ヤンデレ至上主義の悪役令嬢はハッピーヤンデレカップルを慈しみたい!

染井由乃

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1巻

1-3

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 ……でも、なんとしてでもルシアさまから殿下に想いを伝えていただく流れを作らなければ。
 ルシアさまのバッドエンドルート回避の条件は、彼女が殿下に自分の想いを伝えること。たったそれだけで、誰からも祝福されているふたりには、ハッピーエンドが待っているのだ。

「告白、ですか……?」

 ルシアさまはますます顔を赤らめてささやくように問い返してきた。考えるだけで顔を真っ赤にしてしまうほど純真なお嬢さまなのだ。私の親友はかわいすぎる。

「ええ。この機会を逃す手はありませんわ。ルシアさまから殿下に想いを伝えるのです」

 彼女は深緑の瞳をさまよわせた。どうやら迷っているようだ。奥手な彼女だから、なかなか踏ん切りがつかないのだろう。

「未来の王太子夫妻が幸せであればこの王国も安泰! というものです。ね? いい機会でしょう?」

 ルシアさまの手を握って、ここぞとばかりに詰め寄る。多少強引にでも「うん」と言わせなければ。
 やがて、ルシアさまは恥じらうように長い睫毛まつげを伏せて、おずおずと頷いた。
 ……やった! これでハッピーエンドにまた一歩近づいたわ!
 思わず小躍りしそうなほどに喜びを噛みしめていると、ルシアさまが珍しく私をじっと見つめてきた。

「……どうしました?」

 十年近い付き合いのおかげで、無口なルシアさまの言いたいことも大体察することができるようになったのだが、やっぱりわからないこともある。
 そのまま辛抱強く言葉を待っていると、仕返しと言わんばかりに彼女は私の耳に口を寄せた。

「……あなたも」
「え?」

 ルシアさまはそれだけ言うと、何かをねだるようにまじまじと私の瞳を見つめた。
 会話の流れと「あなたも」という一言からして、何となく察しがついてしまう。思わず、引き攣ったような笑みが浮かんだ。

「……まさか、私も告白をするように、とおっしゃっているのですか?」

 ルシアさまは大真面目な表情で、大きく頷いてみせた。

「ですが、ご存知の通り、私には婚約者もおりませんし……ましてや想い人なんて……」
「……エレノアが言わないなら、わたくしも言わない」
「っ……!」

 いじけたように、ルシアさまは軽くそっぽを向いた。これには慌ててしまう。
 ルシアさまから殿下への告白がない限り、遅かれ早かれふたりを待つのはバッドエンドなのだ。それだけは、何としてでも避けなければ。いくら私好みのバッドエンドとはいえ、大切な幼馴染が監禁されるのは絶対に避けたい。

「わ、わかりました、わかりましたわ‼ 私もちゃんと告白しますから!」

 告白する相手の見当すらついていないというのに、勢いのまま半ば自棄やけになって宣言してしまう。ルシアさまはそんな私の心情を知ってか知らずか、にこりと満足そうに微笑んだ。何だかルシアさまにまんまとしてやられたような気がする。

「……とにかく、殿下にちゃんとお気持ちをお伝えくださいね? 約束ですよ?」

 念を押せば、ルシアさまは再び頬を染めてこくりと頷いた。
 その微笑みを受けて、達成感にも似た気持ちを噛みしめる。
 ……このままルシアさまの告白を殿下が聞き届けてくだされば、コントロールされたハッピーヤンデレルート突入間違いなしだわ!

