほどの力を手に入れれば良いのだろう?」



――身長は優に180cmを超えるであろう両者の立派な体躯が真正面から向き合う。

凛とした英雄の立ち振る舞いを、されど神父は分を弁えろ、と見咎める。



「おやおや、これは……大それたことをおっしゃる。つまりあなたがこの土地に現れる疫病神を祓ってくれると?」

「無論だ」



両者の間に妥結の線引きが一本通った。



「面白い冗談ですね……しかしまあ、好きになさるが良い。私は私で行動に移しますよ。あくまで本命はこちらですから」

「……」

「東門の海岸、北門の教会、南門の研究所、中央門の軍基地……そして西門であるこの土地……」



東西南北をなぞるように、首からかけた十字架のネックレスを指で切っていく。



「本日を以って異界の門は開かれた――これより始まるのだ。『大いなる宿業』……私の悲願を乗せた歯車が回り出す。止まりはしない。誰にも止めることはできない。最後に笑うのは私なのだッ!!」



神父の大笑に呼応して、森林が姿形を変えていく。

枯れた森には深い霧が形成されて、異界の素粒子が顕現した。

異界から無限に溢れ出る謎の素粒子は、奇跡を具現させる為に必要なエネルギー源。

以って現代の法は、この土地において通用しない。

この先に救いなどありはしない。

なればこそ、これより紡がれる物語は英雄譚に在らず。

紛うことなき、悲劇であると知るがいい。
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