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愛情不足

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 頭と肩を押さえつけられ、扉に頬が潰される。痛みは勿論あるが、それよりもこの状況への混乱が強く、自分が彼にこんなことをされる理由を必死で考えた。登壇しているのは見たことがあっても、先日保健室で会話をしたのが初めてだ。相手の気分を害するほどの会話でもない。
「か、会長さん……なんで」
 なんとか後ろを振り返ろうとするが、どんなに頑張っても顔を見ることはできない。
「会長、じゃないですよ。もう生徒会長の任期は終えていますから」
 頭をほとんど動かせないほどの力を使っている癖に、彼の声は穏やかだった。たれ目が細くなって見えなくなるほどに微笑む、ふっくらとした涙袋の顔が思い浮かぶ。思い出すほどに、訳が分からなくなった。
「意味がわからないですか? 自分が何でこんな風にされているのか」
「わかんないよ! なんでこんな……痛ぁっ!」
 頭を掴んでいた手が、髪を強く引っ張った。顔が仰け反り上を向く。今度は扉に顎が辺り痛かった。舌を噛まないよう歯を食いしばる。
 そんな僕を見てなのか、後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。こんな意地悪な笑い声は生まれてから自分に向けられたことがなく、ゾッとした。昔話に出てくる悪いお姉さんのようだ。
「イライラするんですよ、君を見ていると」
「イライラするって……どうして? 僕が何したって言うの?!」
「はやとすき、はやとすきって……あんなに、あんなにヘラヘラと。簡単に」
 手に力が入り、掴まれている髪がぶちぶちと数本抜ける音がした。その音がやたらと耳に残る。
 隼人? どうして僕が隼人のこと好きだって知っているの。この間保健室で探していたから? いいや僕らは男同士なんだしそんなにすぐに恋愛対象だなんて普通は思うはずがない。普通は…………
 ――でももし、会長さんが隼人を好きだったら?
 そんな仮説が脳裏に浮かぶ。僕とこの人の共通点といえば隼人の友人ということくらいだ。それに隼人は男子生徒とも寝てるような発言をしていた。
「会長さんは……隼人のことが好きなの? だからこんなこと……」
「黙りなさい!!」
 突然怒鳴られ、身体がビクつく。そうしてそれをきっかけに僕の身体は小さく震え出した。
 怖い。僕はこれから何をされるの?
「好きとか嫌いとか……どうでもいいんですよ。どうでも……」
 細く長く、ふーっと息を吐く音が聞こえる。怒りで興奮しているのを抑えているようだった。
「君は隼人とセックスして、彼が好きになったんですよね?」
「え? ちょっと待って……」
 なんでそんなこと知ってるの――
 そう言おうとした矢先、肩を押さえていた手が僕の下半身に移動していった。前へ手を回され、ベルトを外される。
 まずい。
 普段お気楽に生きている僕でもさすがに冷や汗が浮かぶのを感じた。この状況は絶対にまずい。心臓も早鐘を打ち、全身に逃げろと警告をしている。けれどもそれを自覚していけばいくほど、身体は石のように動けなくなった。
 前を開かれズボンとトランクスが下ろされて、足首までストンと落ちていく。
「試してみましょうか、俺とセックスして。本当に君が隼人のことが好きなのかどうかを」