「ふふ、じゃあ、建国祭を楽しみましょうね! ハルスウェルの女神に祝福あれ!」

 ルシアさまの手をぎゅう、と握って、門の前で別れた。
 御者の手を借りて、馬車に乗り込み、窓越しにルシアさまに手を振る。遅れてお義兄にいさまも乗車すると、馬車はゆっくりと公爵邸に向けて走り出した。
 ……このまま、ルシアさまが殿下と幸せになれたらいいな。
 ルシアさまからいただいた髪飾りの小箱を撫でながら頬を緩ませる。だが、隣から冷えきったまなざしを感じて、はっとした。
 ……そうよ、お義兄にいさまとふたりきりじゃない。
 どこか気まずさを覚えながら、おずおずと彼の表情をうかがう。
 紺碧の瞳は、どこか不機嫌そうに私を見ていた。いつものことだ。

「お義兄にいさま、建国祭、楽しみですわね」

 勇気を振り絞って話しかければ、彼は軽く息をついて前を向いてしまった。

「……身支度にかかる費用はすでに渡しているだろう。その範囲内で好きにしろ」

 そういえば、以前、十分すぎるほどの準備金を受け取った記憶がある。夜会のたびに「あの宝石が欲しい」「これを仕立てて」とわがままを言う私に辟易へきえきして、いつしかお義兄にいさまはあらかじめ余分にお金を渡して、私の好きに支度をさせるようになっていた。
 ……本当は、お義兄にいさまに一緒に選んでもらいたかっただけなのだけれど。
 ――私のこと「エル」って呼ぶのを、許して差し上げてもよろしくてよ、お義兄にいさま。
 十年前、家族を失った絶望に打ちひしがれているお義兄にいさまに向かって、幼い私はそう言い放った。「エル」と愛称で呼んでもらうほどに親しくなろうという遠回しな意思表示だったのだが、お義兄にいさまにとって、その振る舞いはひどく高慢で思いやりに欠けた言葉に思えただろう。
 ……始まりが最悪なのよね、私とお義兄にいさまは。
 できることなら十年前からやり直したいが、後悔しても仕方がない。レインとお義兄にいさまをハッピーエンドに導くためにも、ここから関係改善を図っていくしかないのだ。

「……建国祭では、お義兄にいさまがエスコートしてくださるのですか?」

 婚約者がいないため、私のエスコートはいつもお義兄にいさまがしていた。それを内心嬉しく思っていたけれど、きっとお義兄にいさまにはすこしも伝わっていないのだろう。

「不満があるなら、さっさと婚約者を見つけろ。必要なら見つけ出してやる」

 疲れたようにお義兄にいさまは溜息をつく。本当は、私の手など取りたくはないのだろう。

「……お義兄にいさまのお隣に並んでも恥ずかしくないように、きちんと支度しますね」

 思いきって、お義兄にいさまに笑いかけてみる。緊張しているせいか、どこかぎこちない笑みになってしまった。
 しばしの沈黙ののち、お義兄にいさまは眉間にしわを寄せたかと思うと、不快なものを見たと言わんばかりに顔を背けてしまった。
 ……そう簡単には仲良くなれないわよね。
 それ以上お義兄にいさまに話しかけることはせずに、流れゆく窓の外の景色を眺めた。
「エレノア」に貼られた「悪役令嬢」のレッテルは、なかなか剥がれてくれそうにない。


   ◆ ◆ ◆


 銀色の月明かりが差し込む部屋の中、天蓋付きの豪華な寝台の上に、白金の髪の少女が横たわっている。
 髪と同じ白金の睫毛まつげで縁取られたまぶたはぴたりと閉じられており、目尻から透明な涙がひと粒こぼれ落ちた。
 その少女の傍らで、歪んだ熱を帯びた新緑の瞳で笑う青年がひとり。

「ルシア」

 青年の声は、陰鬱な寝室の雰囲気に似合わず、どこか甘く、恍惚こうこつとした響きがあった。
 呼びかけられた少女はわずかにまぶたを開いたが、その深緑の瞳に光はない。元から無口だった少女の声は、このところ、涙とともにこぼされる嗚咽おえつ以外で発せられることはなかった。