 授業をぼんやりと聞きながら、空いている二つの席を眺めていた。体調の悪い玲児はともかく、何故浅人は帰ってこないのだろう。そんなことを考えながら昨日の出雲のことを思い出す。
 目を真っ赤にしてずっとずっと泣いていた出雲。抱きしめていると激しい嗚咽がこちらの体内にまで伝わり、悲しみも沁みてきた。
 それでも最後まで、好きとは言われなかった。
 俺に気持ちがあるのは明白だった。それを言わなかったのは彼のプライドがさせたことなのだろうか。帰るときにはいつもの笑顔を見せていた。“あら煮は三日くらいで食べきってくださいね”と。それを思い出す度に胸が痛んで仕方がない。
 玲児以外の男としたのも、何度も繰り返し抱いたのも出雲だけだった(その後に計算外で浅人とも関係を持ってしまったけれど)。居心地が良くて甘えてしまったが、玲児を忘れることはできなかった。出雲を本気で好きになれればお互い幸せになれたのにそんなに簡単なことではない。
 昼休みに保健室に行こう。玲児に話したいことがあるともう一度言おう。
 関係ない誰かを傷つけるのは、もうやめるんだ。




 昼休みには保健室に戻らなくては行けない。非常に面倒臭い。養護教諭なのだから当たり前なのだが。
 職員室で成人向け雑誌を読んでいたら年配の女性教師にみっちり説教をくらい、やっぱり屋上が自分の居場所だなと痛感した。授業中で生徒はいないし、最低限自分の仕事はしてるし良いじゃないかと思うのだが、そうもいかないらしい。雑誌を没収までされて生徒の気分だ。
 保健室に戻る前に一服しようと火の点いていない煙草を口に咥え、屋上へと出る階段を上がっていく。
 しかし階段を登りきった時、あまりの驚きで咥えていた煙草を床に落としてしまった。
「長谷川……?」
 そこにいたのはズボンも下着も脱がされ、床に転がった金色の髪をした生徒だった。瞬時に“いじめ”という単語が頭に浮かぶ。明るくクラスの中心にいるタイプでそんな風には見えなかったが。
 とにかく大変なことになった。
 落とした煙草を拾いながら、僕は平穏な学校生活が危険に曝されているのを感じていた。




 授業が終わってすぐに保健室へと行ったが、玲児は眠っていた。いつもしかめっ面をしているためわからないが、案外あどけない顔をしている。近くに置いてあった丸椅子に座り、その顔をじっくりと眺める。
 綺麗な黒髪にそっと手を伸ばす。中指がツンと髪に触れたがそこで、ちゃんと触れるのかどうか恐ろしくなり動きを止めた。目を閉じて一つ深呼吸をする。よし。目を開けて、すやすやと眠る玲児の頭を撫でた。
 ああ、久しぶりの感覚だ。
 玲児の真っ直ぐで少しピンと硬めの毛を手のひらが感じとる。心地いい。
 しかし大して感動する間もなく、すぐに外からガンッガンッと扉を蹴飛ばすような音が聞こえ、何事かと仕切りのカーテンから顔を出した。すると扉の窓から顔が見切れた男が扉の前に立っている。緑色のヘンテコなジャージに白衣を羽織った大男なんて加賀見しかいない。加賀見はガツンガツンと扉を蹴り続けている。
 不審に思い中から扉を開けてやると、いつも半目状態の目を見開いて驚いた顔をする。
「あれ…………大鳥? 」
「お前何やってんだよ、寝てる奴いんのにうるせぇよ……って……浅人?」
 加賀見の肩に見慣れた金髪頭が乗せられていた。どうやら浅人を背におぶっていた為に扉が開けられなかったらしい。けれどどうして。何があったんだ?