「ほら、ちゃんと声を聴かせてくれ。ルシア。泣いてばかりいないで、僕にも笑いかけてくれよ」

 ぎし、と寝台がきしむ音とともに、青年は少女との距離を詰める。以前青年が同じことをしたときには怯えるような反応を見せた少女も、今はただ、うつろな瞳で天蓋を仰ぐだけだ。
 青年はそれにもどかしさを感じるように、口もとに浮かべていた笑みを引き攣らせた。そのまま手の甲でそっと少女の頬を撫でる。

「ルシア、そんなに僕の婚約者でいるのが嫌だったの? 僕はこんなに君を……君だけを想って生きてきたのに。どうして、振り向いてくれないんだ」

 その言葉はもう、少女の耳には届いていなかった。ただ、目尻に溜まっていた涙がまたひと粒少女の横顔を滑り落ちていく。それこそが、まるで青年への返事の代わりだと言わんばかりに。

「まあ、もういいか……どうなったって」

 青年は自嘲気味な笑みを浮かべたかと思うと、寝台のそばの机に飾ってあった一輪の白い花を手にした。浮かび上がるように淡く輝く、甘い香りのする大輪の花だ。
 青年は茎を短く手折たおると、そっと少女の髪に飾りつけた。

「……綺麗な『エルの恋花』だ。君にあげるよ。白金の髪によく似合ってる」

 花を飾りつけられた少女は、それでもなお人形のように微動だにしなかった。
 その様子は、彼女の心はすでにここにはないのだと悟るには充分で、青年は泣き出しそうな顔でふっと笑った。
 十数年もの間恋焦がれた少女は、ようやく青年のものになった。その事実に仄暗い満足感と甘い背徳感を覚え、青年はうっとりと溜息をつく。

「綺麗だよ、ルシア。これからもずっとそうしておいで。僕が、僕だけがいつまでも、君を愛してあげるからね」

 歪んだ愛の告白とともに、青年はうつろな瞳の少女に深くくちづけた。
 少女の頬の上に、ひと粒の涙がこぼれ落ちたことには、気づかないふりをして。


   ◆ ◆ ◆


「っ……!」

 荒い呼吸とともに飛び起きる。まだ薄暗い、見慣れた寝室の風景が視界に飛び込んできた。
 肩で息をしながら、生々しい悪夢から抜け出すように何度も瞬きをする。

「今のは……夢、よね?」

 今し方見た夢の鮮明さは異様だった。美しいが、背徳感に満ちたあの光景にいたのは、間違いなくバッドエンドを迎えたルシアさまと殿下だ。
 人形のように微動だにしない親友の姿を思い出して、思わず身震いする。
 あれは、選択を誤った場合の、そう遠くない未来のルシアさまの姿だ。ただの悪い夢ではない。

「大丈夫……大丈夫よ。告白するって約束してくださったもの」

 自分に言い聞かせるように何度か呟いて、天蓋から下りた薄布を割り開いた。
 あれから一週間、ついに、運命の建国祭の日がやってきた。今日の夜会では、なるべくルシアさまに張りついて、ルシアさまと殿下の想いがきちんと通じあったかどうか確認するつもりだ。
 ……そういう意味では、今日は決戦よ!
 ひとりで気合を入れていると、視界の隅に灰色の髪の少女を認め、顔を上げた。どうやらレインが支度を手伝いに来てくれたらしい。

「お嬢さま……おはようございます。お湯の準備ができております」
「おはよう、レイン。……今日は、とびきり綺麗にしてくれる? とっても大切な日だから」

 期待するようにレインに微笑みかければ、彼女はおずおずと胸に手を当てて礼をした。

「はい……お嬢さま、お任せください」


   ◇


 髪飾りに合わせた紺碧のドレスと、星の光のような銀の靴。首もとには、髪飾りと同じ紺碧の宝石があしらわれたチョーカーを着け、耳にも揃いの意匠のイヤリングがぶら下がっている。
 髪も肌も、レインに丁寧に磨き上げられたおかげでぴかぴかだ。石鹸せっけんと香油の花のような香りを纏い、完璧な装いで私は建国祭の夜会に参加していた。
 隣に立つのは、黒い礼服姿のお義兄にいさまだ。銀髪を片側だけ上げている髪型はいつも通りだが、纏っている服が格式高いせいか、いつもより瞳の鋭さが増しているように見える。加えて私などのエスコートをしなければならないことに疲れているのか、どことなく気怠げな雰囲気も醸し出していて、それがまた彼の色気を引き立てていた。相変わらず、怖いほど美しい人だ。
 ……レインにも、もっとよく見せてあげたいわ。
 彼のヒロインであるレインは、見送り間際にちらりとしかこの姿を見ていないはずだ。ヒロインのレインより悪役令嬢の私がお義兄にいさまの美しさを堪能してしまうなんて、罪悪感すら覚える。

「……何だ」

 お義兄にいさまは私の視線に気づいたのか、睨むようにこちらを一瞥した。相変わらず私とお義兄にいさまの間には距離があるが、いちいち傷ついていられない。なるべく自然な微笑みを浮かべて受け流した。

「ふふ、お義兄にいさまって、とってもすてきだと改めて思っておりましたの。みなさん、お義兄にいさまに釘付けですわ」

 周りを見渡してみれば、男女問わずちらちらとこちらを見つめていた。これだけ美しい青年がいれば、目を引くのも無理はない。

「……お前は妙なところで鈍感らしいな」
「え?」

 お義兄にいさまは、珍しく会話が続きそうな言葉を返してくれた。このところ、私が毎日笑いかけている成果が出たのだろうか。
 驚いている間に興味をなくしたのか、お義兄にいさまはすっと前を向いてしまった。せっかく会話を続けられる機会だったのに、なんだかもったいないことをした気がする。
 お義兄にいさまの視線を辿たどるように私も広間の中心を見やれば、そこには輝くような美しさのルシアさまと王太子殿下の姿があった。国王陛下による建国祭開会の宣言を終え、未来の国王夫妻であるふたりは有力貴族たちとの交流を深めているのかもしれない。
 ……ルシアさま、新緑のドレスを選んだのね。ばっちりだわ。
 私の助言を、気に留めてくれていたのだろう。殿下の瞳の色を思わせる新緑で、髪飾りからドレスまで揃えた姿は、告白にはうってつけだ。
 ルシアさまは可憐な微笑みを浮かべ、貴族たちと話をしているようだった。きっとそれほど親しくない相手なのだろう。彼女の唇がよく動いている。その様子を、殿下はじっと見守っていた。
 ……なんだかはらはらする構図ね。
 王太子殿下は、ヤンデレであるだけあって相当嫉妬しっとぶかいたちなのだ。この間見たかげった瞳といい、今朝見たばかりの悪夢といい、なんだか穏やかな気持ちでふたりを見守ることができない。
 見ているそばから、殿下はルシアさまの腰に腕を回して、何かを言い含めるように距離を縮めた。いつもは気恥ずかしそうに肩を縮めるルシアさまだが、今日はなんだか様子がおかしい。遠目には、彼女が何かを言い返しているように見える。
 やがて、ルシアさまは殿下を引き剥がすように距離をとると、そのまま広間の中心から駆け出してしまった。殿下は慌ててルシアさまの後を追おうとしているが、貴族たちに引きとめられ、広間から抜け出せずにいる。
 ……大変だわ!
 黙って見ているわけにはいかない。今日は彼らの恋路がバッドエンドになるか否かの大事な夜なのだ。思わずお義兄にいさまを見上げ、ドレスを摘まむ。

「お義兄にいさま、私、お化粧を直しに行って参りますわ。ちょっと失礼いたします!」

 夜会はまだ始まったばかりだというのに苦しい言い訳だが、そのままお義兄にいさまの返事も聞かずに広間を後にした。ルシアさまを見失わないように、と自然と足がく。
 ルシアさまは、どうやらひとけのない廊下のほうへ向かっているようだった。ドレスを摘まんで必死に足を動かしながら、遠ざかるルシアさまの後ろ姿を懸命に追った。