「おい、浅人どうしたんだよ? 怪我でもしてんのか」
「大鳥……この間……足でドア、開けてたよね……」
「はぁ?」
「結構、難しい……」
「んなこと聞いてねぇよ」
 言いながら浅人を見るが、パッと見て外傷はなさそうだった。加賀見はそれ以上何も言わず、奥のベットに玲児がいるのを見て一番手前にあるベットのカーテンの中へ入っていく。
「なぁ、浅人はどうしたんだよ」
 カーテンを開くと、自分の首に巻かれた眠っている浅人の腕をそっと外し、ベットに倒しながら唇の前に人差し指を立てる加賀見。浅人に布団をかけてやると、俺の腕を引きながらカーテンの外へと出た。
「静かに」
「いや、わかったけどさ。どうしたんだよ、あいつ」
 声を抑えて訊ねたが、加賀見は両手を広げて首を傾げた。
「は? どゆこと? 倒れてたのか?」
「あー…………煙草、吸いたい」
「おい」
「落ち着かないと……はぁ、なんでこんなことに」
「なんなんだよ、何があったんだよ。なんかまずいのか?」
 要領を得ない加賀見にイライラしていると、中から小さな声が聞こえた。うるさくしてしまったせいで浅人が目を覚ましたようだ。
「隼人? 隼人、そこにいるの?」
「浅人!」
 再び仕切りの中に入ると、うっすらと目を開けた浅人が寝転んだままこちらに手を伸ばしていた。近くへ行き、自然とその手を握った。そして浅人はだるそうに目線をこちらへ上げる。透き通るような青い瞳が潤む。
「隼人、僕……僕、会長さんに」
 目には涙が浮かび声が震え始めたが、浅人は俺の背後に立つ加賀見に気づくとハッとして口を噤んだ。ぎゅっと上下の唇を結びそっぽを向いてしまう。
 会長さん? 会長ってなんだ。
 誰かがいると話しづらいのかと思い、加賀見に目配せすると、白衣のポケットから煙草の箱を取り出した。
「行ってくる……けど、ちゃんと、そこにいて」
 頷くと、加賀見はその場を立ち去った。浅人に向き直ると、大きな瞳からぶわっと涙が溢れ俺を困らせた。立ったままでいる俺の手を自分の口元まで引き寄せ、両手で握り抱き締めるようにしながら涙をぽろぽろと零している。
「隼人……僕、僕ね……」
「どうしたんだよ……何があったんだ?」
「あの、元生徒会長の先輩と……隼人、エッチしてたんでしょ?」
 突然の話題に胸がざわついた。出雲のことだ。
「僕、僕……あの人に……」
 そこでまた浅人は言い淀んだ。俺は胸騒ぎが止まず、浅人に握られた方と反対の手で、自分の胸を抑えた。嗚咽が止まず鼻まで赤くして泣いていた出雲の顔を思い出す。
「出雲が……何かしたのか?」
 問うが、浅人は答えない。ただただ俺の手を抱き締め、涙に濡れた青い瞳でこちらを見上げるのだ。金色の睫毛が濡れて光り、キラキラしている。綺麗な泣き顔だった。いじらしく思えてしまう。
 それを知ってか知らずか、ふっくらとした唇は淫らな言葉をつむぎだす。
「隼人、ねぇ、エッチしよう?」
「はぁ?! 何言ってるんだ、それどころじゃ……」
「ううん、それが一番大事なんだよ。だって僕……」
 浅人は俺の手を離し、着ていたカーディガンのボタンに手をかけて自ら脱ごうとしたが、その手を握って止めさせた。すると一旦引いたように見えていた涙がまたどっと溢れ出す。先程までは涙をただ零していたが、今度は顔をくしゃくしゃにさせ、小さく嗚咽まで始まった。
 また涙か。
 泣かれるとどうしていいか分からなくなるので非常に苦手だ。なんとか止めたくて頭を撫でてやる。
「浅人、どうしたんだ。出雲が何をしたんだ」
「はやとっ……だきしめて、お願い…………そしたら、話すから」
 しゃくり上げながら上半身を起こす浅人を見て、俺はベットに腰掛けその小さな身体を抱きしめた。ちょっと背の高い女を抱きしめてるみたいに柔らかい。そんな身体が小刻みに震えているんだから、痛々しくて堪らなかった。
「あのね……会長さんに隼人のこと、本当に好きなのかって」
「聞かれたのか?」
 胸に縋り付く小さな頭がこくんと揺れる。
「会長さんは、僕は誰でもいいんじゃないかって……エッチできれば、誰でも……それで、僕のこと……」
 浅人がごくんと唾を飲み込むのが伝わる。大丈夫だと背中を優しく上下に摩ると、浅人はまた小さく頷いて続きを話した。
「会長さんに、襲われちゃったんだ……エッチ、しちゃった」
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