「ルシアさま!」

 背後から呼びかけるのはあまり褒められた行いではないが、聞き慣れた私の声だからか、ルシアさまはさほど驚くこともなく振り返ってくれた。長い白金の髪が、ふわりと揺れる。
 中庭へと通じている廊下には、銀色の月影が満ちていて、華やかな広間とはまるで別世界のように静まり返っていた。そのままルシアさまとの距離を詰め、まっすぐに彼女を見つめる。
 深緑の瞳は、わずかにうるんでいるようにも見えた。やはり、殿下と何かがあったのだ。

「ルシアさま、突然広間から出ていかれるなんて、いったいどうなさったのです? ……王太子殿下と、何かございましたか?」

 ルシアさまはぎゅっとドレスを握りしめ、視線をさまよわせていた。どことなく思い詰めたようなその表情に、不安が募る。
 たっぷり数十秒の沈黙の後、彼女はうつむいたままぽつぽつと話し始めた。

「……殿下が、他の者とあまり口を利かないように、とおっしゃるのです。……あなたのことも含めて」
「っ……!」

 危惧していた通り、あの一見爽やかな好青年風のヤンデレは、日ごろから募らせていた嫉妬しっとしんをついにルシアさまにぶつけたらしい。
 ……このままではまずいわ。
 ぎこちなく笑みを取り繕って、ルシアさまの手を取った。

「ルシアさま、それはきっと、殿下はそれだけルシアさまのことを大切に想っていらっしゃるということですわ。ルシアさまが殿下にお気持ちをお伝えになれば、きっとそのようなことをおっしゃることもなくなるのではないでしょうか?」
「わたくしの、気持ち……」

 戸惑うようなルシアさまの深緑の瞳を見据えながら、もうひと押しする。

「はい! ルシアさまのお気持ちです! 建国祭の迷信のこともありますし……仲直りする機会に、お気持ちをお伝えするのはいかがかと――」
「――わたくし……本当に、殿下のことが好きなのかしら」
「え……?」

 すっと、血の気が引いていく。苛立ちをあらわにするルシアさまを前に、警鐘を鳴らすように心臓がばくばくと暴れ出していた。まさか、ルシアさまの口からこんな台詞せりふを聞くことになるなんて。
 ルシアさまは、美しい顔にわずかな苛立ちをにじませて、私の前だということが信じられないほど流暢りゅうちょうに言葉を続けた。

「殿下は、わたくしが何をするにも誰と何をしたのか、といちいち詮索なさるのです。そんなにわたくしのことが信じられないのかしら。確かにわたくしは殿下より三つも年下ですし、至らない部分があるのは確かですけれど、それにしたって子ども扱いが過ぎるというものです。ましてやわたくしがいちばん仲良くしているあなたとの会話を禁ずるなんて、いくら殿下でも横暴が過ぎます」

 ルシアさまとは思えぬ勢いに、返す言葉もない。相当鬱憤が溜まっているらしかった。確かにあんなにわかりやすく執着されていたら、うんざりするのも無理はないかもしれない。
 ……ああ、でも、どうしたらいいの。
 ルシアさまの想いが本当に殿下に向いていないのなら、ふたりを待ち受けるのはあの陰鬱なバッドエンドしかないのに。ますます、血の気が引いていく。
 何か、何か言わなければ――と模索している最中、ルシアさまは溜息まじりに睫毛まつげを伏せ、再び口を開いた。

「……わたくしのこと、もっと信じてくださればいいのに」

 切なげな声と悩ましげな表情に、はっとする。
 先ほどまでの苛立ちをにじませた姿とは打って変わって、どこか拗ねたような、いじらしい表情だ。もしもルシアさまが殿下のことを何とも思っていないならば、こんなにも繊細で切ない表情ができるはずもない。
 それだけで、ルシアさまが殿下に向けるお気持ちを察するには充分だった。

「ふ、ふ……」

 ほっと安堵の溜息をつく。
 大丈夫だ。ルシアさまはおそらく、ちゃんと殿下のことが好きだ。好きな人に信じてもらえないことが悲しくて、つらくて、ご自分のお気持ちが見えなくなっているだけなのだろう。
 だが、このままではいけないことに変わりはなかった。どうにかして、ルシアさまに殿下への恋心を再確認してもらい、殿下に想いを伝えてもらわなければならない。
 ルシアさまと殿下に残された期限は、おそらく夜会が終わるまでのあとほんの数時間。のんびりしている暇はない。
 ……そういえば、作中のエレノア・ロイルは殿下に付きまとって、ふたりの仲を引き裂こうとしていたのだっけ。
 今の私は当然そのような振る舞いはしていないが、ここはひとつ、茶番を演じてみようか。
 本来ならば避けたい手段ではあったが、もうぐずぐずしていられない。悪役令嬢ならば悪役令嬢らしく振る舞うことにしよう。
 まぶたを閉じ、いちどだけ深呼吸をする。気持ちを切り替えなければ。
 ……悪役令嬢らしいところ、見せて差し上げるわ。
 ゆっくりと睫毛まつげを上げ、ルシアさまの瞳を射抜く。そのまま、唇を歪めて意地の悪い笑みを浮かべた。相当悪役らしい笑い方ができているのだろう、たったそれだけで、ルシアさまはひどく驚いたように目を見開いた。
 にいっと笑みを浮かべたまま、相手の神経を逆撫でするような、甘い声を出す。

「へえ、そうなの……。じゃあ、殿下のこと、私がいただいてしまってもいいかしら?」

 状況を掴めないのか、ルシアさまの深緑の瞳が小刻みに揺れている。
 私はずい、と彼女に詰め寄って、意味ありげな笑みを深めた。

「本当は私、ずっと殿下のお隣を狙っていたのですわよ? あなたが殿下をお慕いしているようでしたから身を引いておりましたけれど……お好きじゃないと言うのならば、私が頂戴してしまっても、問題ありませんわね? 幸い私もあなたと同じ公爵令嬢。身分の心配もありませんもの」
「……エレ、ノア?」

 震える声で私の名を呼ぶルシアさまを、嫌味たっぷりに一瞥して、くるりと背を向ける。

「ふふ、さっそく、王太子殿下のもとへ伺うことにいたしますわ。殿下がおひとりで寂しい思いをなさっていたらおかわいそうですもの」
「……っ」

 ルシアさまの声にならない声を感じる。それに気づかない振りをして、私は彼女に背を向けたまま歩き出した。

「それではご機嫌よう、ルシアさま。ハルスウェルの祝福がありますように」

 ルシアさまの表情はわからなかったけれど、彼女が衝撃を受けていることはひしひしと伝わってくる。だが、そこで打ちひしがれるだけでは困るのだ。
 ……ルシアさま、信じているわ。
 私のこの言動で、ルシアさまが嫉妬しっとして、ご自分の気持ちに気づいてくださったら。
 不安要素ばかりが残る賭けだったが、残された時間がすくない以上、勝負に出るほかなかった。
 これで王太子殿下のお気にさわり、ルシアさまがご自分のお気持ちに気づかないままだったら、私は追放され、ふたりが迎えるのは最悪のバッドエンドだ。
 自然と、手のひらに汗がにじむ。百歩譲って私が追放されるのはいいとしても、ルシアさまがお城の奥深くで監禁される未来は見たくない。
 ……追いかけてきてくださいませね、ルシアさま。
 向かう先はもちろん、ルシアさまを捜してさまよっているであろう王太子殿下のもとだ。広間を囲うように作られた、ひとけのないこの廊下のどこかにはいるはずだ。
 先ほどまでの意地の悪い笑みとは裏腹に、唇を噛みしめるようにして、この滑稽こっけいな茶番がうまくいくように祈る。
 ふたりをハッピーエンドに導くためにはもう一芝居打たなければ。自身を奮い立たせ、自らの靴音だけが響く廊下を黙々と歩き続けた。


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